再処刑、そして、

 召喚が完了すると同時に、若菜はうねうね・ぐにょぐにょ発生から消滅までの間の記憶を完全に失った。彼女からすれば、朝食を食べていたら、妹とちょっと口喧嘩みたいなことになって、急に両手の自由が利かなくなったと思ったら、なぜかは分からないけど「お父さん」と叫んで、ふと我に返ると朝食ごと食卓が消えていて、なぜか残っている椅子の一脚に腰かけていて、会社に行っていたはずの父親が目の前で棒立ちしている、という状況になる。

 現象が一段落したのを受けて、自らが目の当たりにした現象がいかに非現実的だったかを、興奮を必死に抑えた口調で語り出しそうなのがウザかったので、その処置を施したのだけど、うねうね・ぐにょぐにょを差し引いても、常識人にとっては充分に摩訶不思議な体験をしたのだから、リアクションのウザさに大差はないかもしれない。


 失敗したかな、と思ったけど、ちょっと待って、ぼくは神だ。後出しで好きなように改変できるのだから、細かいことを気にする必要はない。今考えるべきは、言うまでもなく、目の前の親子をどう料理するか。

 思案を開始しようとしているぼくの視線の先で、若菜は自らの父親を熟視している。両手で口を覆って、両の目玉を通常時よりも飛び出させて、全身で驚愕を露わにしている。


「口を覆うのは片手で充分じゃない?」

 とか、

「お姉ちゃん、さっきから驚愕してばっかりだね。驚いてばかりいるならまあ分かるけど、驚愕ばかりする機会って、そうそうないよ?」

 とか、

 かけたい言葉はいくつか、なんなら無限にあるけど、一つに絞るとしたら、「流石はお姉ちゃん、常識人らしい常識的なリアクションだね」、だろうか。常識人ではなくても、同じ立場に置かれれば誰だって似たような態度をとるだろうけど、細かい仕草、例えば手で口を覆うとか、そんなところがいかにも「あ、常識的な人間の常識的な反応だな」っていう気がする。


 お姉ちゃんを驚愕させた張本人=お父さん=白倉安蔵はというと、ぼくに顔を、長女に背中を向けて、棒立ちしている。ザ・呆然って感じの表情だ。直立不動の姿勢なので、頭のてっぺんから爪先まで間抜けな印象だ。


 常識・非常識という観点で見てみると、間抜けというのは非常識に属するわけだけど、娘の若菜は間抜け=非常識ではない。逆算すれば一発で分かるように、安蔵は常識人にカテゴライズされるべき人間だ。

 常識人なのは間違いないのだけど、悲しいかな、このオッサンには遅鈍なところがある。社会人としてやっていくのに支障があったり、一家の大黒柱を務めるにあたって問題があったり、といった類の遅鈍さではない。思いがけない深みに填まったとき、抜け出すために必要な知能が不足している、ということでもない。思いがけない深みに填まってから、抜け出すために脳髄を回転させるまでの時間が長い、という意味での遅鈍さだ。三年前に横浜のフクロウカフェに足を運び、本日定休日という事実に直面したとき、開くはずのない店の自動ドアの前で、安蔵は十分以上にわたって佇み続けたが、彼は当時と同じような状況に置かれている、というわけだ。


 電車に揺られていたら、あるいはホームで電車を待っていたら、もしくは会社を目指して道を歩いていたら、いつの間にかマイホームにいた。これは安蔵にとって、フクロウカフェが定休日だった件よりも、圧倒的に不可解で不条理で非常識な体験だ。

 安蔵の性格を考えた場合、圧倒的な不可解で不条理で非常識な事態に遭遇すれば、呆然とする時間が長引きそうに思えるけど、実はそうじゃなかったりする。許容量に達する・限りなく近づく→フリーズ、だけど、許容量を超える→パニック、なのだ。四十四年の人生において、常識の範疇に収まる行動しかとってこなかった安蔵にとって、これが初めてとなる許容量オーバー、ということになる。


『じゃあどうして、これが安蔵にとって人生初の、許容量を超える→パニックを起こす事案だと分かったの?』


 そんなイノセントな質問を投げかけてくるピュアな存在がいたなら、ぼくはこう答えよう。


「だって、ぼくは神だから」


 役者も揃ったし、哀れな安蔵がパニックを起こす前に、レッツ親孝行☆

 と、星つきで宣言したところで、思いついた。

 お姉ちゃんとお父さんが一堂に会したし、この際だから、家族全員揃えよう。お母さんを復活させよう。

 で、もう一回処刑する。


 安蔵はまだパニックを起こさない。タイムアップの期限は無限に延長可能だから、考える時間は有り余るほどある。


『神にかかれば、一瞬で最適解を導き出せるのでは?』


 うん、そのとおりだね。全くもってそのとおり。でも、ぼく、考えるのは嫌いじゃないから。

 空中から登場。駄目じゃないけど、二番煎じではテンションも上がらない。ということは、必然的に、お姉ちゃんがみたいな登場の仕方も駄目。空中からも駄目、普通に登場するのも駄目となると、必然的に、


 安蔵の右隣、若菜の右斜め前の床から、音もなくなにかが出現した。床を突き破ってとか、床板を押し上げるようにしてとか、そうじゃなくて、床の存在を全く無視して、床という存在の影響を全く受けずに。出現した瞬間から約二秒後には、なにかは床から六センチほど顔を覗かせている。ざっくりと形容すると、なにかは茶色い塊で、中央に空洞が深々と穿たれている。

