第四章 風の旅人 --- 3

 角笛の音が高らかに鳴り響き、観衆が大きな期待と興奮を胸に大歓声をあげる。闘技場には各部隊の精鋭二十名が立ち並び、彼らもまた鍛え上げられた腕で天を突き咆哮した。ゼオラは天幕の中央で両手を掲げてそれらを受け止めると、戦時には上将軍として大号令を発するその声を、《太陽の広場》に朗々と響かせた。

 開会宣言の終わりに、彼が勝者に与えられるものを告げた時、会場の数千の瞳は一斉にひとりの少女に対して向けられた。聖日からまだ日が浅く、それでなくとも今年の《太陽神の巫女》の有名ぶりは、もはや伝説的となっている。運良く聖儀の時の彼女を実際に見られた者もだが、彼女の噂だけしか耳に入れることができなかった者は、より声を張り上げて彼女を称えた。

 最初の種目の用意が整うまでの間、セフィアーナは天幕の中から物珍しそうに会場を眺めていた。彼女や他の賓客のいる天幕は、直射日光を浴びないようにとの配慮で南側に建てられている。その両翼を固めるように、サイファエール使節団の護衛隊とカルマイヤ使節団の護衛隊がそれぞれ陣を布き、セレイラ警備隊と《光道騎士団》は北東と北西の隅に落ち着いていた。

「……毎年毎年集っていながら、剣を志す者がこのように一同に会する場が設けられなかったのは、やはり我々の中に浅ましいところがあった所以だ」

 アイゼスの呟きに、セフィアーナは思わず彼を見た。

 この数年、ふたつの国とひとつの地域の均衡は、秤に蟻が乗ったほどの針の振れしかみせていない。しかし、《光道騎士団》の力の充実がサイファエール側に警戒心を植え付け、またカルマイヤも依然として国内に聖地を抱く夢を諦めていない以上、それがまたいつ大きく揺らぐかは時間の問題だった。

「これが最初で最後にならぬよう、そなたも祈るがよい」

「……はい」

 詳しい政情など、セフィアーナにはわかるはずもない。しかし、《太陽神の巫女》として、少しでも時代を動かそうとする人々の心を安らがせることができたら、世界は今よりもきっと住みやすくなるだろう。

 そんなことを考えていると、天幕の内と外で同時にどよめきが上がり、セフィアーナは再び闘技場を見た。

「何だぁ……?」

 人々が困惑するのも無理はなかった。古今東西、様々な場所で行われる武道会だが、その種目はある程度決まっている。一対一の剣術戦や騎馬戦、あるいは数名同士による対抗戦などであるが、目下、彼らの眼前の戦士たちは、手に木刀を持っているものの、その片足を違う部隊の戦士と縛られ、二名一組で並ばされていた。

「法則は簡単! 最後まで残った組が勝者だ! ただし、同部隊及び伴侶同士で打ち合いをした者は即刻退場とする! それでは、いざ開始!」

 中立な立場として進行役を買って出たセレイラ総督が叫ぶと同時に、戦士たちは勇ましい雄叫びをあげ、木刀を振り上げた。しかし、初対面の相手と足を縛られているため意志の疎通ができず、最初から転倒したり言い争いをする組が続出した。しかし、戦士たちも馬鹿ではない。誇りある彼らは、観客に自分たちが道化のように笑われているのを見ると、一瞬のうちに腹立たしさを収め、なんとか呼吸を合わせて一時の敵に立ち向かった。

 カルマイヤの戦士が敵の足を縛る紐を木刀でひっかけると、相方のサイファエールの戦士が敵の木刀を薙ぎ払う。サイファエールの戦士が倒れると、対の《光道騎士団》の戦士が助け起こす。《光道騎士団》の戦士とカルマイヤの戦士が一時の勝利に腕を組む。

