でも。だって。好き。

 私は悠の彼女で、悠は私の彼氏なわけだから、当然デートだってするわけだ。恋人同士だからデートするのは当たり前の話だ。だから、私たちはデートをする。手も繋がないし、キスだってしないけれど、デートはする。必然的にどちらからともなく約束をして出かける。嘘。大体悠が誘ってくれる。でも最近デートをしていない。だって――。違う。私がなにも言わないからだ。私が誘わないからだ。

 でも――。間違えた。どうして、悠は誘ってくれなくなったのだろうか。私に飽きたのだろうか。それならしょうがない。他に好きな人が出来たのだろうか。それもしょうがない。私のこと嫌いになったのだろうか。それはきっととても悲しい。

 だからってなにもしないなんてことはない。だって私はデートがしたい。悠とデートをしたい。だから、誘った。

 誰も居なくなった放課後の教室。悠に残るようにお願いをした。

 そして、言ったのだ。頑張って言った。

「今度の日曜。映画行きませんか?」

 なぜか敬語になった。

 悠は嬉しそうに顔を赤くして、私を見ている。見ているだけで、なにも言わない。うんともイエスとも喜んでとも言わない。

「そのあと、公園でも行ってさ。散歩して、お弁当食べよう。私作るから」

 私たちがよく行く大きな公園。池があって、小さな林があって、芝生の広場がある。しかも私たちが通う高校から結構離れている。今までそこで学校の人に会ったことはない。もちろん行くまで電車賃がかかるけど、電車の中では離れたところに座っているけれど、ふたり一緒の車両に乗れるだけで私は満足だった。

 お弁当だって、自分で言うのはなんだけど、ちゃんと作れる。冷凍食品なんて使わない。前の晩から下準備をして、早起きをして作る。料理だって、洗濯だって、掃除だって私はできる。お姉ちゃんや希はまったく出来ないけれど、私は出来る。悠だって、おいしいって私のお弁当喜んでくれた。また作ってと言ってくれた。でも――。なし。今のなし。悠は私の顔を見ないで言ったのだ。

「行かない」

「な、なんで? なにか予定あった? じゃあ土曜日は?」

「ないけど、行かない。行きたくない」

 行きたくない。なんで、どうして。一体全体どうなっているのか。

「意味わかんない」

「行ったら、手繋いでくれる?」

「無理」

「キスしてもいい?」

「スケベ」

「スケベじゃない! こ、これは純真な邪な気持ちだよ!」

 いや、意味わかんねえ。

「じゃあ、結婚してよ。そうしたら式で誓いのキスできるでしょ。何回でも誓いまくってあげる」

「結婚って言うけど! 俺たち、手だって繋いでないし! キスだってしてないし! ツーショット写真だってくれないし!」

 まだ諦めてなかったのか。意外に執念深い。

「小指繋いだだけでしょ」

「指じゃん! しかも小指じゃん!」

「私は悠の手のひら堪能したしー」

 ふふん。わざと口角をぐぐっとあげて、見下すように悠を見る。実際は物理的に見下されているのは私だけれど、そこは今は関係ない。大切なのは気持ちだ。

「ず、ずるい! ずるいぞ! 霞だけずるい! ずるだ! ずる! 霞のずるっこ!」

 顔を真っ赤にして悠は怒る。ずるっこって。子供か。それが結婚できる年齢の男が言うことか。イケメンが台無し。悠がこんなに子供っぽいなんてこの学校で知っているのは多分私だけだろう。じゃないとあんなにモテるわけがない。

「大体、結婚結婚結婚結婚ってなんでそんなに結婚したいの!」

 なんでと言われても、したいからしたいのだ。

「したいからしたい」

 そう。したいからしたいのだから、したいからしたいとしか言いようがない。

「な、なんだよそれ! 人の気も知らないで! もう知らない! バカ! 霞なんて嫌い!」

 悠の言葉に心臓がぐぬっと痛む。胃がぎゅるりと収縮する。顔は笑顔にしようと頑張る。口角をあげろ。あがれ。口角。

 私の顔を見た悠は鞄を掴んで教室から走って逃げた。なんだよ。逃げることないだろ。子供か。私は余裕でいいよって、笑って許してあげるのに。今だって笑っているのに。

 でも――。違う。だって――。間違い。とにかく、やっぱり、思った通り、今、私はとても悲しい。



「あー。それはお姉ちゃんが悪い。二千パーセントお姉ちゃんが悪い」

 えー。そんなにデスカ?

