第六話 ガチのヤバキチ案件に出くわすの事。

「こんにちは、由香里ちゃん。そっちは綾乃の同級生かしら?」

先輩、、です」

 私は“そっち”呼ばわりされたことにムッとして、強い口調で言い返す。オバサンは『ごめんなさいね』と謝罪の言葉を口にしたが、心がこもっていないのは明白だった。

「叔母さま、本日はどういったご用件ですか?」

「あら冷たい。親が子供に会いに来るは当然でしょう?」

 オバサンは『ねぇ?』と私に同意を求めてくる。そんなことより、私は部長の声が冷え切っていることの方が恐ろしかった。いつもの温厚な部長からは、想像できない温度差だ。

「おい、話なら後にしろ」

 今度は大柄な男性が、ずかずかと病室に入って来た。第一印象で、ああ、この人は綾乃のお父さんなんだなと直感した。目がキレイに透き通っていたからだ。

 けれど、その口から出たのは、とんでもない言葉だった。

「貧血なんかで何日も入院していることがおかしい。綾乃、帰るから支度をしなさい」

「そうそう。家に帰っていらっしゃいな、毎日コンソメスープを作ってあげるから。特製だからダシが出ていておいしいわよ?」

「あーちゃん、ナースコール押して!」

 部長が低く、よく通る声で指示を出す。けれど綾乃は、おびえきったウサギのように、ふるふると震えるばかりだ。

「ほら、早く帰るぞ!」

「あーちゃん、貸して!」

 部長は素早くベッドに駆け寄ると、柵にぶら下がっていたブザーを手に取り、迷わず鳴らした。綾乃の父親が叫ぶ。

「おい、なにをするんだ!」

「どうしました?」

 入って来た看護師さんが顔色を変えた。内線のPHSを取り出し、ただちに連絡を取る。

「こちら蔵澄さんの病室。誰か、男の人呼んできて。警備員でも看護師でもいいわ、すぐに来て!」

「ふざけるな! 俺はこいつの親だぞ?」

 集まって来た男性看護師たちが綾乃と父親の間に割って入る。

 部長はその人たちを盾にしつつも、毅然とした態度で父親を叱咤した。

「蔵澄さん。娘さんとの面会は控えて頂くよう、本家が決めたはずでしょう。今日はお引き取りください」

「なんでだ! ちくしょう、本家の跡取り娘だからって、こんな横暴が通るのか?」

「これが最後です。お引き取りください」

「綾乃! おい、綾乃!」

 綾乃は……言葉を失っていた。父親に何か言おうとして、何も言えなくて、悲しそうに目を逸らす。

 そうこうしているうちに、とうとう警備員が到着した。父親は力づくで病室から連れ出された。

「綾乃! こんなところにいないで、さっさと帰ってこい!」

「そうよ、綾乃さん」

 義母は笑顔を保ったままで告げる。

「コンビニのサンドイッチなんて食べていたら、太ってしまうわよ。うちに帰って、年頃の体型を維持できるようにコンソメスープを飲みましょうね」

「出て行って!」

 鋭い声が響く。震えていたはずの綾乃が、手のひらで両耳をふさぎ、ありったけの声を義母にぶつけていた。

「父さんも義母かあさんも出て行って! 今すぐ!」

 綾乃の両親は一瞬、呆気にとられたが、病院の人たちに押し出されて退室していった。

 あとには痛いほどの静寂と、私たちだけが残された。

「あーちゃん――蔵澄さんが倒れたのはね、栄養失調が原因だったの」

 静寂を破ったのは、部長の声だった。

「お義母かあさまに、ちゃんとしたご飯を食べさせてもらえなかったんですって」

「それって、虐待じゃないですか」

 私は言ってしまってから、自分が紡いだ言葉の鋭さにハッとする。綾乃は歯を食いしばり、声を殺して泣いていた。

 代わりに部長が話を続ける。

「お医者さまにも、そう言われたわ。親戚の間でも大問題になって、この子を施設に預けるべきだとか、それこそ身内の恥さらしだとか、じゃあ誰が世話をするんだって揉めているところなの」

「いいえ、お姉さま。私はあの家に戻ります」

 綾乃はそんなことを言い出した。

「私がいなくなったら、あの女は父さんに危害を加えます。そうして蔵澄の家を自分の物にするつもりなんです。父さんを守れるのは、私しかいないんです」

「あーちゃん……」

 再び泣き始めた綾乃を、部長が優しく抱きしめる。

 私の頭はとっくにパンクしてしまって『この二人、絵になる構図だな』と場違いなことを考えていた。

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