第四話 けじめ②
「では、行ってくる」
今日も昼から所用ということで、倉井先生は領主の遣いの下へと出掛ける。
「どうかお気を付けて、いってらっしゃいませ」
蒼葉はお辞儀をして、先生を見送った。
その後、仲間たちと稽古をし、家事を手早く済ませ、夕方になると再び偽善を探しに出掛ける。幸い、先生は今日も帰りが遅くなるそうなので、じっくりと探せる。
(今日こそは偽善に会って、父上のことを聞くんだ)
恐怖は吹き飛んでいた。
また不審者が絡んできた時は話など聞かず一目散に逃げればいいと思った。
まずは城下の大通りに行き、偽善らしき人物が歩いていないか探しつつ、暗くなるのを待つ。
途中、夕餉の代わりに団子を食べる。
ここまでの蒼葉の行動は昨日と同じだが、街の様子が昨日とは違っていた。
妙に人が少ない。不作のせいで元々活気がなかったというのに、今日はさらにだ。
気になった蒼葉は、団子屋の姉さんに聞いてみる。
「今日は、やけに寂しいですね。何かあったんですか?」
「ああ、あれだね。一昨日、山賊を斬った悪斬りなんとかってのが、この辺をうろついてるらしくてね。まあ、聞いた話じゃ悪い男ではなさそうなんだけど、とばっちりはごめんだからね。それでみんな、今日は早めに帰って戸締まりしようってことさ」
「そうですか……」
山賊を斬れば噂が広まって豪堂に警戒されるかもしれないのに、それでも偽善は困っている人たちを放っておかなかった。やはり、偽善は悪い人ではない。
団子屋の姉さんが顔をしかめる。
「他人事じゃないよ。あんたも暗くなる前に帰った方がいい」
「そ、そうですね。ご馳走さまでした」
蒼葉は勘定を払い、団子屋をあとにした。
それから、もう少しだけ暗くなるのを待った後、蒼葉は屋敷町へと向かった。
目的地は偽善が現れる可能性が最も高い豪堂邸の周辺だ。
昨晩と同じ
用心したおかげで、誰にも見つかることなく豪堂邸の近くまで来ることができた。
さすがに自分が悪であることを自覚しているのか、邸の見張りは厳重だった。
正門に門番が四人、裏門にも二人。さらに、二人の男が屋敷の周囲を巡回している。
当然、屋敷の中にも用心棒がいるはず。
(本当に、こんなところに一人で攻め込むの……?)
いったいどれほどの腕前を以てすれば、この中にいる豪堂を仕留められるのか、蒼葉には見当もつかなかった。
もしどうしてもやるなら昼間、豪堂が外出したところを狙うしかない。それも、遠方から鉄砲か弓矢を使ってだ。
しかし、蒼葉が聞く限り、悪斬り偽善がそのような手段を使った
昨今、一刃流のようにあの手この手を使って名を上げようとする剣客が
(それなのに、どうして父上を……)
いくら考えてもわかりはしない。あの時いったい何があったのか。
母も、倉井先生を含む雲月流の道場生たちも、誰一人として知らなかった。
父亡き今、事情を知っているのは当事者である偽善だけだ。
だから、なんとしても会いたい。
日が落ちてだいぶ時間が経ったせいか寒くなってきた。
吐く息が白い。
手が冷たい。
暗くて心細い。
(このままじゃ風邪引くな。やっぱり、先生に相談した方が――)
不意に思考が途切れた。
背後から大きな手が現れ、蒼葉の口を塞いだからだ。
(見つかった!?)
