第四章 波間に揺れる想い --- 2

 翌朝、目を覚ましたイスフェルは、真っ先にセフィアーナの姿を探す自分に気付いて苦笑した。すっかり心の安息を彼女に求めるようになってしまったらしい。

「しっかりしろ。アンザ島へはまだ遠いんだ」

 自分を戒めると、寝台から降りて強張った身体を伸ばしてみた。セフィアーナの看病のおかげで、今朝は随分と体調が良くなっていた。

 その時、どこからか笑いさざめく声が聞こえてきた。イスフェルが部屋の小さな窓から外を覗くと、裏庭で少女がふたり、洗濯物を干しているのが見えた。その片割れがセフィアーナであることに気付き、名を呼ぼうとした彼だったが、寸でのところで声を呑み込んだ。窓辺に置いてあった水桶に映った自分の姿を見てしまったのだ。伸びたぼさぼさの髪と髭。一瞬、誰の顔か判らなかった。

「こ、れは……」

 こんな姿を数日、セフィアーナたちの前にさらしていたのかと思うと、イスフェルは恥ずかしくていてもたってもいられず、慌てて荷物の中に短剣を探した。我を忘れていた証のようで、髪はともかく髭だけでも剃りたかった。

 それからさらに着替えようとしたイスフェルだが、囚人服も見当たらず、結局、宿の主人に借りた夜着に灰褐色の外套を引っ掛けるという間抜けな格好で部屋を出た。セフィアーナを呼べばよかったのだろうが、久しぶりに外の空気を吸いたかったのだ。

 イスフェルが裏庭へ降り立った時、干された被単シーツに、その向こう側で忙しなく働く少女たちの影が映っていた。

「……に連れられて

 欠伸ひとつに摘む花ふたつ

 朝飯三口に摘む花よっつ」

 近付いていくと、サイファエール語の小さな鼻歌も聞こえてきた。

「セフィ」

 洗濯物越しに顔を覗かせると、セフィアーナが朝陽の中で「あら」と目を見張った。

「イスフェル、起きたりして大丈夫なの?」

「ああ、もう大丈夫だ」

 しかし、相変わらずイスフェルの「大丈夫」は信用ならないようで、セフィアーナは彼の顔色などを注意深く窺っていた。イスフェルは首を竦めた。

「本当だって。きみのおかげだよ。ありがとう」

 それで、ようやくセフィアーナは安堵した。

「……それなら、よかった。髭、剃ったのね」

 痛いところを突かれて、イスフェルはたじろいだ。

「あ、ああ。みっともない姿を見せてしまった」

「そんなことないわよ」

 反逆者に逃亡者と二重の汚名を着せられながら、毎日、身綺麗にできる人間がいるとすれば、きっとそれは鉄の心の持ち主だ。そんなものが青年にあると知っていれば、セフィアーナはそもそも彼の心配などしない。

 二人で話していると、イスフェルは左頬に視線を感じた。注意深く首を巡らせると、その先にいたのは、セフィアーナと一緒に洗濯物を干していた少女だった。年の頃はセフィアーナと同じくらいに思われた。

「彼女は……?」

「ああ、ここの宿の娘さんよ。アーニスっていうの」

 宿屋の夫婦によくしてもらっているお礼に、洗濯などの雑事を手伝っているセフィアーナだった。

 アーニスから食事を受け取ったこともあるというのに、イスフェルは彼女のことをまるで憶えていなかった。その時、彼女が寄ってきて、セフィアーナに何事かを耳打ちした。そして、恥ずかしそうにイスフェルを一瞥すると、空いた洗濯籠を持って去って行ってしまった。

