特殊能力
「さ、特殊能力の話だったな! 全部くれてやるよ。さ、長くなるだろうからそこ座れ」
怜は間違いなく興奮していた。
千恵は顔面に困惑の色を浮かべながら示されたパイプ椅子に腰掛けた。
「あ、こっちのスポーツカーの方が良いか?」
「え、あ、い、いや、そういうのは、特にないです」
「そうか? ふかふかだぞ?」
「い、いえ、遠慮しておきます」
「そうか。まぁ、ここにある車全部俺のだから好きなのに座りな。遠慮はいらないから」
「へ、へぇ、それは凄い」
慣れない扱いに体が妙にこわばった。膝は無意識に、自身の体を守るように互いをかばい合い、変な居づらさが手足の指をこまごまとうごめかせた。
しかし彼は千恵のそんな様子にはお構いなしで、自身は小さな軽自動車の運転席にどっかり座って煙草をふかし始めた。
煙と一緒に流れるような言葉が口から零れ落ちた。
「さて、どこから話すかな。――なんたってさ、奴を知るマニアが何人も俺ンとこに来たけど誰も奴の情報買わなかったんだぜ。だからこうやって話すのは久し振りなんだよ」
そう言ってクヒヒと笑う怜。その顔から、彼の脳裏にマニア達の絶望した顔が浮かんでいるのであろう事は簡単に推測できた。
「その人達も金欠だったんですか?」
「さぁな。ただ一つ確かなのは値段は俺が決めるって事だ」
「……一番高くてどの位まで跳ね上がったんですか」
自身に向けられた真剣な眼差しを怜は煙草をくわえながら面白そうに一瞥した。
「肺なんて軽く飛び越えたさ。奴三人分の人生と交換出来る程の貴重な物もってこいって、こうやってさ……!」
スチャ!
千恵の心臓を怜の拳銃が真っ直ぐ捉えた。条件反射で千恵の両手が肩の辺りの空に移動する。
しかし撃ちはしない。撃つ真似だけして大人しく銃を下ろす。
「あぶくを吹いて逃げてった」
「可哀想」
「何とでも言えよ。俺は
「……」
「おーちゃん、あんたには特別安くしてやったんだ。普通ならウン千万は下らない。さっきも言ったように、これは人の売り買いだからな。その時は大分気分が良かった。すこぶるラッキーだったのさ。――さて、無駄話はこれ位にしてさっさと本題に入ろう。あんた、奴についてどれ位知ってる?」
「LIARの話す事柄は八割以上は嘘である事、人の背後に瞬間移動する事、他人の嘘を完璧に識別できる事、それとあと良く分からないのですが、嘘を食べるという事です」
「ん? それだけか?」
「え?」
「いや、あと一つ知ってるだろ? お試しセットの中にもう一つ入ってたはずだけど……もしかして忘れたのか?」
千恵が分かりやすく焦る。
「え? えっと? あー、そのぉ??」
「バレバレだ、ばかちん」
「ス、スミマセン!!」
「良いよ。そーゆー日もある。あと一つは嘘発見器で嘘が見つからない、だ」
ああそれだ、と手をぽんと打ちそうになって、いや待てよ? と手を止めた。
「……ん? それはおかしいです」
「何が」
怜があからさまに顔をしかめた。
「俺の情報に嘘はねぇ」
「でもゆめちゃんは反応しました」
「ゆめちゃん?」
「あ……っと、これです」
千恵は一瞬ためらったが、ゆめちゃん二号機を怜に見せた。
彼は既に煙草の吸い殻で溢れかえっている車の灰皿に吸いかけの煙草を強引にねじ込み、千恵の元にすたすたと駆け寄った。興味はあるらしい。濃い煙草のにおいが千恵の鼻をついた。
先程までは感じなかったにおいだ。
「超小型嘘発見器です」
「ふーん、良く出来てるな。……ここがサーチアイか。荒削りだが良く出来てる。――たこの足は10本!」
しん……。
「せーりてきな何とかがいじょーになったらバイブレーションするらしいです」
「ふむ、事実とは違う事を言うタイプの『嘘』は嘘に入らない訳か。矢張り奴には遠く及ばないな」
ありがとうと短く言いながらゆめちゃん二号機を返す。千恵は丁寧にそれを鞄につけ直した。先程の煙草の火は消えていた。
「どういう事ですか?」
「奴は、さっきおーちゃんも自分で言ったように『他人の嘘を完璧に識別』する。嘘は彼の眼前で発せられれば全て見破られる。さっきみたいな安直な物でも難解な世界の秘密でも、嘘であれば彼の前に等しくひれ伏す」
「難しいです……」
「要はだね、おーちゃんの持ってる嘘発見器は完璧じゃない。それを提供してくれた人は多分『生理的反応の異常な動き』って言ったんだろう。故にそれは動揺をも読み取る」
「嘘以外にも反応するって事ですか?」
「そゆこと。例えば……そうだな。ちょっとそれの電源入れてみてよ」
「は、はい」
膝の上に置いていた鞄に付いているゆめちゃん二号機の腹を長押しして電源を入れる。
「できまし――」
顔を上げた瞬間眼前に怜の顔が迫っていた。
「……ヒッ!」
後ろにひっくり返りそうになる千恵のパイプ椅子の足を勢い良く踏んで、千恵をその場に留める。
「れ、れいれいさん!」
右手は背もたれにかかり左手は千恵の右頰を撫で、顎の下に滑った。
「俺をよく見て」
「わ、わわ、わ……」
顔が更に迫る。見下ろす様な彼から煙草のにおいが更に香った。
顔が紅潮するのが嫌でも分かった。心臓の鼓動が耳の中で響く。変な汗が胸の辺りでじわりと滲んだ。
「わわわわわ! 勘弁!」
怜の胸を、顔を絶え間なく近づける彼を拒絶するように押し、千恵は横を向いた。
ヴーヴーヴー!
