第32話 勇者の本気
何かの間違いということもなく、勇者は抜いた剣を俺に向かって振り下ろしてきた。
劇的ではないものの、以前より明らかに研ぎ澄まされた剣筋。魔導書を手元に持っていなかった俺は、バックステップでなんとか剣を避ける。
「おいおい、余計なことを教えるって……。何もしなけりゃ、リアは暗殺のための魔法ばかり教わることになるんだぞ? それで良いのかよ」
「王家の務めとはそういうものだ。阻む者は、切り伏せてでも進む」
「務め、ねぇ……。まぁ立派だが」
俺が手の平を上向けると、吸い寄せられるように純白の魔導書が俺の手に飛んできた。俺の魔導書は、盗まれても封印されても手元まで戻ってくる防犯機能付きなのだ。
「そんな下らないことのために魔法を使ってほしくないな」
「下らないこと、だとぉ……!」
俺の言葉を聞いて、勇者が顔に怒気を滲ませる。だが誇りを傷つけられたというよりは、痛いところを突かれたという表情にも見えた。
さっきまで俺に向けられていた純粋な殺意が、少しだけ鈍る。
「うし、意識が逸れたな。〈火球〉」
そんな葛藤を抱いている勇者に、俺は容赦なく隙を突くような攻撃をしかけた。もう本当に躊躇なく、流れるように。
我ながら卑怯とは思うが、正直部屋の中でこれ以上剣を振り回されたくない。とっとと無力化して、後から話を書いてやろうと思ったのだ。
しかし。勇者の成長は俺の予想を遥かに越えており、隙を窺ってコンセントレイトしていた〈火球〉を床を滑るようにして難なく避けた。
「馬鹿なっ! その動き、まさか……!」
「あぁ、そのまさかさ」
俺が動揺するのを見て、調子を取り戻した勇者が不敵に笑う。それから〈火球〉を避けた時と同じ奇怪な動きで、剣を構えながら俺の背後に回った。
普通の訓練では決して出来ない、異様なスムーズさ。これは……。
「まさかお前、自分の小便の上を滑っているのか!!!」
「何度も確認するな! そのまさかだって言ってるだろ!!!」
これまでで一番の憤りを見せて、勇者が吠える。どうやら彼は本当に、俺の前で漏らしてしまうという弱点を利用する術を身につけていたらしい。
会わない間に何をやっているんだと呆れるが、実際に厄介だ。
恐らく水で濡らした床などで剣の練習をしたのだろう。予測できない動きに、さしもの俺も翻弄されていた。
「それだけ本気ってことか……。俺も全力でやるしかないな」
勇者が務めに拘るのと同じように、俺にも少女を暗殺者として育てるためなんかに魔法を使うべきではないという信念がある。
お互いに譲れないものがあるなら、持てる力全てで押し通す他ない。
俺は油断を捨てて、再び手を上向けた。しかし、そこには何も起こらない。
「何をしている!? またコンセントレイトとかいう搦手かっ! 僕の剣を前にして、そんな余裕があると思うな!!」
「別に、なめちゃいねぇよ……むしろ逆だ。この短期間でこれだけの上達、魔法だろうが剣だろうが並大抵のことじゃない」
放たれた剣を魔導書で防ごうとするが、慣れない動きに翻弄されて防ぎきれず、軌道だけ逸れた剣に左肩を抉られる。
何気にリンでさえ与えることが出来なかったダメージが、渾身の一撃によって体に刻み込まれる。久しぶりの激痛を感じながら、俺は勇者の必死さを感じ取った。
「でも……。俺にだって譲れないものはある」
俺が言った途端、勇者の背後にあった窓が……割れた。
それは突然の出来事で、窓の破片が総じて部屋の中に押し寄せる様は、まるで風が窓を打ち破って部屋に入り込んだかのようだ。
流石に無視は出来なかったようで、勇者が剣に込めた力を弛めないまま振り返る。そして俺には、表情を見なくても彼が動揺したのが分かった。
「なんっ……だこりゃ……」
「見りゃ分かるだろ、皆大好き魔導書だ」
彼が目の当たりにしたのは、部屋に押し寄せる無数の魔導書。今だ10冊程度しか部屋には入っていないが、後続には100冊以上の魔導書が空に控えている。
「俺の趣味は魔導書の栽培と養殖だからな。魔法の種類こそ少ないが、魔導書の数だけならかなりのものだ」
「魔導書の養殖!? 何を言ってるんだ、何を言ってるんだお前は!?!?」
理解できないという風に首を振る勇者目掛けて、問答無用とばかりに魔導書が押し寄せる。俺が金欠だったために殆どが鉄製か紙製だが、それでもこれだけの物量を体に受ければ無事では済まない。
俺に構う余裕もなくして魔導書を切り落としていく勇者は、対応しきれずに背中から床に倒れた。床に撒かれた小便が、パシャッと音を立てる。
「俺の魔導書は、盗まれても手元に戻ってくる防犯機能付き。それなら遠くから引き寄せられないと意味ないだろ?」
「まさか……この魔導書は自分の家から引き寄せてきたって言うのか……!」
「そういうことだ」
大雑把に建物を避けることは出来るが、こまかい挙動は出来ないので窓を突き破り、俺の近くにいる勇者を押しのけて俺の手元にやってきたというわけだ。俺が先ほど手を上向けたのは、この防犯機能を発動するための挙動だったのである。
どんなに遠く離れてきても、俺を求めて飛んできてくれる魔導書たち。あぁ、ホント魔導書って可愛い奴だなぁ……。
「くそぅ、ここまでしても、勝てないのか……! ならば、いっそ!」
乾杯した勇者は、魔導書の下敷きになりながらも血走った目で俺を睨んだ。刺し違えてでも俺を仕留めようという覚悟を見て取り、何故そこまでするのかと訝しむ。すると、俺の部屋に新たな人影が現れた。
「もうやめてください、お兄様! これ以上は……うわ臭っ!」
勇者に呼びかけたのは、黒髪の少女……。この国の王女、リアだった。
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