「こんな闘い、見たことあるか!?」

 身に付けた衣の色も、話す言葉も、忠誠を誓う場所も異なる戦士たちが、ひとつの目的に向かって共に剣を振るう姿を、人々は必死になって目で追い、拍手を贈った。

 その後も、走る馬の背から並走するもう一頭の鞍上へ飛び移る度胸試しや、敵が放った矢を的前で射落とす『白羽落とし』、棒上に立てた各部隊の旗を奪い合う『国盗り合戦』など、観客を飽きさせず、かつ戦士の闘志をかき立てるようなものばかりが続き、《太陽の広場》は春とは思えないほどの熱気に包まれていった。

「副長、ゼオラ殿下はいったいどういうおつもりなのでしょうか?」

 麾下の若い兵士の問いに、ヒースは砂埃の舞う闘技場を見据えたまま答えた。蒼い外套が熱気をはらんだ春風に翻る。

「おまえは殿下の為人を存じ上げないのか」

「は……?」

「あれのどこに思惑など?」

 副長の視線の先を追っていって、兵士は「あ」と呟いた。次の種目に参加するとでも言ったのか、礼服を脱ごうとするゼオラを書記官らが必死で押しとどめている。

「ただ、強いて言えば、直に御覧になりたかったのだろうな」

「……だから、《光道騎士団》をでしょう?」

「いや、それを統べる人間を、だ」

 二人の目が、砂煙に霞む反対側の陣営に向かう。両側を興奮した観客に挟まれながら、遠目にもそこは静まり返っているように見えた。

(アルヴァロス……)

 唯一、その漆黒の背に金の太陽を戴いている男を、ヒースは観客が突き上げる拳の狭間に垣間見た。両腕を組み、氷のような沈黙をもって闘技場を見つめている。

(デドラスより十五も年長でありながら、長きに渡ってその副長を務め、そして今の地位に就いてからも、先人を立て続けている……)

 ヒースは隣の兵士に気付かれないように淡紫色の瞳を細くした。

(引きずり出すべきは左翼の主だな。だが、聖都にいる私でさえ、その姿を見ることは稀だ)

 その時、突然、彼の横で低い声が発された。

「ヒース、おぬしは武官か文官か」

 一瞬、真顔に戻ったヒースだが、すぐにいつものように口元に微笑を浮かべた。

「勿論、武官ですよ。隊長」

「では、《太陽神の巫女》の祝福を受けることだけを考えよ」

 闘技場に出ていく戦士たちの背を押してやりながら、セレイラ警備隊長のガローヴ=ドレインはヒースを見た。青銅の額輪と垂直に交わり頬にまで延びた刀傷が、見る者に彼の戦いに染まった人生を物語る。

「武人に必要なのは足し算と引き算だけだ。掛け算と割り算は文官に任せておけばよい」

「御意……」

「ところで、最後の一騎打ちだが」

 急な話題の転換に、ヒースは目を瞬かせた。

「はい?」

「セレイラ警備隊の名誉をおぬしに賭ける。無様な姿をさらしてくれるなよ」

「は……はっ? そんな!」

 言うなり立ち去ろうとするガローヴに、ヒースは慌てて追いすがった。

「なんだ、ヒース=ガルドともあろう者が、怖じ気づいておるのか?」

 眉を顰める上官に、ヒースは大袈裟に手を広げて見せた。

「まさか! そうではなくて……」

 彼の剣はひとたび振られると血の旋風を巻き起こす。それは既に世に知られたことであり、こういった名を上げる場は、むしろ若い輩に譲った方がいいと思った。しかし、ガローヴは彼に反論の余地を与えず、部下の持ってきた兜を彼に放った。