途端にハッと目が覚めた心地がした。
ゆめちゃん二号機のバイブレーションである。
今までのそれは夢だったのか、目を強くつぶって震えている千恵の傍にもう怜は居ない。バイブレーションしているゆめちゃん二号機をさっきの運転席に座りながら手の内で弄んでいる。
いつの間に……。
千恵はその切り替えの速さに顔を赤らめながらぽかんとしてしまった。
鼓動はまだ鳴り止まない。
チラリと見える怜の首筋にまだドギマギしている。
「ほらね、おーちゃん。この様にあんたの動揺さえも嘘と捉えてしまう。この機械が全ての嘘に決定的な効力を見せつける訳では無いって事を証明する良い例じゃないか。しかもあの化け物に至っては特にな。これは実は遥か昔から言われていた事でね、デ・キロスって偉い人は、こういった『心理試験』は『拷問と同じように無実のものを罪に陥れ、有罪者を逸することがある』なんて言ってる。――どれ程奴が正確な嘘発見器であるか分かったろ?」
「……もう何が何だか分からないです。何を信じたら良いのでしょうか」
「まあ聞け。そうやって嘘をLIARが認知するとその嘘は多くの事に応用される。例えば大輝が姿無き殺人の要と言った瞬間移動」
「え、れいれいさん委員長の事知ってるんですか?」
「俺だけじゃないさ、二階に鎮座しているあの怪物も知ってる」
「LIARさんも……?」
海生が語ったあの推測が頭をよぎる。
まさか、ね。
「俺達二人の五回分の人生位世話になったからさ、彼には情報を格安価格で売ってるんだよ。――まぁ、あいつは大輝の事を余り好いてないみたいだが」
「そうだったんですね」
「さて話を戻すが、実は大輝のあの推理には穴がある」
「穴?」
「確かに奴は瞬間移動が出来る。しかし嘘を吐いていると認知できている人の背後にしか移動できない。しかも対象が嘘を吐いている間に、瞬間移動が出来なければ失敗する」
「ええっ!? そんなの……」
「そう、ほぼ無理だ。成功率を上げる為、LIARは情報の収集にはちょいと改造した自分のスマホを使ってる。簡単に説明すると警察の無線なりラジオの放送なり、電波に乗ってる情報ならば全て知ることが出来る。だがあの被害者はどうだ。張本倫太の名前が世間――とは言っても『警察の無線』なんていう小さな世間だが――にようやく出るようになったのは事件発覚後。事件発生当時、彼の名前が、嘘が電波に乗るような瞬間はあると思うか」
「……そんなのあり得ません」
「もし仮に成功したとしても逃げるアテが無い。瞬間移動にも少し時間がかかるしね。よって動画に映らない程の瞬間移動は不可能。更にもう一つの可能性、あの防犯カメラの死角で犯行を行ったという可能性について考えてみても、あのビルの内部構造は三階建て、一階辺りの段数は20。3×20で60段。一階分登るのに20段ならば約15秒位が妥当だろう。とすれば15×3で45秒。焦りに焦って鍵をかけるのに15秒程度かかったとしても約1分で現場に到着する。つまりLIARは1分以内にスマホを起動させあらゆる情報の波の中から自分に一番都合の良い場所を選び取り、そこから嘘を吐いている人を特定し、それから飛ばなければならない。現場の後始末を行わなくてもそんなのには確実に一分以上かかる」
ふと、千恵からの反応が消えて、怜はチラリとそちらを見た。
いかにもアホな顔をしてぼけっとしている。
「おーちゃんに算数は難しかったか?」
「……」
ギャグ漫画ではここで涎を垂らし、虚空を見つめた目が道理に合わない距離をお互いに取るのだろうな、と怜は秘かに思ったりする。
「……要はな、瞬間移動の点から考えればどんなに考えてもLIARに姿無き殺人の犯人は無理だと言ったんだ」
「なるほどー!」
「理解力皆無か」
「……と、それは良いとして」
「良くない」
「これで取り敢えず、完璧に嘘を見分ける能力と瞬間移動の説明が終わりましたね。後の話す事柄の八割は嘘は良いとして、嘘を喰うって何ですか?」
