社会人。お姉ちゃん。姉。
「カスちゃんー。振られたー」
そう言いながら部屋に入ってきたデカイ女はそのまま私のベッドにダイブした。
「お姉ちゃん。いつも言ってるけど、その呼び方やめて」
「なんで? 可愛いよ。
いや。全然可愛くないから。カスちゃんはないだろ。いじめかよ。でもお姉ちゃんには悪気はまったくないのも知っている。だから余計に質が悪い。悪気がないからやめてといってもやめないのだ。
「結構です」
「えー。ノゾちゃんは呼んでくれるのにー」
「もう。いいから出てってよ」
「どうしたのー。カスちゃん。元気ないのー?」
お姉ちゃんはベッドから起き上がり、私に抱きつく。そして、頭を撫でる。身長に比例したのか知らないけれど、無駄にでかい胸に頭が埋まる。
「元気だせー。どう? どう? でた? 元気でた?」
「はいはい。でたでた」
美人で、背が高くて、髪が長くて、性格も社交的で、スキンシップも得意で、おっぱいがデカいという条件をすべて兼ね備えている人間なんてそうそういないだろって思っていたけど、いました。めちゃくちゃ身近にいた。でも、なんでお姉ちゃんが思い当たらなかったというと、それはそれで理由がある。
「お姉ちゃんこそ振られたのに元気じゃん」
「カスちゃんが元気になったから元気になったよー」
なにを言っているのかわからん。順番がおかしくないか。あとカスちゃんやめろ。
「今日ね。憎い! この世の全てが憎い! って気分だったの」
怖い。なにがお姉ちゃんをそこまで駆り立てたのか。
「これはもう金属バットでも買うしかないと思ったんだけど、帰り道に出会っちゃったの」
なんで金属バット買う必要があるのかが一ミリもわからない。
そう。いくら容姿がよくても社交的でも、肝心の中身が終わっている。はっきり言ってお姉ちゃんの考えていることはまったくわからない。簡単にいうと頭がおかしい。
「背が高くてね。私と同じくらいかな。可愛い顔した男の子。カスちゃんと同い年くらいかな?」
なにか嫌な予感がするんですが。
「ほら。この子だよぉ」
そう言って、お姉ちゃんがスマホを見せてくる。私は眉間に皺を寄せて、目を凝らす。部屋でダラダラしていたから、眼鏡をしていない。
スマホの画面には嫌な予感通り悠がいた。そして、なぜかお姉ちゃんとのツーショット。悠とお姉ちゃんは頬と頬がくっつきそうな至近距離。いや、くっついている? ギリセーフ? ああ、眼鏡。部屋でボケっとしてたから眼鏡してない。見えない。眼鏡どこ置いたっけ。大体、私だってまだ悠とのツーショット写真なんて持ってないんですけど。恥ずかしいから私が断っているから自業自得なんですけど、なんでお姉ちゃんに先を越されるのかはわけがわからない。
「子犬みたいで可愛いよねぇー」
本当に血は争えねえ。
「なんで写真撮ってるの?」
「えー。可愛いからー。一緒に写真撮っていいー? って聞いたら撮らせてくれたよぉ」
あいつ。明日覚えてろよ。なに逆ナンされてんだ。私の彼氏だろ。
「それでねー。お姉さんといいことしないー? って聞いたんだけどねー」
「いいことって?」
「バッティングセンターいこー。お姉さんこう見えても社会人だからおごっちゃうぞ。って言ったんだけどね。いかないってー」
金属バット。そこで回収してくるのね。バット持参でバッティングセンターって、別に普段から野球やってるわけじゃないのにおかしいだろ。バッティングセンターにはバット置いてあるだろ。
「年上はダメなのー? って聞いたらねー。彼女いますから。だってー」
さすが。私の彼氏。そこは明日褒めてあげないといけない。出来るかな。
「じゃあ、お友達になってーって、『石黒泉です!』ってちゃんと自己紹介したらね。『高須悠です。石黒さんですか?』、『うん! 石黒泉です! いしにくろいと書いて石黒です!』、『ひょっとして、霞さんって妹いらっしゃいますか?』、『え! いるよ! なんで知ってるの!』」
いきなり始まる悠とお姉ちゃんの出会い編。なにこの寸劇。声色まで変えてなにやってるんだ。しかもなんで声、似てるんだよ。どんな才能だよ。
『あの、俺、いやぼ、僕! いしぐ……霞さんとお付き合いさせていただいています!』、『まあ! 素敵! とても奇跡! じゃあ将来は私の弟くんになるんだね!』」
妹の彼氏になに言ってるの。そしていつまで続くのこの感じ。
「『いや、まあ、それは……』」
ここでもやっぱり悠は口を濁したらしい。やっぱり私とは結婚したくないのだろうか。
「『ほら。お姉ちゃんって呼んでみて!』、『え、いや、それは』、『ほらほら泉お姉ちゃんって。言わないと君の彼女に、彼氏がナンパされて喜んでたって言っちゃうぞ』、『い、泉お姉ちゃん……』、『もう一度! 大きな声で!』、『泉お姉ちゃん!』、『よし! 帰ってよし!』と、いうことがあったんだよー」
