襲撃

「もう、何が何だか分からないですー! わーん! 降参だけは絶対に嫌ー!」

 外に出るガラス戸に続く静かな廊下に千恵の声が響く。

 月が出て来た。外では木がごうごうと揺れている。

「落ち着けおーちゃん、見方を変えれば膠着状態だった事件が少しは進展したって事じゃねぇか」

「今更感!! 五年位前には進展してて欲しかったですー!」

「五年前なんて何も始まって無いだろうが!」

「ぴー!」

 静かすぎる周囲と相反してこいつらはやたら煩い。

「まあ……あいつの言っていたように渋沢大輝が首謀者って言うならその短すぎる期間の設定にも何かあるんだろうな」

「……」

「思えばその事件の捜査、あいつが全部取りしきってるんじゃないか?」

「まあ」

「推理も、使える情報収集も、期間の設定も……」

「そう言えばそうですね」

「ならあいつがやれば良いじゃねえか。何でおーちゃんの出動にこだわる?」

「……」

「一番引っかかるのは何故現場に行かせない……? おーちゃんに見せたくない物があるのか、それとも――」

「もうよしましょう。今はその時じゃありません! 何より、彼の元へ向かわなければです」

 何か言おうとした怜の言葉を千恵が遮る。

 その勢いに口をつぐむしかなかった。

「LIARさんはどこで待ってるんですって?」

「とは言っても約束の時間まであと二十分あるぜ?」

「良いんです、良いんです! ほら、教えて下さい!」

「んんん……外だってさ」

「よし、レッツらゴー! です!」

 元気よく歩き始める。

 その背中が持つ微妙な強ばりに向かって声を投げかける。

「余り強がんなよ」

「な、何ですか?」

 振り向きもせずに答える。

 声が若干震えていた。

「分かんなくなってるんだろ? どうせ」

「……」

「何もかも信じられなくなる前に奴と話して真実を得たいって寸法だろ」

「……」

「俺ぁ、無理だと思うね」

 その言葉に千恵がばっと振り返った。

 同時に振りかぶった拳を怜は難なく受け止める。

「……!」

「残念だけど」

「……、……ッ」

 拳が震える。

「普通の考え方で怪事件は解決できない。脱却しなきゃ」

「……それを今からしに行くんです」

 軽く俯いた彼女の表情を読み取る事は出来なかった。

 しかしその言葉から滲み出る悔しさは心の底に突き刺さった。

 眉をひそめる。

 そっと、拳を掴んでいた手を離した。

 突如自由になった腕は暫く空を彷徨った後、雫が絶え間なく垂れる目元を荒く、拭った。

「……行きましょう、彼が待っています」

 笑顔は作れない。

 彼女は壊滅的に嘘がつけない。


 階段を降り、駐車場に出た。

 澄んだ空気に月は輝き、この季節にしては妙に肌寒い。

 生白い満月が少し不気味だ。

「LIARさーん! 出て来て下さーい!! 出ないとぶちますよー!」

「物騒な事を言いなさんな。あくまで住宅地だぜ、ここは」

「いーいーんーでーすー! こらー! 出て来い怪人・変態小僧!!」

「女の子がそれを大声で言っちゃやべぇだろ……!」

「モガァ!!」

 千恵の口を何とか塞ごうとする怜に、それを回避しようともがく千恵。

 二人がじたばた暴れ回っている所に一人の少年が近付いてきた。

 それに気付いた千恵が怜の猛攻をさくっと逃れて彼の元に駆け寄る。

「あ! 遅いですよ、LIARさん!」

「俺達が早すぎるんだよ」

「もう、何処に行ってたんですか! ほら、こっちは周到に用意してきたんですから、さっさと――」


 そこまで言った時。


 急に眼前の少年が鉄パイプを振りかぶってきた。

 その様子がスローモーションになって目に飛び込んでくる。


 ――え?


