第2話 生まれるには幼過ぎて

彼が最期に目を醒ましたのは、白い空間。

文字通り白と言う概念しかなく、地面も空もただただ白でしかない。

見える果ても、そこが果てという概念すらない。

彼の意識は確かに、崩れゆく狭間市支部の中で潰えたのだ。

けれど、ここは確かに存在していて、自分も存在している。

この空間を異様だとは、不思議と湧かなかった。

自分が死んだと、ハッキリ自覚しているからだろうか。

そんな文字通り白い世界で、自分以外の"何か"がそこに居た。

それは人の形のように渦巻く靄だった。

色は赤黒く、胸の位置で何かが脈動しているかのように思える。

しかしそれは人と呼ぶにはあまりにも不完全で、触れてしまえば一瞬で塵芥になってしまうだろう。

「ここは天国…って言うにはキレイすぎるな。」

彼は言葉を紡ぐ、何故そんな言葉が出たのか分からない。

いや、紡ぐ言葉は何でも良かったのかもしれない。

ただ、彼は寂しかっただけなのだ。

孤独を感じたことなんてなかった、それははっきり言える。

けれど同時に、今この瞬間、彼は『孤独』を感じていたのだ。

「…ナユタが居ない世界なんて、寂しいだけだからな。」

彼はそう言いながら地面に座る。

靄は彼を見下ろすかのように、渦巻く。

彼は靄に対して、思いつく限りの、思い出せる限りの話をした。

自分の事、ナユタの事、家族の事、UGNの事。

…そして、自分の欲望"ネガイ"を。

わずか17年で築いてきたものは余りにも大きすぎる物を、まるで託すかのように。

伝えられるだけ、伝えた。

そこに意味があるかと問われれば、万人が否と答えるだろう愚行。

けれど、それでも彼は伝えたかった。

例えこの不明瞭で不明確な靄でも、誰かに伝えたかった。

聞いてほしかった、話してほしかった。

そこで、ようやく自覚をする。

「死にたく、無かったなあ。」

零れ落ちる涙を、彼は自分の腕で拭う。

けれど拭っても拭っても、涙は枯れない。

「ナユタの成長を見届けたかった、ナユタと共に生きたかった。」

「いつかナユタが恋をしたなら、その愚痴が聞きたかった。」

「ナユタが任務で動けなくなったら、おぶさって逃げたかった。」

「辛くとも、苦しくとも、それでも、一緒に笑っていたかった。」

ボロボロと、涙が零れ落ちる。

もう訪れることのない未来、決して見ることができない未来。

最早抱いていた感情全ては、後悔を後押しする材料でしかない。

白く何もない空間で、靄が彼を見下ろす中。

ポタリ、と涙が白い空間に吸い込まれていく。

―――それが、運命を狂わせた。



白の空間に初めて、色が芽吹いた。

零れ落ちる涙が、白い空間に吸い込まれ、そこから徐々に青が広がっていく。

まるで空を映し描いたように、青く染まる。

彼はこの異様な空間に、初めて『違和感』を覚え、顔を上げる。



視界の先には、先ほどまでと同じ靄がそこにあった。

違うところがあるとすれば、それは。

明確に意思を持ち始めた、と言うべきだろうか。

人間であれば口に該当する器官を動かし、声を出す。

「………、……?」

発音、というべきだろうか。

確かに彼に対し何かを伝えようとしている、が。

口を動かすだけで、声らしきものは聞こえない。

だが、彼になら分かる。

靄は自分に問いかけているんだ。

「そんなに生きたかったのか?」と。




「ああ、生きたかったよ!俺は死にたくなかった!けれど…」

手を握りしめ、歯を噛みしめ、腫れた目を見開く。

「…人間は、一度死んだら終わりなんだ。」

そして、弱々しく言葉を放つ。

これは幻、死という概念が迫るほんの数刻の夢。

そう思っていたはずなのに。

するとその靄は握りしめていた手を包み込むように覆う。

そこには、確かに人間特有の、ぬくもりを感じた。

「生きたい、のか。」

靄は、今度は明瞭に言葉を発した。

それに驚きながらも、けれど彼は靄に対し言葉を続ける。

「生きたい、ナユタのそばに居てあげたい。」

靄はその言葉に対し、少しの間だけ黙り込み。

そして。

「じゃあ、僕が君の代わりに生きよう。」

