小学生。お兄ちゃん。妹。
背は低い。髪も短い。胸も小さい。いつもの私が鏡に映っている。それに、性格も社交的じゃないし、スキンシップは苦手だ。でも、私は悠の彼女で、背が高くて、髪が長くて、胸が大きくて、性格も社交的で、スキンシップが得意でも悠の彼女にはなれなかった。
だから、そこはそれでいい。十分すぎる。でも、足りないのだ。私が悠と結婚するにはまだなにかが足りない。そのなにかが分からない。私には足りないところが多すぎる。
私だって、本当は悠呼び出し係なんてしたくない。でも、しょうがない。これもすべては足りないなにかを見つけるためだ。そのためにはリスクを負わなければならない。最悪の結果として悠を取られるというリスクを負ってでも、私は私に足りないなにかを見つけ出さなければならない。なぜなら、悠と結婚したいから。
結婚という圧倒的な結果を得るためにはリスクを取るのは当然なのだ。リスクは取るけれど、心のどこかで多分大丈夫という思いもある。だって、私は悠の彼女だから。それは不安定なものだということもわかっている。悠を信用していないわけではないけれど、心変わりすることだってやっぱりあると思う。ただでさえ悠に告白する女の子たちは可愛い子揃いだ。でも、多分大丈夫。大丈夫。そのはず。うん。そう、折れなかった左手の小指を撫でながら思う。
「お姉ちゃん。なんで小指嬉しそうに撫でてるの。折ったの?」
後ろからいきなり声をかけられて、思わず小指を撫でる手に力が入る。今度こそ折れるかと思った。
振り返るとそこには妹の
「自分の指折って喜ぶやつがいる?」
「彼氏への告白仲介してる人がいるくらいだからいるかも」
口が減らない妹だ。誰に似たんだ。
「お姉ちゃん似だから」
「心を読むな」
希のこういうところは自分でも自分に似ているとは思うけれど、似ているのはそれくらいでほかは全然似ていない。
希はまだ小学四年生だというのに、背はそろそろ私に追いつきそう。髪も背中くらいまであるふんわりウェーブである。髪くらい私だって放っておけば伸びるけれど、伸ばしても希のようにはならない。私はウェーブがきつすぎる。荒波だ。油断するとブロッコリーみたいになる。というかまず顔が違う。姉の私が言うのもおかしいけれど、希は美人だ。小学生に美人もおかしい気もするけれど、他に言いようがない。このまま背が伸びればモデルにでもなれるんじゃないだろうか。でも、今はやっぱり子供だ。美人だけど子供らしいあどけなさも持っている。
「ねえ。お姉ちゃん。お願いがあるんだけど」
珍しい。希が私にお願いなんて。
「悠さん。呼び出してくれない?」
お前。まさか。
「私。好きみたい。悠さんのこと……」
そのまさかでした。いや、悠呼び出し係として学校にその名を轟かせている私といえども実の妹の告白に手を貸すっていうのはどうかと思う。しかも希は私と悠が付き合っていることを知っているのだ。それでもなお告白をするというのか。しかも私に、悠の彼女である私に頼むか。悠の呼び出しを。恐ろしい。ほんと。怖い。
ていうか写真見せただけじゃん。話したこともないじゃん。それでなんで好きになるのよ。
「悠さん。かっこいいよね。それに可愛い。子犬みたい……」
血は争えねえ。
「……いいでしょう。私にも悠呼び出し係としての矜持がある」
無駄に眼鏡をクイッと押し上げる。いくら可愛いとはいっても希はまだ子供。ガキ。お子様。悠がなびくはずもない。妹の子供時代のほろ苦いセピア色の思い出作り協力するっていうのも姉としては大事なことかも知れない。
「捨てたら? そんな矜持。あ、捨てるのは私のお願い聞いてからにしてね」
頼んどいてその態度はあんまりでしょう。
「ただし。条件がある。これを背負って告白をしてもらいます」
取り出したるは、こんなこともあろうかと用意していたランドセル。
「私のランドセルじゃん。去年、ランドセルは卒業したんだけど……」
そう。希はなんかいつの間にか可愛いバッグで学校にいっている。ランドセルはもう使っていなくて、希の部屋の隅で埃をかぶっていた。それを私が発掘し、埃を拭いて、中に希の教科書を詰めておいた。やっぱり重さがないとリアリティが出ないと思うのだ。空のランドセルを背負うのになんの意味があるのだろうか。それじゃあただのコスプレだ。
「やっぱりランドセルが小学生のアイコンだから」
