強者

「れいれいさん……危ないです!」

 最後の力を振り絞り千恵が怜を突き飛ばした。

「……! おーちゃん!!」

 その頭蓋を破壊せんと言わんばかりの勢いで振り下ろされる鉄パイプ。


 ――大丈夫、大丈夫大丈夫……!


 ――大丈夫!!


 必死に自分に言い聞かせながら受け身の姿勢を取り、攻撃を受け止める為に眉間より手前十センチの所に腕を構える。

 しかし恐怖は消えない。

 思い切り彼女は目をつむった。


 その時だった。


 ガキン!

 鈍い音がした――が、全く痛くない。

 耳元では静かな呼吸音が、目の前ではギリギリと何だか物騒な音が微かに聞こえる。

 ――え?

 強く閉じていた瞼を薄く開いた瞬間伸びてきた足が相手の腹に鋭い蹴りを食らわせる。

 その余りの激しさに少年の体は仲間達の集まっている所へまるで乱暴に投げられたボウリング球のように突っ込んでいく。

 何が起こったか全く分からずぽかんとしている千恵の胸元を何者かが――先程少年に蹴りを入れた何者かが優しく抱きしめ耳元に囁いた。

「怪我は無いか」

 その声色には確かに聞き覚えがあった。

 その温かな体温も、密着した際に香るその匂いも、背後から伸びるその腕がまとう服も、ほっそりと長いその指さえも。

 動悸が速まった。

 恐る恐る振り返りながらその名前を呼んでみる。


「ら……LIAR、さん?」

「良かった、相変わらずの馬鹿面だ」

 物凄い安堵が彼女の体を駆け巡った。


「ど、どどど、どうしてここに……!?」

「助けに来たに決まってるだろ。ちーが呼んだんじゃねぇか」

「はぁ!!? そんな事してな――」

「こんな大ピンチで『大丈夫』なわけねぇだろ?」

「……ッ!」

「言ったろ? 僕の能力に例外は無い」

「ううううう!」

「無理すんなって」

「ひ、人の思考を勝手に読まないで下さい! ってか近すぎです、離して下さい! それにここは私一人でも大丈夫なんです!」

「はいはいはい」

 自分の腕の中でじたばた暴れる千恵を面白そうに眺める。

 あれやこれやに加え、そんな事までされるから恥ずかしくてたまらない。

 千恵はそっぽを向いた。――と、その視界に、忍び寄ってくる別の少年の姿が映る。

 先程の蹴りを見たからか、いささか警戒しているようにも見える……が、殺意のようなオーラは十分たぎっているようだ。

「ら、LIARさん……!」

「それにしても何だこいつら」

「あんたが差し向けたんでしょうが……! ってか離して下さい! キテマス……!!」

「は? 知らねぇよ。何の話だ?」

「この紙切れ、LIARさんが入れたんでしょ……!」

 急ぎながら胸ポケットに入っていたあの果たし状を渡す。

「あん? んだこれ。誰が入れたん」

「あんたしかいないでしょうが! ってか離して下さいってば!! 迫ってきてる、迫ってきてる……!」

「con artists……へぇ、洒落てんなぁ」

「来てる来てる来てる……! キテル!!」

 もう結構近い。

「へぇ、モテモテじゃん。良かったね」

「腕に力込めんな! 仕込んでるのがLIARさんじゃないんなら、この状況のヤバさ、いい加減理解して下さい!」

 千恵がそう言った正に丁度その時、忍び寄って来ていた少年が武器を構えながら急に詰め寄ってきた。

 この速度と距離ではもうどうしようも無い。

 オマケに千恵を抱き締めて離さない馬鹿がいる為、しゃがんで避ける等も出来ない。

 終わった……。

 顔がサッと青ざめる。

「どうした、ちー」

「遅ぉい!!」

 そう言った時には斜め上から真っ直ぐこちらに向かって武器が振り下ろされている真っ最中。

「イヤァァ!」

 ――絶体絶命!

