第19話 はじめてのおじゅぎょう

 俺達がいたのは王宮の医務室だったらしく、出る時は布団の柔らかさが名残惜しかった。


 こんな時でもなければお世話になることもないだろうし、もう少し気絶しておけばよかったなとさえ思う程だ。しかしそんな感傷は許さず、ロンが口を開いた。


「では早速、妹の教育現場を見てもらおうかな。先に言っておくが、今回の教師が格別クソだというわけではない。魔法を教える者は皆、同じくらいクソなのだと先に念押しさせてもらうよ」

「そんなにクソクソ言うなよ……。心配しなくても、俺は殆ど独学で魔法を学んだ身だ。魔法の教育してくれるって時点で羨ましいくらいだから、予防線を張らなくても貴族の教育に失望したりしないさ」

「いや、それ絶対分かってない! ……まぁ、見てもらった方が早いな。この部屋で宮廷魔術師が教えているから、取り敢えず入ってくれ」


 俺はロンに促されるまま、王女がいるという教室の前まで来ていた。


 ロン自身は父から王女に近づかないよう言われているらしく、ここから先は俺一人で入らなければならないらしい。聞けば聞くほど王族は闇深いが、あまり面倒なことに関わりたくもない。俺は彼の家庭環境など気にすることなく、言われるがままその教室に立ち入った。


「おや。あなたが第一王子のおっしゃっていた、私の教育を見学にきた魔法使いですか。元冒険者如きに私の授業が理解できるか分かりませんが、身の程だけでも学んでいけばよろしいかと」

「あぁ、楽しみにしてるぜ……してます?」


 教室に入るなり、教壇に立っていた宮廷魔術師が俺に話しかけてくる。


 上から目線なのは気になったが、実を言えばそんなの気にならないくらい授業を楽しみにしていたので、特に反抗はしない。

 むしろ俺も王子や貴族に対して敬語を使った方が良かったかな……と反省するくらいだ。


「では王女様。邪魔が入りましたが授業を再開いたしましょうか」

「うん、お願い」


 宮廷魔術師の男が俺を無視して、授業を再開する。それに返事をしたのは、机に一人座っていた女の子だった。


 青年であるロンの妹という割に幼く、まだ十代前半だと思われる。冷え切った目でつまらなそうに教授を見つめる彼女は、少し生意気そうに見えた。


「先ほどの復習から入りましょう。【操影の魔導書】五章は、一体何の魔法でしょう」

「〈拡影〉でしょ?」

「その通り! 影を自力で大きくすることで、操れる影の総量を増やす魔法ですね」


 彼女を観察している内に、宮廷魔術師の授業が再開された。流石王女様と言うべきか、習っているのは【操影の魔導書】というなかなか難易度の高い魔導書だ。


 気になってはいたが高すぎて手を出せなかった魔導書なので、授業を見学できるのは役得だった。


「では先ほどと同じように、魔力を体に通しながら私の詠唱を繰り返してください。対なる存在よ、我が力を蝕みその手を伸ばせ。はいどうぞ」

「対なる存在よ、我が力を蝕みその手を伸ばせ」

「後半に少し力を入れて、もう一度」

「対なる存在よ、我が力を蝕みその手を伸ばせ!」


 ん……? 何やってんだこいつら。詠唱を繰り返すのは、貴族の教育だと何か意味があるのだろうか?