「サイファエールに、神の祝福を」

 ヒースは盛大な溜息をつくと、素直に兜をかぶった。



 勝者に巫女の祝福を、というゼオラの案が功を奏したのか、四部隊とも最初から接戦を演じ、勝敗の行方は最後の一騎打ちに託されることとなった。

「締めはやはり伝統に則って、か」

 客席からは納得の声が漏れたが、あいにくこの祭の首謀者は、それほど伝統に執着心のある男ではなかった。ゼオラは書記官に四枚の聖布を渡すと、各陣営に配らせた。

「これは?」

 首を傾げる戦士たちに、使者の書記官は淡々と言った。

「騎乗なさる前に、これで目隠しを」

「なに!?」

「神は勇気ある者にのみ、光をお与えです」

 最後の最後まで戦士泣かせな王従弟に、もはや全陣営は諦めて従うしかなかった。拒んで負け犬になるわけにはいかない。

 試合方式は勝ち抜き戦だったが、二部隊を擁するサイファエールが有利だということで、第一試合はサイファエール護衛隊とセレイラ警備隊で剣を交えることになった。第二試合はカルマイヤ使節団の護衛隊と《光道騎士団》の激突である。

 セレイラ警備隊が副長ヒース=ガルドを立てたのに対して、サイファエール使節団護衛隊は馬をも押し潰すかのような大男ワールダー=ホテプに名誉を預けた。彼は通常はサイファエール近衛兵団に身を置いており、鎖の先に鉄球の付いた武器を好む変わり玉だった。

「両者、前へ!」

 ディオルトの声に二人は騎乗すると、手綱持ちに導かれて闘技場に向き合った。と、

「悪いが、これを持っていてくれ」

 歩みを止めた後、ヒースはかぶっていた兜を側の者に渡した。

「え、しっしかし……」

 彼が狼狽するのも無理はなかった。それ以前の競技はすべて刃物類を使用することを禁じていたが、この競技においてのみ、ゼオラは各自の得物で臨むことを許している。ということは、もしかしたら頭部に鉄球の直撃を受けるかもしれないのだ。

「目を失う上に耳まで奪われては、自ら鉄球に顔を突っ込むようなものだ」

 しかし、ヒースは笑って言い、そのまま従者を下がらせてしまった。ワールダーにその様子が伝わったらしく、彼は聖布に覆われた下で笑った。二人に面識はなく、どちらが勝ってもあと腐れがなさそうだが、勝負を決する上でそれは少なからず障害となった。初対面の上、目隠しをされて、お互いの好む戦闘方法をなかなか把握できなかったのである。

 最初、二人はただ正面から擦れ違った。相手の出方を探ろうと、両者が防御に重点をおいて馬を駆ったのである。二度目は馬の距離が空き、またしてもお互いの立ち位置を入れ替えるだけとなった。

「ふん……なかなかやりづらいものだな」

 しかし、言葉とは裏腹に、ヒースの耳は確実に鉄球の振り回される音を捉えていた。

 三度目、初めてまともに両者の得物が交わった。耳障りな金属音が響き、一瞬、馬がよろめく。四度目、ワールダーはヒースの剣を鎖で絡め取ろうとしたが、それがわかったのか、ヒースが持ち手を変えたため叶わなかった。それ以後もしつこく西に東に馬を走らせた二人だが、時機を計らなければならない鉄球に比べ、剣の方が機動性に勝ったようである。

「せいっ」

 鋭いかけ声を上げ、馬で相手に向かって突進しながら、ヒースは右手の剣を逆手に持ち替えた。上から振り下ろしていては、鎖に絡め取られる心配をしなければならず、もし封じられて力比べになれば、体格差からして彼に勝利はない。先手必勝、ヒースは今までよりも速度をあげると、擦れ違いざま、低い体勢から思いきり右手を引き上げた。

「うがっ」

 ワールダーが呻き声を上げ、落馬した。ヒースの剣に、脇腹を思いきり殴られたのだ。もし彼の身体を叩いていったのが両刃の剣であったならば、今頃彼は自分の血の池の中に横たわっていたに違いない。

