通学路

恐るべき異形たち

 自室の窓越しに見た外の世界は、完全なる真空だった。


 実際に外に出てみると、完全なる真空ではなかった。不完全なる真空でもない。広がっていたのは、ぼくが全知全能の唯一神だと自覚する以前にも、白倉家の周囲に広がっていた景色。

 外に出た瞬間、完全なる真空状態が解消された? それとも、窓越しに見た景色は幻覚だった?

 おかしな表現になってしまうけど、全知の神にも知り得ないことがある、ということなのだろう。推測が当たっているのか、外れているのか。それさえも定かではないけど、神がそう決めたのだから、そういうことにしておこう。


「さて、と」


 とにもかくにも自宅から出たぼくは、ひとまず、路面から十五センチほど宙に浮いてみる。

 自宅内から見れば外は外でしかないけど、ひとたび外に出ると外は内になって、自宅内が外になる。自宅内には内の一字が使われているという意味でも、自宅内に居続ける人にとっては内であり続けるという意味でも、内は内なのだろうけど。

 そんなどうでもいいことを考えながら、永遠に浮遊し続けることもできるけど、ぼくは十秒ほどで両の足の裏を地面につけた。今の時間帯は日陰なので、アスファルトの路面は熱くも温かくもない。痛みを感じたいという意志を持たない限り痛みを感じない体になったので、裸足で登校するつもりだった。今の恰好に似合う靴がない、というのもあるけど、靴なんて一瞬で用意できるのだから、裸足で歩きたい、というのが一番の理由なのだろう。

 全身真っ白な女の子が、中学生で溢れた朝の通学路を歩けば、周りの人間からどう思われるか。神であるぼくは、その事態に実際に遭遇する前から完璧に理解しているし、対処法も把握している。


 というわけで、登校開始、


 しようとしたら、白倉家の敷地を囲う白亜のフェンスに無数の穴が開き、ひき肉器の穴からひき肉がみょみょみょみょみょと出てくるみたいに、フェンスと同色の犬が穴の数だけ現れた。一匹だけ成犬がいて、あとは全匹生まれて間もないっぽい子犬だ。

 路面に降り立った子犬たちは、互いにじゃれ合ったり、路傍の雑草の匂いを嗅いだりし始めた。成犬は真っ直ぐにぼくへと歩み寄り、自主的にお座りして、訴えるような眼差しをぼくの顔に注ぐ。

 熱烈な視線を浴びるのは悪い気分ではないけど、ぼくは犬があまり好きじゃない。だって、しっぽを振るなんて、人間の姿でもできる。だからといって、嫌いなものを瞬時に永遠に消し去るのは大人気ない。


 ということで、子犬たちは全員、子猫に変身させる。体毛は純白で、瞳は青みがかった白。いかにも悪戯好きな使い魔という感じで、とてもかわいい。捻りはないけど、ただ一言「かわいい」で充分、そんなかわいさだ。成犬の周囲に留まって遊んでいた子犬たちとは異なり、好奇心に任せて白倉家の敷地に侵入したり、塀伝いにぐんぐん道を歩いていったりと、アクティブで向う見ずだ。遠ざかる白い生き物たちは、遠くなればなるほど景色に溶け込んでいくようで、肛門の桜色だけがやけに鮮明だった。

 神の関心を奪った子猫たちに嫉妬したらしく、成犬は構ってほしそうにしっぽを振り始めた。それでいて、表情には不平不満の色をちらとも浮かべない。


「よしよし」


 右掌を成犬の頭頂部へと伸ばし、撫でる、のではなく、ただ宛がう。そのまま顔の高さまで持ち上げる。紙粘土で作られているかのように軽い。成犬はお座りの姿勢を堅持し、しっぽを振り続けている。流石は犬、主人に対してどこまでも従順で、支配者にとっては都合がいい。


「それっ」


 掛け声とともに大空へと飛ばす。掌から離れた成犬は、たちまち平和を象徴する鳥へと変身し、羽音を立てながら高い空を目指して飛んでいく。羽ばたきはどこか悠長で優雅なのに、ジェット機みたいにぐんぐん遠ざかる。舞い落ちた一枚の羽根は、羽根の形をした雪のようだった。

 猫も鳥も、勝手にどこかへ行ってくれるから、ぼくは好きなのかもしれない。血だな、と思う。安蔵が古い寓話物語に登場する狐の発言を真似られたのも、フクロウカフェにわざわざ足を運んだからこそだ。今は亡き彼はきっと、雪の塊を彫刻して作り上げたような、純白のフクロウと触れ合いたかったに違いない。

 鳩は綿雲と同化し、子猫たちは一匹残らず視野から消え、ぼくは歩き出す。


 神だと自覚する以前の白倉若葉の視力を踏襲している現状、視力が及ぶ範囲内に人の姿はない。ある程度の人口の町なら二か所・三か所は必ずあるような、閑静な住宅地。神だと自覚しても、平穏で平凡な町という印象に変動はない。

