第四話 部長とお話しするの事、後編。

「真駒さん、こちら一年生の蔵澄さん。美術部ではないけれど、絵に興味があるそうだから仲良くしてあげてね」

「はあ。どうも」

「……どうも」

 私たちは、ぎこちなく挨拶を交わす。

 昨日のやり取りがなければ、あるいは笑顔でいられたかも知れない。けれど、あの「お姉さま」事件の後では、お互いに無表情を取り繕うのが精一杯だった。

「ちょっと、二人とも表情が硬い! 私、蔵澄さんが美術室に来てくれたの、本当にうれしいんだから!」

「うわっぷ! 部長!」

 部長はいきなり、私たち二人を大型犬をよしよしするみたいに抱き寄せてきた。宝塚ばりの高身長がなせる業である。

 ――お姉さま。

 ふと綾乃の言葉がよみがえり、二つの可能性が私を硬直させた。ひとつは、部長にそっちの気があるのではないかという危機感。もうひとつは、綾乃が焼きもちを焼いて暴走するのではないかという危機感だ。

 私は、そっと綾乃の表情を伺った。綾乃は……満ち足りた、静かな顔をしていた。ほんのり頬を桜色に染めて、部長の手に身体を預けている。

 そこには怒りも、虚勢も、緊張もなく、ただ部長への信頼があった。

(なんだ、こいつ?)

 上手く言えないが、昨日の言動で受けた印象とは何かが違う。もっと短慮で雑な人間だと思っていたのだが、違うのだろうか。

 私はポカンとしたまま、部長にわしゃわしゃと頭をなでられていた。

 やがて部長は気が済んだらしく、私たちを解放してヒラヒラとキャンバスの間を歩き始めた。

 綾乃が後を追いかける。私は二人から距離を取って、イスのひとつに腰掛けていた。

「これは一年生の南さんの絵。まだクロッキーだけれど、輪郭の捉え方が上手いわ」

「はい」

「これは三年生の大下さんの絵。白というか、ハイライトの見せ方が上手いの。参考になるかしら」

「はあ……」

 そして二人は一周して、私と、私の絵の前にやってきた。

「それで、これが真駒さんの絵。どう? 私はこの絵、すごく好きなんだけれど」

「この絵が……」

 部長が指さす先を、綾乃は食い入るように見つめている。

『そんなに見ないでよ、照れるから。どうせアレでしょ、難癖つけるつもりなんでしょ』

 そんな被害妄想に浸っていると、綾乃は真顔で予想外なことを呟いた。

「光の使い方がキレイ。そっか、こういう絵が正解なんだ……知らなかった」

「正解って、あのね。絵に正解なんてあるわけないでしょう?」

 唐突に我慢の限界がきた。私の口は勝手に開いて、思ったことを次々に並べたてる。

「この絵が正解だっていうなら、それはお姉さまの価値基準を真似ているだけ。貴女は私を一人の人間として見ていないの」

「そんな……違います!」

「違わない。昨日の言葉を聞いたから分かる」

 途端に美術部は険悪な雰囲気になった。

 部長は私と綾乃を見比べて、困ったような笑顔でこう言った。

「昨日って、ええと、二人は知り合いだったの?」

「はい。もう知り合いですよ、お姉さま、、、、

 私が部長にそう答えると、綾乃の顔色が変わった。

 ……変わったと思う。綾乃は色白すぎて、顔色の変化が分かりにくい。

「やめてください、眼鏡先輩!」

「やめない。蔵澄さんは、お姉さまに私よりも大切にされたいんですって。どうします、部長?」

 部長はと言えば、のんきに小首をかしげている。

「もう。お姉さまだなんて、まだその呼び方をしているの?」

「ごめんなさい、お姉さま。どうしても癖で呼んじゃうんです……」

 ふうん。やっぱり本人の目の前で「お姉さま」呼びは恥ずかしかったか。

 私は、更に追い打ちをかける。

「昨日は部長が私のことを褒めたから、焼きもち焼かれて大変だったんですよ。私なんかより蔵澄さんを大切にしてあげてください」

「やめて! 眼鏡先輩、やめて!」

 綾乃は高校一年生だ。中二病からは卒業して然るべき年齢である。ゆえに私は、容赦なく彼女の言動を責めた。

 ところが、そこで予想外のことが起こった。

「やめて……おね、が……い」

「ん?」

 綾乃の声が急に弱くなったと思った、次の瞬間。彼女はその場に倒れ込んでしまったのである。

「あーちゃん? しっかりして、あーちゃん!」

 部長が綾乃を抱き起す。彼女の顔は真っ白だった。

「真駒さん、保健の先生呼んで!」

「……」

「真駒さん!」

「は、はい!」

 部長の声で我に返る。私は保健室を目指して走り出した。

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