歩けタカシ2

現夢いつき

歩けタカシ2

 帰り道の途中で出会ったのは俺の兄のハジメであった。

 いや、正直なところ出会ったというよりは出遭ってしまったというべきかもしれない。俺の兄とはそういうやつである。

 黄昏時特有の、相手の表情をしっかりと目視できない状況で、この距離から相手を認識できたのは、彼が兄であったからに他ならない。


「……どうしてお前がここに?」

「お前とは結構な挨拶だね、タカシ。何だ、反抗期もまだ抜けてないのかい?」

「うっせ、お前こそ大学どうしたんだよ」


 ハジメは肩をすくめると、舌を出して言った。


「ああ、大学は止めちゃったんだ」

「は? 馬鹿じゃねえの」


 思わず単純な罵倒ばとうが口から零れた。

 彼は今年で大学四年生になった。別に、成績優秀という程の成績を取ってはいなかったようであるが、だからといって中退するほど悪い成績も収めていなかった。取得した単位数だけを見れば十分優等生と言って差し支えない人材だったはずだ。


 俺のその表情があまりにもおかしかったのだろう。ハジメは腹を抱えて笑い出した。


「あははは! 冗談だよ、冗談。僕は単に愛しい我が弟をからかいたかっただけさ」

「俺はお前のこと嫌いだけどな」

「どうして!? 嫌われる要素なんてないだろ? 完璧な兄だろ!?」

「その外見と性格を矯正してから出直してこい!」

「おい、それじゃあ、僕の存在を全否定じゃないか! 体育会系の職業だって昨今、そこまで強く言わないもんだぜ!?」


 まあ、体罰やパワハラとかでいろいろ盛り上がってるからな……。

 いや、そうではなくて。


「どうしてお前がここにいるんだよ。ちゃんと話せよ、おら」

「……うちの弟が、反抗期をこじらせて不良っぽくなってる。……めっさ、おらついてくるんだけど」

「おら、たばこ出せや」

「おっとお!? 高校生とはいえ、それはかなりまずいんじゃないかなあ、我が弟よぉ!?」


 ああいけない。久しぶりの再会とはいえ、腐っても家族であるのだ。話題が脈略もなく変な方向に行ってしまって叶わない。

 結局、俺達の会話が元の話に回帰したのはそれから数分後の出来事であった。


「あ、そうそう。僕がここにいる理由はね、自由研究で帰ってきたんだよ」

「自由研究……? 大学生にもなって?」


 今時自由研究なんて、小学校で終わってしまうだろうに。


「ああ、いや。大学の課題だとかそう言うんじゃなくて、本当の意味での自由研究をしようと思ってさ」

「はあ、なんかお前らしいや」


 変人が代名詞である彼は、進んで何かを調べようとする好奇心が強い。今回も自分の知的好奇心を満たすために帰郷したのだろう。ちなみに、去年は好きな作家の展覧会があるとかで大阪まで旅行していた。