「勝負あり! ヒース=ガルド!!」

 本来、生命を賭けて行う一騎打ちであるから、闘技場は奇妙な沈黙に支配されていたが、総督が勝者を告げた途端、再び大歓声に包まれた。

「すごい……」

 観客席でセフィアーナは思わず口を覆った。ダルテーヌの谷の祭にも武道会はあったが、先刻目にしたような息を呑むものでは決してなかった。

「そうであろう。一騎打ちは、時には国の命運を賭けて行われる。たったひとりの男の剣が、多くの者を救いもし、また殺しもする」

 祭を開催したものの、結局一種目も参加を許されなかったゼオラが、少々虫の居所の悪そうな様子でやって来た。

「殿下、なぜ最後だけ武器の使用を認められたのです?」

 開口一番、アイゼスが問うと、ゼオラはおもむろに首を竦めた。どうやらそう質問されると予期していたらしい。

「一騎打ちに限らず、武器を持って闘いながら、殺さないというのはとても難しいことだ。だから敢えて持つことを許した。異なる場所にいる者に対して、少なからず不満と不和が存在する。しかし、それを剣に反映させぬように、そういう精神力を戦士たちに望んでいる」

「……では、先程の勝者は殿下の御意を見事に汲んでみせたということですね」

「まあ、そういうことだ。最後までそうあって欲しいものだが」

 しかし、サイファエール人であるゼオラの思惑は、カルマイヤ人の戦士には届かなかったようである。

「次! カルマイヤ戦士、バルモンド=ビューロ対《光道騎士団》戦士、サラクード・エダル!」

 途端、セレイラ警備隊の陣営から大きなどよめきが起こった。

「サラクード・エダルだと……?」

 彼らが何に動揺しているか理解できない者たちは、前に進み出た聖騎士をまじまじと見つめたが、特に他の戦士たちと変わった様子は特になく、訝しげに首を傾げた。

「なに……?」

 セフィアーナが目を細めて黒衣の戦士を見ていると、ゼオラが面白そうに言った。

「……あれは、ではないのか?」

「えっ?」

 驚く彼女の横で、アイゼスが笑った。

「よくお気付きで。あれを一目でそれと見抜くとは、さすが殿下と言うべきですかな」

「おや、《月光殿》の管理官殿がそのようなことを口にするとはな」

 二人のやりとりを聞いて、セフィアーナはいっそう目を凝らしてその人物を見遣った。しかし、短い髪、鋭い視線、鍛えられた腕、慣れた様子で剣を握る手、そのすべてが雄々しく、とても女性には見えなかった。

 人が密集した闘技場で、その正体が知れ渡るのにそう時間はかからなかった。

「なに、女だと!?」

 カルマイヤの陣営で、護衛隊随一の力を自負するバルモンドはおもむろに顔をしかめると、目隠しをしようとしていた手を止めた。既に準備を整え、見えていないはずなのに、まっすぐとこちらを見据えている女戦士を見遣る。

「……なぜオレが女と刃を交わさねばならんのだ」

 バルモンドは舌打ちすると、馬上から野太い声で叫んだ。

「サラクード・エダルとやら! 下がるがよい!」

 しかし、黒衣の戦士は僅かにも表情を変えず、そのまま馬の背に身を立たせていた。

「女の身で、この名誉ある一騎打ちを汚す気か! それとも、《光道騎士団》には他に強者がおらぬということか!」

 誰もが息を呑んで成り行きを見守る中、ようやくサラクード・エダルが口を開いた。

「……よく吠えるな」

「なに?」

「弱い犬ほどよく吠えるというが、おぬしもその類か」

「何だと!?」

 見る間に怒気を漲らせるカルマイヤ戦士に、女聖騎士は淡々と言葉を浴びせた。

「みくびった相手に、さて、おぬしがどのような負け方をするか、これは見物よの」

「………!!」

 相手の辛辣な言葉に言葉を失ったバルモンドは、即座に聖布で視界を覆い、彼女の正面に馬を進めた。

「……よかろう。では、その綺麗な顔を二度と見られぬようにしてやる!」

 それが合図となり、双方が同時に馬を駆った。

 唸るバルモンドの大剣に、人々はサラクード・エダルが馬ともども吹き飛ばされるのを想像した。彼女はかなりの長身だが、身体の幅がゆうに二倍は違う。武器に至っては彼の十分の一の太さしかない細身の剣だった。

