嘘吐きと正直者

「さあ、僕の手の内はさらした。――これからどうするつもりだい?」

「……」

 千恵は応えかねていた。

 いつの間にか取り込まれていたこの勝負の決着をどうつければ良いのか分からなくなっていたのだ。――もしかすれば彼の目的はそこにあったのかもしれない。


「さあ、どうでる。犯罪予備防止委員会――小畑千恵」


(ここで答えを間違えれば……もしかすると最悪命の危機だ)

 彼の考えが分からない以上、絶対そうだとは言い切れないのだが、そうではないとも言い切れない。

 取り敢えず乗ってみる他選択肢は残されていなかった。

「……、……乗ります。どうして私が嘘を言ったと思ったのか、話してください」

「良いだろう」

 笑顔の仮面を外すことなく、間を空けることなく彼は一言そう答えた。

 そして持っていたノートパソコンをソファの前のテーブルに置き、何やらガチャガチャ操作し始めた。

「今から『姿無き殺人』に関わる最新のネットニュースを見せよう。それを見たら納得するはず――っと、これだこれだ」

「ん? これ、ですか?」

「そう、これが最新だ。よく見て」

 床に座り、千恵の顔を丁寧に見ながらノートパソコンの画面を彼女に向け、ネットニュースを読むように促す。

 その丁寧さに少し違和感さえ抱いた。――ほんの一瞬だけだったが。


――――――――――――――――――――

【犯人は透明★☆★? 奇怪な殺人事件 姿無き殺人の謎に○☆】


 ○月×日、○☆☆に※※☆の男性が殺害された。犯行に使われたのは警察官が★行☆★いる38口径の#☞で、即死○った。

 犯行○、現場に設▼されていた防犯カメラにはその瞬間が☆☆☞れていたが、何故か殺人者の姿は映っておらず、また、事☆♡生からわずか○日後、遺体が★★☆(恐らく※※○)に盗ま♡★しまった為、捜♡♡☞★している。

 警察は当※○○★☆※囲の様子を♡♡★いる人に情##☞♡★※○しており、☞☞★#※○★♡♡☞★☆★○○★。

――――――――――――――――――――

 千恵は思わず目を何度も強く擦った。

 ネットニュースの文面が霞のようにぼやけてよく見えない。終盤に至ってはもう何が何だか分からない様な状態である。

「分かっただろう、君は知りすぎているんだ。ここに被害者の名前なんか書いてないしヘッドショットだったと言う記述も無い。――まあ、凶器が38口径だから急所を狙ったんだろうって言うのなら分からなくはないけど、それ以外は世に出回ってる情報だけじゃ判断できないだろう?」

「それれフィナーレって事ですか?」

「……? 何それ」

「え?」

 頭が回らない。おまけに呂律も回らない。

 何が起こっている?

「これじゃまるで――」

 ――深夜まで都市伝説を探しているあの夜みたい。頭が働かない。

「ねえ、話聞いてる?」

 ノートパソコンの画面全体が白く強く発光しだした。しかし眩しいとは感じない。

「ねえ、ちょっと君、大丈夫?」

「し、んろいです。今、らんとかしますからふぬけてくどぅさい」

「……」

 そう言いながら千恵は腕を強くつねった。しかし、日常的に自らを襲う不眠と同様の方法で戦う彼女にその戦法はあまり効果を発揮しなかった。


 5分が経過した

 LIARが何を語っているのかを気にする余地すら与えられなくなってきた。

 閉じようとする瞼を必死に開けることだけに精一杯だった。

 流石に彼女のその姿を見かねたのか、LIARはそれ以上の事を語ろうとはしなかった。――いや、むしろ逆か。

 見かねたのではない。待っていたのだ。


「……そろそろかな」

「ふぇ?」


 LIARが徐に立ち上がった。そのまま玄関に向かっていく。

「何して、るの?」

 千恵はソファから立ち上がろうとしたが、すぐにふらついて倒れ込んでしまった。

「君、睡眠薬には明るい?」

 ――ガチャン。

 物騒な言葉を吐きながらLIARは後ろ手に扉の鍵をかけた。彼女の質問に答えようとはしない。

「すい……」

「メラトニン受容体作動薬。自然な眠気を強くする為の薬で推理小説とかに出てくる薬と違って余り強引じゃないんだ。効き方は人それぞれだけど、この隈じゃあねえ……XXXX年製の薬が効かないわけがない」