 銀木犀を生垣に使用している家の前に差しかかった。今は五月の終わり、銀木犀の花が咲く季節ではないから、緑色の葉が茂っているのみ。ぼくは白が好きだから、いくつか花を咲かせてみる。銀というよりは白ですよね、って感じの小さな花。漂ってくる馥郁たる香りは、個性と慎ましやかさが同居していて、ぼくは白という色が益々好きになる。

 銀木犀の花には、「何者かに存在を認知される一秒前に跡形もなく消滅する」という設定を与えておいたから、常識に囚われた人々の心をいささかでも揺らす事態に発展することは有り得ない。特権を濫用して、人々を悪戯に恐怖と混乱に陥れるのではなく、ちゃんと後先のことも考える。基本的には、ぼくはそういう神でありたい。わざわざそんな設定をつけなくても、銀木犀の花が狂い咲いたくらいで、常識に囚われた人々が大混乱に陥ることはないとは思うけど、まあ、一応ということで。


 白倉家から中学校までは、神だと自覚する前の若葉であれば、走れば十分弱で、ゆっくりと歩けば十五分程度で辿り着ける。時間の流れを遅くしたり、通学路を空間的に延長したりすることもできるけど、当面はそのレベルの改変は控えようかな、と思う。力を爆発させるのは、学校に着いてから。

 神は気紛れだから。

 誰かから理由を尋ねられたら、そう答えておけばいい。


 中学校に直通する一本道が近づくにつれて、中学生たちの話し声が聞こえ始めた。ぼくは神だから、聞こうと思ったら自宅の中ででも、なんなら登校時間になる前からでも聞けるのだけど、人間の体を維持しているので、その地点に到達するのを待つ必要があったのだ。

 神だと自覚する以前の体験から、中学生の男女というのは、自分とはなにか一点でも大きく異なる存在に対して、大げさなリアクションを示す生き物だと熟知している。顔はどう見ても中学生なのに、モデル並みのスタイル・全身白尽くめ・裸足という見た目のぼくに、彼らは注目し、大騒ぎするのは間違いない。男子は大きすぎるおっぱいとセクシーすぎる衣装に、女子は艶やかな白髪と芸術品のようなボディラインに、それぞれ釘づけになることも、神であるぼくは知っている。

 大騒ぎされると、技術的にはそうでもないけど、気分的にはかなり面倒だ。他の人間から見たぼくは、白髪白ドレスのセクシーな体型の女性、ではなくて、千本松中学校の制服を着て、千本松中学校指定の鞄を提げた白倉若葉にしか見えない、ということにする。つまり、実際の服装は大騒ぎされる類のもののままだけど、周りからは一介の女子中学生にしか見えない。そうしないと、せっかくこの恰好をした意味がない。

 大騒ぎするに値する恰好をしていると認識はするけど、決して大騒ぎはしない、という設定でもよかったかな? なんてちょっと思ったけど、とりあえずそういうことで。


 歩き始めて一分ほどになるけど、誰とも会わない。朝夕も人通りが少ない道ではあるし、まだ一分しか経っていないのだけど、違和感を覚える。まさか、神であるぼくに畏れを


 一本道の角を折れて、ぼくが歩いている道に誰かが入ってきた。スーツ姿の男性で、髪の毛が逆立ち、のたうつミミズをスローモーションにしたように動いている。

 擦れ違いざま、磯の香りが鼻孔を掠めた。

 男性の頭部は、成人男性の頭部ほどのイソギンチャクになっていて、ミミズの舞踏に見えたのは触手だった。イソギンチャク部分は女性器の内側と同色で、所々に老人斑のような褐色のシミが浮いている。胴体は縦方向に小幅に伸縮を繰り返している。

 触手と触手の間に小さな裸の人間が無数にいる。サイズは大きくてもぼくの手の小指くらいで、全員で十五人ほど。全身が女性器色なので、男性の子供だと一目で分かる。ただし、頭部はイソギンチャクではなく普通の人間のそれで、老人斑じみたシミは一点も浮かんでいない。テーマパークの従業員みたいにとびきりの笑顔だ。


 触手の動きは不規則だけど、明らかにぼくになにかを伝えようとしている。一見なんの意味もない動きに見えるけど、実際には意味が包含されていて、コードを解析できない者にとっては全くの意味不明だけど、できる者には腑に落ちる。いわば暗号みたいなものらしい。

 神のぼくには、勿論意味が読み取れた。しっくり来る人間の言葉はないけど、無理矢理翻訳するとしたら、主観的にだるい、だろうか。要するに、愚痴。彼らの世界では、客観的には、彼が覚えている感覚はだるいと言わないし、言ってはいけないのだけど、個人的には明らかにだるいので、やり場のない思いを通りすがりのぼくに向かって発信した、ということらしい。


