情報屋

「こーんにーちはー!」

 バァン!

 203号室の扉が勢い良く開け放たれる。

 その向こうで優雅にコーヒーを飲んでいた青年がコーヒーを思い切り吹き出した。

「アッツ……って、もっと静かに入れないのか!!」

「何で怒るんですか?」

「逆に何で怒られないんですか?」

「分かんないです」

 彼はにぱにぱ笑いながらそう答える千恵の能天気な顔を見て

(諦められたんだな、納得)

と一人答えを出した。

「で? 今日は何しに来たんだよ」

「無論、証拠集めに」

 千恵はそう言いながら鞄の奥に丁寧に仕舞われた一枚の紙を取り出した。海生が昨日の仕事終わりに千恵が調べる物のリストとしてくれた物だ。――昨日の朝に彼から言われた「姿無き殺人の秘密裏の調査」に必要な情報が書かれている。

「へぇ、質問リストか。意外と真面目なんだね」

「海生さんがくれたんです」

「ほお。海生って誰?」

「海生さんは職場の先輩で……」

 そこまで話しかけてハッとなる。

「って質問するのは私です!」

 危ない危ない。これは海生さんとの秘密なんだ。誰にも知られる訳にはいかない!

「秘密って?」

「ああ、それはですね……ってぇえ!」

 ガシッ。

 細い腕がLIARの胸ぐらを掴み、もう片方の拳が固められた。

「いい加減にしてくれます?」

「口に出した挙げ句、乗っかるあんたが悪い」

 いつもと変わらないひょうひょうとした返事が返ってきた。

 振り上げた拳がふるふると震える。

「ま、まあ良いです。それじゃあ質問に答えてくださいね。勿論嘘は無しです」

 胸ぐらを物凄い精神力で離した。

「へえへえ」

「質問その一。貴方の特殊能力を全て教えてください」

「トップシークレット」

「その二。銃の使用経験は?」

「どうかな?」

「……その三。張本倫太から言われたとんでもない嘘とは?」

「やだ。思い出したくない」

 その瞬間約17,8行前と同じ景色が現れた。

「質問答える気あります?」

「好きな食べ物はポテトポタージュです」

 また拳がふるふると震えた。

 ぶっ飛ばして良いのならもうとっくにぶっ飛ばしているところだ。

 物凄い精神力で我慢する。

「何で答えられないんですか」

「……めんどい」

「それじゃあ答えになってないですよ。せめて一つだけでも答えて頂けませんか」

「んーそうだなぁ……。……」

 ここで気がかりな単語登場。

「え? え? 『』? どういう事ですか?」

「ん? ああ。下にね情報屋が住んでんの」

「し、下に?」

 下には駐車場しかないが?