 案の定、最初の激突で勝敗は決した。バルモンド=ビューロに光が与えられたのである。

「………?」

 何が起こったのか、彼にはわからなかった。まるで時間神が歩みを止めようとしているかのように、ふたつに裂けた聖布が、彼の背後へと流れていく。

「……しょ、勝負あり!」

 その声が上がったのは、聖布がすっかり砂塵に沈み、二人が再び向き直った時だった。

「……何が見える?」

 サラクード・エダルの口元に、嘲けるような笑みが浮かぶ。

「おぬしには見えよう。神に照らされたすべてのものが。私にも見えるぞ。その中で呆然と立ち尽くすおぬしの姿が」

 視界を闇に預けたまま、彼女は喉の奥でくつくつと笑った。

 目を失った二人を除いて、無論、闘技場にいる誰もがその瞬間を目の当たりにしていた。いや、サラクード・エダルにも見えていたに違いない。彼女の剣先は、的確にバルモンドの聖布を捉え、彼の自信を崩すかのように裂いていった。見えていなかったのは、彼だけなのだ。

 急所を捉えられながら傷ひとつ与えられず、さらに痛烈な侮辱を受け、バルモンド=ビューロはあまりの怒りに青ざめた表情で眼前の敵を睨み付けた。彼は大剣の束を握り直したが、そのただならぬ雰囲気を察した他のカルマイヤ戦士が、これ以上の醜態をさらすまいと彼に駆け寄った。バルモンドは彼らに引きずられるようにして、闘技場から去っていき、代わって観客の拍手の嵐が彼女に捧げられた。

「おそるべき剣技だな……」

 さすがのゼオラも感心した様子で吐息した。

「しかし、最近剣を振り回す女が多くて困る。どうせ振り回すなら絹服の裾にして欲しいものだ。さてさて、我がサイファエールに巫女殿の祝福が与えられるか、少々心配になってきたぞ」

 しかし、王従弟の軽口も耳に入らぬ様子で、セフィアーナはサラクード・エダルを見つめていた。

(あの人の魂は……)

 その非常に険しい表情に気付いたのは、隣席のアイゼスだけだった。



 勝者の名誉と、類い希な《太陽神の巫女》の祝福を賭け、日の傾いた《太陽の広場》では、最後の闘いが行われようとしていた。観客からは二人の戦士の名が盛んに叫ばれ、その中で彼らは黙々と戦闘準備を行っていた。

「アルヴァロスも嫌みな人選をしてくれたものだな」

 ガローヴが笑いながら言うと、再び聖布で目を覆いながら、ヒースが軽く首を竦めた。

「まったくですよ。勝ち甲斐のない」

「幾ら相手が優れた戦士でも女だからな。観衆はおぬしが勝っても負けても彼女に拍手を贈る」

「その通りです」

「しかし、神官殺しのあった日、現場からあの女を取り逃がして以来、もう二年だ。今日こそ決着を付けて欲しいものだが」

 しかし、ヒースは馬上に身を跳ね上げると、あっさりと言った。

「隊長、今日は祭ですよ。申し訳ありませんが、純粋に楽しませて頂きます」

 この日の闘技場が果たし合いの場ではないことを、ヒースは充分承知していた。昨今の《光道騎士団》の暗躍には目に余るものがあったが、たとえ彼が今日勝利したとしても、それが歯止めになるわけでもないのだ。

