第四話 けじめ③

 昨日の会合にて、せきは若き領主・樒原孝水しきみがはらたかみずより上意討ちを命ぜられた。

「よいか。その者の名は――豪堂重座衛門ごうどうじゅうざえもんだ」

 これには、さすがの石も驚いた。

「ご家老様を……!」

「もう〝様〟など付けなくともよい。豪堂は民の困窮も省みず私腹を肥やす悪党だ。領主として、これ以上捨て置くわけにはいかぬ」

 豪堂の悪行には無論、石も憤慨している。しかし、その強大な権力と財力の前に、石はもちろん、他の重役たちも手出しできない状態が長年続いていた。

 それを打ち崩すのは容易ではない。

 当然、下手を打てば石は死、領主とてただでは済むまい。

「不服か?」

「いいえ。よくぞご決断なさいました」

 領主の問いに、石は力強く答えた。

 不服などあるはずもない。あの悪党を自らの手で討てればと何度思ったことか。

 それを他でもない、領主自らが後ろ楯となってくれるのだ。

「倉井石、この命に代えても豪堂を成敗いたします」

 石は深く頭を下げた。

「ふむ。しかし、豪堂の配下には剣達者が多い。そなたの腕を以てしても一人では無理であろう。さりとて大勢で攻めていっては気取られてしまう。そこでだ。ある者の力を利用する」

「ある者とは?」

「石よ。そなた、悪斬り偽善という者を知っておるな?」

「はい。噂で聞いたことがあります」

「ならば、その偽善がこの地に向かっておるという噂も知っておるな。いや、もう領内に入っておるかもしれぬ。どちらにせよ、奴の狙いは、まず間違いなく豪堂であろう。さすれば放っておいても近日中に始末してくれるかもしれぬわけだが、あの老獪な豪堂が相手では確実とは言えぬ」

 山賊を倒した件で偽善の噂は一気に広まった。当然、豪堂は自分が狙われる可能性を考え、相応の準備をしているだろう。いかに偽善といえども一筋縄ではいくまい。

 領主は続ける。

「ここまで言えばもうわかるな。石よ、悪斬り偽善の動きに合わせて豪堂邸を襲撃するのだ。場合によっては偽善と共闘して豪堂を討て」

「はっ」

 石は深く頭を下げ、領主からの命を承った。

 そのまま頭を下げた状態で言う。

「恐れながら、一つ申し上げたきことがございます」

「なんだ?」

 石は上体を半分ほど起こす。

「悪斬り偽善は、我が師・雲月蒼助の仇にございます」

「なに……」

 領主が目を細める。

 悪斬り偽善の名は有名だが、六年前に領を出奔した少年と同一人物であることは、石と蒼葉しか知らなかった。

「では、共闘はできぬと申すか?」

「いいえ。君命とあらば、この倉井石、私心を捨てて責務をまっとうする所存にございます。ですが、上意討ちを成し遂げた暁には……」

「なるほど、そういうことか。それは、そなた個人の問題である。豪堂を斬った後であれば、好きにいたせ」

「はっ」

 


 そして、今日。

 昼から夕方にかけて由宮流道場で稽古をつけてもらった後、暗くなった神社の隅で密偵から調査の報せを聞く。密偵は昨日と同じ商人の姿をしていた。

「昨晩、一刃流道場の付近で悪斬り偽善らしき背高の男を発見しました。おそらく、決行前の下調べに来たのではないかと思われますが、その際ちょっとしたイザコザがありまして……」

「一刃流の者とか?」

「はい。道場の付近になぜか灯りも持たぬ若党が一人うろついておりまして、一刃流の男がその者に狼藉を働こうとしたところ、偽善が止めに入りました。その後、偽善は走り去ったかと思いきや、若党が帰るところを尾行して家まで見送ったのです」

「どこの家だ?」

「それが……倉井殿のお宅でした」

「なに?」

 石は眉を寄せた。

(まさか蒼葉が……。いや、あり得る)

 悪斬り偽善は蒼葉にとって父の仇なのだ。噂を聞いて、一人で探しにいったとしてもおかしくはない。今にして思えば、今朝から妙にそわそわしていた。

(私としたことが……)

 失念していた。上意討ちのことばかり考え、蒼葉の様子に気が回っていなかった。

「それで、偽善はその後どうした?」

「不覚にも見失いました。どうやら私の二重尾行に気付いていたようでして。すぐに引き返して豪堂邸付近で明け方まで見張りましたが、再び現れることはありませんでした」

「ということは、下調べはできず終い。今晩の決行はまだない、か」

「おそらくは。もし強行するようでしたら、私が偽善を止めて共闘の話を持ち掛けましょう」

「頼む」

「では、明日の晩に決行、というつもりで準備なさってください。それまでに、もう一度報告に来ます」

「わかった」

 話が終わると、石は急いで家に戻った。

 案の定、蒼葉はいなかった。

 すでに日は沈み、周囲は闇に呑まれている。

(馬鹿なことを。なぜ私に相談しない? いや、相談すれば止められるとわかりきっていたからか。私が、もっと蒼葉の気持ちを考えていれば……)