 含み笑いをこぼしながらLIARは、千恵の顎に細く冷たい指を添えて顔を持ち上げた。

 無抵抗だった。

「お茶とお薬、美味しかったようで何よりですよ」

「……!」

 目を見開いた。

 混乱する頭を出来る限り動かして考える。先程からつねり続けていた腕は爪の跡から血が滲み始めていた。

(あのお茶に……薬が盛られてたって事だよね?)

「良い顔してるね。その顔を好む悪役の気持ちが痛いほど分かるよ」

「何……するの」

「まだ喋れるんだ。タフだね」

「教えて」

「ってかさ、知ってて来たんだよね? 僕は犯罪者なんだよ?」

「変な事するの?」

「まさか! そんな低俗、興味は無いね。――もっと神聖なことだよ。生まれ変われる」

「しん……せ、い?」

「大体、根本から間違ってるんだよ。皆で僕は詐欺師だなんだって言ってるけど、そんな汚い金を漁る趣味はないから。良いかい? この力は神から与えられたんだよ」

「……」

 演劇のように、饒舌に語る。

「確かに君達の知るように僕は特殊能力を保持している。全て人間の原罪、『嘘』を浄化する為の能力だ。全て、嘘が関係している」

「じょー……?」

「あの時、奴はとんでもない嘘を吐いた。愚かにも僕の眼前で。制裁を加えただけだ、それ以外の何物でもない」

「アナスタシア……」

「……」

 また意味不明な言葉を呟きだした。

 もう限界だった。

 薬はつつがなく、最大限の力を千恵の頭に注ぎ続けていた。それはもう充分すぎる程。

 もう殆どレム睡眠と変わりはない。

 その様子を見てLIARの口角がこれまでにない程きゅうと吊り上がった。

「勤務中に居眠りとはだらしがないな、千恵ちゃん」

「ねて、ない」

 千恵は腕をつねっている手により力をこめる――夢を見た。

 こういう時人間は起きている錯覚をする。妙に頭ばかりがさっぱりとする為、現実との区別がつけづらい。

「いや、ぐっすり寝てる。僕が起こしてやるよ。……丁度良いだろ? 僕は君に興味があるし、君は起きられるし。win-winだ」

 千恵の瞳には迫り来るLIARは映し出されていない。無音の夢の空間の中で、ただ千恵の意識内に住む彼の幻影がほくそ笑んでいるばかり。

「やっぱり鍛えてるね。流石は実力行使の都市伝説グループ構成員だ。睡眠薬を盛る作戦は正しかったな」

 うつ伏せのまま心地良く眠る草食動物のうなじに銀の瞳の狼はその右手を伸ばした。


「僕は嘘を喰らう存在。が産んだ神より与えられた天使の力だ、そこに悪はない」


 うなじを静かに掴んだ狼はまるで覆いかぶさるような姿勢を取り、力を込めやすいように手首から肩までを一直線に伸ばした。

 千恵の綺麗な横顔や、彼女のポニーテールを縛るリボンのサテン生地がやけに美しく見えた。

 目が異常な程、見開く。

 心臓は早鐘を打った。


「『幸せのシナリオ』……。大いなる計画の元にはいつだって不確定要素が付きまとう。そう、君みたいに正直に生きる奴だっている」


 何故だか手が震えた。

 歓喜か、興奮か――それとも……。


「そんな君から嘘を抜いたらどうなる? 抜けない物は抜けるか? 抜けたらどんな味? とても興味があるんだよ、君には」


 上半身が滑るように前傾姿勢を取った。

 本能が見せた行動だ。

 待ち切れなかった。


「教えてよ」


 ――グチャッ!


 千恵の目が途端にカッと見開いた。

 それは脳が脊髄反射的に感じ取った命の危機に反応するものであった。

(つづく)

 

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