第五話 お見舞いの席で昔話を聞くの事。
私が保健の先生を連れて美術室に戻ると、綾乃は意識を取り戻していた。と言っても回復した様子はなく、床に寝転がり、浅い呼吸を繰り返している。
先生が呼びかけたり、体温を測ったり、触診したりするのを私は呆然と見ていた。
しばらくして先生が立ち上がった。部長が震える声で問いかける。
「先生、蔵澄さんは大丈夫ですか?」
「救急車を呼ぶわ。ちょっとややこしそうだから、貴女たちは帰りなさい」
分かりました、と答えようとしたときだった。
「帰りません」
「部長?」
部長は先生の言葉を、毅然とした態度で否定した。
「蔵澄さんは私の親戚です。子供の頃から妹のように見てきたんです。私も病院まで着いていきます」
「親戚ぃ?」
私は目玉が飛び出しそうになった。
先生も面食らった顔をしていたが、
「じゃあ救急車での付き添いと、蔵澄さんのお宅へ連絡をお願い」
と許可を出した。
「部長!」
私も付き添います、と言おうとした矢先。部長は普段通りの笑顔を浮かべると
「真駒さんは帰ってちょうだい」
と言ってきた。
「中間試験の勉強があるでしょう。落ち着いたらスマホで知らせるから、今日は帰りなさい」
優しいけれど有無を言わせない、強い声色だった。特に反論も浮かばなかった私は、荷物をまとめて下校した。
家に着いて少しすると、部長から
『今日は驚かせてごめんね。蔵澄さん、命に別状はないわ。本人も“心配かけてごめんなさい”って言ってる』
というメッセージが届いた。
しかし、それだけでは私の動揺は収まらなかった。綾乃に意地悪したこと、部長と綾乃が親戚だったこと。色々なことが頭の中で渦を巻いて、勉強どころではない。
従って、中間試験の成績は散々な点数に終わった。かろうじて追試は免れたが、親には
「ちゃんと勉強しないと部活辞めさせるよ!」
と釘を刺されてしまった。さすがにそれは嫌だったので、次からは勉強すると頭を下げて約束した。
さて、普段通りの授業が始まった6月。私は週末になるのを待っていた。
スマホには部長から届いたメッセージが――綾乃の入院している病院と部屋番号が届いている。
どうするつもりかと言えば、当然、綾乃のお見舞いに行くつもりだ。
本当は、私の理性が『行く必要なんてないでしょ』と主張している。それはそうだ。綾乃とは痛いライバル宣言を食らっただけの関係で、顔を合わせた回数はたったの二度しかない。知人というには縁が薄すぎる。
しかし私の感情は『それでも行くべきだ』と主張していた。絵を褒められた、絵描きの意地だろうか。あるいは綾乃という奇人に対する好奇心なのか。
分からない。分からないけれど、私は彼女にもう一度会おうと決意していた。
平日を淡々とこなしていくと、週末は意外に呆気なく訪れた。私は部長と、病院から最寄りのバス停で待ち合わせをした。
部長は、上半身をオレンジのTシャツ、長い脚をリーバイスのジーパンに包み、手にはバスケットを持っていた。完璧なデートスタイル。私が男だったらイチコロで惚れている。
「部長、読者モデルに応募したらいいのに」
「え? 私は絵描きだから、モデルさんは募集する側なんだけれど?」
「すみません、今の忘れてください」
他愛のない会話をしながら、病院の中へと入る。薬と消毒の匂いの中、黙ってエレベーターに乗り、綾乃のいる病室に向かった。
着いた病室は一番隅の個室で、綾乃はベッドにちょこんと座っていた。
彼女は私の顔を見ると、
「お姉さ……井沢部長、ごきげんよう。今日は真駒先輩も来てくださったんですね」
と、ぎこちないながらも挨拶してくれた。
「ええ。だいぶ元気になったわね。はい、これ差し入れ」
部長が言う通り、綾乃の肌は窓から射し込む日光を浴びて、見違えるほど血色がよくなっていた。
――あ、真駒さんはそのイスに座って。そう部長に促されて、私は面会用の折りたたみイスに座った。
綾乃は私の顔と手元のバスケットを交互に眺めると、ソワソワと聞いてきた。
「あの、真駒先輩……これ開けてもいいですか?」
「どうぞ」
「それでは失礼します」
バスケットの中にはコンビニの包装紙に包まれたサンドイッチが入っていた。
「ごめんなさいね、蔵澄さん。私、料理って苦手だから……」
「いえ、私これ好きですから。頂きます!」
そう言うや否や、綾乃はガツガツとサンドイッチを食べ始めた。まあ、本人が幸せそうなので放っておくことにする。
それよりも私は自分の好奇心を満たすことにした。
「部長。蔵澄さんとはご親戚なんですよね?」
「ええ」
「いつ頃から『お姉さま』って呼ばれてたんですか?」
すると部長は、恥ずかしそうで幸せそうな、ふにゃっとした笑顔になった。
「最初に会ったとき。あーちゃんも私も、ずっと小さかった頃」
「ちゃんと聞いたことなかったけど、お二人はお嬢様なんですか?」
「ええ、まあ、礼儀作法はきちんと教わりました」
なるほど、と私は納得した。それが前提なら色々な物がひっくり返る。
たとえば呼び方。てっきり、綾乃は思春期の妄想から部長を「お姉さま」と呼んでいるのだと思ったが、そうではない。
子供の頃、部長を姉のように慕い、上品な言葉遣いで呼びかけていたから「お姉さま」なのだ。
「すると、あれは『私のお姉ちゃんを取っちゃダメ!』ってことだったのか」
「えっ! あの、真駒先輩、それはですね……」
「いいよ、私のことは『眼鏡先輩』で」
真っ赤になった綾乃に、私はあえて素っ気なく告げた。
「お姉さまでも何でも、もう笑わないから。貴女のこと、痛い子だって決めつけて悪かった。今日はそれを言いに来たの」
「先輩……」
綾乃は、こっちをじっと見つめてくる。あの、透き通るような瞳で。
私は照れ臭くなって、手を振って視線を逸らした。
「それで、入院したのはどこが悪かったの?」
「それは、その……」
「ただの貧血ですわ」
返事は、部屋の入り口方向から飛んできた。
そこには、ヒョウ柄のワンピースを着たオバサンがいた。綾乃と部長の表情がこわばる。
「初めまして。蔵澄綾乃の
オバサンは大仰な仕草で私に頭を下げた。
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