「……なんだい?」

 不思議そうなイスフェルに、セフィアーナはくすくすと笑いながら言った。

「『あなたのお兄さん、やっぱりカッコよかった』って」

 アーニスは「かっこいい」と彼女が言ったことが伝わってほしかったのだが、残念なことに、イスフェルが気にしたのはそこではなかった。

「『お兄さん』?」

「まさか本当の身分を言うわけにもいかないでしょ? それで、アリオスが咄嗟に言っちゃったの。それにしても……」

 そこでセフィアーナの視線を全身に受けて、イスフェルはようやくここへ来た目的を思い出した。

「ああ、そうだ。オレの服は……? 部屋になかったんだが」

「え? あ、ごめんなさい。じゃあ、納屋の方に持って行っちゃったのかしら」

「納屋?」

「私たちが泊まっているところよ。隊商が来てるでしょう? 部屋がもう空いてなくて」

 しかし、納屋の方が狼たちのことで周囲に気兼ねする必要もないので、セフィアーナたちには丁度よかった。

「じゃあ、そこにきみの仲間もいる?」

「ええ」

「助けてもらったお礼を言いたい。案内してくれるかい?」

 気にしなくてもいいと言っても、やはり落ち着かないのだろう。もしセフィアーナが同じ立場なら、きっと同じように礼を言わずにはいられないに違いない。カイルと会わせることには内心、戸惑ったが、既にラスティンとは顔を合わせており、会わせないというのもおかしな話だ。それに、彼女が会わせなければ、イスフェルは自分で会いに行くだろう。

「……わかったわ」

 セフィアーナは覚悟を決めると、空いた籠を抱え、爪先を納屋へと向けた。



「えーっと? イリューシャが一、二……五匹で、アグラスが――三匹。はっ! ラスティン、オレたちの勝ちだぜ」

「くっそ! アグラス、何やってるんだよぉ」

 セフィアーナとイスフェルが納屋へ入っていくと、狼族二人の声が元気に響いていた。

「……何してるの?」

 セフィアーナは、積まれた藁山の麓で対照的な表情を浮かべている二人に声をかけた。

「あ、姉さん」

「ネズミ取りさ。ちょろちょろうるさいから。女将にも是非にって言われたしな。……お?」

 少女の背後に向かったアリオスの視線を追っていって、ラスティンが表情を明るくした。

「あ、イスフェル! 良くなったんだ。よかったね」

 ふいにラスティンの無邪気な笑顔が、王都に残してきてしまった少年たちのものに重なって見え、イスフェルの心がずきりと痛んだ。

「イスフェルがね、みんなにお礼が言いたいって」

「礼なんていいのに」

 手を振ってへらへらと答えるアリオスに、ラスティンが藁の切れ端を投げつけた。

「おまえが言うな」

「何だと?」

「――って、カイルが目で言ってるよ」

「………」

 沈黙してしまったアリオスの後ろで、カイルは木箱に腰かけて矢羽根の手入れをしていた。

「イスフェル、彼がアリオスで、あっちがカイル。それから、この子がアグラスで、こっちがイリューシャよ」

 セフィアーナの紹介に合わせて頷きながら視線を動かしていたイスフェルは、一歩進み出て口を開いた。

「イスフェル=サリードだ。助けてくれて、本当にありがとう」

 そして、深々と頭を下げる。あまりにも素直な言動に、アリオスが目を瞬かせたほどだった。

「……お貴族様ってのは横暴で贅沢な奴らだと思っていたが」

 アリオスはセフィアーナを見た。

「えらい律儀で御方もいるもんだな」

 アリオスもイスフェルの良さをわかってくれたことが、セフィアーナには嬉しかった。

「――あ、そうだわ」

「質素」という言葉で、セフィアーナがイスフェルの服を探そうと荷物へ向かうと、イスフェルも足を踏み出した。それがカイルに向かってであることに気付いて、セフィアーナは思わず息を呑んだ。

「前からきみとは話をしたいと思っていたんだ。そう……ケルストレス祭の時から」

 そう切り出したイスフェルを、カイルは冴えた碧玉の瞳で見上げた。セフィアーナには、それがまるで睨み付けているように見えた。

「オレには話などない」

 カイルは矢をすべて矢筒へ押し込むと、立ち上がり、納屋の戸に向かって歩き出した。

「カイル」

 イスフェルはカイルの足が止まるのを確認して、もう一度頭を下げた。

「……面倒を掛けて、本当に申し訳ない」

 納屋に着くまでの間に、セフィアーナからカイルが金銭面で手を尽くしてくれたことを聞いていた。食い扶持をいくつも抱え、農夫である彼に銭子は貴重なものであろうに。

 立ち止まったカイルは、そんな彼に淡々と告げた。

「おまえが村にもたらしたものに比べれば、大したものじゃない。それより、こっちも色々と面倒が立て込んでる。これ以上は御免被る」

 その慇懃無礼な物言いは、カイルの内心をイスフェルによく知らしめるものだった。

(……どうやらあの寄付で、彼の機嫌を損ねてしまったらしい)

 ケルストレス祭の賞金で村の香水工場を建て直したいというカイルの出場目的を耳にして、優勝したあかつきにその通りにしてみたのだが。しかし、予選で凄まじいまでの剣の腕を見せつけながら棄権したカイルの存在は、優勝したイスフェルには鼻持ちならないものでもあった。寄付は、実は体のいい意趣返しでもあるのだ。

「何だ、あいつ? なにピリピリしてんだ?」

「カイルとイスフェルって、前に会ったことあったの?」

 カイルがいなくなった方を見て首を傾げている狼族二人の頭越しに、イスフェルはセフィアーナを見た。すると、彼女もイスフェルを見ていた。

「カイルったらあんな言い方……。ごめんね、イスフェル」

「いや、いいんだ。それより――」

 ようやく体調も回復した。なぜセフィアーナがこの荒野にいるのか、発つ前に――別れる前に、そのとやらを聞いておきたかった。

「きみがここにこうしている理由を聞きたい」

 そうしてセフィアーナからラスティンとの出会い、実母との再会、そして別れのことを聞いたイスフェルだったが、何よりも衝撃的だったのは、無論、《光道騎士団》が動いたという事実だった。

『自治権は最早彼らに必要なものではなくなりました。彼らが必要なのは、……彼らが欲するのは、王国の支配権だと』

『決してこの地から目を離されませぬように』

 春、聖都を発つ間際に、総督ディオルト=ファーズから言われた言葉が脳裏を過ぎる。

「それで……陛下はどのように対処なさったのだ?」

「ごめんなさい。そこまでは……」

 その頃、セフィアーナたちは王都から遠離るようにエルジャスを目指しており、その後もカルマイヤの荒野を移動していて、エルミシュワ高原で体験した以上のことはわからない。首を振るセフィアーナの横で、やはり詳しいことを聞きたがって残っていたアリオスが、イスフェルに奇異の目を向けた。

「おまえ、その陛下もろもろから王都を追い出されたってのに心配なんかして、おかしな奴だな」

「そうじゃない。オレが……浅はかだっただけだ」

 後悔してもしきれない。あの運命の夜、王弟に剣を向けさえしなければ、事態はかなり変わっていたはずなのに。しかし、目の前で敬愛する父を失った。その怒りを憎しみをどうやって自分の内で消化すればよかったのか、その方法は今をもってしてもわからない。

「浅はか、ねえ……」

「アリオス」

 セフィアーナからたしなめられたアリオスは、小さく首を竦めた。

「……ところで、おまえ、歳いくつ?」

 唐突に年齢を問われ、イスフェルは目を瞬かせた。

「十八だが?」

「は? 同い年じゃねえか。髭あったし、もっと上かと思った」

「……そのことはもう忘れてくれ」

 イスフェルは煙でもかき消すように大仰に手を振った。「オレも伸ばしてみようかなあ」というアリオスに、伏せていたイリューシャが嫌そうに眉根を寄せるのを見て、セフィアーナは思わず吹き出してしまった。

「さあ、イスフェルはまだ病み上がりなんだし、部屋に戻りましょう。朝ご飯も食べてないし、お腹空いたでしょ」

「――あ、セフィ」

 立ち上がって歩き出したセフィアーナを、イスフェルはある想いを胸に呼び止めた。

「この村に、礼拝堂はあるかな?」

「礼拝堂? えっと……」

 口元に指を当てて考える少女の横で、アリオスが「ああ」と手を打った。

「そのようなものなら、村の西側にあったぞ。礼拝堂っていうより、礼拝所って感じだったが」

「そうか」

「イスフェル、お祈りに行くの?」

「……ああ」

 急に言葉少なになってしまったイスフェルを、セフィアーナは訝しげに見た。すると、彼の表情が強張っているように見えた。

「イスフェル……?」

 セフィアーナとアリオスの視線を受けて、イスフェルはしばらくの沈黙の後、絞り出すように声を発した。

「……墓も、造ってやれなかったから……」

「え?」

 その名を口にするのは勇気が要ったが、セフィアーナもボロドン貝を持つ仲間だ。そして、巫女としての彼女にも、その冥福を祈って欲しかった。

 何度も何度も深呼吸して、イスフェルはようやく意を決した。

「ユーセットが、……死んだんだ……」

「――え……!?」

 いったい何を聞いたのかと愕然とするセフィアーナの前で、イスフェルの秀麗な顔が今また苦痛に歪んだ。その藍玉の瞳には、哀しげな光がたゆたっていた。

「暗殺者に、襲われて……オレを逃がすために……」

「そんな……ああ、そんな、ひどい……!」

 思わず膝の力を失って、セフィアーナはその場にへたり込んだ。再会した夜、イスフェルが彼女に襲いかかるほど人間不信になっていたのにも、ようやく、ようやく合点がいった。彼は父ばかりかユーセットも失ったのだ。大切な兄を、重要な側近を、かけがえのない友を、決して本意ではない形で場所で。

 この数日、イスフェルはそのことをセフィアーナに告げなかったが、かえってそれが、如何に彼にとって受け入れがたい事実だったかを教えるものだった。

「オレは……あいつを置き去りにして逃げてきたんだ……」

 今やイスフェルは、セフィアーナに懺悔するように床の上で項垂れていた。アリオスにはユーセットという人物が誰なのかはわからなかったが、イスフェルの大切な人間だったということは、嫌でも理解できた。

「おまえ……これからどうする気なんだ……?」

 気遣うように声をかけると、イスフェルはゆっくりと顔を上げ、しかし、伏し目がちに言った。

「アンザ島へ……。それがあいつとの――約束だ」

 それを聞いて、アリオスは不審げに眉をひそめた。

「ちょっと待て。その島の名前、どこかで聞いたぞ。確か――」

 やはり驚いているセフィアーナの頷きを得て、アリオスは瞠目した。それは、イスフェルが寝込んでいる間、彼についてセフィアーナから説明された時に聞いた地名だった。重罪人の流刑地で、イスフェルの護送先だと――。

「おいおい! せっかく自由の身になったってのに、なんだってまた捕まりに行くんだよ」

「行かなければ、連座で家族が処刑される。それにオレは……オレは、王弟に刃を向けた以外の罪は犯していない。オレがアンザ島へ辿り着けば、いくつかの罪は晴れるかもしれない。――いや、晴らさなければ……」

 イスフェルの決意を聞いて、セフィアーナは手の中の物を握りしめた。

「だから、これが要るって言ったのね……?」

 差し出された囚人服を見て、イスフェルは大きく頷いた。そんな彼を見て、アリオスは藁の上でそっくり返った。

「おまえ……本っ当に律儀なヤツだな」



 見上げれば、突き抜けるような蒼い空だった。雲ひとつなく、あっても掴めるはずはないのに、思わず腕を伸ばしてしまう。しばらくそうしていたカイルは、溜息を付いて、腕を下ろした。

(――ドコニ、アルノダロウ……)

 ふと、ひとつの不安が胸中に湧き起こる。

(ドコニ、ドコニ、ドコニ……)

 それは、まるで発作のように青年の胸を締め付け、その端正な顔を歪めた。

「何を惑う。オレは見付けたじゃないか。オレの『白き草原』は、あの谷だ」

 そうして大きく息を吐くと、不安は小さなさざ波のようになり、やがて消えていった。

(……不安になるのは、あいつのせいか……)

 振り返れば、緑洲オアシスの対岸に宿屋の屋根が見える。

 イスフェルは、言わば宿敵のようなものかもしれない――カイルはふとそう思った。

 同じ年に王都で生まれ、同じテイランの地で時を過ごし、お互い生活の場ではない聖都で相まみえ、そして同じ少女に心を救われた。時に逃亡者と宰相補佐官、またある時には農夫と反逆者と、まるで光と影のように立ち位置を変えつつ存在する。今は彼が『光』だが、そのうちまた『影』へと変わるのかもしれない。そして次に『影』へと回る時、彼の生命には死に神が付きまとうような気がしてならなかった。

(……殺めた者たちの家族の手で殺されるなら、それは仕方のないことだ。だが、そのせいでセフィに悲しい思いをさせたくはないな……)

 その昔、盗賊を名乗っていた頃、彼は理由なき理由で弱者を手に掛けてきた。その報いを、いつか必ず受けることになるだろう。

 カイルが自嘲気味に吐息した時、足下に温かく柔らかなものが触れた。

「……アグラス」

 真っ直ぐと見つめてくる金色の瞳を見て膝を折ると、カイルはその頭を撫でてやった。主人はしばらく遅れてやってきた。

「カイルってばこんなところにいた。思わず探しちゃったよ」

 しかし、カイルはその質問には答えず、逆に問うた。

「何か用か」

 カイルは先刻の物思いを知られたくなかっただけなのだが、その切り返しがあまりに鋭くて、少年は容易にたじろいでしまった。

「あ、あのね、ちょっと聞きたいことが――」

「セフィは?」

「姉さんなら、アリオスとイスフェルとまだ納屋にいるよ。母さんの話、とか、で……」

 母が亡くなってからまだ日が浅く、どんなに明るく振る舞っていても、母の話となるとまだ耳に堪えない少年だった。カイルにもそれがわかって、話を遮ったことを多少、悪く思った。

「――で?」

「え?」

「聞きたいこととは?」

「ああ、そう、あのね――」

 当初はイスフェルとの関係を聞いてみたかったのだが、先にここへ来る道中で抱えた疑問を片付けようと思った。

「さっき、隊商のおばちゃんたちが話してるのを聞いたんだけど、その……《太陽神の巫女》って二人いるの?」

 一瞬、呆けたカイルだった。

「なに、何だって?」

「だから、《太陽神の巫女》は二人いるのかって」

「いるわけないだろう。毎年、選ばれるのは一人だけだ」

 ラスティンは異教徒だが、エルミシュワへの道中で、《太陽神の巫女》に関することは一通り説明しており、ゆえにカイルの口調は不快げだった。

「えー? じゃあ、どういうことかなあ」

「何の話だ」

「いや、おばちゃんたちがさ、キースって街に《太陽神の巫女》が来るらしいって騒いでたんだ。今年の巫女様は歌声が素晴らしいらしいって。でも、今年の巫女って、姉さん、だよね? 一体どういうことかと思って――あ、あれ? カイル!?」

 自分の話に夢中になっていて、再び顔を上げた時、そこに青年の姿はなかった。きょろきょろと首を巡らせると、カイルは村の方へ足早に戻っている途中で、少年は慌ててその背を追いかけた。

「ラスティン」

 やっと追いついて声を掛けようとした瞬間、青年の方から名を呼ばれ、その声が緊迫していたこともあって、ラスティンはどきりとした。

「な、なに?」

「おまえは真っ直ぐ納屋に戻って、セフィの傍にいろ。片時も離れるな」

「え、どういうこと?」

 しかし、カイルはそれ以上の説明を拒んだ。

「わかったのか」

「う、うん……。でも、カイルは?」

「オレは行くところがある」

 それからいっそう歩調を早めると、カイルは厩舎で馬の背に身を跳ね上げてから、ようやく再び口を開いた。

「いいな、オレが戻るまで、大人しく納屋で隠れてろ」

 置き去りにされたラスティンは、カイルが巻き上げた砂塵をただ困惑して見つめていた。

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