豪堂の配下か。それとも昨晩の不埒者か。
恐怖で息が止まりそうになる。いざという時は逃げることしか考えていなかったため、とっさに身体が動かない。
「あー、何もしないから、とりあえず落ち着け」
背後、というよりほとんど頭上から聞こえた声は、まるで緊張感のないものだった。
そのおかげか、すぐに硬直が解ける。息ができる。
「落ち着いたか? じゃあ、手を離すから、大声出さないでくれよ」
声に対し、蒼葉は無言でコクコクと頷いた。
ゆっくりと手が離れる。
大きな手だ。それに声の位置からして、かなり背が高い。
(ま、まさか……)
心臓が大きく跳ねる。
振り向くと、そこにいたのは噂どおりの姿をした男だった。
背丈は六尺を越えようかという長身で、腰まで届くほどの長い髪を一本に束ねた風変わりな若侍。そして、顎についた一文字の刀傷。
「あ、悪斬り――」
また口を塞がれた。今度は正面から。
「大声出すなつったろ。見つかったらどうすんだ?」
そうは言われても、こんな事態に瞬時に対応できるほど蒼葉の肝は据わっていない。
わけがわからず、蒼葉は男の手首をつかんだ。
とにかく逃がさないよう、両手で力いっぱい。
「いてて……。そんなに強く握らなくても俺は逃げねえって。まずはこの場を離れよう。な?」
男が優しく微笑みかけてくる。
それは到底、殺戮者が浮かべる表情ではなかった。
「……うん」
蒼葉は両手の力を抜いた。
しばらくの間、蒼葉は無言で男に付いていった。
わざわざ向こうから会いに来た以上、逃げられることはない。言いたいこと、聞きたいことは山ほどあるが、ひとまずは落ち着いて話ができるところまで移動する方が先だ。
屋敷町を離れ、大通りとは反対の、川のある方角へと向かう。
川の辺りなら民家も商店もなく、大声でなければ会話ができる。六年ぶりとはいえ、この土地の出身だけに道をよく知っているようだ。
「さて、そろそろいいかな」
男が足を止め、こちらを向いた。
「もう気付いてるとは思うが、俺が悪斬り偽善だ。お前とは六年ぶりになるのかな」
蒼葉は小さく頷く。
「私のこと、覚えてたんだ……」
「まあな。でも名前は知らねえんだ。教えてくれるか?」
「雲月蒼葉」
「一応確かめておくが、お前は雲月蒼助の娘ってことでいいんだよな?」
「そう」
「娘なんだな?」
「だから、そう」
「なんで男の格好してんだ?」
「それは……」
蒼葉は後ろめたそうに視線を落とした。
「女は、道場で正式に剣術を学ぶことができないから……」
本当の理由ではなかった。
倉井先生はもちろん、幼なじみである雲月流の道場生は皆、蒼葉が女だということを知っている。近所の人たちも知っている。
これは、けじめのようなものだ。
剣術に打ち込むための。
父のような強い人間になるための。
そして――
「父親を斬った理由如何によっては、俺を自分の手で斬るつもりだったのか?」
「……うん」
見透かされていた。
でも、それが無理であろうことは薄々勘付いていた。
同年代の男子には負けない蒼葉だが、大人の男が相手ではそうはいかない。
毎日のように倉井先生と直に立ち会っているのだからわかる。
技術以前に、力が違う。気迫が違う。
生まれながらにして戦うための肉体を与えられている存在。それが男。
まして悪斬り偽善は、そんな男たちの頂点とも言えるところにいるのだ。
女の身では、どれほど努力したところで、強くはなれても頂点には届かない。
蒼葉もそれがわかる歳にはなっていた。
それでも、両親を失い何もできずにいる人間にはなりたくなかった。だから今も剣術に打ち込んでいる。父が最期に言った「強くなりなさい」という言葉の意味を探している。
蒼葉は顔を上げ、最も大事なことを聞く。
「教えて。どうして父上を斬ったの? 悪斬り偽善は悪人しか斬らないって聞いた。父上が悪人だったとでも言うの?」
「斬ったのは勝負の結果だ。親父さんが悪人だったわけじゃねえよ」
「じゃあどうして、真剣勝負なんてしたの?」
「頼まれたからだ」
「誰に?」
「お前の親父さんにさ」
「え……?」
わけがわからず、蒼葉は固まった。
一道場主である父が、当時まだ少年だった偽善に真剣勝負を挑むなど普通ありえない。