 物体は徐々にせり上がってくる。そんなに速くない。秒速三センチくらいだろうか。


 そうこうするうちに十二秒ほどが経過した。安蔵は、本来なら五秒くらい前にパニックを起こしているはずなのだけど、未だに呆然としている。先程までとは異なる事象を対象にした呆然モードが始まった、ということらしい。呆然じゃなくて唖然だけど、若菜も似たような体と表情の固まり具合で、流石は親子って感じだ。

 物体の上昇速度がにわかに加速した。四十センチほど露出した地点で、なにか=物体は、陶製の細長い入れ物らしいと分かった。さらに三十センチほどせり上がると、形状から壺だと判明した。なにか=物体=細長い入れ物=壺は、全高が百五十八センチに達すると同時に運動を停止する。若菜と安蔵は壺への注目の度合いを深めた。

 壺は『桃太郎』に出てくる桃のように綺麗に縦に二つに割れた。右半分と左半分は音もなく床に転がり、中から現れたのは、桃太郎でも壺太郎でもなく、白倉若子。


 登場の一部始終を目の当たりにした安蔵・若菜親子は、真っ先に、壺の中から現れたのは妻だ、母親だ、白倉若子だと認識する。ぼくの力によって、ではなく、自力で。それから二人は、若子が紛れもなく生きている若子、本物の若子だと認め、驚き、若菜は「本当に若子か」という旨の問いを若子に投げかけて、安蔵は呆然モードに突入する、というふうに予定表ではなっている。

 問題なのは、驚いたあとで二人が異なる行動をとる、ということだ。認め、認め、驚く。親子らしく、息ピッタリに同じ行動をとっていたのに、驚いたあとで急に仲違いをして、一方は確認を求め、一方は呆然。確かに、前者は若菜らしいし、後者は「ああ、安蔵だな」っていう気がする。でも、正直ぼくとしては、その展開は勘弁被りたかった。面倒だからだ。別々の方向へ走っていく人間を同時に対処する面倒くささは、全知全能の唯一神と人間、両者共通の苦痛なのだ。

 ぼくは神なのだから、面倒くさかったとしても同時に対処することは可能なのだけど、気分が乗らないのだから仕方ない。完全なるワガママだけど、ぼくは神だ。神のワガママを是認しない存在など、存在するはずもない。


 偽りの奇跡によって復活を遂げた白倉若子は、呆然としている。愛する夫をリスペクトして、ということではなくて、生き返ったから。死に方が死に方だっただけに、一回死んだという自覚はない。同じダイニングとはいえ、意識を失う前と取り戻したあとの状況の落差が激しいから、頭の中を「どういうこと?」の一言でいっぱいにしながら立ち尽くすしかない、みたいな感じだと思う。


 壺から現れて二秒。自らが置かれた状況を呑み込むには遠すぎる母親、あるいは妻を差し置いて、二人は予定表どおり、親子らしく同時に、若子を若子だと認めた。床から出現した壺から出現するという、常識的には信じがたい登場の仕方ではあるけど、出現・登場したのは我が妻、我が母、白倉若子に間違いないと。


 その若子をぼくは指差し、ぼがーん、と心の中で言った。

 瞬間、若子の体は爆発。轟く爆音。四散する肉片。

 若菜は悲鳴を上げて椅子から滑り落ち、安蔵は「うおうっ」と叫んで咄嗟に右腕を自らの顔の前に移動させて上体を四十五度ほど後方に傾け、ぼくは四散した肉片を一瞬で消滅させ、はい、再処刑完了。気が変わる可能性がないわけではないとはいえ、現時点では再復活させる気はないので、これで一応、白倉若子という存在は永久かつ完全に消滅したことになる。


 突然出現した母親・妻が突然爆死したことで、二人は混乱の極致だ。母親・妻が死んだのは二回目だと知らないのに極致だから、認識した上で爆殺していたら、二人はどんなリアクションを見せていただろう?

 極致の先。

 見てみたいし、見ようと思えば見られるけれど、見ません。いきなり爆殺という、迅速な対応をとったことにより、ストーリーをテンポよく進めたいという欲求が芽生えたから。


「お父さん」


「呼びかけられると、呼びかけた者に関心を向ける」という効力を込めて呼びかけると、妻が爆死した事実に関心を奪われそうだった四十四歳・安蔵は、間近で爆発が起きたのを受けて顔をガードしていた右腕を下ろすと共に、しゅびばっ! という音が聞こえそうなほど素早く、ぼくの方を向いた。


 関心の対象がAからBに移行しただけだから、心の中はまだ一切の感情や考えに染まっていない状態、即ち真空なのだけど、ぼくの顔を見て、「お父さん」と呼んだのがぼくだと理解した瞬間から、彼らしくもなく呆然モードをすっ飛ばして、「白倉若葉は若子爆死に関する真相を知っている」という仮定に基づいて、ぼくに真相を追及する方向で行動しようとするのだけど、なにせ混乱の極致だから、どんなふうに言葉を組み合わせて発信すればいいかがさっぱり分からない。さっぱり分からないけど、分かりたいから、脳味噌を懸命に回転させるわけだけど、さっぱり分からなかった割には早く、安蔵自身が最適と実感できる単語の組み合わせを導き出し、実際にぼくに投げかけてくる、


 という予定になっていたのだけど、残念ながら、安蔵が今後、呻き声以外の声を発する機会はありません。

 だって、その前に処刑しちゃうから。

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