ひょっとして万が一悠がそのアレなら、アレだったなら私はもう諦めるしかない。それを確かめるためにも小学生という事実はより強調しなければならない。
「意味がわからない。でも、まあそのくらいなら別にいいけど」
ほう余裕じゃないか。
「でも、本当にいいの? お姉ちゃんの彼氏取っちゃうんだよ?」
希は不敵に笑う。それは強者の笑みだ。小学生にしてその余裕。こいつ、自分が可愛いことを自覚してやがる。悠に告白しては散っていった女たちも、私に仲介を頼んできたときは似たような笑みを浮かべていた。それでも希のその笑みを見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。格が違う。今はまだ子供だ。だけど、こいつはいずれ手がつけられなくなる。そんな予感がした。
だけど、今はやっぱり子供だ。だから、まだ大丈夫。多分。おそらく。
私のスマホを使って、希には悠を呼び出してもらった。
『霞お姉ちゃんの妹の希です。いきなりごめんなさい。お年ちゃんのスマホ借りて送ってます。お姉ちゃんのことで悠さんに大切なお話があるんです。とっても大切なお話なんです。お話聞いてもらっていいですか? お姉ちゃんには内緒で、ふたりだけで会いたいんです。……ダメですか?』
あいつのどこからこんな文章が出てくるのか。私には到底思いつかない。小学生が考えうる文章なのかこれは。何事もリアリティが大事だからと希に自分で文章を打たせたらこれである。ほんと怖い。妹が怖い。
さすがの悠も私のスマホから私の妹から私のことで大切な話があると言われれば、呼び出しに応じるらしい。
そして、近所の公園で今、悠と希が向かい合っている。私はそれを植木の陰から覗いている。
「悠さん。はじめまして。お姉ちゃんの、霞お姉ちゃんの妹の希です」
「はい。はじめまして。高須悠です。お姉さんとは、その、なんというか仲良くさせてもらっています」
私のところからは相変わらず悠の顔と告白する女――今回は希の背中が、ランドセルが見える。なんかシュールな光景だ。ランドセルいらなかったなこれ。でも、なんで場所を変えても似たようなアングルになるのかは謎である。でも、流石に今回はまさか告白されるとは思っていないのか、今のところ声が聞こえる。
「それで、お姉さんの大事な話ってなにかな?」
いきなり本題をぶち込んでくる。でもそれはきっと私のことを心配してのことで、嬉しい半面、なんだか騙しているみたいで胸が痛む。でも、ある意味、私にとっても大事なことだ。これも私に足りないなにか探しの一環なのだ。
「あの、私、お姉ちゃんに悠さんの写真見せてもらったときから、好きです。私、悠お兄ちゃんのことが好きなんです!」
私の妹ながら堂々とした告白だ。ほんと大したやつだ。小学生とは思えない。さらっと悠さんから悠お兄ちゃんになっている。自分の強みを知っている。
告白を受けた悠の顔がみるみる赤くなっていく。小学生相手でも告白されると赤くなるのかよ。告白に弱すぎるだろう。それとも別の理由があるのか。
「お兄ちゃん。私じゃ……ダメですか? お姉ちゃんじゃないとダメですか……?」
とうとう悠もなくなって、お兄ちゃんだけになっている。グイグイ行くな。
悠はいつものごにょごにょ声でなにかを言っている。相変わらずなにを言っているのかはわからない。
「そうですか……」
希の肩大きく上下する。そして、希が振り返る。
「ねえ。お姉ちゃん。悠さんね。お姉ちゃんじゃないダメだって」
希の言葉に私は植木の陰から出る。
「え! また!」
私に気付いた悠が抗議の声をあげる。だけど無視する。だって、それどころじゃない。希が泣きそうな顔をしている。
「よしよし」
私は希を抱き寄せて頭を撫でる。腕の中で希は小さく震えている。
「希。ごめんね」
きっとはじめての失恋だろう。小学生に失恋はやっぱりまだ早すぎる。ほろ苦いセピア色の思い出なんてまだいらなかった。今回は本当に矜持を捨てなければならなかった。姉としての矜持を大事にしないといけなかった。
「……えっと。あのー」
悠がどうしたらいいかわからないと言った様子で声をかけてくる。
「悠もごめんね。色々とごめん」
私は悠の顔をしっかりと見て、謝る。今回は本当にごめんなさいって思う。
「……ううん。大丈夫。今日は、俺帰るよ」
「うん。ごめんね。ありがとう」
「うん。じゃあ」
悠が帰っていく。希のために帰っていく。振った相手がそばにいたら泣くに泣けない。
そして、希が泣き出す。しