第四章 風の旅人 --- 2

 聖都滞在も残すところ三日となったサイファエール使節団だが、ひっきりなしの来客と連日連夜の宴に、その長たる人間の我慢は限界に達したようである。ゼオラは起き抜けに三通の手紙をしたためると、近侍にこう告げた。

「これをセレイラ警備隊長と光道騎士団長、それからカルマイヤ使節団の護衛隊長に至急届けるのだ。あと、うちの護衛隊長を呼ぶように」

 困惑顔の近侍に、彼はさらに言った。

「私の外交など、バーゼリックに居ながら諸国の王を惑わす宰相から見れば所詮、お遊び。どうせ遊びなら、楽しい方がよかろう」

 かくして三通の手紙はそれぞれの宛先のもとに届けられたが、三人の使者たちが道中、言い付け通りにその内容を触れて回ったので、《月光殿》はおろかルーフェイヤ中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。手紙をもらっていないにも関わらず、彼のもとへ一番に駆け付けたのは、言わずと知れたセレイラ総督ディオルト=ファーズである。

「ゼオラ殿下、いったい貴方は……」

 首を横に振る老輩を、ゼオラは片手を挙げて制した。

「おぬしが陛下より任された地で勝手なことをするのは悪いと思うが、そもそも誰も私がまともな外交をするなどとは思っていまい」

 拗ねた悪童のような彼の態度に、ディオルトは二、三度瞬きした後、突然くつくつと笑い出した。

「お言葉ですが、殿下。貴方は御自分が考えておられるより遥かにまともな人間ですよ」

「なに?」

「ウォーレイ殿がこのことを聞かれたら、手を打って納得されたでしょう。その名とは裏腹に闇を好む《光道騎士団》を神の前に引きずり出す好機です! 貴方にしか考えつきませんよ、異なる四つの軍隊で武道会など!!」



 サイファエール二部隊の出場は最初から決していたようなものだが、他の二部隊も比較的早いうちに使者を寄こし、承諾の旨を通知してきた。噂が広まっている以上、返事が遅くなれば体裁が悪い上、辞退などと自ら臆病者の烙印を捺すような真似ができるはずもない。お遊び外交が実現できるとあってゼオラは有頂天であったが、彼の側に控えている者たちは頭を抱えるより他に仕方がなかった。ゼオラが言い出したことではあるが、彼がそのために準備をするようなことはない。それはすべて何某かの肩書きを負った彼ら役人がすることであった。開会は正午、それまでに会場の設営から進行表の作成、その他様々な雑事交渉に当たらねばならない。大言を吐いた以上、主催者には招待客や観客を満足させなければならない義務がある。サイファエールの名にケチをつけられるようなことがあってはならないのだ。

「待て! 会場の変更だ! バカみたいに噂が広がってる。《光の庭》では入りきらん。《太陽の広場》だ! 各方面に知らせろ!」

 半ば遊び半分で使節に従っていた宮廷書記官らの額に汗が滲む。残り三日でまさかこんな目に遭うとは思いも寄らなかった彼らである。

「くそっ。ユーセット殿はいい時にいなくなったものだな」

 思わず愚痴を漏らしたのは、宮廷書記官を務めるセディスである。特に彼の場合は新人のため、発表と同時に何かと雑事を言い渡され、ルーフェイヤの上から下までを既に三往復していた。聖域では馬に乗ることが禁じられているため、無論徒歩である。

 セディスがようやく《月光殿》に戻ってきた時、一階の大回廊の柱の影に見慣れた顔を見いだした。彼は恨めしそうな顔をしながら、そちらへと歩を進めていった。

「……なんで頭脳派のオレが走り回って、肉体労働派のおまえが静観しているんだ?」

 しかし、彼の嫌みは友人に届かなかったようである。シダはセディスを一瞥すると、深刻そうな顔で呟いた。

「オレのせいかも……」

「何が?」

 すると新米近衛兵は、上目遣いで友人を見た。

「……オレ、ぽろっと言っちまったんだよ。ゼオラ殿下にケルストレス祭のこと……」

 途端、セディスの顔がひきつる。

「……何だって?」

「まさか殿下がこんなこと言い出す……考え出されるとは思ってなかったんだ。昨日、たまたま用があって殿下のところに行った時、イスフェルの話題になってそれで……」

 セディスはげんなりと天を仰いだ。

(十中八九、そのせいだな……)

 二人の共通の友人である宰相家の跡取り息子と、自由奔放豪放磊落で名を馳せる王の従弟は、以前から奇妙な友誼を結んでいた。まだ彼らが王立学院の低学年に籍を置いていた頃、どういうわけかゼオラが微行でやって来たことがあった。弓術の時間に飛び入り参加した彼は、競射でイスフェルと競い、そして負けた。以来、セディスたちの弓術の時間になる度、学院にやって来ていたゼオラだが、それが王宮に知られると、今度はわざわざ競射会を開き、それに彼らを招待してきたのである。

(最初は単に殿下がイスフェルに負けたのが悔しくて、何度も勝負を挑んでくるのだと思っていたが……)

 しかし、ゼオラが勝利した後も競射会は定期的に開かれ、その度に彼らは王宮に招かれた。二回り近くも年の離れた彼らであったが、幾度も武を競い合ううちに、時には師弟のような、時には兄弟のような、そして時には対等な男としての関係を築いていったのだ。

(イスフェルは殿下の底抜けの明るさと強さに惹かれると言っていたが、年上の王族をずっと惹き付けていられるイスフェルにこそ、オレは惹かれるがな)

 そのイスフェルがケルストレス祭で優勝したことを聞いたゼオラが、臍を噛んで悔しがる姿が目に浮かぶようである。不得手な外交生活で、逃した魚の大きさがいっそう大きく感じられたものか、自分で再び魚を釣り上げる機会をひねり出すところなど、いかにもゼオラらしかった。

「まあ、いいんじゃないのか?」

 セディスが珍しくあっさりと引き下がったので、シダが意表を突かれて顔を上げると、友人は意味深な笑みを浮かべて回廊の先を顎でしゃくった。

「噂の《光道騎士団》の腕前が拝める絶好の機会だぜ」

 首を巡らせると、ひとりの騎士が漆黒の外套を揺らしながら《月影殿》の方へと歩んでいくのが見えた。額には外套と同色の聖布を巻いている。今、見ることはできないが、その正面には金糸でテイルハーサの紋章が縫い取られているはずである。《光道騎士団》はなぜか漆黒の着衣を好み、全員がその格好なのだった。

 その人物は彼らに見られていることなど無論、気付かず、そのまま神殿の中へと吸い込まれていった。

「さて、今度は何を言い付けられるやら」

 セディスは首筋を撫でてぼやくと、シダと別れて階段を上った。



 朝だというのに薄暗い感のある《月影殿》の廊下に、神殿には不似合いな軍靴の音を響かせて、《光道騎士団》の紅一点、サラクード・エダルは最上階最奥の部屋を目指した。

 短く刈り込まれた金髪もだが、どこか人を威圧するような浅葱色の瞳が、彼女を最初から女だと気付かせる人間の数を極度に減らす。

 目的の部屋の前までやって来ると、彼女は重厚な扉を二度ほど叩き、静かに押し開いた。

「失礼いたします」

 深々と一礼する聖騎士に、その部屋の主は背を向けたまま低い声を発した。

「アルヴァロスは出るつもりか」

 先手を打たれ、サラクード・エダルが軽く目を見開くと、その人物は小さく笑ったようである。

「驚くことはあるまい。おぬしがここへ来る理由も他になければ、あやつが辞退する理由も特にない」

「御意……」

 サラクード・エダルは苦笑した。セレイラで起こっていることなら何でも知っている人間に対して、無用の行為であった。ふと、彼女は思いついた疑問について尋ねた。

「……デドラス様には別のお考えをお持ちでしょうか?」

「ふん?」

 濃紺の頭巾を揺らして、《月影殿》の管理官はちらと聖騎士を見遣った。すべてを貫くかのような蒼氷色の視線に一瞬さらされ、彼女は僅かに身を固くした。

「なぜそう思う? 現在《光道騎士団》を率いるはアルヴァロスだ。あやつが思うようにやればよい」

「なれど、我々の実力をサイファエールに知られては、後々厄介では……?」

「愚かなことを」

 デドラスは一笑に付した。

「《光道騎士団》が力を蓄えてはならぬ理由がどこにある? 力なくば聖なる地を悪の手から守ることもできぬ。それ以前に、心身乱れおれば神の声さえも聞くことは叶わぬ。おぬしは由緒正しき神の僕が、不当な理由で俗にまみれ朽ちればよいと申すのか?」

 建前を並び立てて、デドラスは可笑しそうに口元を歪めた。

(対でさえ気付かぬのに、日頃この地におらぬ者が何を掴めると期待しておるのか。所詮、我が神の大望は俗の者の耳に収まりきることではない)