「――お、メインディッシュだ」
怜が遂に来たと言わんばかりに笑みを顔全体に湛えた。
その様子に千恵の喉がこくんと鳴る。
「そうだな……じゃあおーちゃんはどうして奴が嘘を喰うと思う?」
「どうして? ですか?」
「ああ、そうだ」
千恵が目をつむり、うーんと唸る。
「……ご飯ですか?」
「あんなクソまじぃもん飯に出来るか」
怜の眉間にしわが寄った。
「まずいんですか? 私の嘘、物凄く食べたがってましたけど……」
「そりゃまずい代わりに、とんでもない恩恵が得られるからな」
「な、何ですか。じらさないで教えて下さい!」
「待て待て慌てるな。……あれはあいつの全てだ。あれがあいつの『生』であり、『存在価値』なのさ」
「……どういう事ですか?」
「まず、やつの食べる『嘘』は人間のここから出てくる」
そう言ってうなじをバンと叩く。
中身の詰まったボンという音が帰ってきた。
「これはほとんどの奴らは知らないが、人間の精神世界と外界を繋ぐ唯一の扉だ。故にこの中をいじっても人間の感情――つまりは精神にはいくらかのダメージを来すが、身体的にはほとんどダメージが無い」
「精神世界とは?」
「文字通り感情を司る世界さ。精神世界にはな、『喜』『怒』『哀』『楽』の感情がこうやって配置されてる」
怜は紙を取り出して、四つの円を四隅とした四角を紙に描く。四つの円の中には先程の話に出て来た「喜」「怒」「哀」「楽」の文字が一つずつ収まっている。
「それは器みたいになっててさ。その中に嘘は溜まってるんだ。――これが嘘な」
喜怒哀楽から一本ずつ線を引いて器のようにした後に、真ん中にぐじゃぐじゃっと黒い円を描いた。
「どんな味がするんですか?」
「サァ、食べたこと無いから分かんないけど……まず見た目は、酷い風邪を引いたときに鼻に詰まる厄介なタイプの鼻水」
「おえ」
「しかも大量」
「おげ」
「においは――」
「怜さん」
「何?」
「ギブです。きしょいのは良く分かりました」
「……残念だ」
残念がらないで欲しい。
「それで? その嘘をどうするのですか?」
「まずは背後に回り、うなじに手を突っ込む」
千恵の体がぶるりと震える。
瞬間的に昨日の事を思い出し、体が拒否反応を起こしたのだ。
「心配するな、実演するわけじゃない」
それに気付いたのか、怜が優しくそう言った。
「すると手にぬるりとした感覚が伝わるからそれを引っ掴んで引っこ抜く。それが嘘。ここまでに余り時間はかからないそうだ」
「何故?」
「嘘は日々肥大化するからさ。惜しみなく、淀みなく、迷いなく。その大小に関わらず人は毎日毎日嘘を吐き続ける」
「え、そんなの違います!」
「違う?」
「だって……嘘を吐くのは悪い事です。嘘は吐いちゃいけないってお父さん、いっつも言ってました。嘘は相手を困らせます、嘘は悪い人が使うものです。良い人は嘘を吐きません!」
「おーちゃん。それは独りよがりだ。この世に悪の指標なんて無いんだよ」
「でも……!」
「嘘は成長の証だ」
「多くの宗教家も作家も、嘘を吐くなと言っています!」
「おーちゃん、キミはそれで成長できているか」
怜の鋭い一言が場の空気を突き刺した。
沈黙が二人の間を流れる。
千恵は自分の正義が否定されたような気持ちがして、歯を静かに擦り合わせた。
「……失礼しました、話を続けて下さい」
「奴は標的から嘘を取り出すと、それを残らず喰らう。そうすると奴は違う人間の一部を自分の中に取り入れる事が出来る。……ここまでは分かるかい」
「えっと、あ、はい。――確かにそうですね、他の人の精神世界のものを食べてる訳ですから」
「そうすると奴は標的のあらゆる事を知れるようになる。その人の特徴、好物、嫌いなもの……究極的にはその人生まで。あらゆる事を知れるのさ」
「その情報の為に食べるのですか?」
「いや、これは単なるオプションに過ぎない。実はな、嘘を喰うと標的に変身する事が出来るようになる」
「え! 初耳です!」
「初めて言ったからな」