「一パーセントくらい悠の――」

「ないないない。お姉ちゃんが完全完璧フルで悪い」

 リビングのソファに座った希は私が上納したダッツを手に、スプーンでカーペットの上に正座をしている私を指して言う。

「大体ね」

 希はスプーンでアイスをひとくち食べる。

「男子高校生が手も繋げない。キスも出来ないで我慢できるわけないの」

 またひとくち。

「それに結婚なんて重い。ヘビィすぎ。男子高校生に抱えきれない。悠さんほんと今までよく我慢してたよね」

「……はい。おっしゃる通りです」

 ぐうの音も出ないとはまさにこのことで、まさか十才にここまでボコボコにされるとは思ってもいなかった。頭の出来も精神年齢も私とは違うらしい。私はただ話を聞いてくれればよかっただけなのに。まさか説教されるとは思ってもみなかった。

「そもそもさ。する。普通。私、悠さんに振られたんですけど? そんな人の相談する? そういうとこだよね。お姉ちゃんの悪いところ。考えたことある? 人の気持ちってやつをさ。まあ、私はいいよ。いいんだけどね。ダッツももらったし」

 ぐさりとアイスにスプーンを突き刺して、ぐるりと大きくえぐる。カップ四分の一ほどのアイスの塊を希は口にねじ込む。口の中冷たくないのだろうか。

「ちょっと聞いてるのお姉ちゃん。話くらいは聞こうよ」

 アイス癖の悪い妹だ。そこまで言うことないんじゃないかなぁ。お姉ちゃん傷心なんだけど。だけれども、今はとりあえず謝っておこう。謝っとけば大体なんとかなる。

「……はい。すいません」

 私が再び妹に頭を下げると、いきなりドアがバン! と派手な音とともに開く。

「話は聞かせてもらった!」

 そこにはやっぱり予想通りお姉ちゃんがいた。

「イズちゃん、おかえりー」

「カスちゃん! ノゾちゃん! ただいま!」

「おかえり……。で、どこから聞いてたの?」

 いくらお姉ちゃんとはいえ、盗み聞きなんてよくないと思う。

「『……はい。すいません』ってノゾちゃんに土下座してるところから!」

「よくそれで話に入ってきたな」

 全然聞いてないじゃん。しかも土下座なんてしてないし。

「でも、大体わかるよ。悠くんと喧嘩したんでしょ」

 お姉ちゃんは希の隣に座る。私はまだ正座したまま。

「そうなのー。それで私が相談にのってあげてたの」

 いや、だから、話を聞いて欲しかっただけで、あんなボロカスに言われるつもりはなかったのですが。

「大体さ。なんでお姉ちゃんは悠さんとそんなに結婚したいの?」

「したいからしたい」

 だから、そうとか言いようがない。

「そっかー。じゃあするしかないねー。結婚。やっぱり悠くんが弟になるのかー。楽しみー」

「悠さんがお兄ちゃんか。私も楽しみ」

「でも、それじゃ悠くんわけわからないんじゃない? 私はわかるけどー」

「あー。そっか。そうだよね。悠さんにはわからないか。私もわかるけど」

 だから、なんでわかるの。私にだってわからないのになんでお姉ちゃんも希もわかるの。

「私……なんで悠と結婚したいんだろう」

「それは自分で考えて悠くんに言ってあげないとダメだよー」

「お姉ちゃん、他人の気持ちだけじゃなくても自分のこともわからないの?」

 希の言葉は尖すぎて今の私にはこれ以上耐えられないかもしれない。

「もう関係ないよ……。悠に嫌われちゃったし……」

 トドメは自分で刺した。自殺である。自分の言葉で心臓が抉れて、胃が捻れる。

 そう。私は悠に嫌いと言われた。ということはつまり嫌われたということだ。そうなったらもう終わり。なにもかも終わり。なくなった。全部。バイバーイ。

「悠が私を好きって言ったから、私たち付き合ってたのに、霞なんて嫌いって言われちゃった……」

「好きって言われたから付き合ったの? お姉ちゃんチョロくない?」

 希の言葉にももう卑屈な笑みを返せる。死んだ心はもう痛みを感じない。ある意味無敵だ。ゾンビマイハート。

「誰かに好きって言われたのはじめてだったから……。そんなの。しょうがないじゃん」

 ふたりにはきっとわからない。好きなんて言われ慣れているに決っている。お姉ちゃんは今でこそフリーだけれど、いつも大体彼氏がいる。希に『告られちゃったー』と自慢されたことは何度もある。私にはそんなのなかった。

