第四話 けじめ①


 偽善は屋敷町で一旦逃げた後、あの若党をこっそり尾行した。

 確かめたいことがあるからだ。

 おそらく、あの若党は〝悪斬り偽善〟を探していた。

 そして、その途中、運悪く一刃流の者に襲われそうになった。

 勘ではあるが、そう思い当たる節があった。

 諦めた様子の若党がトボトボと帰る後を付いていき、家に入るまでを見届ける。

 それから、表にある道場の看板に目を向けた。『雲月流剣術道場』とある。

(やはりな)

 提灯の火に照らされた若党の顔を見てもしやと思ったが、これで確信した。

(間違いない、あの時の子供だ。あいつは雲月蒼助の……)

 悪斬り偽善が山賊を斬った話を聞いて探しにきたのだろう。

 父の仇を討つために。

(これも因果応報か)

 六年前、初めて人を斬った時のことを思い出す。

 そして、初めて斬られた時のことも。

 不意に古傷が疼く。

 偽善は己の顎を撫でた。

 仇として狙われるのは初めてではない。

 当然、樒原領に戻れば雲月の関係者が現れる可能性も予想していた。

(にしても無茶し過ぎだろ)

 悪斬り偽善が百人以上も斬った男だということは知っているはずだ。それを助太刀もなしに子供一人で探しにくるなど。

(この分だと、明日も来るかもしれねえな)

 不作の影響もあって今の街は治安が悪い。

 夜に一人でうろつけば、またさっきの二本差しのような不埒者の餌食になりかねない。

(面倒なことになったもんだ。かといって放っておくわけにもいかねえし)

 豪堂を斬るだけであれば、それほど難しくないが、あの若党の仇討ちを回避しつつ、なおかつ守りつつとなるとかなり厄介だ。

(それでも、やるしかねえか)

 己が蒔いた種だ。

 理由はどうあれ、自分はあの者の父親を斬った。

 この顎の一太刀だけで許されるとは思っていない。

(けじめは付けねえとな。俺なりのやり方にはなるが)



 翌日。

 偽善は明け方から昼にかけて眠り、昼からは山小屋の近くにある原っぱで稽古を行う。

 当然ながら稽古相手はいない。十三の時に故郷を飛び出して以来、それまで習った基礎だけを頼りに、ずっと一人でやってきた。

 手始めに大刀と脇差による素振りを、それぞれ気の済むまで行う。数は数えない。その日の体調と気分によって、数回で終わることもあれば、数百回に及ぶこともある。今日は調子が良いので多めに振った。

 その後は、ひたすら仮想の敵と戦う稽古だ。

 偽善は、太刀をしゃに担ぐような八相はっそうで構える。

 目を閉じ、今から戦う相手を思い浮かべる。

 背丈は五尺九寸(約一七七センチ)ほど。かつて戦った者の中でも、二番目に大きな男だ。されど、その剣技は決して力頼みではなく、なかなかの強敵だった。

 目を開けると、その男の姿がぼんやりと浮かんだ。

 男は正眼の構え。地に足の着いた、真剣の重みを知っている者の構えだ。

 間違いなく何人かは斬っている。

 だが、その構えにはわずかな迷いが見えた。

 おそらく、大人になってから自分より背の高い者と戦ったことがないのだろう。

 見ただけで察することができたのは、偽善もそうだったからだ。

 かつて戦った者の中で一番大きな者は、六尺の自分よりなお三寸(約九センチ)上の大男だった。運良く、その男は大した技量ではなかったので勝つことができたが、さしもの偽善も初手は戸惑った。