「凄い……姿形まで嘘となり得るなんて」
「その力を使って奴は多くの嘘を食い荒らしてきた。娘の振りをして大物政治家のうなじを狙ったり、迷子の少女を語って詐欺を働いた男のうなじを狙ったり……警察にも手を出した事があるみたいだぜ」
「それを彼は快感としていたのでしょうか」
「いや、どうだろうな。心の奥で多少は感じていたかもしれないが、それだけの理由では無かったみたいだ。――というのも、奴は自分のチカラをよく『革命の神より与えられし天使の力』と言っていた。……何か宗教めいた理由か、あるいは……」
「……国とかそういうのが関わってくるのでしょうか?」
「どうだろうな」
重苦しい沈黙が淀んだ空気に充満した。
「あの、れいれいさん」
「――ん?」
「彼の能力は、その、生まれつきですか?」
「……、……残念だがその情報は売ってないな」
妙な間があった。
ゆめちゃん二号機がまだ彼の手の内にあるのがちょっと惜しかった。
「藍色の液体を目から流して何かに凄く怒鳴っていたんです」
「聞いたよ。ありゃあ、奴のパンドラの匣だ。少しでも開けば、その隙間から藍色に変色した『嘘』が流れ出る」
「トラウマ……?」
「まあそんなもんだ。あいつはな、嘘を喰う為なら何だってする。奴の瞬間移動もその一つさ、あれは嘘を吐く人の背後に移動できるように身に着けた能力だ。奴が被っているロングパーカーだって、嘘を喰う為に必要だ。標的に頭から逆向きに被せてスクリーンを間近で見せるように幻影を見せるのさ――標的を混乱させて動きを止める為にな。しかも被せるまでの流れはとてもスムーズである上に、特殊能力を発揮しながら被せるから相手は被せられた事に気が付かない。……だがそれがああやって裏目に出る。一度パンドラの匣が開いちまったら、しとやかな嘘が彼の双眸を塗り潰し、艶やかすぎる程鮮明に奴のダメージをリアリティたっぷりに上演する」
「……」
千恵の胸がぎゅうと潰れるように痛んだ。
涙がほとりと流れた。
ほとり、ほとり、ほとほと。
「どうした、気分悪いのか」
「いえ……なんか、無性に悲しくなったんです。突然」
「大丈夫か」
怜は背中を優しくさすった。
「無理しなくて良いからな」
「ええ、大丈夫です。ありがとうございます。すみません。……他にはありますか?」
気持ちを落ち着かせてから、千恵はそう聞く。
怜はわざとらしく肩をすくめて答える。
「いや、もう、ない。これ以上奴の肺から酸素は出ないよ」
「そうですか。結構ボリュームありましたね」
「お役に立てたか?」
怜が場を一番始めの時と同じにっかりとした笑顔で千恵の顔を覗く。
「ええ、おかげさまで捜査が進展しそうです」
千恵も柔らかな笑みをこぼした。
「失礼ですが、今何時ですか?」
「ざっと……10時位か? ちょこっと時間が経っちまったな。あ、これ返すわ」
「あ、ありがとうございます」
ゆめちゃん二号機がようやく千恵の元に帰ってきた。
「――で? おーちゃんはこれからどうすんの?」
「一旦明治街役場の方まで帰ります。この情報を一旦海生さんに見せて、それから作戦会議を立てて、また来ます」
「そうか。なんなら送ろうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。これでも強いんですよ?」
「ハハハ……知ってるよ。昨日あいつを投げ飛ばしたんだって?」
「ええ! そうなんです! 背負い投げですよね!」
「誰から習ったの?」
「嗚呼、あれはですね――」
そう言いかけた時だった。
「千恵! その二人組! 投げ飛ばせ!!」
慌ただしい足音と共に三人の男がこちらに向かって走ってきた。
「あ、丁度あの人です」
「……何か、やばくないか?」
「ええ、やばそうですね……。投げます」
次の瞬間走ってきた三人の内の一人の体が宙を舞った。
(つづく)
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