「この後寄ってみれば良いよ。駐車場に停めてある車に住んでるんだ。今日は居ると思うけど」

 そこまで聞いて千恵の顔が青ざめる。

「え、ちょ、ちょっと待ってください。ってことはもしかして……私がさっきした質問の答え、皆売っちゃったって事ですか!?」

「奴は早いよ」

 LIARの口元に笑みが浮かぶ。

 ゆめちゃん二号機を一応確認するが、反応は全く無い。

 ――嘘じゃないのかぁ……。

 思わず頭を抱えた。

「来るとこ、間違えたみたいだね。いやぁ、千恵ちゃんとお話できなくて残念残念!」

 にこにこ笑いながら嬉しそうに残念がるLIAR。言葉と顔が矛盾している。

「それかあれだ。千恵ちゃんの嘘食べさせてくれるってんなら、特別に教えてやっても――」

「それだけは遠慮します」

「……」

 まばたき並の速度で拒否されたLIARは不服そうに瞳を濁らせた。

 しかしそれも一瞬の話。

 すぐに元の表情に戻りソファで大きく伸びをした。

「ま、僕に聞かないと分からない事が出来たらまた来なよ。待っててやるから」

「待っててくれるんですね?」

「5日間限定な」

 ぶっきらぼうにそう答えたLIARの眼前に小さな拳が伸びてきた。

「……何」

「満月のうさぎの誓いです。……知らないんですか?」

「……、……知らない」

 と、この瞬間ゆめちゃん二号機がバイブレーションした。千恵はそれに気付いたが敢えて無視しておくことにした。

「拳を付き合わせた後、人差し指と小指を突き出してうさぎみたいな形にして、相手の人差し指と自分の人差し指、相手の小指と自分の小指を付き合わせるんです。その後……」

「良いよ、面倒臭い。指切りげんまん位の簡単な契約に留めておこう」

 一瞬。ほんの一瞬だが千恵の眉が下がった。瞳が揺らぐ。

 その様子をLIARが見逃すはずはなかった。しかし敢えて無視した。

「分かりました。……約束です」

 千恵は先程の満月の代わりに小指を差し出した。

「僕は嘘は吐いても約束は破らない」

「それも嘘かもしれないですよ?」

「そうかもね」

 LIARが微笑みながらその小指に自身の小指を絡めた。

 それを見て千恵はくすぐったいようなおかしなような不思議な気持ちになる。

「すんごいスピードで見つけてきますからね! 覚悟しといてくださいよ!?」

「はいはい」

「待っててくださいね! 絶対ですよ!」

「はいはいはいはい」


 * * *


「……ここに居るんですよね?」

 LIARと別れた千恵は彼の部屋のすぐ下にある駐車場に来ていた。

 確かに車は何台か停まっているが……情報屋らしき人物は見受けられない。

 試しに呼んでみる。

「情報屋さーん……居ませんかー?」

 ……、……。

「情報屋さーん?」

 ……、……。

 返事はない。

「留守、でしょうか?」

「留守じゃないですよー」

 ――!!?

「どわわわわっっ!」

 思わず尻餅をついてしまう。

 びっくりした。とてもびっくりした。

「大丈夫かい? お嬢さん」

 大きく広い手を差し伸べてきたのはぼさぼさ頭にあごひげをちょびちょびと生やした三十代位の男だった。

 エメラルドグリーンの瞳が少し異様な雰囲気を醸し出している。――それが大輝の事を思い返させた。

 車に住んでいると聞いたからてっきり不潔な人だと思っていたのだが、とても清潔な格好をしており好印象である。

「全く、まともな登場をする人はいないんですか!?」

「ごめんごめん。驚かそうと思ってさ」

 あはははと笑う彼からは悪気しか感じられない。

 千恵は頬を膨らませた。

「ほら、立てる?」

「……はい」

 ようやく男の手を取り、立ち上がった。

「よしよし。それで? 何の用かな?」

「あ、そうでした。じゃあ自己紹介から……。私の名前は小畑千恵です」

「よろしく、おーちゃん。俺は小沢怜」

「お、おーちゃ……。ま、良いです。怜さん、よろしくお願いします。さて、早速本題になるのですが……このマンションの203号室に住んでいるLIARについて調べています。という訳で彼に関わる情報を売って頂けませんか?」

 十数秒間のだんまりがその間、空間を支配した。

 そしてすぐに怜が口を開いた。


「おーちゃん、カネはあるの?」


 この台詞を淡々と、淀みなく、しかも笑顔で言い放った。

「お金、ですか?」

「情報ってのはね、一般人が思うより重たいんだよ。物によってはその人の全てを左右しかねない。世界を裏でニヤけた顔しながら操るのは情報だ、そして人は情報でしかない。神でありながら神に操られ、その欲さえも操られた感情の一つに過ぎない。俺らはロボットなのさ、色んな意味でね」

「……」

「キミが情報を買うという事はそれ即ち人間を買うという事。――さ、キミはを買うの」

 千恵の喉がゴクリと鳴った。

「LIARの特殊能力は、いくらですか」

「あいつの肺をお求めで? そうだな、ざっと15万位か?」

 15万!!

