第二章 太陽神の巫女 --- 1
聖都フィーユラルは、王都バーゼリックに次ぐサイファエール第二の都で、太陽神テイルハーサと、それに従う十二
聖地を擁するということは、火種を抱え込むことでもある。そのことをよく理解していた国王は、同教信仰国の手前、当初からセレイラに自治権を認め、サイファエールの独占化を緩和してきた。おかげで国家間の対立は最少限に抑えられたが、神官の権威は強固なまま、現在まで引き継がれることとなった。
セフィアーナら一行がフィーユラルの長大な白壁を目にしたのは、村を出発してから十二日後のことだった。
「なんて綺麗なの……」
谷から聖都へは、北西へ約十四モワルほど、カイルが一人で旅をする時は五日ほどで辿り着く道程だった。しかし今回、旅慣れぬ二人を抱え、更に天候不順に見舞われたため、もともと無かった時間的余裕をいっそう失ってしまった。シリアの麓の街で馬車を借りたものの、三人は夜通し走り続ける日を重ねたため、現在は疲労の極地にあった。しかし、聖都を見晴るかす丘の上で、その美しさを目にした時、セフィアーナはそれまでの疲れなどすっかり忘れて馬車から飛び降りた。
春の陽射しを純白の城壁が跳ね返し、まるで太陽神のように照り輝いている。森の都と異名を取るだけあって、鮮やかな緑が内にも外にも溢れ、その下をすべての街路が中央の小高い丘に向かって延びていた。
それを発見した時、少女は思わず手で口元を押さえた。振り返り、カイルを見遣ると、青年はその心中を察したように静かに頷く。
「ルーフェイヤ聖山だ。山道に沿って十二
絶句して、少女は食い入るようにそれを見つめた。
(あそこが神の宮……)
それ以上は何も考えられなかった。今から自分がそこへ赴くのだということさえ、まるで夢の中の出来事のように思える。
「……セフィ、時間がありませんよ。お乗りなさい」
少女のあまりの感激ぶりに、院長は苦笑した。初めての聖地巡礼である。無理もない。我に返り、急いで馬車に乗り込んだ彼女に、たしなめるように声をかけた。
「気持ちはわかりますが、できるだけ心を落ち着かせなさい。《太陽神の巫女》の推薦試験は今日なのですよ」
セフィアーナは赤面した。一瞬忘れていた、自分が聖都へやって来た理由を思い出し、身を縮こませる。浮かれている場合ではない。自分の将来を決める一大事が、もう目前に迫っているのだ。
丘を下りきると、石畳の敷き詰められた街道が姿を現し、いよいよ都が近いことを旅人に知らせた。人馬の往来が増え、露店が立ち並び、商人たちの客寄せの声が飛び交う中、カイルは軽快に馬車を走らせた。そして。
「セフィ、白大門だ」
カイルの声に、それまで必死に俯けていた顔を上げたセフィアーナは、瑠璃色の瞳を大きく大きく見開いた。
まずその高さ。三十ピクトはあろうか、まるで白い断崖である。さらに装飾が素晴らしい。基礎部分から頂上部分まで、びっしりと花や鳥などの動植物の彫刻が彫り込まれており、正面上方にはテイルハーサ教の紋章も見えた。門の幅は八ピクトもあり、無論そこにも細かな彫刻が施され、天井にはテイルハーサ神や十二聖官の姿もある。とても人間が作った代物には見えなかった。
次から次へと神にまつわる建築物が現れては遠ざかっていく。少女は、今さらながら、いかに自分の世界が狭いものであったかを思い知った。
「この先ですね」
にわかにシュルエ・ヴォドラスが言い、御者台のカイルが頷いた。それは、試験が行われるジャネスト神殿のことである。
ジャネストは十二聖官の一人で、芸術を司る。
十二聖官は、テイルハーサ神に最初に従った神官で、神より特殊な力を授かっている。ジャネストの他に、月と闇を司るミーザ、商業を司るアレン、学問を司るユーリア、狩猟を司るホレスティア、時間を司るシスティ、火と鍛冶を司るカーラズ、水を司るフォーディン、大地と豊穣の女神テルアーナ、愛と美を司るエリシア、戦争を司るケルストレス、平和と友好を司るシャーレーンが存在し、人々からは神と同様の崇拝を受けていた。一般の信徒の会話でも、例えば月と闇の聖官ミーザのことを「月の女神ミーザ」と称し、その人気は絶大であった。
ようやくジャネスト神殿が見えてきた時、その門扉が今にも締められそうなのを見て取って、カイルは思わず叫んだ。
「待ってくれ!」
まるで競馬のように鞭を振るい、馬車の速度を上げる。後席で、女二人は振り落とされないように車体にしがみついた。ここまで来て試験を受けられないとなれば、心厚く送り出してくれた村人たちに申し訳がなかった。