「悪いが、俺に言えるのはそこまでだ」
ここからが肝心というところで、偽善は唐突に話を打ち切ってきた。
「ど、どうして?」
当然の如く、蒼葉は困惑する。
「知らぬが仏って言うだろ。お前はこれ以上知らない方がいい。お前の父親は決して悪人じゃあなかった。むしろ、武士の鑑だった。それで納得してくれ」
「できるわけないでしょう!」
「じゃあ、命とまではいかねえが、俺の腕を一本くれてやる。それで許してくれ」
「いらない! そんなことより、わけを教えて!」
「ダメだ」
偽善は頑なに言った。
それから、表情を和らげる。
「さっ、子供は帰って寝る時間だ。家まで送ってやるから、行くぞ」
なぜ知っているのか、偽善は蒼葉の家の方角を向いて歩き出した。
「待って!」
すぐに追いかけて、腕にしがみつく。
「おいおい、そんなにくっついたら歩きにくいだろうが」
「わけを教えてくれるまで、この手は放さない!」
「聞いても苦しむだけだぞ」
「それでも、わけがわからないまま生きていくよりはいい!」
「やれやれ……」
偽善は足を止めた。
「わかったよ。そこまで言うなら仕方ねえ。ただし、話すのは豪堂を斬った後だ。それまで待て」
「どうして今じゃダメなの?」
「お前のためだ。待てねえって言うんなら、もう何も話さねえ。どうする?」
「そんな……」
何か深い事情があるのはわかる。でも、偽善が無事帰ってこられる保証はない。
今聞いておかなければ、永遠に聞けなくなるかもしれない。
「もしかして、俺がやられるとでも思ってんのか? 豪堂ごときに」
「豪堂本人はともかく、あそこには配下がたくさんいるから……」
「その配下の中に雲月蒼助より強い奴はいるのか?」
「ううん。いない」
それだけは断言できた。
父より強い剣客がいるとすれば、それは倉井先生だけだ。
名門・一刃流の塾頭を軽々と破った先生を越える剣客など、この領にはいない。
「じゃ、問題ねえ。俺を信じろ」
敵は複数いるのだからまるで筋が通っていないが、その言葉はとても心強かった。
蒼葉は偽善の腕から手を離す。
「わかった。その代わり、私は家に帰らない。豪堂を斬るまで、あなたに付いていく」
「はぁ?」
「もしダメって言ったら、あなたのこと国中どこまででも探しにいくからね」
偽善はしばらく呆気に取られたような顔をした後、苦笑した。
「頑固な奴だな。そういうとこ、親父さんにそっくりだ」
蒼葉と偽善は城下を離れ、街道を歩き、山の麓まで来た。
ここの中腹に隠れ家があるらしい。
例の山賊が出た山だが、今はもういないから安心だ。
と思いきや。
(暗い……)
月灯りは木々に遮られ、山道は深い闇に包まれている。
先が全く見えない。
「どうやって進むの?」
「ちょっと待ってな」
偽善は岩の陰から提灯と火打ち石を持ってきた。
「ちゃんと用意はしてある。けど灯りは一つしかないから、はぐれたらおしまいだ。しっかり付いてこいよ」
蒼葉は提灯の光だけを頼りに、偽善の背中に付いていく。
この山道は何度か通ったことがあるが、こんな夜に通るのは初めてだ。
偽善が照らす足元と、木々の隙間から覗く夜空の他は何も見えない。
灯りから少しでも目を逸らすと、たちまち飲み込まれてしまいそうな巨大な闇。
視界が狭いせいか、普段より音が大きく聞こえる。
小枝を踏む音や葉擦れの音がやけに耳障りだ。
とはいえ、ここは緩やかな山道が続くので付いていけないほどではない。
小半刻(約三十分)ほどで中腹に差し掛かる。
「こっちだ」
偽善は唐突に山道を逸れ、獣道のようなところを登り出した。
「ま、待って」
蒼葉は声を上げ、足を止める。
人が行き交う山道とは違う、動物が草を踏み分けただけの細い道だ。
こんなあってないような道には昼間ですら入ったことがない。
「安心しな、目的地はそう遠くねえ。少し登れば着く」
少しというのがどのくらいかはわからないが、まさか今さら戻るわけにはいかない。
蒼葉は意を決し、再び足を動かした。
偽善は草をかき分け、蜘蛛の巣を払いながら、ゆっくりと獣道を進んでいく。
山道より斜面が急で足元も見えにくいが、この速度なら何とか付いていける。
不意に熊や猪が現れないことを祈った。
