第39話 談合

 リンを抱きかかえたまま、俺は記憶を取り戻すための詠唱を始める。


 新しく魔導書を買うとき、【身体の魔導書】を選んだ理由の一つが俺の記憶を取り戻すことだった。

 もちろん奪われた記憶を取り戻すなどというニッチなニーズに合わせた魔法は載っていないが、脳を扱う魔法を元にすればそんな魔法も作れると考えたのだ。


「命を記せし海、加わりし不浄を捕らえ、乾きし者に恵みあれ……」


 この魔法の基本原理は、脳を自然物と捉えて〈生檻〉で記憶を捕らえるという、なかなかに無茶な構成だ。


 【知覚の魔導書】にある魔法を総動員して、リンの記憶を無理矢理俺の頭の中にも流し込んでいく。少しでも調整を間違えればリンの脳は物理的に潰れ、俺の脳は内容的に壊れてしまうだろう。だが。


「こんな時に頑張れなくて、何が魔法使いだよ……!」


 詠唱を終えてから、俺は感情的に叫んだ。この脳筋だらけの世界では理解されなかったが、魔法というのは本来、何かを壊すためのものではないのだ。誰かを守り、誰かと繋がるための技術。


 魔法を最初に覚え始めたのも、それが目的だった。しかしどんなことでも、極めれば極めるほど周りからかけ離れてしまうものだ。


 そういうものだと、諦めることだって出来た。でもきっと、それでは何も解決しない。……だからせめて、今だけは!


「だ、大丈夫なの!?」


 俺はよっぽど苦しそうな顔をしていたのだろうか。腕の中から、リンが心配そうに俺を見上げる。


 確かに記憶を無理矢理自分の頭に流し込むのは、【身体の魔導書】に慣れていない俺にとっては致死級の負担があった。被害は頭痛に収まらず、手足の先に集中した悪寒と、神経の痛みまである。

 だがそれでも軽い微笑みを浮かべながら、俺は魔法を止めた。そして、腕の中の彼女を見つめ返す。


「大丈夫だよ。お前の方こそ……辛かったな……」

「……! 成功したの?」


 俺の言葉を聞いて、リンが目を見開く。今ではその顔が、酷く懐かしく覚えた。


「あぁ。失った記憶だけじゃなくて、なんか余計な記憶もいっぱい入ってきたけどな。例えば、夜は一人が寂しくて泣……」

「なっ……! 余計なことまで知らなくて良いからっ! もっかい記憶奪う!!!」

「おいコラやめろって」


 必死に俺の頭を掴もうとするリンを、両腕でなんとか抑え込む。


 それでも鼻息を荒くしたままの彼女に苦笑してから、俺は言い聞かせるように言った。


「お前が盗賊にならなきゃ生きられない人生を送ってきたことも、それが誰にも認められなかったことも……分かったよ」


 リンは王国の権力保守に巻き込まれた、犠牲者の一人だ。未だに俺の体が震えているのは、魔法の副作用だけではなく、リンの記憶のせいでもあった。


 わざわざ俺から記憶を抜き取ろうとした気持ちも、今なら分かる。普通であろうとした痕跡を残していたら、決して元には戻れなかったのだ。それはあまりにも、孤独な復讐の道だから。


 それを理解しながらも、俺は言葉を続けた。


「確かに、人は誰しも分かり合えないし、どうしたって互いを傷つけあう。でもさ、それならその分だけ、助け合うことだって出来るんじゃないのか?」

「そんなの……。私達を傷つけたこの国を、許せっていう事?」


 表情に影を落とし、リンが俺を軽く睨みつける。


 彼女の記憶を辿れば、そういう反応をするのも頷けた。王家が自らの権力を守るために、一体どれだけの人が敵と見なされ、国家の犠牲になってきたか。それを俺は、彼女の記憶を通して初めて知った。


 結局俺も含めて、誰もが自分の世界しか見ていないのだ。

 脳筋が魔法使いを理解してくれなかったように、俺も彼女達のような存在がいることを知らなかった。魔王がいるとされた国の民だろうか、リンについてきた盗賊達の中には、魔法使いも多かったというのに。


