でこぼこ

「お兄ちゃんおはよおおおお!!」

「げふっ!!」

「きゃはははー!! 朝ごはんー!!」


 その日からもう大変だった。


 朝は必ず自分の腹の上にダイブして起こしてくる。

 咳込みながら文句を言おうと思えばもうそこに居ない。朝食のほんわかホットケーキにたっぷりのはちみつをかけてぱくついている。

「いつの間に……」

「もごもごもごご、もごもごご!!」

「おーちゃん、ごっくんしてから喋りなさい! LIAR、おはよう! 早く席について。Raymond! LIARの朝ご飯聞いてくれ!」

 キッチンでホットケーキのおかわりを作りながらあれこれ指示をする。その内におかわり、おかわり! とホットケーキをせがむ少女にしがみつかれ、慌てて追加の分を皿に盛る。……Schellingの気苦労も絶えない訳だ。

「ハムエッグトーストとホットケーキと、どっちが良いですか?」

 Raymondが昨日と違い、微笑みながら聞いてくる。

 あれ、この人笑えたっけ。

「あー!! れいれい笑ったー!! すごーい!! ぶすってしてないね!!」

「昨日電池切れ寸前まで頑張ってみたけど、どう、おーちゃん!」

「べりぐー!」

「べりぐーか! よし!!」

 親指突き立て合いながらSchellingがミルクシェイクをがばっと流し込む。人工知能にとってのミルクシェイクは、人間にとっての栄養ドリンクみたいなものである。

 大変だ。本当に大変だ。

 ぼんやり思いながらハムエッグトーストを頼む。

「トーストの方です」

「はいよー! よーし、気合い入れちゃうぞー!」

 ……何だろう。何というかこの光属性ファミリーには付いていけない気がする。

 強い光の元では影がより一層濃くなるものだ。


 * * *


「お兄ちゃん、遊ぼー!」


「おーにーいーちゃーんー」


「お兄ちゃーん」

「うるっさいな!!」


 どこに行っても付いてくる。

 何をしてても付いてくる。

 しがみついてくるし、抱き着いてくるし、お人形を机に並べ始めるし、文字通り足引っ張ってくるし。

 正直、うざい。

「Raymondと遊べば良いだろ」

「れいれいは明日からお仕事だからだめだって」

「何で?」

「分かんなーい」

「……嘘とか口実とかじゃないだろうな」

「……うそ? こー?」

 首をこてん、と傾げる彼女に思わず呆れ返る。どういう教育をされればこんなに無知でいられるんだ!

「ちょ、Raymon――何してんの」

 堪らなくなって、彼がいるであろう研究室に飛び込むと机に向かって銃のメンテナンスをしていた。

 昔ながらのリボルバーである。よくこの年まで生き残ってきたものだ。今は作ろうと思えばレーザー銃だって作れるというのに。

「何でリボルバー?」

「博士が『浪漫』を知ってごらんと言いました」

「それで、リボルバー?」

「みたいです」

「……分かったの? 浪漫とやらは」

「いいえ、分かりません。漢字で書くのが良いのでしょう、きっと」

 微笑む。

「きっと違うと思うよ、それ」

「そうですか、すみません」

 また微笑みながら言う。ちょっと違和感を覚えて思わずつっこむ。

「あんた、無表情か笑うかしかできないの?」

「すみません」

「いや……自然な会話が出来てるだけ進歩だとは思うよ。思うし、あんた自身ではどうしようも出来ないことだろうから、何とも言わないけど……言わないけどさ」

 そこまで言うと彼はさっきの誰かさんみたいにこてんと首を傾げた。

 ――博士とは偉い違いじゃないかい?

 言いかけた言葉を飲み込んだ。


 分かる。分かるんだ。ホントは分かる。

 どうして感情を入れないか。――否、入れられないのか。

 その銃を見れば嫌でも分かる。いつかその銃で「クラリス」を崩壊まで追い込むのだろう。反抗してくる奴らを老若男女関係なく血塗れにするのだ。

 その為にはトラウマとか抱えない方が良いってこっ――


「お兄ちゃん、見ーつけたー!!」

「ガボッ!!」


 思考を遮る突然の襲来! もう勘弁してくれ……。

「遊ぼ! 遊ぼ! あそぼあそぼあそぼあそぼあそぼ……」

 お前は壊れたカセットか! ――しょ、昭和生まれじゃないぞ!