「はじめて……? 悠くんが?」

 お姉ちゃんは不思議そうに私を見る。

「はじめてだよ。文句ある?」

 もう知らん。なにもかも。

 お姉ちゃんと希は目を合わせている。なんのアイコンタクトだ。そんなにおかしいか。もうあれが人生、最初で最後の『好きです。付き合ってください』だよ。ばか。笑いたきゃ笑え。

 私の心の中での罵倒が伝わったのかどうか知らないけれど、ふたりは静かに頷きあって、揃って私を見る。

「お姉ちゃん好き!」

「カスちゃん好き!」

 そして、ほぼ同時にふたりは叫んだ。

「イエーイ。私二番ー」

「えぇー。ノゾちゃん三番でしょー。私が二番だよー」

「私のほうが言い終わるの早かったしー」

「そんなことないよ! お姉ちゃんのほうが早かったよ! そうだよね! カスちゃん!」

「お姉ちゃん! 私のほうが早かったよね!」

 私は呆気に取られて、ふたりがなにを言って、なにを争っているのかまったくわからなかった。わけがわからない。

「ねえ。お姉ちゃん今のちゃんと聞いてた?」

「聞いてたけど……。なに? いまの?」

「だから、私はお姉ちゃんのこと好きだよって話。恥ずかしいから何回も言わせないでよ」

 希はそう言って、アイスを食べる。

「私もカスちゃんが好きだよーって話だよー。好き好きだよー」

 お姉ちゃんは手でハートマークを作る。やめろ。妹にそんなこと。可愛いのがムカつくわ。

 お姉ちゃんと希が私のことが好き。そんなの言われなくてもわかっていたと思う。当たり前の話だ。家族だもの。いや、本当に私はわかってわかっていたのだろうか。私はふたりに今まで好きなんて言われたことないって言ってしまった。それはふたりにとってどういうことなのだろうか。私はとてもひどいことを言ったのだろうか。

「私、さっきお姉ちゃんが言ってたことで気付いたの。人間、言葉にしないと伝わらないんだなって」

「ほんとにねー。好き好きオーラだけじゃ足りないんだねー」

「だから、お姉ちゃんも悠さんにちゃんと言わないと伝わらないよ」

 そんなのわかってる。わかっているけど。

「でも――あっ……」

 禁止されていたのにでもと言ってしまった。だけど、お姉ちゃんはなにも言わずに私を見ている。だから、私は続ける。

「でも、嫌いって言われちゃった……」

「そっか。でも?」

 お姉ちゃんは私を導くように言う。

 嫌いって言われた。でも、それでも、でもでも私は――。

「でも、私は……悠が好き」

「うん。そうだね。だって、そうだよね」

 そうだ。嫌いって言われても、そんなこと言われたって、だって、私は――。

「だって、だって好きなんだもん。私は悠が好きなんだもん」

 私の口から出てきたのはたったこれだけ。だって、しょうがない。これしかない。悠が好きなんて知っていたし、わかっていた。当然のことだった。だって、私は悠の彼女で、悠は私の彼氏なのだ。好きに決っている。それにただの好きじゃない。

「めちゃくちゃ好き。だから、結婚したい。だって好きだもん。だったら結婚するしかないじゃん。だって、それしかないじゃん」

 自分でもなにを言っているのかよくわからない。好きだから付き合って、好きだから結婚するのだろうか。なんか変。でも、結婚したいという気持ちは本当のこと。嘘じゃない。

「じゃあ、まずはそれを悠くんにお伝えしないとね」

「お姉ちゃん。いってらっしゃい。暗いから気をつけてね」

「うん。いってきます」

 わからないけど、悠に会いに行かないといけない。でも、会ってくれるかな。でも、会いたい。だって会いたいんだから。だから、しょうがない。行くしかない。

 でも、その前に言っておくことがある。

「わ、私も……私もお姉ちゃんと希のこと好きだよ」

 あー。恥ずかしい。これ、思った以上に恥ずかしいです。顔が真っ赤になるのが自分でわかる。よく言えたなふたりとも。悠に言うのとは違う種類の恥ずかしさがある。

 ふたりはなにも言わず、私をにやにやと見てくる。

 その視線から逃れるように、そして、悠に会いに行くために私は立ち上がる。立ち上がろうとする。でも、動けない。その場で固まる。足が動かない。足がめちゃくちゃ痺れている。だって、しょうがない。だって、ずっと正座してたから。

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