 そう心の中で叫んだ瞬間、体がぐるりと右側を向いた。

「……!」

 奥の方で怜が唖然としている顔が見える。


 その真反対では攻撃を避けた怪人の足が彼の顎を下から蹴り上げていた。


「え」

 ドサリ。

 力を失った体が顎の下を腫らして地面に倒れ込む音が聞こえた。

「な、何?」

 蹴りを入れた直後、驚きで身を固くしている千恵を背後に回し、目の前に対峙する少年らの顔をギロリと睨み付けた。

「叩き込み方が甘い。殺しはせずにこの子を人質に取ろうって寸法だろうね」

「どういう事ですか……!?」

「その果たし状の筆跡、見た事あるんだよね。……今は三階でこちらの様子を窺ってるお嬢さんの字に見えるけど」

 そう言って三階の窓の辺りを見やる。

 心なしか何かの影が動いた気がした。

「それって……? え、真逆……」

「誰か、執拗に『姿無き殺人』について聞こうとした人いなかった?」

「あ……」

 ――神代木霊。

「何かあるかもね」

「嘘……」

「まぁ、生憎だけど。この子は僕んだから」

「……、……え、は、はぁ? 誰が貴方の物ですか!」

 背後でぎゃあぎゃあ騒ぐ千恵の方をぐるりと向いてその口に人差し指をそっと押し当てた。

「僕の人質だ。あいつのじゃない」

「……!」

「それにあんたの嘘をまだ食べてないし。そんな早々に取られたらこちらも面白くないしね」

「最初からそれが目的ですか!」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「うう……言ってましたけど……!」

「ならそういう事だ。大人しくしてなよ」

「んんん……」

「今度こそ絶対に守るから」

「……!」

 顔が赤くなるのが嫌でも分かる。

 目の前の薄い笑みがこの上ない程魅力的に見える。

「ヒュウ! かっくいいね」

 遠巻きに見ていた怜が茶化す。

「あん? 本心かよ」

「ははっ、本心に決ま――」

 そう言った瞬間グジャッというような妙な音がして怜の体が折れ曲がった。

 気付けば眼前にLIARの姿が無い。

「そういうの怜らしいや。ちょっと姿借りるよ。あんたの方が戦闘経験豊富だもんな」

「がハッ――!」

 すぐに彼は怜のうなじから半透明のゲルを取り出し一口に喰らった。

 そしてロングパーカーを脱ぎ捨てるとそこに彼の姿は無かった。

 千恵の瞳は見開くばかりで口からは驚嘆の吐息が漏れ出ていた。

 ――嘘を、食べた。


「さ、いっちょやりますかね」


 口元に僅かに残った嘘を親指で拭い取りながらニヤリと笑う。

 が今、ここに姿を現した。


「え? え、え? えええ??」

「ちー、これ持っとけ」

「へぼぶっ」

 LIARが脱いだロングパーカーを混乱している千恵の頭に被せるように投げた。

 見事頭に被さる辺り、慣れている。

 先程よりも強烈に温もりと匂いが彼女の鼻腔を覆った。

「怜、ちーを頼んだぞ」

「つつつ……勝手に嘘食べといて……それが人に頼む態度かよ」

 前がよく見えない千恵の体が不意に浮き上がった。そのまま肌寒い場所に移動した後、突如視界が開ける。――というかここでようやく被さったロングパーカーを(本物の)怜が取った。

 先程浮き上がったのは抱き上げられたのだという事をここでようやく理解する。

 今いるのはマンションの駐車場部分、怜が住んでいるであろう車の影である。(知っての通り、ここには沢山の車があるので、実際にはどれがどれかは分からないのだが)

 向こうでは物騒な暴力の応酬が飛び交っている。

「ななな、何が! 何があったのでしょうか!! どういう事なのでしょうか!!」

「落ち着くんだおーちゃん」

「れいれいさんが! レイレイサンガフタリ! フタリ!!」

「落ち着け」

「はい」

 ロングパーカーを後ろから被せるように着せると彼女はいとも簡単に落ち着いた。

「あいつが嘘食べるとこ初めて見たか?」

「初めて見ました。あんな事してたんですね……驚きやらドン引きやらで目が回りそうですよ」

「まあな。俺も久し振りに見たよ」

「ん? 最近は嘘食べてないんですか? 彼の『生』そのものだとか言ってたじゃないですか」

「良く覚えてんな、そんな昔の事」

「さっき作者が確認してきました」

「余計で際どい事は言わんでよろしいっ」

 頭がぽかりと叩かれた。

「じゃなくてさ……ここ十三年、あいつは人の嘘を全く食べてないんだよ」

「ええっ!? もう飢え死んでてもおかしくないじゃないですか!!」

「馬鹿たれ、あんな不味いの飯に出来る訳ねぇっつっただろ」

「あそっか……あ、だからありもしない詐欺師とかの噂が出回るようになったんですね! 納得です」

「お、分かるようになってきたじゃねぇか」

 ニヤリと笑んだ。

「何で嘘を食べなくなっちゃったんですか?」

「一つは打ちこまなくちゃいけない事が出来た、それにもう一つは奴自身の――」

 ガラン!!