「どうどうっ」
門に突っ込みそうな勢いで馬車を寄せると、カイルは身も軽く御者台から飛び降り、その荒々しさに目を丸くしている神官たちに歩み寄った。
「巫女の推薦試験を受けに来たんだが」
その言葉に、神官たちは何故かうんざりしたように顔を見合わせた。年若の神官が、馬車から降りようとする二人に視線を遣った後、申し訳なさそうに口を開く。
「残念ですが、もう受付は終了しました。お引き取り下さい」
瞬間、背後で息を呑む気配がし、カイルは強く息を吐き出した。ここで引き下がるわけにはいかない。
「……時間に遅れたことは申し訳なく思う。だが、まだあそこに試験会場へ向かう乙女の背が見える」
言いながら、神殿へと続く階段を指さす。
「あなた方のお気持ちさえあれば、まだ間に合うのではないか」
カイルの真剣な物言いに、しかし神官たちは頷かない。今度は年長の神官が彼の前に立った。
「情けで通すのは、あの者たちが最後でよい。いや、ここでお断りすることこそ情けだと、私たちは考えます」
「……どういうことです?」
カイルの後ろで沈黙を守っていたシュルエ・ヴォドラスが、硬い面持ちで尋ねた。その青い装いに神官は目を留めた。
「あなたは?」
「ダルテーヌの谷で孤児院を預かっております、シュルエ・ヴォドラスと申します」
彼女もまた聖職者であることを知り、神官は小さく溜息をついた。
「それではシュルエ・ヴォドラス、あなたの質問に答える前にひとつお尋ねします。あなたは《太陽神の巫女》を何だと考えておられますか」
唐突かつ挑戦的な質問に、シュルエ・ヴォドラスは目を細くした。
「それは、ここを通った者すべてに与えられた問いですか?」
「いいえ。けれど、もし問うていたら、私はすぐにもこの服を脱がされていたでしょう」
神官の言葉の端々に静かな怒りを感じ、シュルエ・ヴォドラスは押し黙った。何かあったのだろうか、彼以外の神官もその表情から負の感情が滲み出ている。
「先生……」
二人の緊迫したやりとりに不安げな少女に、院長は静かに頷いてみせると再び前を向いた。試されていることは百も承知だったが、セフィアーナのために答えないわけにはいかない。シュルエ・ヴォドラスは慎重に言葉を選んだ。
「《太陽神の巫女》とは、その名の通り太陽神テイルハーサにお仕えする巫女のこと。それ以上でもそれ以下でもございません。神が真にお目覚めになる《春暁の日》に《称陽歌》を捧げ奉り、その後お眠りになる《秋宵の日》まで、神のおそばで心静かにお仕えする……。賜る名誉など、しょせん俗世でのことです。重要なのは、《太陽神の巫女》に選ばれた乙女が、どれほどの誠意をもって事に当たり、そこから如何に神の教えを学び取り、人々に伝えていくかということ。その点で大きな期待ができるからこそ、私はこの少女を連れて参ったのでございます」
一貫して毅然とした態度を崩さないシュルエ・ヴォドラスに、神官たちは心持ち表情を柔らかくしたように見えた。
「……では、あなたの質問にお答えしましょう――」
ようやく神官が重い口を開きかけた時、再び蹄の音がして、セフィアーナたちの乗ってきた馬車の横に、それより遥かに大きく豪奢な馬車が付けられた。あまりにも派手な装飾に、少女が呆気に取られていると、上方の御者台から高圧的な声が降ってきた。
「我々は、ツァーレンのグロヴァース神殿の者だ。《太陽神の巫女》の試験を受けに参った。門を開けよ」
ツァーレンのグロヴァース神殿と言えば、サイファエールの中でも十指に数えられる大神殿である。カイルは、この大物御一行を神官たちがいかに扱うか、大いに興味を持った。そして彼らは、果敢にも青年たちにしたのと同じ対応を彼らにもして見せたのである。
「こちらの方々にも申し上げていたところなのですが、既に受付は終了致しました。申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
しかし、丁重な物言いは無礼な物言いに一蹴された。御者台に座っていた神官は、セフィアーナらとその馬車を一瞥すると、怒気も露わにジャネスト神殿の神官を睨みつけた。
「聞こえなかったのか。我々はグロヴァース神殿の者だ。門を開けよ」
「聞こえております。しかし、神官長より受付終了の命が下っておりますれば、どなた様も神殿に入ることは叶いません」