どういうことだよ。長い割にはなんにもわからん。
「つまりねー。私、早く弟が欲しいなーってこと!」
「……どうしたらいいと思う?」
こんなお姉ちゃんにこんな相談をするなんて馬鹿げているとは思う。だけど、どうしたら悠のお嫁さんになれるのか私にはもう皆目見当がつかない。
美人でもそうじゃなくても、背が高くても低くても、髪が長くても短くても、性格が社交的でも内向的でも、スキンシップが得意でも不得意でも、おっぱいが大きくても小さくても、年下でも年上でも、妹でも姉でも、悠は彼女の私を選んでくれた。でも結婚はしてくれない。
お姉ちゃんはキリッとした顔で片膝をつき、どこからか一輪の薔薇を取り出して、言った。
「貴方を愛しています。結婚してください」
いきなりのプロポーズ。顔だけは良いから、妹とはいえドキッとしてしまう。こういうとき美人は得だと思う。まあ大体の場面において美人は得なのだけれど。お姉ちゃんにしても希にしても顔の作りが私と違いすぎて、本当に私と姉妹なのか疑いたくもなる。でも、私たちは本当の本物姉妹だ。一度、冗談で「私って橋の下で拾われたのかー」なんて言ったら、お姉ちゃんはおもむろに一枚の紙を取り出して「こんなこともあろうかとDNA鑑定しています。私たちは本物の姉妹です」と高らかに宣言していた。DNA鑑定をしている時点でお姉ちゃんも疑ったことがあるのでは。と思ったりもしたけれど、それは言わぬが花。姉妹であることに変わりはない。
「い、いきなりなに?」
「え? どうしたらいいのって言うから。こうすれば女の子はイチコロだよ!」
「悠は男なんですけど……」
「男の子もイチコロだよ!」
本当かよ。
「本当だよ!」
心を読むな。
「カスちゃん。悠ちゃんにちゃんと言った? 結婚してくださいって」
「ちゃんとは言ってない……」
「ほらぁ! どうせカスちゃんのことだから、結婚してくれないと手を繋いであげないとか言ったんでしょ!」
なぜそれを。
「お姉ちゃんにはなんでもお見通しなんだよ!」
お見通しすぎて怖いんですが。でも、確かにちゃんと結婚してくださいとは言ったことはなかったかもしれない。ような気もする……。いや、言ってない。
「でも、でも、だって……」
「でもでもだってじゃなくて、ちゃんと言わないと伝わらないよ」
「でも……」
「でも禁止!」
「だって……」
「だって禁止!」
厳しい。お姉ちゃんはたまにすごく厳しい。
「……うん。がんばる……」
「うん。がんばれ」
そう言って、お姉ちゃんはまた私の頭をぎゅーと抱きしめて、頭を撫でてくれた。
朝になって、早速、実践だ。と通学路で悠を待っていたけれど、いざ悠に会うと出来ない。あんなのお姉ちゃんだから許される。私がやったらただのギャグだ。薔薇だってどこからも出てこない。
「おはよう。か、霞」
相変わらず悠は私の名前を呼ぶだけで顔が真っ赤だ。お前は真っ赤な薔薇か。
「おはよう。ねえ、悠」
でも、私だって決意をしてきた。だから、その決意は他のことで消費することにする。じゃないと決意がもったいない。もったいない精神。
「昨日、ナンパされて喜んでたでしょ?」
「なっ……」
悠の赤い顔から血の気が引いていく。一気に顔色が悪くなる。
「ちがちが、ちがう。あれは、か、霞のお姉さんとたまたま会って、それでそれで、バッティングセンターに誘われて、断って、そ、それだけ!」
「『泉お姉ちゃん!』って大声で呼んで喜んでたんでしょ?」
「喜んでない! 喜んでない!」
「お姉ちゃんとツーショット写真撮ってたよね?」
「あ、あれは! お姉さんに頼まれたから!」
撮るんだ。頼まれた撮るんだ。私とはまだ一枚も撮ってないのに。
「謝って。私の目を見て謝って」
私がそう言うと悠は渋々姿勢を低くする。身長差がある私と正面から目を合わすにはそうするしかない。それは分かっていた。
悠と私の目が合った瞬間、私は悠と頬をくっつけてスマホで写真を撮る。悠の頬は柔らかくて温かった。
「えっ」
「こ、これで許す! 全部許す!」
ちらりとスマホを確認する。よし。ちゃんと撮れてる。保存。決意消費完了。
「そ、それ! その写真! 俺にも送って!」
「わ、私と結婚してくれたらね!」
私は早足で歩く。またちゃんとは言えなかった。でも、私なりに頑張った。後ろから悠の不満げな声が聞こえる。でも私は振り向かない。多分、今、私の顔は真っ赤だろう。それこそ真っ赤な薔薇みたいに。だから、私は歩く速度を緩めない。スマホを見る。顔がにやける。そこには驚く悠と固い表情をした私のツーショットが映っている。
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