第33話 王家の秘密

 俺の部屋で、王女様が小便まみれの兄を見下ろしていた。あまりに酷すぎる王家の現状に、俺は思わず目眩を覚える。


「もうやめて下さい、お兄様。あなたはそんなことをする人ではなかったはずです!」

「そうだとも。だからこそ、僕は変わらなければいけない。この国に相応しい勇者になるためには、僕は弱すぎる」


 リアの言うことも全く聞き入れず、勇者が俺を睨み付ける。

 魔導書の下敷きになって相当体を痛めているはずだが、彼は無理に起き上がろうとしていた。


「魔法使い如きに負けていて、勇者を名乗っていいわけがないんだ」


 また魔法使いを下に見た発言をするが、彼の必死さから、最初会った時のようになめているわけではないのが分かった。


 勇者から感じるのは、魔法使いよりも優れていなければいけないという悲壮な覚悟。俺の目の前で、彼はとうとう魔導書の下から抜け出た。


「なんだって、そこまで魔法使いを目の敵にするんだ。最初に会ったときは、そんなんじゃなかっただろ?」

「…………」


 俺の質問には答えず、勇者はただただ俺を睨む。


 彼の目には確かに俺への殺意が宿っていたが……体の痛みをこらえて立ち上がる姿は、自分自身を罰しているようにも思えた。


「お兄様、本当にどうしてしまわれたのですか? それではまるで……」


 ゴクリと生唾を飲み込んでから、リアが呟いた。


「それではまるで、お父様のようではないですか」

「…………」


 リアの言葉に、彼はまたも沈黙で応える。俺は国王がどんな人物なのか知らないが、誰一人否定しないということは実際そうなのだろう。


 父に似ていると評された勇者は、無言のままこちらに歩いてくる。しかし案の定、痛みに堪えきれなかったのか前のめりに体勢を崩した。


「あまり無理すんな。俺が言うのもなんだが、お前今、そうとう重症だぞ」


 正当防衛とは言え自分の与えたダメージなので見ていられず、俺は彼を支えようとする。


 しかしその直後、勇者が指だけで持ち支えていた剣を、右手でしっかりと握りこんだ。そのまま流れるように、一閃――。

 彼は最初から、俺が油断するのを待っていたのだ。


 あまりに淀みのない剣筋が、彼が奇襲の練習までしていたことを伝えてくる。戦闘が終わった気でいた俺はなすすべもなく、首筋に剣を受け――。


「やめて!」


 そして剣は、リアが叫ぶと同時に止まった。


 妹の叫び声に感化され、勇者が攻撃をやめた――わけではない。彼の剣は俺の首筋に当たったまま、力を込められてカタカタと震えていた。


「な、何をしたんだ……」

「私の、魔法だよ。ロウさんに学んだ、【光輝の魔導書】四章〈聖域化〉。闇をも防ぐ、硬化魔法」

「硬化……魔法」


 何も考えられないというように、呆然とリアの言葉を反復する。暗殺のための魔法を覚えているリアしか知らなかったから、彼女が硬化魔法を覚えているなどと予想もしていなかったのだろう。


 リアは兄への敬語をやめたまま、疲れきった様子の兄に叫んだ。


「魔法は戦うためだけのものじゃないって、先生は教えてくれた。私はもう、殺すことしか出来ない妹じゃないんだよ……お兄ちゃん」

「……。リア……」


 お兄ちゃんと呼ばれた瞬間、勇者が目を見開いた。そして次の瞬間には諦めたような顔をして、薄い笑みを浮かべる。


「そうか……。リアはもう、立場に縛られるだけの女の子じゃないんだな」

「お兄ちゃん……」


 遠い目をしたと思うと、彼は左手で自分の頭を押さえた。


「僕は勇者という肩書きを守ることさえ出来なかったというのに……。お前はもう、もっと先を言っているのか……」


 俺の首に当てていた剣を投げ捨て、とうとう体力が尽きたのか床に膝をつく。床からピシャリと水音が鳴り、がっかり感が増す。しかし俺は、彼をただの弱者と切り捨てるのは憚られた。


「あまり落ち込むなよ。さっきの奇襲は見事だった……もしリアがいなければ、俺はあのままやられていたよ」

「慰めなんていらない。僕が負けたことには、変わりがないんだから」

「慰めなんかじゃねぇよ。死ぬほど弱かったお前が、俺に一矢どころか二矢報いたんだ。それを恥じる必要なんてあるわけない」


 俺は一呼吸おいて、言った。


「なぁ、なんで魔法使いを目の敵にするのか分からないが……。お前らと魔法使いが協力することは出来ないのか? お互いの良いところを合わせれば、魔王だって……」


 勇者の劇的な成長に感化され、俺は協力を申し出た。すると勇者は、強く顔を歪めるという予想外な反応をした。


「ああ、そうだな。僕もそう思いたかった。魔王が単なる敵であれば、どんなに良かったことか」


 勇者が小さく息を吐き、彼はとうとう、ずっと隠していた悩みの種を打ち明けた。


「リアに暗殺させようとしていた魔王は人類の敵と言われているが……そんなことはない。僕達が魔王と呼んでいるのは、魔法技術の発達した、小国の王に過ぎないんだ」

「は……?」


 勇者の口からもたらされた衝撃の事実に、俺どころかリアまでも口をあんぐりと開ける。それが本当なら、俺達はずっとこの国自体に騙されていたということなのか。


「この世界は力だけで成り立っていない。魔法が発展すれば、なおさらそれは顕著になってしまう。だから父は魔法国を人類の敵と見なすことで、勇者の力の価値を最大限まで高めたんだ」