 両戦士が闘技場に向き合ったところで、ディオルトは壇上から水平に手をかざした。

「この勝負で全てが決する! セレイラ警備隊か、あるいは《光道騎士団》か! 己の名誉と、軍団の栄光のために、《太陽神の巫女》の祝福を勝ち取らん! いざ勝負!!」

 彼の声が消えないうちに、ヒースは鬨の声を上げて馬を駆った。サラクード・エダルも、一瞬馬を竿立たせると、力強い疾走を開始する。

 今回、ヒースは最初から剣を振るっていった。先刻のワールダーとは違い、相手の得手不得手を知っているからだ。

「いくら目が使えぬとはいえ、先刻と同じ技を使おうなどとナメた真似を!」

 自分の額めがけて伸ばされた剣を、ヒースは思いきり薙ぎ払った。火花が散り、二人の位置が入れ替わる。振り返ったサラクード・エダルが唇を擡げた。

「さっきはひどく手間取っていたではないか。てっきり腕が落ちたと思ってな」

「落ちたのはおぬしの眼であろう」

 再び金属の摩擦音が響き渡る。両者とも目隠しはあってないようなものなのか、どこに剣を振り下ろそうとも必ずもう一方の剣が出迎え、勝敗はなかなか決しなかった。

「ゼオラ様、この闘いに勝敗をつける意味がありますか?」

 セフィアーナが闘技場を見据えたままで言い、そんな彼女の横顔を、ゼオラは怪訝そうに見遣った。

「闘いとはそういうものだ。でなければ、後々に紛糾の種を残すことになる」

「しかし、この場合、紛糾の種は既にあったのでは?」

 アイゼスの言葉に、ゼオラは顔をしかめた。

「私は勝者に巫女殿の祝福を約束した。おぬしらは、それを取り消せと言うのか?」

 しかし、いつか必ず剣が交わされるのであれば、それが今日ではなくてもよいはずだった。そんな日が来なければ一番いいのだが、悲劇的にもそうならなかった場合に備えて、セフィアーナは戦士たちの心に留めておいて欲しいことがあった。

「《太陽神の巫女》は本来、神の御心をお伝えするだけです。祝福は神がなさるもの」

 言うなり立ち上がると、セフィアーナは薄い衣を翻し、砂塵の舞う闘技場に向かって階段を降り始めた。

「危ない!」

 馬が疾走し、剣が交錯する場所へ、セフィアーナは微塵の躊躇もなく踏み入れた。驚いたのは馬上の戦士たちである。観客や部隊の戦士たちの叫びに巫女が近くに来ていることを知ったが、どこにいるかわからない以上、下手に動くことができず、互いに腕を震わせて剣を押し合いながら、眼下に《太陽神の巫女》の気配を探った。しかし、その涼やかな存在はすぐに知ることができた。

「お二人とも、剣をお収め下さい」

 鈴の鳴るような声が、久しく金属音しか聞いていなかった彼らの耳を打つ。

「巫女殿、下がられよ。怪我をするぞ」

 ヒースの言葉に、しかし、セフィアーナはいっそう歩を進めた。

「これ以上の闘いは無意味です。どうか」

「何を言う。まだ勝負は決しておら……」

 その時、サラクード・エダルは自分の手首に触れた《太陽神の巫女》の手の感触に、驚いて思わず馬を引いた。生暖かい、ぬるりとした感触。急いで聖布を取り去った彼女の瞳に映ったのは、鮮やかな血の跡であった。

「な……!?」

 サラクード・エダルの息を呑む気配に目隠しを取ったヒースも、同じように絶句した。彼らの眼下に、左手首から血を流す巫女の姿があったのである。右手には祭壇に置いてあったと思われる神剣がしっかりと握られていた。

「み、巫女殿!」

 ヒースは慌てて馬から飛び降りると、持っていた聖布で血の溢れる手首を縛ろうとした。しかし、セフィアーナは身を引いてそれを拒んだ。

「《太陽神の巫女》の血は、汚れを祓うと……」

 微笑むと、セフィアーナは闘技場をぐるりと見渡した。

「この血をもって、あなた方の剣を浄めます! すべての戦士の剣に、常に今日のような誇り高き魂が宿りますように! そして、神の子らすべてに、この赤い水が与えられていることをどうかお忘れになりませんように!」



「あの娘……」

 アルヴァロスは腕を組んだまま、ひれ伏した戦士たちの背の向こうに佇むひとりの少女を眺めた。

「いずれ神のために生命を捧げてもらおう」

 不敵に微笑む彼の顔を見た者は、誰もいなかった。

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