第五話 矜持①
「これを持っていけ。策を練るのに役立つだろう」
話がついた後、偽善は石から一枚の紙を受け取った。
見ると、紙には豪堂邸の見取り図が書かれていた。
「へえ、こんなのよくわかったな」
「孝水様の配下の密偵が調べてくれた」
「じゃあ、昨晩つけてきたのも密偵だったのか。どおりで撒くのに苦労したわけだ。お殿様も、なかなか優秀な配下を従えてるじゃないか」
偽善は見取り図をよく見る。
「にしても、でかい屋敷だよな。新しいのを建てる必要がどこにあるのか、さっぱりわからねえ」
「我々には理解できん、贅沢な悩みがあるのだろう」
「たとえ民が苦しんでいても……か」
偽善はため息をつき、無数の星が輝く夜空を見上げた。
(どうして、こうなっちまうんだろうな。そんなに独り占めしなくても、もっとみんなで分け合って楽しくやればいいのに……)
悲しいが、そうは思わない人間もいるということだ。
欲に取り憑かれ、慈悲の心を失った怪物が。
そのような怪物に人の言葉が通じないことを偽善はよく知っていた。
故に斬るしかないことも。
石が言う。
「では、今日のところはこれで失礼させてもらう。くれぐれも蒼葉を危ない目に遭わせぬようにな」
「わかってるよ。それと、ついでに教えてほしいんだが、蒼助殿の墓はどこにある?」
「墓だと?」
「ああ。俺も一度くらいは行っておきたくてな」
自分を仇とする人間に聞くのは図々しいかと思ったが、命懸けの決行が明日であるからには仕方がない。
石は小さくため息をついた。
「……付いてこい。私も寄っていこうと思っていたところだ」
偽善は石に連れられて墓地までやってきた。
真夜中だというのに、そこには先客がいた。
白髪混じりの小柄な侍が墓前で手を合わせている。
「
石が呼び掛けると、男はこちらを見て立ち上がった。
「
男の目が大きく開かれる。
無理もない。向こうにとって自分は生きているかどうかさえもわからない存在だったのだ。
「久しぶりだな、由宮先生。本名で呼ばれたのは六年ぶりだよ」
「おお……!」
由宮先生は目に涙を浮かべながら偽善に駆け寄り、肩をつかんだ。
「生きて……生きておったのだな。それに、その顎の傷。お前が悪斬り偽善だったのか?」
「まあな」
偽善は小さく答えた。
「知り合いだったのか?」
石が横から聞いてきた。
「知り合いも何も、俺は十二になるまで由宮流道場に通ってたんだ。俺の先生だよ」
石と出会ったのが宿命なら、由宮先生と出会ったのは運命だろうか。
偽善には、今夜この二人と出会ったことが偶然とは思えなかった。
(これもあんたの導きかねぇ。蒼助さんよ)
三人で蒼助の墓に手を合わせる。
石にとっては師。由宮先生にとっては友。そして、偽善にとっては――
(なんだったんだろうな、俺とあんたの関係って。たった一度会っただけなのに、あんたとは何年も一緒だった気がするよ)
それが思い込みに過ぎないことはわかっていた。偽善は自ら作り上げた蒼助の幻影と毎日のように稽古してきた。だからそう思うだけだ。
石が由宮先生に聞く。
「しかし、師範はなぜこのような夜更けに墓参りを?」
「わしも気になって見にきたのだ。悪斬り偽善がどんな男かをな。結局、街では見つけられなかったが、このまま帰るのもどうかと思い、ふらりと寄っただけのことよ」
「そうでしたか……」
「まさか向こうからやってくるとは思わなんだがな。しかも、噂の悪斬り偽善が、かつての弟子だったとは。生涯で一番驚いたわ」
由宮先生はそう言いつつも、穏やかに微笑む。
「善太よ、お前は子供の頃から、ちっとも変わっておらぬな」
「はぁ? どこがだよ? 全然違うだろ」
「いいや、同じさ。お前は昔から何があっても信念を曲げない子だった。悪斬り偽善と名乗るようになってからも、人としての根っこの部分は変わらぬ。善太よ、お前がなぜ今のような生き方を選んだかは問わぬ。ただ、お前が変わらなかったことを嬉しく思う」
偽善は小さく苦笑した。
「弟子が天下のお尋ね者になったってのにそれかい。先生も変わってねえな」
「変わらぬ方が良いものもある」
「そうかもな」
悪斬り偽善として賞賛されたことは幾度もあったが、こんな風に言われたのは初めてだった。やはり故郷に帰ってきて良かった。
だが、あまり長く一緒にいるのは良くない。もし誰かの目に止まり、恩師がお尋ね者との関係を問われることになれば……。
山の方から冷たい風が吹いてくる。
偽善の身体がブルッと震えた。
「なあ、二人とも。いつまでもこんなところにいたんじゃ風邪引いちまう。積もる話はまたにして、そろそろ戻らねえか?」
由宮先生がしんみりと頷く。
「そうだな。善太、お前は今どこに泊まっている? なんならうちに来ても構わんぞ」
「いや、今は山小屋で凌いでるからいいよ」
「そうか。では、また来られる時があれば、いつでもうちに来なさい」
深くは詮索せず、ただ優しい言葉をかけてくれる。
そんな由宮先生のことが、偽善は子供の頃から大好きだった。
だが、今はその厚意に対し素直に返事をすることができない。
その理由を、石が代わりに言う。
「由宮師範、そのことですが……。実は後日、私と偽善は果たし合いをすることになりました」
「なに……!」
「不躾ではありますが、その際、師範には立会人になっていただきたいのです」
「なんと……」
由宮先生が複雑な表情をするのも当然だ。かつての弟子と友人の弟子が斬り合うところなど見たくはあるまい。
「どうしてもやらねばならぬのか? お主が善太を恨んでいるようには見えないが……」
「武士としてのけじめです」
その一言で由宮先生は黙した。
それから、しばらく考え込むように目を閉じた後、小さく答える。
「わかった、引き受けよう」
理由が何であれ、身内をやられて黙っているわけにはいかない。
悲しくも、それが武士という生き物だということは、偽善にもわかっていた。
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