「ねー! ホラ早く早くー! こっち来て! おままごとしよ! れいれいはぶすってしてるからつまんないの!」

「きょ、今日は笑うじゃんか」

「でもすぐお仕事なの……つまんないのー!」

 そう言ってごろごろダダをこねだす。耳に突き刺さるキンキン声。心が既に五百本程折れていた。


 ……そうだ。


「宝探ししよう」

 ぽつりと言ったのも聞き逃さず、がばりと起き上がる駄々っ子。

「なになに!? たからさがし!? たからさがしって何ー!?」

「ほら。このお人形」

「あ! それおーちゃんの!」

「分かってるよ。で、これを今から隠すから、探し」

「それおーちゃんのうささん!」

 ……扱いが難しい。

 ひとまず返して今度は飴玉を十個ほど取り出した。

「じゃあ、このたくさんのアメ」

「アメをどーするの?」

「隠すから探してごらん」

「探すの!? 楽しそう!」

 さっきから言ってるじゃん。そんな言葉はごっくん飲み込み、そうだね、とか適当返しとく。

「見つけたら食べていーい?」

「良いよ」

「わーい、探す探すー!!」

「じゃあ目をつぶってて」

「はーい!」

 わくわくしながらゆっくり数え始めたHONERを横目にささっと隠して自分の部屋に閉じこもり、鍵をかける。

「いーい?」

 暫くしてから我慢できなくなったように聞いてくる。

「良いよ」

 大声でそう叫ぶと向こうの方から「よーし探すぞー」と可愛らしい声が聞こえた。昨日Schellingが言ったのは本当らしい。見ていたのではないかと錯覚する程ほいほいと見つけていく。……いや、実際見ていたのかもしれないが。

