データ奪取(窃盗)大作戦

 ギギイィィ……。

「こーんにーちはぁ」

 おどろおどろしいトーンにLIARの肩が思わず震えた。

「心霊現象ごっこ?」

「遊びに来ただけですぅ」

「……なら帰れよ」

「嫌ですぅ」

 あからさまに嫌そうな顔をするLIAR。

 構わず入る千恵。

 自らソファーに座っていく。

「何、またお茶飲みたいの」

「LIARさんのは信用できないんで良いです」

「いつもあんなの混ぜるわけないだろ」

 眉間にしわを寄せながら言う。

「それはどうですかねぇ。次は違うの入れてくるんじゃないですか?」

「さてね。……それとも」

 不意に千恵の背後に移動しながら彼女のポニーテールに長い指で軽く触れる。

「今日こそ嘘を――」

「ぶん殴りますよ?」

 何か言おうとした矢先に持っていた水筒を笑顔で振り上げる千恵。

 余りに暴力的なそれに、思わず身を引いたが、直後、きょとんとして尋ねた。

「はん? 何じゃそりゃ。お茶対策?」 

「お土産です」

「斜め上の回答だな」

「ドーナツと一緒にお茶でもいかがですか?」

 にこにこしながら鞄から他にリングドーナツのパックも取り出したのを見て、LIARはげんなりしながら彼女に問う。

「もしかして……それだけの為に?」

「真逆ー! ちゃんとお話もしますよ! 姿無き殺人について幾つか質問があるんですよー! ……コップどこですか?」

「おい、勝手に話を進めるな」

「良いじゃないですか! ただのストレートティーですよー!」

「……」

「丹精込めて淹れました!」

「……お前が?」

「委員長が」

「却下!!」

「何でですかー!」

 目を見開いて顔に縦線を入れたLIARに千恵がきゃんきゃん問う。

「言っただろ! あんたんとこの委員長は恐ろしい奴だって!!」

「あ! そう言えばUSBの件、嘘だったんですね!? 酷いです!」

「今更何言ってんだよ!? 敵にあんな大事そうな物について教える訳ねぇだろうが! ――ってコラ、話を逸らすな!」

「やっぱりー!」

「兎に角……! その紅茶をここで広げるな。ドーナツもだ」

「えー! 良いじゃないですか! 委員長がたっぷり『ゲザイ』入れといたって伝えてってにこやかに言ってましたよー」

「はっきり死刑宣告してんじゃねえよ! 兎に角! その! 紅茶は! ここで! 広げるな!」

「ところでその『紅茶を広げる』ってどういう状況ですか?」

「う、うあああ! お前は話をややこしくする天才だな! 方言みたいなもんだよ!」

「……そんなに怒ったら脳の血管ぶち切れちゃいますよ?」

「全ッ部お前のせいだよ!! 兎に角貸せ!!」

「あ! ちょっと! 返して下さいよ! 仲良く一緒に飲んでね、って言われたんですー!」

「うるせぇ!」

 散々言い争った挙げ句、水筒をひったくったLIARは千恵にひったくり返される前にシンクに委員長特製紅茶をぶちまけた。

 透明な美しい赤茶色が漏れなく排水口に吸い込まれていく。

「あー! 勿体ない!! ……折角美味しそうな匂いしてたのに」

「お前の感覚はどうなってんだよ。下剤だぞ? 下剤」

「……ゲザイって新種のお砂糖じゃないんですか?」

「お前本当に良く生きてるな!!」

 我々はこのツッコミを以前どこかで見た事がある気がする。

「はぁ……仕方ないですね」

 楽しみにしていた委員長特製紅茶を早速ぶちまけられてしまった千恵はそう言いながら鞄から新たな水筒を取り出す。

「おい……まだあんのかよ」

「もう捨てないで下さいよ!?」

 もう恐怖を通り越して若干引き気味のLIARに対し千恵は水筒を庇うようにしながら言った。

「私の私物です!」

「……あんたの?」

「そうですよ!? 丹精込めて淹れたんです」

「……あんたが?」

「当たり前じゃないですか! ――あ、そっか。これを代わりに使えば良いんですよね!」

「……何に」

「え? だからさっき捨てられた紅茶の代わりに」

「……どうせまた毒入ってるんだろ?」

「えええ!? 捨てるんですか!? 私のブラックコーヒー……!」

「……!?」

「私も飲むのに……毒入りだなんて……酷いです……」

「……ッ」

 有無を言わさずザバッと排水口に紅茶を流した数分前が彼の頭をよぎる。

 唐突に彼女が可哀想に見えてきた。

「私のコーヒーじゃやっぱり駄目なんでしょうか」

 潤んだ瞳にたじろぐ。

「そ、そうは言ってないだろ」

「でも……毒とか何とか言ってたじゃないですか」

「それは、前例が前例だっただけで」

「飲んでくれないんですか……?」

 冷や汗が止まらない。

 潤んだ瞳の圧も止まらない。

 数十秒の沈黙の末、遂にLIARが根負けした。

「……、……分かったよ。コップと砂糖持ってくる。その代わりそこで大人しく待ってろ」

「あれ? 砂糖無しで飲めないんですか?」

「悪いかよ」

「かーわいい」

「煩い」

 彼は台所に潜るとすぐに二つのコップと砂糖が入った例の細長い紙の袋が沢山入った紙コップを持ってきた。

「ほら、これ使え」

「サンキューであります!」

「急に馴れ馴れしいな」

「良いじゃないですか。――ってわああ! 可愛い! 兎さんじゃないですか! しかもピンク!」

 千恵が二つのコップを持ち上げ、目を輝かせる。コップには可愛らしいピンクの兎が数匹跳ねている様子が描かれていた。

「好きなんだろ?」

「あれ? 何で分かるんですか?」