 背後で恐縮した聖騎士が跪いて頭を垂れたが、デドラスは気にするふうもなく、別の問いを発した。

「ときに、アイゼスにはもう会ったのか?」

「いえ。《月光殿》からは出場を確認する使者が参りましたので、私はこちらへだけ御報告に伺った次第でございます」

「ふ。アイゼスも苦労が絶えぬことよ」

 この日以前のアイゼスの苦労はデドラス自身がもたらしたものだというのに、本人はまったく気にかける様子もない。それどころか、さらなる苦労を与えようとしていた。

「今年はもう、私の出る幕はない。アイゼスに伝えよ。不肖の隣人は今日一日だけでも《月光殿》の留守を守る、と」

「……はっ」

 サラクード・エダルは一礼すると、踵を返して管理官の部屋を後にした。



 太陽が高処に昇るにつれ、《太陽の広場》は武道会の見物客で溢れかえっていった。その数は聖儀の日の《光の庭》に匹敵するものがあったが、言い出したゼオラの為人のせいか、神聖な雰囲気などは欠片もなく、興奮と熱気とだけが人々を支配していた。

 優秀な書記官たちのおかげですっかり整えられた会場を、ゼオラが特別席の天幕の中から眺めていると、背後で衣擦れの音がした。振り返ると、《月光殿》の管理官が《太陽神の巫女》を従えて入ってきたところだった。

「これはこれは……」

 一番最初の客にゼオラが満面の笑顔で歩み寄ると、相手は軽く一礼した。

「この度はお招きいただき、ありがとうございます」

「こちらこそ、突然の申し出を快く受けていただき感謝する」

 形どおりの挨拶をすませると、ゼオラは二人に椅子を勧めた。

「大事を無事済まされたお二人に、ぜひとも息抜きをしていただきたいと思いましてな」

《太陽の広場》中央に設けられた闘技場がよく見渡せる場所に腰を下ろすと、まずアイゼスが愉快そうに言った。

「それにしても、殿下にはまた天外なことを思いつかれたものですね」

「おかげで事務方にはすっかり迷惑をかけてしまった」

「しかし、東の御立場をしっかり通していらっしゃるところは、さすがといったところでしょうか」

 その言葉に、ゼオラは困ったようにこめかみをかいた。

「それは総督にも言われたが……私はただ身体を動かしたかっただけだ。まどろっこしいことは嫌いな性分なのではっきりと申し上げるが、決して《光道騎士団》を見ることが目的ではない」

 王従弟のあまりの正直さに、アイゼスは思わず吹き出した。

「これはまた……」

「しかし、本当だから仕方がない。だいたい、《光道騎士団》の演習は秘密裏に行われているわけではない。その気になれば、いつでも視察はできる」

「しかし、貴方はなさらなかった。あからさまだとでも?」

 すると、ゼオラは沈黙して二人のやりとりを聞いていた少女に目を向けた。

「巫女殿は御存知ないかもしれぬが、これでも私は多少、名の知れた騎士でな」

 彼をよく知る者たちからすれば、恐ろしいほど謙虚な発言である。十四歳の初陣以来、馬上から斬って捨てた戦士は既に星の数ほどのゼオラだった。

 彼は再びアイゼスに視線を戻すと、言いながら肩を竦めた。

「それなりの自尊心を持ち合わせているのだよ。それがわざわざ見に行ったとなれば、まるで私が彼らを恐れているようではないか」

 少年なのか道化なのか戦士なのか策士なのか、彼がそのすべてを持ち合わせた人間だと知っていても、時に首を傾げてしまう。

「ところで巫女殿」

「は、はい」

 どこか愛嬌のある黒い瞳に顔を覗き込まれ、セフィアーナは思わずどもってしまった。

「招待しておきながら申し訳ないのだが、ひとつ仕事を頼まれてはくれまいか?」

「え……」

 突然のことに目を瞬かせる少女に、ゼオラは広場中央の闘技場を指し示した。

「なに、簡単なことよ。これからあそこで男たちが己の名誉を賭けて武勇を競う。おぬしには《太陽神の巫女》として、最終的な勝者に祝福を贈って欲しいのだ」

「祝福……」

「どうせやるからには目指すものがないとな。賞金もいいが、おぬしを出した方が皆の意気込みが違うと思ってな」

 セフィアーナは困惑の表情でアイゼスを見遣ったが、《月光殿》の管理官は彼女を見返しただけだった。自分自身で考えろ、というのだ。

「……わかりました。私、やってみます」

「そうこなくては!」

 お遊び外交の発起人が手を打った時、開会を間近に控え、来賓客が次々と天幕に姿を現した。ゼオラはひとまず二人に別れを告げると、車輪となって働いてくれた役人たちのために、せめて天幕内だけでもまともな外交をと、影のない笑顔を振りまいて回った。

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