LIAR

 国中の詐欺事件の主犯格とされる怪人、LIARは明治街のとあるマンションに住んでいるとのことだが……。

 とんとんとん。

「すみませーん」

 ……、……。

 とんとんとんとん。

「誰かいませんかー?」

 ……、……。

「いないのかな」

 留守だろうか。

「ま、仕方ないですね。また明日出直すことにしますか」

 そう言って千恵が後ろを振り向くと――。


「どちら様ですか?」


「……!」

 ――いた。

 そいつだ。

 間違いない。

 紫のロングパーカー、その頭の部分には派手な怪獣の不気味な笑顔。

 らんらんと光る白濁した気味の悪い瞳。

 肉食獣の様な隙のない無表情、姿。

 奴はいた。

 名前こそ「嘘」だが、彼自身は「嘘」ではなかった。

 実在したのだ。

「LIAR……」

 口を突いて小さな単語が漏れ出た。

「何用ですか」

 相手の口からも一つ、定型文が流れ出た。


 千恵の喉がコクンと波打った。

 心臓が心なしか早鐘を打ち始めているようだ。

「すみません、お時間頂いてもよろしいでしょうか?」

 声が震えた。

「何で」

 彼の唇の隙間から漏れ出た声は絶対零度の冷気を帯びていた。

 それ以上の口答えを許さないと言わんばかりである。

「そ、それは……」

「用が無いなら帰ってもらっても良いかな」

「わ……ま、待ってください!」

「ちょっとそこどいて」

「あ、あの!」

 千恵を押しのけてLIARが無理矢理自身のねぐらに帰ろうとする。

 それを阻止すべく、千恵は慌てて彼の背中に向けて、大きな声で叫んだ。


「ま、待って……! 『LIAR』さん、ですよね!?」


 ドアノブを握ろうとしていた手が、瞬間、動きを止めた。

 ギロリと、銀の狼の目が紫の怪獣の口の中で千恵を凝視した。

「姿無き殺人と、国中の詐欺事件の主犯格ではないかという容疑がかけられています……。お時間頂けますか」

 小さな草食動物は喉の奥からかすれた声を絞り出す。しかしその眼光は彼に負けず劣らず、強いものであった。

 そのまま景色が固まること数秒。

 不意にLIARが扉を開けて、千恵を促した。

「入って」


「失礼します」

 中は散らかっていた。

 資料が山積し、背の低いタンスの上にはコンピュータが一つ二つ三つ……五つも並んでいる。カーテンは閉め切っており、昼間なのに夜のようだ。

「そこに座って」

 示されたのはくすんだ松葉色のソファ。この部屋にある椅子はこれで全部である。

「貴方はどこに座るんですか?」

「立ってるから良い」

「え、じゃ、じゃあ私も立ちま――」

「馬鹿なの? 客は座ってろ」

(世界一雑な客の扱いだ)

 千恵はぼそりとそう思った。

「あんだって?」

「い、いいえ。何でもないです」

「ふうん。ま、いいや。ちょっと待ってて」

(口に出ていたみたいだ。危ない危ない)

 LIARが奥の方で何かやっているのをぼんやり聞きながら、千恵は部屋の中をぐるぐる見回していた。色々な物に興味があるが、特にそこら辺に散らばっている資料の内容が気になった。――当然、じっくりと見るわけにはいかないが、何か機械のような物が描いてあるように見えた。

(何かな……)

 そう思い始めた矢先、湯気の立つカップを持ってLIARが帰ってきた。

 お茶を出すらしい。

 お茶を出す怪人。中々シュールな光景である。

「僕だって、常識の欠片ぐらい持ってる。当然、お客の扱い方の心得も持ち合わせてる。……お茶どうぞ」

「あ、ど、どうも」

(さっきの聞こえてたかな)