 どれほどの実力者も慣れない相手には迷うものだ。

 その迷いが勝敗を分けた。

 偽善は過去に戦った時よりも速く鋭く、男を袈裟懸けに切り裂いた。

 男の幻影が消える。

 それから、もう一度目を閉じ、同じ男の姿を思い浮かべた。

 ただし、今度の男には迷いがない。

 自分との戦いを経て、成長したところを想像したのだ。

 真剣勝負に二度目はない。が、もしあるとすれば男は格段に強くなっている。

 ここからが真の稽古だ。

 迷いを吹っ切った男は、先ほどよりも速く深く踏み込んでくる。

 白刃が衣服を掠める。

 だが、偽善に恐れはない。

 戦いは常に捨て身、死は覚悟の上だ。ただ斬られる前に斬るのみ。

 激流のような連撃の隙間を縫い、偽善は男の喉を突き通した。

 幻影が消えた。

 そうして過去に戦った強者を幾度も仮想し、稽古を積んでいく。

 仕上げはこの人。

 偽善にとって緒戦の相手であり、今なお過去最強の剣客である雲月蒼助だ。

 偽善は六年前のあの勝負で自分が勝ったとは思っていない。あの時、自分は雲月の気に呑まれていた。本来であれば、その時点で自分は負けていたはずだった。だが、雲月は剣を振り下ろそうとした瞬間、微かに躊躇した。

 結果、勝負はわずか一合で終わった。

 傍目から見れば、自分が圧勝したように映ったであろう。

 だが、雲月の本当の実力はあんなものではない。

 記憶に残る雲月の構え、目付け、呼吸などから本来の力を解放した雲月を想像し、幻影を作り上げた。

 偽善は再び八相に構える。

 雲月は正眼の構えだ。

 優れた剣客の構えには隙がない。しかし、雲月の構えは隙があるような、ないような、不思議な構えだった。

 ――今打てば当たる。

 確信して動くと、次の瞬間、雲をつかむように雲月の姿が消えてなくなる。

 そして斬られる。

 はじめはその繰り返しだった。

 今なら、あれが雲月の誘いであることがわかる。下手に動いては相手の思う壺だ。

 誘いを破る方法は三つある。

 一つ目は、誘いには誘いをぶつけることだ。

 だが、この方法では囲碁のように少しずつ相手を崩していく勝負となり、決着が付くまでに時間がかかる。複数の敵と戦うことが多い偽善にその選択はない。

 二つ目は、無心で戦うことだ。

 無心になることによって、虚実の殺気に惑わされることなく、本当の殺気のみを察知する。

 だが、それでは周りが一切見えなくなる。また、敵味方の区別もつかない。

 ひとたび無心になってしまえば、殺したくない人間を殺してしまう恐れがあるのだ。

 よって、偽善は三つ目を選んだ。

 この方法は至極単純。相手が反応できないほどの速さで動くのだ。

 雲月が徐々に間合いを詰めてくる。

 偽善も徐々に間合いを詰める。

 そして、一足一刀の間合いに入ったその時――

 偽善は前足の膝の力を抜くと同時に、後ろ足で地を蹴った。

 この独特の足捌きに、雲月の反応がわずかに遅れる。

 その隙に、八相の構えからそのまま斬撃を繰り出す。

 予備動作のない無拍子の一撃。

 偽善が考え得る限り、最速最短の剣。

 雲月の幻影が消えた。

 けれど、やはり勝った気にはなれない。

 いかな想像力を以てしても、故人を完全には再現できない。本物の雲月であれば、今の斬撃にも反応できたかもしれない。

 もしそうであれば、偽善は一転して不利な状況に陥る。十三で道場をやめた自分に高度な駆け引きはできない。圧倒的な速さを以て一撃で決めるしかないのだ。

 


 西の空が赤く染まりはじめる頃、偽善は山を下りて城下町へと向かう。

 昨晩に引き続き、標的である豪堂のことを調べるためだ。

 それから、昨晩の若党のことも何とかしなくてはならない。

(あいつ、どうせまた来るだろうし、どうすっかな)

 顔を出すべきか、出さぬべきか。

 会って話くらいは聞いてやりたいところだが、お尋ね者の自分が下手に関われば危険な目に遭わせてしまうかもしれない。さりとて放っておくのはもっと危険。

 偽善にとっても。あの若党にとっても。

(仕方ねえ。先にあいつを何とかするか) 

 偽善は豪堂を探る前に、あの若党に会うことにした。


              




              


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