「何を馬鹿な」
鬱陶しげに言葉を返す神官に、年若い神官が頬を紅潮させて噛みついた。
「失敬な! 書状には聖官システィの示した終了時刻が記してあったはずです。大神殿の神官ともあろう方々が、それを率先して破られるというのですかっ」
瞬間、御者台の神官の斬りつけるような眼光が炸裂する。
「黙らっしゃい! 我々は太陽神の御意志で巫女となるべき者をはるばる連れて参ったのだ! 若造が、出しゃばるな!」
まるで雷鳴の如き怒号に、若い神官は容易に二の句を詰まらせた。ぶるぶると震える手を身体の横で握りしめ、悔しそうに地を睨みつけている。御者台の神官はその様子を鼻で笑うと、年長の神官を改めて見下ろした。
「門を開かぬと言うのならば押し通るまでだ。賢明なおぬしには、太陽神の御意志と神官長の命令と、どちらに重きがあるか見えておろうな」
言外に大きな含みがある。嘲るような視線を向けられ、年長の神官は歯軋りした。
(なぜこのような輩ばかりが……)
年若の神官のように血気に逸って怒鳴り返したかったが、そんなことをすれば事態は悪化するばかりである。心中で拳を叩き付けるしかなかった。
彼がシュルエ・ヴォドラスに与えた問いは、まさに眼前の神官ような者に当てつけてのものだった。《太陽神の巫女》に選ばれた者は、神より絶えぬ恩恵と、信徒から大きな尊敬とを受ける。が、一昔前までは賜る栄誉など二の次だった。本当に信心深く声に自信のある者が自ら聖都に馳せ参じていたため、流しの吟遊詩人が巫女に選ばれたこともしばしばである。しかし、巫女に選ばれた少女を育てた神官が、神殿内でその地位を高くし、やがて表立っても権勢を振るうようになって以来、神官たち――特に地方の大神殿の者たちは、この聖なる儀式を自分たちの野心と出世のために利用するようになった。目を血走らせ、自らの推す娘を巫女とするため、障害となるものには容赦しない。最近では選別に当たる神官たちに睨みを利かせたり、反対に賄賂を贈ったりと、その横暴ぶりは目に余るものがあった。
受付の終わった今、ジャネスト神殿の神官たちが、気位の高い付添人の相手で溜め込んだ怒りを滲ませるのも、無理無いことだった。
ぎゅっと目を綴じたままの神官を、カイルは少々気の毒げに見遣った。もし彼がグロヴァース神殿の者を通してしまったら、神官長の面目を潰し、聖官システィに背いたことになる。しかし、通さなかったら通さなかったで、執拗な嫌がらせが彼以外の人間にも及ぶことになるだろう。押し通ると言っている以上、彼らの推す少女は試験を受けることができ、その結果選ばれでもしたら、ますます手が付けられなくなる。
年長の神官も、そのことをよく分かっていた。
(仕方がない……すべての責任は私が被ろう……)
覚悟を決め、かっと目を見開くと、御者台の神官を見据えた。
「……わかりました。門をお開けします」
言うなり、唇を噛みしめる他の神官たちに門を開くよう言い放つ。
「フン。最初からこうしておけばいいものを」
重々しい音と共に鉄の門扉が開けられるのを見下ろしながら、グロヴァース神殿の神官はうそぶいた。その横顔を後方から眺めていたセフィアーナは、彼が神官であることを理解するのに苦しんでいた。
(どうしてあんな、他人のことを考えられない人が神官に……)
聖都へ着くなり見せつけられた現実に、少女の淡い憧憬は早くも揺るぎ始めた。と、その時、豪奢な馬車の幌布が揺れ、中にいる人物が僅かに顔を覗かせた。セフィアーナの視線に気付き、またすぐ隠れてしまったが、その僅かな間に、その人物は彼女の瞳に鮮烈な印象を残した。
おそらくセフィアーナと同じ、《太陽神の巫女》の推薦を受けた少女だろう。しっとりとした長い黒髪、真っ直ぐ揃えられた前髪の下に並ぶ翠玉の大きな瞳。可憐という言葉がぴたりとはまる、目を見張るような美少女だった。
(こんな綺麗な子、初めて見た……)
彼女自身、人々にそう思わせているのはいざ知らず、セフィアーナは息を呑んだ。そして、眼前に構えるジャネスト神殿に目を移す。おそらく待機所になっている講堂には、今のような少女が溢れていることだろう。そして、その多くが彼女の想像も及ばないような修行を積み、試験の開始を待っているのだ。それを考えると、昨日今日巫女になることを目指した自分など、足を踏み入れることさえおこがましい気がする。
「はあ!」