「鞄のストラップ、前言ってた良く分からない約束の仕方……容易に想像がつく」

「流石ですねー。あ、コーヒーつぎますね」

 とぽとぽと二つのコップにコーヒーが並々と注がれる。

 漆黒の艶のある液体が月の浮かぶ夜闇を思わせた。

 コーヒーのあの良い香りが部屋に広がる。

 LIARはすぐに砂糖を二袋分流し込み、ぐるぐるとかき混ぜた。

「お話の前に是非飲んでみて下さい! 前言ってたUSBについてちょっと話したいのですが、何せ質問が多いもんですから」

「後でも良いだろ」

 そう返答した瞬間、先程の潤んだ瞳が彼を見つめた。

「話が長くなって、最終的に飲まなかったねで捨てちゃうつもりなんじゃないですか……?」

 すっかり不信感の塊と化した千恵の表情に溜め息をつく。

「分かったよ……飲む飲む」

「どうですか?」

 わくわくして瞳を輝かせる千恵を横目で見てから彼女特製のコーヒーを喉の奥に流し込んだ。

 口いっぱいにコーヒーの香りが広がる。

「ん、意外と上手じゃ――ん!?」

 褒めかけたが、瞬間腹を押さえる。

 千恵の笑顔が「してやったり」と言わんばかりに花咲いてゆく。

「て……テメェ」

 ギュルルルル。

 下腹部から嫌な音がした。

「私、実は下剤の意味、知ってるんですよー」

「渋沢だな!!」

「演技指導して貰いましたー!」

 他に例を見ない程の正直者の性格がここで役に立った。

 台本を読むだけであれば、彼女に罪悪の感情は起こらない。しかも彼女は子どものような純粋さの持ち主である。敵を簡単に出し抜けると知って何もしない程好奇心の枯れた人間では無かった。

 ……で、今に至るわけである。

 苦しそうに腹を押さえるLIARと対照的に嬉しそうにぴょんぴょん跳びはねる千恵。

 その瞬間の僅かな揺れさえ腹に響く。

「おい揺らすな!」

「早くおトイレ行ったらどうですかー?」

「ぐ……!」

 すぐそこのトイレに飛び込みたいのは山々だが、女性の居る手前自分のメンツは守りたい。

 しかも相手は敵である上に背後には皮肉の帝王が居る。ここで変な弱味を握られるわけにはいかない。

 プライドと体調を天秤にかけ、プライドが僅かな差で勝った。

「クソ……! そこで大人しくしてろよ!? 何にも触れるな、すぐ戻る!」

「くそだけに?」

「女性がそのネタ口にしちゃだめだ! ……じゃなくて! トイレ……!」

「お大事にー!」

 もう面目は丸つぶれているが、それでも僅かな理想やプライドだけでも守りたい彼は自らのねぐらを留守にした。

 データを奪取するにはまたとない良い機会である。

 千恵は五台のコンピュータが並ぶタンスの前に静かに歩み寄りながら徐に海生達に携帯電話で連絡を取る。

「ひとまずLIARさんの追い出し、成功しました」

『知ってる。――じゃなくて、やれば出来るもんだね』

「これ面白いですね! 何て言う作戦でしたっけ……えっと……しゃったー……」

『「シャット・ザ・ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」。先に大きな要求を拒否させた上で小さな要求を通りやすくさせるって方法。千恵は別に覚えなくたって良いよ。それより、奴が出てくる前に早く』

「は、はい。あ、でも、委員長はこの下剤は象でも一時間はトイレに閉じこもる程強力な物だって言ってましたよ?」

『技術を過信するな。……取り敢えずその部屋の中にあるコンピュータのデータ、全部かっさらえ』

「御意にござりまする!」

『しー! しー!』

 モニター横の本体にUSBメモリをどんどん挿していく。

 USBメモリ表面のライトの点滅が終わったら抜き、次の本体に挿し、ライトの点滅が終わったら抜き……これをひたすら繰り返す。

 一台目から四台目まではそこまで時間はかからなかった。

 しかし五台目はデータの量が違うのか、それともセキュリティがかけてあるのか、良く知らないが少し時間がかかる。

 いつまで経っても点滅が終わらない。

 待っている時間に少し飽きてきた千恵は周囲をちらちらと見回し始めた。

 ――と、五台目のコンピュータのすぐ下、タンスの一段目の引き出しが少し開いているのに気が付く。

「……何だろう」

 引き出すとそこには瞳の濁った彼には似つかわしくない物が転がっていた。

 焼け焦げてぼろぼろになった小さな兎の縫いぐるみと、とある少女をスケッチした小さな一枚の画用紙である。

 千恵はその二つに理由のない妙な懐かしさを感じた。

 縫いぐるみの左耳に縛り付けてあるリボンを撫で、綿の飛び出た腹を押すと、ちょっと音は悪いが「きよしこの夜」のオルゴールが流れた。

 その曲を聞きながらスケッチを手に取る。

 大きな瞳に栗色のセミロングヘアー。無邪気な可愛らしい表情の下に剥き出しになっている彼女の右肩には大文字の「H」とその下に小さな文字が刻印されていた。

 それを見て彼女の目が見開く。

「わ……たし……?」

 その時。

 スケッチに夢中になっていた彼女は気付いていなかった。

 背後からゆっくりと、音もなく忍び寄る一人の男の気配に。


「動くな」


 瞬間自身の首に回された左腕と顔の付近でギラギラと光る刃に千恵は思わず息を呑み、汗を流した。


 LIARである。


「何をしていた」

 千恵の心臓が早鐘を打ち始めた。

(つづく)

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