「全部みつけたー! 超簡単ー!! ねー、食べて良いー?」

 そこでやっと違和感に気付いたらしい。遅過ぎる。

「あれ? お兄ちゃんどこ?」

 わざと答えない。

 今度は飴玉探しではなく、お兄ちゃん探しが始まったHONER。どんなに探しても見つからなくて次第に呼ぶ声が涙混じりになってきた。

「お兄ちゃん! お兄ちゃんー!」

 最終的に自分の部屋のドアの前に辿り着くが、鍵がかかっているのに気が付いて涙声が更に激しくなった。

「あー!! お兄ちゃん鍵かけたー!! なんでー!? ねー、お兄ちゃん遊ぼうよー! お兄ちゃんー!!」

「お兄ちゃんは疲れた」

「早過ぎー! もっと遊べるー!! おーちゃん元気だもん!」

「お兄ちゃんの心が折れた」

 不愛想に返すと、ドアの向こうの雲行きが怪しくなってきた。

 そして――。


「わーん!! お兄ちゃーん!! わーん、わーん!!」

「LIAR! 泣かせたのかい!」

「泣かせてなんかない! HONERがしつこいんだ! 勝手に泣いたの!!」


 その後、お決まりの「お兄ちゃんなんだから」とか「頼むよ」とか不当に説教を受けた。

 なりたくてなった訳じゃないのに。血も繋がってないのにさ。SchellingはSchellingで、アイツが泣いた後にひょっこり都合よく現れて。

 イライラする。

 何だか不公平な気がした。


 * * *


 コンコン。

「お兄ちゃーん、あーそーぼ。あーけーて」

「お兄ちゃんは基盤いじりが忙しい」

「もうれいれいも出かけちゃったの。ぱぱもいそがしいって」

「お兄ちゃんも忙しい」

「でもぱぱがお兄ちゃん遊んでくれるって言ってたよ」

「それは嘘だ」

「うそ? うそってなーに?」

「間違ってるのだ」

「何でまちがってるのー? ねーねー、何でまちがってるのー?」

「――ああもう、うるっさいな!! あっち行ってろよ!」

 その瞬間、ドアの向こう側で悲しそうに少女が肩を震わせる様子が目に浮かんだ。何も言わず、足音だけが向こうに行く。

 妙に静かになった。


 次の日も。

 コンコン。

「いらっしゃーせー!」

「……」

 コンコンコン。

「いらっしゃーせー! うささん屋さんでーす!」

「……」

 コンコンコンコンコンコンコン……。

「……」

 わざと返事をしなければ彼女も諦めるようになった。

 でもドアの前で遊んでいる。こちらをチラチラ見ているのがいやでも分かる。

 本当に放っておいて欲しい。

 彼らが帰ってくれば毎日言いつけるし、その時は何だか気まずいからそっぽ向くしかないし。

 やっぱこの光属性ファミリーと僕とは絶対的に合わないんだよ、間違いなく。


 こんな生活が暫く続いて、それでもあの子は諦めなくて。

 そのまま二週間位が過ぎた。体調もかなり回復してきた頃だ。ある夜、ドタドタと慌ただしい足音が玄関から入ってきた。

 何かと思って身構え、ドアの隙間から様子を窺えば何と入ってきたのは血塗れのRaymondだった。

「Raymond!?」

 慌てて駆け寄るとSchellingが止めた。

「君は寝ていて。大丈夫だから」

「Roylott達? そうだろ、そうなんだろ!?」

「良いから。HONERが不安がる前に早く寝なさい」

「でも!」

「安らかな夜を。Bonum nocte.」

 LIARの小さな頭をそう言ってかき撫でてから、ボロボロのRaymondを支えつつ、いつかの処置室へと運んでいく。

 それでも気になって仕方ない。こっそり後をつけた。

 話を盗み聞くとあの「クラリス」に触発された母子がRaymondに襲いかかったとのことだった。父の失業と堕落はお前達のせいだと、コンクリートブロックで盛大にぶん殴られたらしい。しかし人工知能には再生促進部が標準的に備わっており、また、ボディーもある程度頑丈に作られている。

「反抗とみなし、射殺しました。証拠も死体も残していません、ご安心ください」

「……そうか。君にケガは無いかい?」

「ご安心を。ケガという概念は元より備わっていません。どちらかというと損傷、ですかね」

「あ、そう、だったね。――それで?」

「証拠隠滅の最中に『ファーレンハイト・クラリス』に見つかりました。そこで少しばかり抗争を。今回はそちらの方です。Roylott達の動きはまだ」

「抗争の被害は」

「相手方三名を射殺した所で渋沢に一発、メインシステムをやられました」

「大丈夫なのかい」

「大丈夫に作ったのは博士です。それと、そちら三名の死体もちゃんと片付けておきました。ご安心ください」

 微笑みながら答えた血塗れの人工知能。Schellingはそんな彼に向き直った。

「Raymond。少しずつ覚えていこうか」

「改まって何ですか?」

「……ね、Raymond。命って何だと思う?」

「我々で言う所のメインシステムのことです」

「そうだね。そして僕達はそこをどんなに傷つけられても、損傷がひどくなければ何度でも復活できるね」

「はい。画期的な発明だと思います」

 また微笑んで言った彼の肩を抱き、Schellingはかぶりをゆっくりと振る。

「そう、じゃないんだ」

「……?」

「人間ってね。命を喪失してしまえばそれまでなんだ。とっても脆いんだ」

「ええ。彼らのボディーも頑丈にすれば良いと思います」

「そうじゃなくてね。彼らは命尽きればそれまでなんだ。その瞬間に今まで積み上げていた物を全て失ってしまう。そこに人間は悲しみを覚えるんだよ。辛さも、悔しさも怒りも。沢山、沢山感じるんだよ」

「でも終わればそれまでです。そしたらまた新しい私が――」

「君には代わりがいても、彼らには誰一人としてそういう者がいないんだ」

 少し、勢いの混じった力ある言葉に口をつぐむ。

「良いかい、Raymond。人間ってね、繋がりの中で生きているんだ。どんなに相手が心の底で悪いこと考えていても、自分のことを利用しようと企んでいても、その関係は続いていく」

「そんなの、不利益ではありませんか?」

「そうだね。でも、人間ってね、それでも付き合ってみなくちゃ分からない。どんなに人からアイツは悪い奴だとか言われても、若しかしたら明日には変わっているかもしれない。ひとまずは一瞬でも信じてみることが大切なんだよ」

「それで殺されたり、不利益を被ったりすれば元も子もないではありませんか? そんな無意味な行為に何の意味があるのですか?」

「意味なんてものはないよ。それが人間と付き合うってことなんだ、Raymond」

「……」

 尚も首を傾げ続ける彼にSchellingは優しく笑みを浮かべながら言う。

「君が殺したあの母子、そして『ファーレンハイト・クラリス』の連中。彼らが良い人だって可能性を君は少しでも考えたかな」

「暴力的な彼らをですか?」

「そうだよ」

「考えたことはありません。反抗されれば排除するのみです」

「そうだね。そうせざるを得なかったのなら仕方ない。――でもね、良い人である可能性は絶対にある。寧ろ、僕達が助けるべき人である可能性もある」

「あるでしょうか」

「ああ、あるよ。だって、人間はいつもどこか見えないところで変化し続けているんだから」

「……変化、ですか」

「そう。だからね、Raymond。誰かが反抗してきたらまずは一旦立ち止まって、この話を思い出してくれないかな。そしてちょっとだけで良いから、彼らのことを信じてみるんだ」