「じ、15円の間違いでなく?」

「ま・ん。聞こえた? 漫画の『まん』、饅頭の『まん』、マンドラゴラの『まん』、マントラの『まん』……」

「あ、もう、もう良いです」

「あいつの臓器と同等価値の情報をくれてやってんだ。当然それ位するさ。……これでもまけてやってるんだぞ?」

 まじか……。

 でも特殊能力については絶対知りたい。どんな手を使ってでも手に入れる必要がある。

 しかし……。

「嘘だけは食べられたくない……」

「お、あんたそれ知ってんの。それで良く生きてたじゃん」

「え、殺されるかもしれなかったんですか!?」

「違う違う、自我がさ。――っと、こっからは15万だぜ」

 良いところで切りやがる。

 こいつは大変だ、商売上手なのだ。

「っていうかネットに書いてあったのと余りにも違いすぎてちょっと落胆です! どこにも嘘を抜いて食べるなんて書いてなかったです!」

「ま、ネットの情報は無料お試しセットだからね。あれも彼の特殊能力に違いはない」

 ん?

「お試し、セット?」

「惜しい! 『無料』お試しセットな?」

 無料を敢えて強調してウインクをする怜。

 ということはまさか……?

「え、待ってください、『れいれいさん』ですか?」

「ありゃ、そう言うキミは『ちーちゃん』?」

「え!? そうですそうです! わー! あの晩はお世話になりました!」

「いやいや、それ程でもあるよ」

 それ程でも「ある」んだ……。

 ネット上の彼との余りの違いに目をしぱしぱとまばたかせた。

「そっか、おーちゃんがあのちーちゃんだったとはなぁ。もしかしたら、運命とか、本当にあるのかもしれねえな」

 ややこしい。

「……それじゃあ特別に」

「オマケしてくれるんですか!?」

「馬鹿。臓器と同じ価値っつってんだろ。そうじゃなくて、キミの肺を俺にくれたら同等価値の情報――即ち奴の特殊能力についての情報をやるよ」

 懐から拳銃を取り出す怜。

 え……?

「殺すの?」

「殺す訳ないだろ。癖だよ」

「やな癖。っていうかそれ、立派な銃刀法違反ですよ!?」

「それで? どうなの。キミの肺、何か無いの?」

「聞いてるんですか!?」

「どうすんの」

「……」

 ――さて困った。

 唐突にそんな事言われても何も出来ない、というか困る。

 はてさて、何か面白そうな情報は無いか。


 ……あ。


「あ、あの、怜さん……」

「れいれいで良いよ。キミにはそう呼ばれたい」

「……れいれいさん。これならどうですか」

 千恵は上着を脱ぎ、ワイシャツの右腕の袖をたくし上げた。肩の付近には包帯が巻かれている。

「今は行方不明になっちゃったんですが、私にはかつて家族がいたんです。その中でも私が大好きだったお兄ちゃんはこの火傷は誰にも見せちゃいけないって言いました。……でも彼の特殊能力の為に貴方だけに見せますね」

 包帯がするすると解けて、その下にあるという火傷がその姿を怜に晒した。


 怜の目が見開かれた。


「ど、どうですか?」

「……肺どころじゃない。心臓と脳みそがセットで来たぞ」

「え、こんなんで良いんですか?」

「良いとも、良いともさ! ――あ。さ、さあ好きなだけ持ってけ。こりゃとんでもない物をもらったぞ!」

「い、良いんですか?」

「良いって言ってるだろ!? その跡にはそれだけの価値がある! キミは知るべき人間なんだ!」

 千恵は怜の態度の豹変ぶりに少し困惑したが彼の言葉に甘えておくことにした。

「さ、特殊能力の話だったな! 全部くれてやるよ。さ、長くなるだろうからそこ座れ」

 怜は間違いなく興奮していた。

 千恵は何故この火傷にそれだけの価値があるのか、未だに分からないままだった。

(つづく)

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