「…………」

「民は強大な力に頼らざるをえなくなり、その力を持っていた父は王にまで成り上がる。そして権威を保つためには、僕に魔王を倒せるだけの力がなければいけないというわけさ」

「お前……それ本気で言ってんのかよ」


 あまりに身勝手な言い分に、俺は怒りを隠せなかった。他国を勝手に人類の敵扱いしておいて、まだそれを続けようというのか。


 しかしそれを言われた勇者は、俺以上の怒気を体に漲らせて叫び返してきた。


「そうするしかないだろう!? 僕だって知らなかったんだ! お前がここに来て、父上に真実を打ち明けられるまでは……僕は、本当の勇者だった」


 いつの間にか涙を流し、勇者が叫びを続ける。


「でも、全て幻想だった。勇者の力は、父上から受け継いだ呪いだ。僕はもう、正義の味方ではいられない」

「それを知ったから、お前は国王と同じ道を進むために俺を殺そうとしたってことか。他に道はないのかよ……」

「ないさ。お前も宵闇盗賊団を見たんだろう? あれこそ、父上が残した負の遺産だ。彼が権威を得るために利用し、踏みにじった者達の集団なのだから」


 宵闇盗賊団という単語を聞いて、俺の脳裏にリンの顔が過る。そういえば彼女らはテロリストのような存在なのだと、ロウから聞いた。


「リアに魔王を暗殺でもさせない限りは、父上の詭弁で生じた無茶が世の破綻として表れてくる。一度道を踏み外せば、進む先は地の底にしかない。父上は失敗した……だから僕も失敗し続けるしかないんだ。邪魔をする者は……殺す」


 戸惑いも悲しみも殺し、勇者が再び俺を睨みつけてくる。しかしリアの魔法を思い出したのか、すぐに目を逸らした。


「そういうわけだ、僕を止めてもリアが幸せになるわけじゃない。さっさとここから立ち去ってもらおうか」

「そんなわけにいくかよ」


 話を締めようとする勇者に、俺は突っかかる。


「まだ道はあるはずだ。お前みたいな脳筋だけの力では無理でも、一緒に力を、合せれば」

「話を聞いてなかったのか? 宵闇盗賊団がいる限り、路線変更なんて許されない。この王家がバランスを崩せば、それに不満を持つ集団は拡大していくばかりだ」

「じゃあ、まずはそいつらをなんとかすればいい。そうやって異質な存在と向き合わないままだから、ここまで拗れちまったんじゃないのかよ!!!」


 叫んでから、俺は自分がここまで感情的になっていることを意外に思った。


 魔法こそが全てと思っていたし、実を言えばそれは今でも変わっていない。だけど、それだけじゃないんじゃないのかと、信じたい自分がいる。


 もし国王が魔法を排斥しようとしていなければ、俺はアウロのパーティーから追放されることもなかったんじゃないか。そして、あの少女も……。

 何故かまたもリンの顔が思い出されて、俺はなんとも言えないむず痒い感傷に襲われた。


「お前がそんなことを言うのは……なんというか、意外だったな……」


 俺の叫びを聞いた勇者が呆けた表情を浮かべ、すぐに小さく笑った。


「まぁ、思えば俺はお前のことを何も知らなかったな。クズ男という印象だけがあった」

「先生はクズだよ」

「おい」


 勇者があんまりな評価を述べると、リアから追撃が入った。不意打ちすぎてめっちゃ心に来たんだけど。そんな風に思ってたの……?


「レイザン先生を痛めつけてたし、私を教えるとか言ってる割には新しい魔法を覚えるのに夢中だし、私を誰かと重ねてるっぽい男のクズだし」

「ぐ……」


 痛いところを突かれて俺が苦しむが、リアは構わず続けた。


「でも、レイザン先生を痛めつけたのは私も同じだし。先生がクズなら、私もクズなの。お兄ちゃん、知らなかったでしょ?」

「……」


 リアの言葉を聞いて、勇者が俯いた。彼は俺どころか、妹とも向き合ってこれなかったのだろう。


 濡れた床に映る自分を見つめる彼は、今まさに自分の在り方を見つめなおしているのだろう。


「ジレン! ……うわくっさ!」


 そうして俺達が話していると、いきなりラエルが俺の部屋に入ってきた。アンモニア濃度の異様に濃い空気に、ラエルが顔を歪める。


「どうしたんだ?」

「ジレンとナナちゃんと話したいって人が、門まで来てるんだって。誰か分からないと入れられないから、ちょっと見てきて!」

「あぁ、分かった」


 わざわざ王宮まで、俺とナナに来客……?


 何故か反射的にリンの顔を思い浮かべて、俺は城門へと急いだ。

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