彼がその言葉を聞いてふと顔を上げると。

―――そこには自分がいた。

自分と同じ姿、自分と同じ顔、自分と同じ声。

何もかもが瓜二つで、目の錯覚かとも思える存在。

もう一人の『朝奈擬汐音』が、彼の目の前に立っていた。





「お前、は。」

「君の話を参照に身体を作ってみたけど、間違ってないかな?」

目の前の『朝奈擬汐音』は自分の身体をまじまじと見やる。

彼は流石の事に言葉を失うが、目の前の『朝奈擬汐音』は構わず言葉を紡ぐ。

「僕は元々生まれるはずがなかったんだ、せいぜい空気中に漂うレネゲイドの一部でしかなかった。」

「けれど君のおかげで僕は生まれた、君の心が、魂が、記憶が僕を生み出してくれた。」

もう一人の自分は、ただ言葉を紡ぐ。

まるで分析した結果だけを打ち出す機械のように冷たく。

それでいて生まれた事に感謝をする人間のように暖かく。

決して交わることのない大きな矛盾を孕んでいるが、しかしそれでいて一つの芯を通していた。

呆気に取られていた彼は、ハッと我に帰る。

そして呆れたようにため息をつきながら、彼に問いかける。

「お前は、俺を『生き返らせ』ようとしているのか?」

死んだ人間は決して蘇らない、例えレネゲイドウィルスが蔓延しているこの世界でも、その事実は変えがたいのだ。

例え蘇ったとしてもそれは人間ではなく、ただの一匹の化け物でしかないのだから。

「僕はね、君の記憶と、君の話を参照して生み出された。現代社会におけるバックアッププログラム、って言うべきかな?」

「君が考えている通り、人間は決して生き返らない。君も決して生き返ることは無い。」

淡々と、しかし事実を伝える目の前の自分に、何故か嫌気がさす。

こんなにも自分はリアリストだったか、とさえ思ってしまう。

しかし『朝奈擬汐音』は言葉を続ける。

「けれど、さ。僕も君の想い人である榊ナユタ、だっけ?彼女を悲しませたくはないんだ。」

「ばっ…だ、誰がナユタが好きだって言ったんだよ!おい!」

「言っただろ?僕は君のバックアッププログラム、つまりは君の思考は僕と同期されていると思ったほうがいい。」

彼は顔を赤らめ、目を伏せる。がそれすらおかまいなしに彼は言葉を続けた。

「だから僕が代わりを務めるよ。流石に僕は領域外の化物レネゲイドビーイングだから彼女に恋は出来ない…そもそもそういう感情は人間しか持ち得てはいけない特権だからね。」

「『朝奈擬汐音』を知る者が死ぬまでは、僕が代わりにあの世界で生きてあげる。」

突拍子もなく、思わず呆れを通り越して笑ってしまうかのような提案。

けれど、とても魅力的に聞こえてしまう自分がそこには居た。

ならば、と彼は『朝奈擬汐音』の肩を叩く。

「ならお願いしようか、みんなが居なくなってお前が死んだら…そうだな。」

「ナユタの愚痴でもいいながら二人で話そうか、きっとナユタは簡単には死なないぞ。というかお前が死なせない、そうだろ?」

そこに託されるのは、想いと、欲望"ネガイ"。

『朝奈擬汐音』は頷き、置かれた手を握る。

「ええ、朝奈擬汐音は死なせません。ナユタも死なせない、仲間ができたら今度こそ守り抜いて見せる。」

「…約束、しますよ。」

『朝奈擬汐音』が言葉を口にしたときには、もう『彼』は存在しなかった。

朝露に溶ける幻のように、青の空間へと吸い込まれていく。

「…さようなら、かつての『朝奈擬汐音』。」

「僕は君のようにまっとうに生きることは出来ない、ならばせめて。」

「彼が守りたかった物、守るべき者を守ってあげましょう。…『シオン』として、ね。」

シオンが言い残し、彼もまた青の世界に溶けるように、姿を消す。

かつて白い空間だった場所には何も残らず、ただ青で塗り潰された世界が広がっていた。









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"シオン"-Lost Begining- @randol0025

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