 そこまで言った時遠くから飛んできたリボルバーが二人の直ぐ傍に転がってきた。

 以前彼が千恵に見せてきた38口径――とは随分形が違う。

 と、ここでリボルバー大好き人間(第二十三話『覚醒』を参照)怜がこの事件(?)に反応した。

「っつ、ぎゃああ! おい、何すんだ、LIAR!! 傷が付いたらどうすんだよ馬鹿たれ、大事に扱え! それにこの『ナガン改』、どうやって俺の懐からすりやがった! 俺の大切なカワイコチャンだぞ!? オイ!!」

「変身したら入ってたんだから仕方ねぇだろ! そんなヘンテコな特殊拳銃危なっかしいから返しとくわ!」

「ヘンテコじゃねぇよ、カワイコチャンだよ! 『ナガン改』は俺のカワイコチャンなんだよ!!」

 興奮して叫ぶ怜をよそに千恵は車の影からそっと彼の怪人を見た。

 随分と余裕に見える。

 あんな人数に囲まれていながら。数多の武器が彼の周りを舞っているにも関わらず。

 あんな冗談を言う事が出来る程なのだ。彼の底知れない実力を測りきれなくて千恵の喉が静かに波打った。

「れいれいさん……彼は何者なんですか」

「ん?」

「あんな状況下であんな攻撃をひらひらかわすなんて……」

「ああ、あれ、俺の力だよ」

「ああ、なるほ……うんん?」

 情報の供給過多に頭がパンクしかける。

「何か納得しかけましたけど、それって一体どういう事ですか?」

「嘘を喰う時に相手の全てを知れるって説明したよな?」

「はい」

「その為に変身できるとも言ったな?」

「はい。改めて凄い能力だと思います」

「それはいわばコピーだ。何もかも……声色、髪色、身長体重……ありとあらゆる全てをその身に反映する事が出来る」

「それじゃああの身体能力も……?」

「俺のコピーだ」

「まるでカー◯ィですね!」

「それを言っちゃあ物理的にこの話がお終いになっちゃうから止めような」

「はい!」

「それにしてもよぉ……持ち物まで反映されるって所がちょっと厄介だよな。そんな事されたら世界に一丁だけの俺のカワイコチャンが量産できるって事になっちまう」

「カワイコチャン……?」

「『ナガン改』な。俺が若い頃に警察の捜査に役立てて欲しいと思って開発した拳銃だ。――まあ、余りに構造が複雑かつ特殊すぎて量産出来ないやら修理が俺にしか出来ないやらで結局没になったんだがな」

「へぇ、れいれいさん、拳銃も作れるんですね!」

「まあね。リボルバーは俺の趣味――いや、趣味通り越して最早相棒だ。こいつがいれば俺は何だって打破できる」

「格好良い……! で、その『ナガン改』ってどんな拳銃なんですか?」

「凄いぜ? 技術の全てを注ぎ込んだ俺の超大作。元々あった『ナガンM1895』っつう回転式拳銃があるんだけど、それの弱点である『専用弾を使わなければ使用不可』っつう所と『旧式リボルバーの特徴だった弾を一つずつ込めたり出したりしなきゃなんねぇ』っつう所を改善したんだ。言うなれば汎用性の高まった特殊拳銃と言える。それが『ナガン改』だ」

「……つまり要約すると!!」

 相変わらずである。既に阿呆の極みのような顔をしている。

「そうだな、難しかったな。ええと、つまりは……日本の警察も使ってる.38スペシャル弾に対応したサイレンサーの使える拳銃っつうこった」

「サイレンサー……って何ですか?」

「消音器。銃を撃った音を出さないようにする為の道具だよ。リボルバーはこのシリンダーのせいでサイレンサーが意味を成さないっていう弱点があるんだが、この『ナガン改』は一味違う。――見せてやろうか」

 そう言うなり怜は手に持つナガン改に弾を込め始めた。

「装填弾数は六発。これは俺の単なる好み」

「な、何してるんですか?」

「何って、本物の力をあの偽物と暴漢共に見せてやるのさ。――これをあいつが投げてきたってのはそういう事だ。見せつけろって言ってる」

「分かるんですか?」

「ああ。あいつとはかれこれ十四年位のお付き合いだからな」

 シリンダーを戻し、撃鉄を起こしたところで向こうの偽物の口元が吊り上がったように見えた。


「さ、目にもの見せてやる」


 ――私を囲んでいるのは明らかな強者。

 アクション映画のようだとも思わせる程の圧倒的な目の前の光景に千恵は息をすることも忘れてしまっていた。


 その影に悪があるとは到底思えない。

 それ程彼らの姿は輝いて見えていた。


「少し昔なんかは文武両道のRaymondなんて呼ばれたもんさ」


 怜の長い人差し指が引き金を引いた。

(つづく)

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