最終話 光あれ、と私は言った。

 綾乃が泣き止む頃、看護師さんが入室してきた。連絡ミスで綾乃の親に面会許可を出してしまったお詫びとか、今日中に綾乃の病室を変えるんだとか言っていたが、全て私の耳を右から左へ通り抜けて行った。どれも遠い世界のことみたいだった。

 しかし、話が部長のおじい様に今日のことを連絡することに及ぶと、部長が割って入った。

「おじい様には私から連絡します。蔵澄の叔母さまの態度は、見過ごせるものではありません」

 そして私の方を振り返ると、

「真駒さん、あーちゃんの傍にいてあげて。お願いね」

と言い残し、スマホを握りしめて出て行った。

 綾乃はうつむいて、これからのことを思案しているようだった。

「蔵澄さん、私、思うんだけど」

「はい?」

「本当は、自分の家に帰るつもり、ないんでしょう?」

 病室の外から、ストレッチャーを押すガラガラという音が聞こえてくる。

 綾乃は何も答えない。

「さっき『父さんを守りたいから家に帰る』って言ってたけど、そんなのウソ。父さんにも出て行ってって言ったもの、あれが本音だよね」

「なんでウソをつく必要があるんですか」

 私は大きく息を吸って、致命的な一言クリティカル・ワーズを放った。

「家を出るのが怖いんでしょ?」

「!」

「部長の性格だもの、一緒に暮らそうって誘ってきたんじゃない? でも貴女はそれを断った」

「何が分かるんですか」

 綾乃が精一杯の虚勢を張る。

「眼鏡先輩に、私の何が分かるって言うんです」

「想像ならできるよ」

 私は、つとめて静かな声で答えた。

「貴女の気持ちを想像してみたの。ゴールデンウイークに部長と駅前でばったり会ったとき、すごく嬉しかったんじゃない?」

「…………」

 綾乃は答えない。

「部長が絵を描くのを間近で見て、コンビニのサンドイッチを食べて。でも家に帰ると、意地悪な義母ははが待っている。私なら、この時点で家を出たいって思うけどなあ」

 綾乃は答えない。

「そんなときに部長から、私の名前を聞かされた。だから貴女は真面目にも、私とも仲良くしようと思った。漫画では悪役令嬢とヒロインが仲良くなるって、ありがちなパターンだものね」

 そう。この子は自分がヒロインになる道ではなく、私をヒロインにする道を選んだ。子供っぽい価値観の中では、最大級の譲歩だったはずだ。

「……漫画が好きなんです」

 雲間から射し込む陽光のように、綾乃の言葉が空気を揺らした。

「私、本当は漫研に入りたくて。でも、うちの高校に漫研はなくって。ずっと一人で落書きをしていたんです」

 綾乃はベッドから足を下ろすと、サイドテーブルの下段から自分のカバンを取り出した。

 チャックを開け、表紙に無地と書かれたノートを取り出す。ページをめくると、花と女の子の絵が所狭しと描き込まれていた。

 私は目を見張った。シャーペンで描かれたラフばかりだが、どれも描き手の才能を感じさせたからだ。

「これ、部長にも見せたの?」

「はい。そうしたら、美術部の見学に誘われたんです。拝見した絵は、どれも方向性は違いましたけれど、とても勉強になりました」

 そうか、お姉さまと自分の趣味は違うって実感しちゃったか。

「誤解しないでください。私、美術部の絵もすごいと思います。眼鏡先輩の絵を見たとき、びっくりしました。だから、いろんな絵を描いて、いろんな人と話したいです」

 ――今は、それどころじゃないですけれど。綾乃は、精一杯の笑顔で話を締めくくった。

「蔵澄さん、退院したら美術室に来て」

「えっ」

「私の絵、貴女に上げる。偉そうな言い方するけど、部長のお墨付きだから、絵の勉強になると思うよ」

「でも、いいんでしょうか。私なんかが――」

「それにね」

 私は、ずいっと綾乃の近くに顔を突き出した。綾乃は反射的に身を引こうとするが、逃げ場はない。

「部長が私の絵を褒めたとき、何て言ったと思う?」

「……何ですか?」

「長い長いトンネルの、出口を示しているみたいって」

 お姉さま、、、、が戻ってくるまでの、つかの間の出来事だった。

 綾乃を抱き寄せる。彼女は身じろぎしたが、最後は素直に身を任せてくれた。

「絶望しないで。今は出口が見えなくても、風景はきっと変わるものだから」

 そうして私は、綾乃の額に親愛のキスをした。


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眼鏡先輩へ愛をこめて あきよし全一 @zen_1

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