 イソギンチャク男の背中を見送る。振り返るまで気がつかなかったけど、道の両端に何か所か、大小の木片が山積されている。等間隔を置いて、小高い丘を表現するようになだらかさで。木片の多くには泥が付着していて、特殊な成分を含む砂が混じっているらしく、切れかけた豆電球のように弱々しく明滅している。


 進行方向に顔を戻すと、無意識に短距離を瞬間移動したらしく、一本道が目の前にあった。躊躇う理由はどこにもないので、普通に道に出る。遠方から打ち上げ花火の音が聞こえた。

 先程まで歩いた道と比べて、人口密度が凄まじく高い。路面は黒々としたアスファルトに舗装されていて、歩道と車道は区別されていない。歩行者たちは道幅いっぱいに広がって歩行している。あまりにも多いので、道の彼方から道なりに歩いてきたのではなくて、空間から自然発生して、何食わぬ顔で学校へと向かっているような気がする。全員、千本松中学校の制服を着た少年少女たちだ。

 立ち止まって天を仰ぐ。雲はそれなりに出ているけど、空の青味が神の目にも快い色合いなので、快晴と呼びたくなる。

 案の定、花火は見えない。開花したけど萎んでしまったのではなく、最初から打ち上がっていないと、空を一目見た瞬間に分かった。磯の香りに替わって、微かに甘いような、春と夏の狭間の時季特有の大気の匂いを感じる。


 出し抜けに、二階建ての建物の影からなにかが首を突き出した。

 キリンだ。日本人にとって最もポピュラーな大型動物。アフリカ大陸に生息する、冗談みたいに長い首と四肢を持つ珍獣。ただし、頭部と頸部の全域は白黒の縞模様に彩られていて、これではキリンではなくてシマウマだ。

 天敵を警戒しているのか、食料を探しているのか、首を緩慢に左右に振りながら、建物の陰から体全体を出す。縞模様は前肢の付け根あたりで途切れ、胴体の大部分は枯草にも似た茶色の体毛で覆われている。

 目の前の動物に似た生物の存在を不意に思い出した。クアッガだ。体の前半分が白黒の縞模様で、後ろ半分は茶一色という、現在から百五十年も経たない過去に絶滅した哺乳類。クアッガのシルエットは完全にシマウマなので、目の前のキリンもどきとは完全に別種の生物だけど、カラーリングは酷似している。


 動物が好きだったので、子供のころはよく、動物図鑑を眺めて楽しんだ。その中の一冊に、二十一世紀の現在においては絶滅してしまった動物たちを紹介した図鑑があった。その書籍で知った絶滅動物は、クアッガだけではない。恐竜が鳥の祖先だということを思い出させてくれる風貌の怪鳥モア、愚鈍だが憎めないドードー、肥満した巨躯でベーリング海を泳ぐステラーカイギュウ。

 彼らはもはや絶滅してしまった。その事実を噛み締めるたびに、幼いぼくの目頭は熱を帯びた。劣悪なJポップの歌詞のように、会いたくて→でも会えなくて→切なくて、ということではない。現代に生き残っている動物と比べると、絶滅動物は巨大で奇形な種類が多く、幼少時のぼくにとっては不気味で、恐ろしくて、積極的にコンタクトをとりたくない存在だった。たとえ最寄りの動物園で公開されていたとしても、足を運ぶ気にはなれなかったと思う。

 では、目頭が熱くなったのは、なぜ?

 当時は幼さ故の無知に祟られて、永遠に解読不能な深遠なる謎でしかなかったけど、神だと自覚した今なら理解できる。

 死に絶えたという事実、それ自体が悲しかったのだ。確かに存在していたにもかかわらず、永久に存在が消滅してしまったことが。


 ぼくは神だ。クアッガも、モアも、ドードーやステラーカイギュウやリョコウバトやフクロオオカミやオーロックスも、それよりも遥か昔に絶滅した恐竜だって、さらに言えば、現在・未来・過去にわたってこの世界に実在しない・したことがないドラゴンやフェアリーなどの空想の生き物たちでさえも、この世界で活き活きと活動させることが可能だ。

 でお、そうさせることに、きっと意味はなくて。絶滅したという事実の前では無意味とか、実在しない期間があったという事実の前では無意味とか、そういうことではなくて。


 幼少時とは異なり、ぼくの目頭は熱くはならない。


 クアッガ模様のキリンは再び建物の陰に隠れた。もう二度とぼくの目の前には現われない、ということがぼくには理解できた。


『僕のことは忘れて、遅刻しないように早く行きなさい』


 建物の陰から聞こえたささやきに促されて、ぼく歩行を再開する。

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