「おーちゃん!!」

 怜は千恵を抱えて横に飛んだ。

 受け身の態勢を取って地面に着地後、急いで少年から距離を取る。

 逆光でよく見えていなかったが、よく見ると所々LIARとは違う格好をしている。

 ゆったりと大きめのパーカー、口元を覆うギザギザ歯模様のナプキン、頭には大きなゴーグル、下半身はスキニーパンツ。

 あらゆる点で彼とは対照的だ。

「だ……誰なんですか……? ってか何なんですか? 殺す気ですか!?」

「……さあ。見当もつかねぇな」

 二人が身構えている内に少年の後ろからどんどん人が出て来る。

 皆似たようなストリート風のファッションをしており、それぞれ手に物騒な武器を携帯している。

 それに千恵が頭を抱えた。

「もう何なんですかー! 混乱してきた! 出て来いLIARー!! 取り敢えずお前が黒幕だー!!」

「言ってる場合か!」

 そう叫んだのを引き金トリガーに集団がわらわらと襲いかかってきた。

「やっべ!!」

 怜は千恵を小脇に抱えて走り出した。


 総員十名程度……いや、もう少し少ないか。

 とはいえここで戦うには十分すぎる人数だ。多すぎれば互いに邪魔し合ってしまうし、少なすぎれば体術の使える千恵に押し切られてしまう。

 丁度良く囲める人数でしかも戦いに慣れている奴らを選り抜いて送り込んできたのだ。その上奴らの目的が全く見えない。

 厄介。その一言に尽きる。

「どうする……どうする……」

 怜の逃げる先逃げる先に先回りして金属バットやら釘バットやらが彼らの逃げ道を塞ぐ。

「れいれいさん! 降ろして下さい!」

「はぁ!?」

「私戦います! 全部なぎ倒して人の山の上で変態小僧を待ち受けてやりますよ!」

「まるで女王様だが……残念ながらあんたはお姫様だ。そんなの無茶すぎる」

「私を信じて下さい! 私は都市伝説グループ構成員です、委員長にり抜かれたエリートです!」

「駄洒落かな!」

「本気です!」

 彼女の瞳を一瞥した情報屋は長年の勘からこいつもこうなったら聞かないという事を理解した。

 ため息しか出ない。

「……どうなっても知らねぇぞ!」

「覚悟の上です、れいれいさんも助っ人頼みます!」

「俺にどこまで出来るかな!」

 素手二人対武装した十人弱。

 ――結果は言わずもがな。


 重い金属をモロに食らえばひとたまりもない。千恵はそれらをかわしながら攻撃パターンを探っていく。

 どんな人間にも癖という物が少なからずあるというものだ。それを探る事で心に少し余裕が出来る。

 脳筋だらけの都市伝説グループ構成員が出来る最後の頭の体操である。

 ――今の相手は右利き。連続で攻撃を叩き込む為に大ぶりになっている。

 という事は、こいつは相手が急に路線変更などをすると対処できないタイプだ。

 周りを仲間が固めているのが厄介だが、だからこそ上手く突ければ敵は総崩れする。

 ――×の字を描きながら大振りしてくる。ならば調子に乗ってきた時の振りとは反対方向に逃げれば一気にバランスを崩すはず……!

 手はずは十分整えた。

 後は実行に移すのみ。

 慎重に相手の動きを見極めて彼の体が調子に乗るのをじっと待つ。

 ――ここ!

 相手が自分から見て左斜め上から下に振り下ろす所を見定めて右足にブレーキをかけ、思い切り左に飛ん――


 ゴキ!!


 一瞬何が起こったのか分からなかった。

 前の方に勢い良くつんのめってコケる。

 腰に骨が砕けたような痛みが走り、瞬時に全身を這うように伝わる。

「グ……!」

 ――腰を打たれたんだ!

 距離的に先程バットをぶん回していた奴の仕業である。

 ――思考が……読まれてる?

 息苦しさの蔓延する不自由な体で何とか立ち上がろうと這い回る。

 先程の打撃が本気でなかったのが不幸中の幸いだ。本気だったら確実に中枢神経がやられていた。

 それに気付いた仲間の一人が金属バットを弄びながらこちらに歩いてくる。

 ――逃げなくちゃ、逃げなくちゃ!

 振りかぶった。

 恐怖がどろりと心臓付近になだれ込んできた。全身に寒気が走り涙がじわりじわりと溢れ出してきた。

「おーちゃん!!」

 別の場所で何とか応戦していた怜が力を振り絞って、そこいらにいる輩共を薙ぎ払い振り下ろされるバットと千恵の背中の間に滑り込んだ。

 そのまま千恵を抱きしめたまま転がり、そこで待ち構えていた第二波を寸での所で避ける。

「おーちゃん、大丈夫か?」

「……ッハァ、ハァ……、……な、何とか」

「俺に体を預けろ。苦しいだろうが我慢しろよ」

 力無くカクカクと頷いて返答とした。

 この状態で上手く逃げられるはずがない。千恵の傷は軽傷だが、それはぎりぎり軽傷の範囲内だというだけの話だ。そんなに早く回復する訳がない。

 二人はとうとう壁際に追い詰められた。

 何とか立っている千恵を支えるように、そして庇うように抱き締めて辺りをギッと睨み付ける。

「おーちゃん、大丈夫だ。呼吸を整えろ」

「……ハァ、ハァ、だい、じょうぶです。れい、れいさん。私、まだやれます」

「馬鹿言うな! そんな体じゃまだ無茶だ、もう少し休め」

「やります……やらせて下さい」

 怜の腕の中でもぞもぞともがく。怜はそれを抑えるのに必死である。

 そんな彼らにとどめを刺そうと一番始めの少年が歩み寄ってくる。

 最後の歩をステップに変え、頭上から目下目がけて鉄パイプを思い切り振り下ろしてきた。

「れいれいさん……危ないです!」

 最後の力を振り絞り千恵が怜を突き飛ばした。

「……! おーちゃん!!」

 その頭蓋を破壊せんと言わんばかりの勢いで振り下ろされる鉄パイプ。


 ――大丈夫、大丈夫大丈夫……!


 ――大丈夫!!


 必死に自分に言い聞かせながら受け身の姿勢を取り、攻撃を受け止める為に眉間より手前十センチの所に腕を構える。

 しかし恐怖は消えない。

 思い切り彼女は目をつむった。


 その時だった。

 (つづく)

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