別冊ハナとユメ 9

 遊園地を出て、見慣れた普段の通学路まで戻ってきた時には、さすがに辺りは薄暗くなっていた。

 今向かっているのは私の家。私は送ってもらわなくても大丈夫だと言ったのだけど、ユメは頑なに譲ろうとしなくて、結局二人並んで歩いている。


「今日はたくさん遊んだから、ちょっと疲れちゃった」

「明日はまた学校だから、寝坊しないよう気をつけてね」

「分かってるって。もし遅れたら、ユメまで付き合わせちゃいそうだし」


 きっと私が寝坊しても、ユメは待っててくれるだろう。だけど甘えてばかりはいちゃダメだってさっき決めたばかりだ。

 そんな話をしながら帰りついた我が家からは、ほんのり夕飯の匂いが漂っている。きっとお父さんもお母さんも、中で私が帰ってくるのを待っていることだろう。

 玄関の前まで来て、ユメに向き直る。


「今日はありがとう。夕飯、食べていく?」


 結局お昼はクレープしか食べていなかったから、きっとお腹が空いているだろう。

 お父さんもお母さんも、ユメのことは小さい頃からよく知っていて、夕飯に招待するのなんていつものこと。話してはいなくても、ユメが増えて不都合なんてことは無いはずだ。

 この前付き合い始めたことを報告した時も、二人とも快く認めてくれたし。お父さんもよく聞くような『お前に大事な娘はやらん』、なんて言うことはなかった。

 だけど、せっかく誘ったのに、ユメは首を横に振る。


「いや、今日はもう帰るよ」

「いいの?うちならきっと構わないよ」

「今日は大丈夫。家まで送ってサヨナラした方が、デートっぽいでしょ」


 はにかんだように言うユメを見て、思わずドキッとしてしまう。

 ま、まあユメがいいって言うなら仕方がないか。ちょっと名残惜しいけど、今日はもうサヨナラか。


「あ、そうだハナ、一つ聞いてもいい?」

「うん、何?」

「観覧車から降りる時、何て言いかけたの?」

「え……ええっ⁉」


 今それを聞く⁉

 あの時は雰囲気に流されたと言うか、つい勢いでキスをせがもうとしたけれど、今思い返せば恥ずかしさで失神しそうになる。キスをねだってがっつくなんて、私はいつからそんな肉食になったんだ?そりゃしたいとは思うけどさ、キス。でも、ねえ……


「べべ、別に、何もっ!」


 悟られないよう、必至になって誤魔化す。だけどユメは信じていないのか、怪訝な目で私を見る。


「もしかして、何か期待してた?」

「期待なんてっ……! あれは、ララが観覧車でキスが定番とか言うから、だから……っっ、あっ……」


 …………終わった。

 がくんと項垂れ、膝から崩れ落ちそうになるのはどうにか堪えたけど、心はポッキリと折れてしまった。こんな恥ずかしい事を考えてたってポロッと言っちゃうなんて、私はどれだけドジなんだ⁉


 きっと呆れられたに違いない。恐る恐る顔を上げると、ユメは口に手を当て、何か考える仕草をしていた。


「なるほど。もしかしてとは思ったけど、本当に……ハナ、俺とキスしたかったんだ?」

「わあああぁぁぁぁ!言わないで!い、今すぐ忘れて!」


 慌てて駆け寄り、手でユメの口を塞ぐ。しかしそれでも、器用に口を動かして話を続けてきた。


「ごめん、鈍くて。もっと早く、ハナの気持ちに気付いてあげられたらよかったのに……」

「もういいから!アレはララに言われたからつい意識しちゃっただけで、ただの気の迷いだから!今はしたいだなんて思ってないから!」

「本当に?これぽっちも?」

「もちろん!…………いや、そりゃまあ、ちょっとは興味が無い事も無いかなーって気はするけど……」


 この期に及んでなお、私は馬鹿正直だった。

 気まずくてつい視線を逸らしたけど、そんな私を見た夢はクスクスと笑う。


「何だ、やっぱりしたいんじゃない」

「そ、そんなんじゃないから!」

「よし、じゃあやろう」

「ちょっとは人の話を……って、ええっ⁉」


 やろうって、キスをだよね?いいの、そんな簡単に決めちゃって?

 焦って思わず一歩後ずさったけど、ユメもすぐに一歩前進してきて、距離が詰められる。


「で、でもキスだよ。ユメ、私の事甘やかしすぎ」

「別にハナに言われたからするわけじゃ無いよ。俺がしたいだけ」


 伸ばしてきた手で両頬を掴まれ、逃げ場が無くなる。慌てふためく私とは裏腹に、ユメは表情を変えずに、じっと目を見てくる。思えばユメは、昔からこう言う奴だった。面倒な仕事を任された時も、転んでけがをした時も、顔色一つ変えないで、淡々とやるべき事をやる。それがユメなのだ。


「ちょ、ちょっとだけ待って。深呼吸だけさせて。ユメはいいかもしれないけどさ、私はそんなに余裕無いんだから」

「……わかった」


 解放されて、宣言通り深呼吸をする。だけどユメがそんな私に、何だか不満げな視線を送っている事に気が付いた。


「何勘違いしてるのか知らないけどさ、俺だって全然余裕無いよ。何が正解なのかもわからないよ。今だってこんな風に抑えが効かないしさ」


 ユメの言葉にハッとする。そうだ、ユメは何も、余裕があったわけでは無い。ただ私の希望に応えたいと、ユメなりに必死だったのだ。それに気づけなかった辺り、どうやら私は、まだまだしっかりしなくちゃいけないようである。


「ご、ごめん」

「謝らなくていいよ。でももし嫌だったら、ちゃんと言ってね」

「い、嫌じゃないよ……」


 そう言って目を閉じて、少し上を向くと、さっきと同じユメの手の温かさが、両頬に伝わってくる。


「……動かないで」

「————————ンッ!」


 唇に柔らかな感触がある。初めてしたそれはとても甘くて温かくて、今までで一番近くに、ユメを感じる気がする。

 まだまだ新米のカップルで、分からないことだらけの私達だけど、これからもずっと二人でいられますように……

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