しばらくして、少し視界の開けた場所に着く。
そこに小屋があった。大きくはないが、それなりにしっかりした造りの山小屋だ。
偽善は中に入ると、大小の刀を帯から外し、座敷に腰を降ろして
「ん、入らねえのか?」
蒼葉は中に入るのをためらった。
ここまで付いてきたものの、こんなに暗くて狭い小屋の中で二人きりというのは気が引ける。それに、ちゃんと掃除してあるのかどうか。
「そこでじっとしてても仕方ねえだろ? それとも、やっぱり帰るか?」
偽善は草鞋を脱いで座敷に上がる。
それから、提灯の火を
しばらくすると火が大きくなり、部屋の中がほんのり明るくなった。
よく見ると、思ったより中は綺麗だった。
「ここがあなたの家なの?」
「ああ、山賊が使っていたのを頂戴した」
「けっこう綺麗好きなんだ?」
「まあな。遠慮せずに上がれよ」
遠慮していたわけではないが、寒いから早く火に当たりたいという気持ちが勝り、蒼葉は座敷に上がった。
囲炉裏で冷えた手を暖める。
それから、偽善が暖かいお茶を淹れてくれた。おかげで身体が芯から暖まる。
「そういやお前、年はいくつだ?」
「十三。あなたは?」
「俺は十九だ」
ということは、六年前のあの時は今の自分と同じ十三。
その歳で父に勝つほどの腕前なら、今はどれほど強くなっていることか。
「父上とはどんな関係だったの?」
「どんなって言われてもなぁ」
「知り合ってから長かったの?」
「いや、一度会ったきりだ」
「それがどうして真剣勝負することになったのかは教えてくれないんだよね?」
「ああ」
偽善に悪気はない。それどころか、蒼葉を気遣うが故に黙っているのだ。
これ以上、無理には聞けない。
「さてと……」
偽善は立ち上がると、土間に足を下ろして、また草鞋の紐を結びはじめた。
「どこへ行くの?」
「ちょっと出掛けてくる」
「え、こんな夜に?」
「朝には戻る。お前はここで寝てな」
偽善は大小を腰に差し、戸に手をかけた。
「待って」
蒼葉は座敷から身を乗り出して呼び止める。
「もしかして、今から豪堂を斬りに行くつもり?」
「いいや、今日はまだやらねえよ。誰かさんのおかげで下調べができなかったからな」
その皮肉っぽい笑みに対し、蒼葉は頬を膨らませた。
「こんな暗いのに、灯りも持たずに山を下りられるわけないでしょう」
「おっと、いけねえ」
偽善は引き返すと、さっき棚に置いたばかりの提灯を手にとって、こちらに差し出してきた。
「火つけてもらえるか?」?
蒼葉は無言で受け取って、囲炉裏の火を提灯に移す。
「はい」
「ありがとよ。あ、それと」
偽善が右手にある棚を差す。
「腹減ったろ? ここに餅が入ってるから、焼くなり煮るなりして食っとくといい」
それだけ言って、小屋を出ていった。
蒼葉は餅を一切れ焼いて食べると、特にすることもないので寝ることにした。
夜は冷える。布団なしでは寝られない。
小屋には、ちょうど布団が一組あった。偽善が使っている布団に違いない。
(これ、使っていいよね)
少し迷った後、蒼葉は布団を敷いた。まだ新しく清潔な布団だ。そのままの格好では布団が汚れるので、小袖と袴を脱ぎ、
布団に入ると、偽善と会ってからここまでの出来事が頭に浮かんできた。
思えば、偽善は出会った時からずっと気を遣ってくれていた。緊張で固まった自分を落ち着かせてくれた。歩いている時も、ずっと自分の歩調に合わせてくれていた。食べ物もくれた。
こうして布団で寝ていられるのも、偽善が気を遣ってくれたおかげだ。
父のことも、都合が悪くて黙っているのではない。きっと、それだけの理由があるのだ。
複雑な気持ちだった。
仮にも父の仇である男が、こんなに優しい人だったなんて……。
不器用で、ぶっきらぼうだけど、根は優しい。
(そういうところは先生と似てるな。……そういえば無断で外泊なんかして、先生、心配してるだろうな。帰ったら叱られるだろうな)
いろいろ考えているうちに、だんだん眠たくなってくる。
(もうじき、わかる……。どうして、あんなことに、なったのか。父上……)
やがて、意識は途切れた。
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