第4話

 少年は語り始める。


「僕はナオ。この先の海多《かいた》中学校の二年生なんだ」


「…………」


 海多中学校。よく聞く名前だ、と思う。


 時折、自分のいる基地に大勢で見学にやって来る子供達がいる。この少年もその内の一人だろうか?


 カナはナオと名乗った少年と年齢は同じだが、当然中学校になど通ってはいない。


 カナにとって必要なのは一般的な常識や知識ではなく、一般とは大きくかけ離れた非常識だからだ。


「でね、もうすぐ夏休みだからさ、裏山に秘密基地を作って色々とやろうと思ってるんだ。だから今は夏休み前の下見、ロケハンってやつの帰りなんだよね」


 なるほど、と思う。


 全身の泥、大きめのダッフルバッグ、頭についた青葉、全てに説明がつく。


 ナオと名乗るこの少年は、ついさっきまでロケハンと称して山の中を徘徊していたのだろう。


 カナ自身も山の中を歩き回った事があるが、あれはあくまで訓練のために歩いたので辛い事はあっても、楽しい思い出はなに一つない。


 なにより、秘密基地? 


 秘密なのに他人に言ってしまっては意味がないのではないか? 自分はその秘密を知ってしまった事で誰かから命を狙われるのではないか?


 そうなると、自分にとっての敵がまた増えてしまった。奴等だけでも持て余しているのに、この少年はなんて事をしてくれるのだろうとカナは思った。


 でも、


 それも別にどうでもいい事だ。


 どれだけ敵が増えようと、いつか自分が殺されるのは変わらない。


 Aに殺されようが、Zに殺されようが結果は同じだからだ。


 だからもういっそのこと。今、この瞬間に殺してくれても構わないと思う。


 なるべく気付かない内に、痛みも感じないくらい一瞬で殺ってほしい。


 ナオはそんな事を考えているカナの事など気にも止めずに、

 

「でね! その秘密基地で何やるかって言うとね。まずはクワガタのコンプリート、裏山には三種類いるらしいからオス、メス合わせて六匹だね。あ、僕カブトはあんまり好きじゃないんだ。なんだか丸くてカッコよくないかなって。後は……天体観測とUFO観察。僕はUFO信じてる派だから、死ぬ前に一度は見てみたいんだ」


 うつむいたままだったカナの視線が一度ナオを捉えて、また元の位置に戻った。


「夏ってワクワクするよね! ねえ、君もそう思わない⁈」


「…………」


 夏に対してワクワクはしないが。


 ナオの話には、心が微かに揺れ動いた。


 自分の心に芽生えた感情が、ナオの言うワクワクなのかは分からない。


 だから、


 戸惑いながらもカナは小さく頷いた。


 そんなカナの反応を見て気を良くしたのかナオは、にいっと笑って、


「にししし! やっぱり夏は最高だよね。どこまでも澄み切った青空に、真っ白でふわふわの雲、情け容赦ない太陽……は、ちょっとゴメンだけどね」


 自分にとっての空は戦場であるのに対し、ナオにとっての空は何か最高なもののようだ。


 どこまでも自分とは違う、自分もナオと同じ世界で生きられたらどれだけいいだろう。


 今も黙って基地から抜け出してきたが当然、追っ手がいるし監視もされている事だろう。


 自分には自由に生きる権利がない。そんな事は分かっている。


 だから想像はしてみても、望みはしない。


 ナオは何かを思い出したようにダッフルバッグの中に手を突っ込んでかき回し、そしてバッグの中からグシャグシャの二枚のチケットを取り出して、震える手でカナの顔の前に差し出して見せた。


「あ……あのさ、明日なんだけど一緒に遊園地行かない?」


「…………」


 カナは思う。ゆうえんちとは何だろう? 


 基地の中で生まれ育ったカナは外出など一切しないため、基地外の事はほとんど知らない。


「母さんが遊園地の無料招待券を商店街の福引で当てたんだけど、行かないからって貰ったんだ」


 むりょうしょうたいけん……しょうてんがい……ふくびき……知らない言葉ばかりが耳に飛び込んでくる。


「子供達に大人気の海多遊園地。子供達の夢の世界だね。どう? 一緒に行ってくれる? やっぱり……ダメ?」


「…………」


 やはりカナはうつむいたまま何も答えない。だが、夢の世界という言葉がなぜかカナの心を捕らえて離さない。


 空に縛られた自分の知らない世界。


 自分のいる世界とは全く別の、もう一つの世界。ナオのいる世界へ行けるという事だろうか。


 考えるよりも先に、


 カナはナオを見上げて無言で大きく頷いた。

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