 後悔している暇はない。

 石は急ぎ、蒼葉を探しに出た。



 昨晩、おそらく一瞬ではあろうが、蒼葉は悪斬り偽善に会った。となると、今日も同じ場所を探す可能性が高い。向かうは一刃流道場や豪堂邸がある屋敷町だ。

 石は提灯も持たず、現場に急行する。

 だが、屋敷町を一回りしても蒼葉の姿は見つからなかった。

 入れ違いになったか。あるいは捕縛されたか。

 諦めて家に戻った可能性は低いとみて、危険だが豪堂邸に近付き様子を伺うことにした。

 何か異変があったのなら、中から声が聞こえてくるかもしれない。

 石は見張りに気付かれぬよう慎重に進む。

 ほぼ真円の月が出ているため、灯りがなくとも周囲はよく見える。こちらから見えやすいのは好都合だが、向こうからも見えやすいのが難点だ。

 正門裏門の門番に加え、二名が屋敷の周囲を巡回しているため、容易には近付けない。

 どうにかして塀の中を伺えないだろうかと右往左往しているうちに、視界の端に妙な影を捉えた。豪堂邸の隣の屋敷の屋根に何かがいる。

(猫か? いや、大きい)

 影が動いた。

 猫ではないが、猫のような身軽さで屋根から路地へと降り立つ。

 そして、立ち上がった。

 遠目だが、かなりの長身であることがわかる。それに、あの武士らしからぬ長髪。

(奴か!)

 石は直感し、走り出す。

 影は逃げた。

 風体といい身のこなしといい、あのような真似をする者など他に考えられない。

 屋敷町を駆ける影を追う。速いが何とか付いていける。距離は付かず離れず。

 影は大通りを避け、入り組んだ小道に入った。

 速度は落ちない。袋小路にも入らない。どうやら、この辺りの地理に詳しいようだ。

 やがて、ひと気のない川沿いの道に出ると、影は不意に足を止めた。

「ふうー、俺の足に付いてくるとは大したもんだ」

 観念した様子ではない。むしろ誘い込まれた感じだ。

「お役人ってわけじゃなさそうだが、どちらさんだい? ――おっと、先に名乗るのが礼儀だな」

 今ここで斬り合いが始まるかもしれないというのに、ずいぶんと軽い口調だ。並みの胆力ではない。

「俺は、悪斬り偽善だ」

 ――やはり。

「で、そっちは?」

 向こうが名乗ったというのに、こちらだけ名乗らないわけにはいかない。

 仇だろうとなんだろうと、武士の礼儀は絶対である。

「私は雲月流の倉井石だ」

「ほう、雲月流か。ちょうどいい」

「どういうことだ?」

「いや、お宅の蒼葉を預かってるもんだからさ」

「なに!」

 石は太刀に手をかけた。

「おいおい、慌てんなって。人質の意味じゃねえよ。保護したってことだ」

「保護? 貴様が?」

「まあ、勝手に付いてきたとも言えるが……。とにかく、蒼葉は無事だ」

「そうか」

 最も恐れていた事態を回避できたことに、ひとまずは安心した。

「だが、貴様が師の仇であることに変わりはない」

 石は太刀に手をかけたまま半歩前に出る。

 偽善は動かない。

「やるのか? やるなら逃げるつもりはないが、ちょいと待ってくんねえかな。その前に斬らなきゃならない悪がいるんだ」

 その言葉で石は思い出した。

(そうだ、今はまだ……)

 君命がある。上意討ちを果たすまでは、この男と戦ってはならない。

「わかった。今は退こう」

 石は太刀から手を離した。

「ありがとよ」

「礼を言われる筋合いはない。それより、いつ決行するつもりだ?」

「明日の晩だ」

「では私も行く」

「はぁ? 行くって、あんたも豪堂を斬りに行くのかよ?」

「そうだ。実は――」

 石は上意討ちのことと、場合によっては共闘を持ち掛けるよう領主から命ぜられていることを話した。

「なるほどな。この俺を利用しようってことかい。なかなかの切れ者じゃないか、新しいお殿様は。だが気に入った」

「受けてくれるか?」

「ああ。そういうことなら俺が手下共の相手をするから、あんたが豪堂を斬ってくれ」

「いいのか? それでは……」

「いいんだよ。俺は手柄がほしいわけじゃねえ。悪が消えればそれでいいんだ」

「そうか……」

 不思議な男だ。師を殺した張本人だというのに、少しも憎悪が湧いてこない。今なら、蒼葉がこの男に付いていった気持ちがわかる気がする。

 だが、武士としてのけじめは付けなくてはならない。

「では明晩、二人で豪堂の屋敷に乗り込む。その後、改めて果し合いを受けてもらう。それでよいな?」

「構わねえ。だが、もう一つだけ、果し合いの前にやることがある」

「なんだ?」

「蒼葉に話してやらなきゃならないんだ。あいつの親父のことをよ」

 果し合いは真剣勝負だ。敗北は死。後回しにはできない。

「……いいだろう」

 石は静かに答えた。

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