「信じる……」

「大丈夫。君にはその頑丈なボディーがあるんだから、ちょっとやそっとのことで死にはしないよ。待つ時間は十分にあるよね」

 言いながら、ふふふと笑う。

 ノックした左胸がコンコン、といった。


「幸せのシナリオって、きっとこういうことだよね」


 呆っと見つめる彼の顔には慈悲が満ち溢れていた。Raymondには少なくとも持ち合わせていない感情。

 ちょっと欲しい、と思った。

「ね。分かったかな」

 Schellingがいつの間に取った彼の右手を両手で丁寧にさすり始める。

「殺すか生かすかはその後なんだよ、Raymond。ちょっと難しいことだけど、それをどうか忘れないで生きて」

「……」

「僕達だけでも誰かを少しは信じてみようよ。それが例え不利益を被るものであったとしても」

「……分かりました、やってみます」

「ありがとう、Raymond」

 先程LIARにやったみたいに自分の子の頭を愛し気に撫でる。その後、窓まで移動した彼はぽつぽつ、と独り言のように喋った。


「そう。繋がりの中にあるというのは即ちこういう事だ、こういう事なんだ」


「一瞬でも、誰かを無条件に信じようとすることだ、共に歩こうと努力する事だ」


「最後まで誰かの味方であり続けようとする事なんだ」


「忘れないでね、Raymond」


 それさっきも聞きました、なんてお決まりの返事を聞きながらLIARはドアの前でうずくまっていた。

「お兄ちゃん、どうしたの? ねないの?」

 眠そうな目をこすりながらべたべたくっついてきたHONERを今日だけは抱き上げて、こっそり処置室から離れる。

 そうして寝かしつけながらさっきの彼らの言葉を反芻していた。

「……甘ったるいよ、そんなの。今更、善人ぶって」

 反芻しながら自分達の人生を狂わせてきたあのエメラルドグリーンの瞳を思い出す。カイを人間でなくしてしまった、あの日。楽しかった路地裏生活が全て崩れたあの日。孤児みなしご達を次々にかどわかされて行ったあの日。


 僕は、僕はそれでもあいつらが許せない。


 * * *


 次の日。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 待ってよ、どこ行くの?」


 必死に自分を追いかける少女をよそにゴミ山を歩く。

 紫の怪獣ロングパーカーにあの日のシャツ、ズボン、ブーツ。あの日の地図はここを指すものだった。これを利用すれば帰れるはず。

「ねえ、お兄ちゃん! お兄ちゃん!!」

「仕事に戻るの。邪魔しないで」

「でも! ねえお兄ちゃん! 待って! 一緒に遊ぼ! お兄ちゃん!」

「付いてこないで!」

 ついカッとなって、彼女を押しのけてしまった。

「きゃ!」

 ころりと転び、直ぐに涙目になる。

 一瞬気の毒になったが、構わず歩いていく。

「ねえ、お兄ちゃん! お外危ないんだよ! ぱぱが出ちゃダメって言ってたんだよ! お家に戻ろうよー! ねえお兄ちゃんー!!」

 振り返ることもなく、あの日のように軽々と鉄格子の門を越える。

 もうこの子と自分とは関係のない存在同士になるんだ。

 もうさよならだ。

「お兄ちゃん!」

「バイバイ」

「お兄ちゃん! お兄ちゃん待って! お兄ちゃんー!! わあああん!! お兄ちゃーん!!」

 いくら泣かれても叫ばれてもダダをこねられても絶対に振り返らなかった。

 そのまま少年の姿は見えなくなっていく。


 一方で取り残されたHONERは、どうして自分から彼が離れていってしまったのか分からなかった。

 遊んでくれない理由も分からなかったし、彼の使う難しい言葉も全て、全て分からなかった。

 ここから出ていってしまった理由も、逆に、こちらに来た理由さえ。

「お兄ちゃん……」

 ひとしきりぐずぐず泣いたがRaymondもSchellingも今日は不在だ。誰も来ない。

「わーん! お兄ちゃーん!」

 もう一回わんわん泣いてみたがそれでも誰も来ない。

 きっとこのまま真っ暗になるまで誰も来ない。

 それを思い出して急に不安になってきた。

 今までは誰かと一緒に居たので不安にならなかった。だが、ひとりぼっちとなれば別である。こんなことは初めてだった。


 暫く、鉄格子の門の向こう側を見つめる。


 急にあのトンネルの向こう側が気になってきた。


 * * *


 数分後。ゴミを集めて作られた小さな山が出来上がり、それを使って少女が鉄柵を乗り越えた。

 遂に少女が外に出た。

「お兄ちゃん待ってー!」


 危ない冒険が始まる。

(つづく)

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