鞭を打つ音がしてセフィアーナが顔を上げると、グロヴァース神殿の豪奢な馬車はあっという間に門内に姿を消して行った。それに巻き起こされた風が、残された人々を冷たくなぶる。
「さて……」
しばらくそちらを凝視していたジャネスト神殿の神官が、ダルテーヌの谷の一行に向き直った。
「質問に……今さら答えるまでもないでしょうが、情けと申し上げたのは、この先には先程のような方々が大勢いらっしゃるからです。シュルエ・ヴォドラス、あなたは孤児院の院長だとおっしゃった。では、この娘さんは……」
神官がセフィアーナを見る。シュルエ・ヴォドラスは深く頷いた。
「はい。孤児院で育った者です」
「……私はみなし児を差別するわけではありません。しかし、現在の試験の行状を省みるに、後ろ盾のない者が試験を受けたところで、まず受かることはないでしょう。それどころか、場合によっては、この娘さんがひどく傷付くことにもなります……」
神官の自分に向けられた優しげな視線に、セフィアーナは心の奥が熱くなるのを感じた。グロヴァース神殿の悪徳神官の印象が強烈すぎて息苦しかったが、なにも神官が皆あのようなわけではないのだ。
「しかし、私は引き取るように申し上げながら、あなた方よりも遅く来た彼の人々を通してしまいました。もはや私には何も申し上げることはできません。巫女の試験を受けたいのでしたら、すぐにここをお通りなさい。今なら……まだ間に合うでしょう」
神官のつらそうな言葉に、三人は沈黙した。今さら「通れ」と言われて、「はいそうですか」とすぐ行動に移せるほど、彼らは図太い神経の持ち主ではない。考えるところもたくさんある。
(私は巫女になるためにここまで来た。村のみんなに応援してもらって……。でも、今ここを通ってもいいの……?)
改めて門を見上げる少女の横で、院長も思案に沈む。
(門をくぐれば、セフィは巫女の試験を受けられる。でも、そうすると、どういう経緯にしろ、私たちは先程の者たちと同類になってしまう……)
聖職を目指す矢先に汚れるなど、できれば避けて通りたい。しかし、今、門をくぐる以外に試験を受けられる術を、シュルエ・ヴォドラスは持たなかった。
「……まったく、どこも一緒だな」
ふいにカイルが呟き、二人は不思議そうに彼を見た。そんな彼女らを見比べながら、青年はあっさりと言い放つ。
「今、ここをくぐる必要はありませんよ、院長」
「け、けれど……」
「しかし、きみ、試験を受けたいのならば、今すぐここを通るしか……」
驚いて反問する院長と神官に、カイルは首を竦めて見せた。
「負けるとわかってる勝負なんか、する必要ありません。負けても得るものがないというのならなおさらだ」
思わず言葉を失う神官を、カイルはふと真顔に戻って見つめた。
「……あなたにお尋ねする。どんなに実力があっても、後見がないと選ばれないのか」
これにはシュルエ・ヴォドラスも真剣な表情をさらに引き締めた。
「残念ながら……」
苦々しげに、神官は言を次いだ。
「難しいでしょうな。試験官は高徳の方々ばかりです。しかし……最初から彼らが乙女たちを見るわけではありません。それ以前の試験の最中に、色々な思惑を抱える者たちによって、様々なふるいがかけられるのです」
即ち、容貌・出自・後見などである。
「昔は良かった。テイルハーサ神をお慕いする者が自ら集い、瞳をきらきらさせて、自分の歌う順番を待っていた……。今は、少女たちでさえ、険しい視線で周囲を窺う始末です。後見となっている神殿の繁栄と、自身の自尊心のために……」
懐古主義の神官を、カイルは内心で嘲笑った。多少は反骨精神を持ち合わせているようだが、結局矛盾や悪行に気付きながら何もできないのならば、しょせんグロヴァース神殿の神官と同じではないか。よほどセフィアーナの推薦を取りやめたらどうかと院長に進言したかったが、神官となる第一歩を聖都でと望んでいる少女の手前、また彼女の歌声の心酔者として、ここで引き下がるのも癪だった。
「院長、今すぐ馬車に乗ってください。ほら、セフィも」
降りた時と同じ身軽さで再び御者台に跳び乗る青年を、誰もが呆気に取られて見上げた。
「カ、カイル、いったいどうする気なのです?」
慌てる院長を、カイルは悪戯小僧のような笑みを浮かべて見返した。
「彼らの鼻を明かしてやるんです。この上ない正攻法でね」
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