「許せなんて、一言も言ってない。だけど戦いに移る前に、お互いを理解するところから始めて欲しいって言ってるんだ」


 俺は自分が誰からも理解されなかった頃のこと……そして、リンと出会ってからのことを思い出しながら、言った。


「王宮に来て、それはより実感したよ。貴族なんて違う人種だと思い込んでいたけど、俺達の基準では弱かった勇者も……人間としては、ちゃんと強かった」


 ルーを振り返ると、彼は俺に会った時を思い出したのか自嘲するような笑みを浮かべた。うん、やっぱ昔のお前は弱かったな。


「王家の奴だって、悪い奴ばかりいるわけじゃない。実際、リアはお前と同じくらい国王に振り回されてるしな」


 俺の言葉を聞いて、リンがハッとした顔をリアに向ける。シンパシーを感じたのか分からないが、二人は長い間見つめ合った。


 きっと、これまで王家の人間を理解しようなどと思いもしなかったのだろう。リンはリアを見つめながら、意を決したように言った。


「分かったよ。君がそこまで言うなら……国王とも、話すだけ話してみる」


 覚悟を決めたリンに、リアが歩み寄っていく。その顔には親しみが感じられたが、彼女は俺を見るとすぐにいつもの無表情に戻った。


「ところで、リンはジレン先生とどんな関係なの? なんか先生は、リンが恋しかったのかずっと私とあなたを重ねてたっぽいんだけど」

「え、いきなり呼び捨て!? というか、それ本当!?」


 リアの発言にリンが猛烈に食らいついてから、少しして顔を赤らめる。俺も顔を赤くしながら何言ってるんだとリアを見遣ったが、彼女は俺の反応を意にも介さなかった。


「羨ましい反応。でもリンと私を重ねてたってことは、逆に言えば私にもワンチャンあるってことだからね。忘れないで」

「なっ……!」


 リンは驚愕の表情を浮かべてから、俺を睨みつける。


「やっぱり王家の人と仲良く出来る気しないんですけど」

「そ、それはまぁ、頑張れ……。というかなんでそんな怒ってんだよ……」


 彼女の気迫に圧されて、俺は何も言えなくなるのだった。






 リンの記憶も取り戻した俺は、案の定国王と盗賊団の仲介役を任されることになった。


 宮廷魔術師達やルーもこの国を改めることにもう異論はないようなので、後は話し合うだけである。

 宮廷魔術師どころか第二王子や王女までも自分の味方と言い切れない状態では、流石の国王も盗賊団と話し合いの場を設けるしかなくなるだろう。


 ルーの話を聞く限り、この国に脳筋が溢れたのは国王が原因だ。脳筋の王、ノウキング……どう考えても気は合わないが、果たしてどうなるのだろうか。

 心配は尽きないが、話し合いの場を設定してもらうよう、人づてに国王に頼むしかなかった。


 そして、話し合いの日。スペースの問題なのか分からないが、話し合いの場は何故か円形の闘技場に設けられた。流石ノウキング、空気が読めない。

 場所のせいで自然と張りつめた空気になる盗賊団を宥めながら、俺達は国王が来るのを待つ。このまま待ちぼうけさせられるかとも思ったが、国王は意外にも時間通りにやってきた。


「あー、皆さん。よく集まっていただいて。あー……」


 国王の口から、想像とは違う腑抜けたおじさんの声が漏れ出る。萎れた肌は骨に張り付き、身に纏うマントは彼の体重よりも重そうであった。


 拍子抜けした余り、辺りはシンと静まり返る。代わりに、国王の横にいた第一王子――ロンが口を開いた。


「えー、皆さまお集まりいただいて、誠にありがとうございます。先に今回の談合の結論から申し上げさせてもらいますと、国王はこの国の主権を手放すそうです。ま、簡単に言えば盗賊の皆さんに恐れをなしたわけですね」

「そ、そうでーす」


 軽い口調で発せられた彼らの言葉を聞いて、盗賊団に衝撃が走る。ルーとリアも、驚きを顔に浮かべていた。


「もちろん魔法使いや魔王に対する弾圧もやめ、それに伴い継承権は私に移ることになる。ルー、ようやく勇者の力を返してもらう時が来た」


 ロンは歪んだ笑みを浮かべてルーを見遣った。国家の主権がどうとか、盗賊団がどうとか、一切興味のなさそうな顔だ。


 ただただ、魔法使いだという理由だけで父に見放された恨みが、勇者の力を渇望しているのだろう。彼もまた、理解されないが故に歪んだ犠牲者の一人なのだ。


「確かに、本来はあなたが継ぐべき力だ。しかし……」

「なんだ? 私に口ごたえするというのか?」


 ようやく力を使いこなせたルーは物惜しそうな顔をするが、ロンの気迫がそれを許さなかった。ルーは兄の怒声に震えてから、彼に近づいて行く。


「分かった。この力がなくても、僕はもう大丈夫だ。だけど兄さん、あなたが国王になったら、盗賊達の要求も呑んでくれるというのか?」

「あぁ、勿論だとも。今回はそういう談合なのだろう?」


 異様に押し強いロンに、ルーはもちろん、傍目から見ている俺も違和感を覚えた。考えてみればルー達とロンが一緒にいるところを見たことはないから、家族に対してはいつもあんな調子なのだろうか。


「なぁ、リン。今少し気になったんだが、どうしてお前はロンを記憶を奪っただけで見逃したんだ? 盗賊団が王家の転覆を狙うなら、あいつも殺害対象だったんじゃ……」

「え? 私はロンの記憶なんて奪ってないよ? もう少しで倒せそうだったのに、異様に強い魔法を使われて勇者ともども逃げられたからね」

「なっ……!」


 だとすれば、ロンは俺に嘘を言ってまでこの状況を作り出していたということなのか。


 そもそもの目的が俺を利用しての国家転覆で、勇者の力を奪う事なのだとすれば……。


「ルー、ちょっと待て! そいつに勇者の力を渡すんじゃない!」


 叫んだ時には、もう遅かった。ルーから力が移譲され、ロンは名実ともにこの国の王となる。それとまったく同時に、見えない力でルーが弾き飛ばされた。


「なんだ、今のは!?」

「魔王の力だよ」


 見覚えのない魔法に俺が叫ぶと、ロンが律儀に説明してくれた。


「私はこの時のために、魔王と手を組み体の一部を譲り渡していたんだ。虐げられてきた者同士が手を組み、私達はようやくここまで来た!!!」


 ロンは興奮したように叫び、言った。


「魔法使いが迫害される時代はもう終わりだ! さぁ、ジレン! 魔法で脳筋どもを圧倒しよう!」

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