 なんというか、子供の書いた痛い詩を何度も聞かされているようなムズムズ感に襲われるからやめてほしいんだけど。


「よく出来ましたね。この調子で魔力を循環させながら詠唱を繰り返せば、いずれ自然と出来るようになりますよ」

「分かりました」

「それにしても王女様は筋が良い。詠唱すれば魔力が乱れるものですが、魔力の流れが常に一定で綺麗だ。あなたはいずれ、良い影使いになれるでしょう」

「ありがとうございます」


 王女様をこれでもかと褒める宮廷魔術師に、彼女はそっけない返事を返す。その目からは、常に退屈が窺えた。


「では次の章に行きましょう。次は難敵ですよ、なにせ詠唱から発動までのタイムラグが長いので、魔力の形を維持するのが難しいのです。今度も私の詠唱に続いて……」

「ちょっと待ったぁ!!!」


 またポエム熱唱大会が始まりそうだったので、俺は慌てて彼らを制した。


「今のは何!? 授業はいつ始まるの!?」

「なんですか。授業はもう始まっていますよ、邪魔しないで下さい」

「もう始まってるだって!?」


 宮廷魔術師の言葉に、何の冗談だと困惑してしまう。


 魔法を習得する上で一番大事なのは、その魔法がどんな要素の組み合わせで出来ているかを理解することだ。詠唱はそれを再現する際の補助に過ぎず、詠唱だけ練習しても殆ど意味がない。彼の言う通り、何度も繰り返していれば発動だけはするかもしれないが……それは本当に「発動させただけ」である。


「魔法の要素とか構成の説明は、いつしてくれるんだ? もう終わった後……なんだとしても詠唱の練習は意味が分かんねぇけど……」

「はんっ、冒険者風情が何を分かった風なことを。いいですか? 魔法というのは実地で、地道に訓練しないと身につかないものなのです。その労力も惜しんでいたら魔法を極めることなど出来ませんよ」


 質問しただけなのに、何故か凄い勢いで説教されてしまった。


 だが、彼の言ってることは全くと言って良いほどその通りだ。魔法は実地で、地道な訓練を積んで初めて極めることが出来る。しかし……。


「ちょっとその魔導書を貸してくれ」

「おいっ、汚らわしい手で触るんじゃない!」


 俺は宮廷魔術師の持っている魔導書を掴み取ると、さっき練習していたページを開いた。ザッと目を通し、呟く。


「うーん、やっぱり習得が極端に難しいとか、そういうわけじゃないよな……。影という概念に直接干渉する技術はいるけど、それはこの魔導書に書いてある魔法はどれもそうだろうし……。こんな感じか?」


 詠唱すら必要とせず、〈拡影〉を使って自分の影を大きくしてみる。歪な形にしか大きくならなかったが、やはり使用自体は難しくなかった。


「な……貴様、何故その魔法が使えるのだ!?」

「何故って……いや、ここに使い方書いてあるんだからそりゃ使えるでしょ」


 宮廷魔術師がとんちんかんな質問を寄越すので、俺は眉を顰めた。


「魔法は覚えるまでは難しくないんだから、さっさと覚えてすべきだろ? いや、やっぱり貴族流の理由があるのか?」

「覚えるまでは……難しくない……?」


 生気の抜けたような顔で、呆然と呟く宮廷魔術師。なんだそれ、新手の詠唱か?


「私が一つの魔法を覚えるのに何年かけていると……いや、そうか! お前は元々【操影の魔導書】使いだったんだな! それならそうと言ってくれればよかったものを……。〈拡影〉の扱いは不慣れなようだが、先輩のよしみで教えてあげるとも」

「いや、【操影の魔導書】なんて持ってねぇよ」

「馬鹿な!? じゃあ何の魔導書使いだというのだ!?」

「そりゃ、色々な魔導書を使ってるけど……」


 あまりに的外れな質問に、俺は何言ってんだこいつと思いながら言葉を返した。どういう意図の質問なのか、全く分からない。


 しかし宮廷魔術師には納得の答えだったのか、さっきまで苦しそうだった彼は急に破顔した。


「あぁ、なんだなんだ、ただの半端者か! 一冊の魔導書も極められない者に、私私の授業をどうこう言う資格はない。黙って見ていなさい」


 宮廷魔術師は安心しきったような表情で、意味の分からないことを言った。まさかこいつまで、魔導書は一生に一冊覚えるものとか思ってる口なのか!?


 反論は山ほど思いついたが、まだ彼について詳しいわけではない。俺は彼を訝しみながらも、黙って授業の見学を続けることにした。

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