「それは僕のことを言外に変と言っているのかな? ありがとう」

「……そういうとこだぞ、俺に嫌われている理由」


 常人ではおよそついて行けないような会話を平然とする上、本人は変人奇人と言われると両手を挙げて喜ぶのである。もう、手の施しようもない。


「で、今年は何について調べるのさ? 確か今はSFにはまっているんだっけ?」

「ああ、SFはもう飽きた。また、興味が湧いたら没頭しようと思うよ。で、今は妖怪に興味があるんだ」

「……科学からオカルトとものすごく真逆の方向に言ったな。どうしたらそうなるの?」

「ほら、今って夏だろ? 怪談が存外に面白くてね。思わずハマっちゃった」


 こんな調子でしばらく会話していると、夜の帳は落ちてしまい、辺りはすっかり真っ暗になった。頬を撫でる風の肌寒さに思わず腕を抱えた。

 そろそろ潮時だろう。そう思って帰路へと足を伸ばしたが、後ろから兄が付いてくるようなことはなかった。

 夜道なんてあんまり歩きたいものではない。でも、このまま何の断りもなしに兄を置いていくというのも少々、後味が悪い。


「どうしたの? まだやることがあるの?」

「いや、妖怪について研究するのに、こんな時間から帰るわけがないだろう。先に帰っててくれ」

「ん、分かった」


 俺はそう言って歩き出そうとした。しかし、その前に思い出したように兄がこう言った。


「あ、そうそう。そういえばタカシは妖怪の鳴き声って知ってるか?」

「? そんなのあるの? あいつらって普通に喋ってそうなものだけど」

「ああ、まあ、そういうのもいるけどさ。昔は鳴き声ってのがあったんだよ。猫ならにゃーにゃー、犬ならわんわんという風に、妖怪にもな」

「ふーん。で、それはどんなの?」


 兄はからかうように言った。


「モーモー、だ」

「はあ? 牛じゃん、それ」


 俺の反論に兄は人差し指を振りながら、チッチッチとリズムを刻んだ。この世で最もうざいメトロノームとはきっとこれのことを言うのだろう。


「タカシはここらへんの方言で、妖怪がなんて呼ばれてるか知ってるか?」

「え、普通にお化けなんじゃないの?」

「いいや、こう呼ばれてるんだ。モーモーって」

「それで、鳴き声もモーモーってなったの?」

「あ、いや、それは逆だよ。赤ちゃん言葉みたいなものさ。猫のことをにゃんにゃんとか、犬のことをわんわんとかという風な感じで、鳴き声からそういう名前になったんだよ」


 なるほど、少しためになった。今度友達で集まった時の、話の小ネタ程度にはなるだろう。


「へー、そうなんだ。でも、どうして今そんなことを?」


 俺のその質問に兄は答えた。月は微かながらも辺りを照らしてくれてはいるが、逆光になっているためか、兄の表情は見えない。でも、俺にはその表情が分かっていた。見るまでもないと言うのはこういうことを言うのであろう。

 彼は、笑っているのだ。悪戯いたずらっぽく。まるで俺のことをおもちゃにするかのごとく。


「だって、タカシはこういう怖い話嫌いだっただろ? だから、忠告したのさ。ここは田舎で牛を飼っているご近所さんだっているんだから。牛の鳴き声だと油断してて、そのままお化けにパクリといかれたら大変だろ? ささ、帰るんだろ? 気をつけて帰りなよ」


 ふざけんな! そんな言葉が喉を突いて出かかった。

 田舎の夜道という不気味な場所を歩くだけでも、身体が震えるというのにその上いるかも分からない妖怪に注意しろだって? はっ! 思わず、足がブルブル震えてすくんでしまうわ!


「ははは、兄ちゃんを置いて俺がここを離れられるかよ! あくまでも、兄ちゃんの安全を守るために、兄ちゃんのために俺はここに残るぜ。今日はとことん付き合ってやるぜ」

「いや、こっちにいても、それはそれで暗闇の中に居続けなきゃならないんだけどね」


 そう言いながらも、兄は計画通りといった風に頷いた。

 してやられた。最初から俺を巻き込んで何かするつもりだったのである。やはり、兄と出遭ってしまったことがいけなかった。遭わなければ或いはこうはなっていなかったかも知れないのに。

 否、なっていなかったに違いない。


 こうして俺と兄による不思議な夜は幕を上げたのであった。

 俺達の夜が短いのか、長いのか。そもそも、妖怪に遭ってしまうのか否か。それは今の段階では誰も分からない。もしかしたら、次の瞬間には全て夢オチとしてなかったことになっているのかも知れない。

 でも、ただ一つ分かる事がある。


「やっぱり、兄ちゃんは嫌いだ!」

「タカシって弱腰になったら、僕のことを兄ちゃんって呼ぶよな? もっと頼ってくれてもいいんだぜ?」

「うっせ、黙れ」


 こういう所が最高に嫌いである。

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