 内心焦りながら千恵はお茶をすすった。温かく、甘いお茶だった。

「中国のお茶。名前は忘れた」

「甘くて美味しいです」

「そりゃ良かった。……で? 何の用」

「あ、そうでした。じゃあまずは自己紹介から。私は小畑千恵と言います。明治街役場内犯罪予備防止委員会の構成員をやっております」

 慣れない手つきで千恵がぴかぴかの名刺を手渡す。

「どうも」

「確認ですが、貴方は『LIAR』さんでよろしいでしょうか?」

「うん」

「それでは話を始めさせて頂きます。始めに『姿無き殺人』についてのニュースはご存知ですか?」

「うん」

 余りにさっきと変わらない彼の受け答えに少し違和感を抱いた。

「……本当に知っているんですか?」

「疑ってんの? このご時世、知らない奴なんていないよ。……もしかして教えて欲しいの?」

「まさか!」

「じゃあ言ってごらんよ」

「言われなくても言いますよ! 仕事ですから。えっと、とある男性――」

「神崎昇だっけ?」

「張本倫太ですよ。張本倫太さんがビルの屋上で殺害されました」

「刺殺?」

「銃殺です。背後からゼロ距離で一発。ヘッドショット」

「うげ、痛そう」

 そこまで話して一旦休止。

「……本当に知ってるんですか?」

「勿論、基本情報位は知ってるよ」

 ひょうひょうと受け流すLIAR。壁に寄りかかっている彼と話をしているはずだが、俯いてばかりでこちらを見ていない。

「……男性は嘘を吐く時、相手を見ないって聞きますけど」

「それで? その事件と僕と何の関係があるって言うんだ?」

 千恵の眉が明らかに不機嫌そうにひくひくっと動いた。彼女の顔にせめて明るく振る舞おう等という意志は全く見受けられない。

「この事件の特徴は貴方もご存知かと思いますが、防犯カメラに殺人者が終始映っていない事です」

「だから何? 防犯カメラをいじれば何でもない事だろう?」

「それは難しいです。あの殺人の様子はカメラを通して警備員が確実に目撃していました。その後すぐに警備員は警備室の鍵をかけて現場に急行したので、その隙を狙って加工というのも不可能です」

「へぇ、そんな事が」

「ええ。――そうすると被害者を殺害する方法は一つだけ。即ち『瞬間移動』です」

 大輝が同じ事を言った時と同じ空白が彼らの目の前を通り抜けた。

 そしてあの時と違い、LIARは大袈裟な程転がるように笑った。

「ワハハッ! 面白い事言うなぁ、あんた! 千恵だっけ? お笑い芸人の才能あるんじゃない?」

「どうです? 当たってますか?」

「当たる当たらないも何も、意味が分からない。そんな非科学的なデタラメ推理、初めてだ。――そういうのはね、推理って言わないの。推測、とかデタラメ、とか、あと――」

「でも、使えますよね? 瞬間移動」

 千恵が確認するように重ねてそう言う。彼女も当初の彼のようにそれ以上の口答えを許さなかった。

 LIARは揺るぎないそんな彼女に今までのようにすぐ言葉を返さなかった。ただ、チラリと上目遣いで彼女の自信に満ち溢れた顔を一瞥し、肩に張った空気を抜くように溜め息を鼻から溢した。

「……あんたは何も知らない。何も知らないんだ。何も知らない純粋無垢な正直者だ」

「……、……何が言いたいんですか?」

 突然発せられた意味の分からない呟きに千恵は思わず眉をひそめた。

「随分詳しいな、って事さ」

 初めてLIARが顔を上げ、千恵を正面から見つめた。

「ハッキリ聞く。その詳しい内情を君は一体どこで手に入れた?」

「どこって……ニュースですよ」

「嘘だな」

「嘘じゃありません!」

 千恵が弾けるように立ち上がった。真実を嘘と言われたのが許せなかったのだろう。

 対してLIARは冷静だった。氷のような狼の瞳を揺らがせもせず、静かに語る。

「いや、嘘だ。だって

 千恵の頭の機能が一瞬停止する。

 皆さんにこの意味は、この事態が如何に奇妙であるか、分かるか。

「……どういう事」

 千恵はまさぐるようにLIARにその言動の意味を尋ねる。

「言わなくったって分かりそうなものだけど?」

「でも、それって……」

「そうさ、

「……」

「僕が張本倫太の脳に風穴を開けた。この拳銃で」

 拳銃を乱暴に投げながら彼はそう言い、初めて薄い笑みをその口元に浮かべた。

 ガランガラン。

 投げ出された拳銃は冷たい緊張感の中で空しくそんな音を立てていた。


(こんなの……おかしい)

 ――そう、これは本来あってはならない事だ。とはいえ、容疑者が自身の罪を認める事自体なら何でもない。余りにもあっさり認めすぎているのだ。――しかも笑いながら。

 これは何か企んでいる。そうとしか考えられない。

「何を考えているの?」

「知りたい?」

 挑発するような目がニタリと微笑んだ。

「良いよ、教えてあげる。――これは賭けだ」

 そう言いながらLIARは傍にあるノートパソコンを、片手でずいと持ち上げた。そんな彼の顔に薄気味悪い笑みが次第に広がっていく。

「……」

 千恵の喉がこくんと波打った。

「今から君が一番知りたいであろう情報を与えよう。何故僕が君の主張を虚偽としたのか、についてだ」

「それが何になるのですか」

「いいや、特に大きな事は起こらないさ。ただ、僕の意見の正当性ばかりが証明されるだけ」

「……それはあなたにとって、とても不利です」

「その通り」

 遂にLIARの顔全体を笑みが覆った。その仮面は何も知らない人からすれば人懐っこい笑顔であった。

「だけど、それを引き金トリガーに僕は勝負をかけることが出来る」

「……」

「さあ、僕の手の内はさらした。――これからどうするつもりだい?」

「……」

 千恵は応えかねていた。

 いつの間にか取り込まれていたこの勝負の決着をどうつければ良いのか分からなくなっていたのだ。――もしかすれば彼の目的はそこにあったのかもしれない。


「さあ、どうでる。犯罪予備防止委員会――小畑千恵」


(つづく)

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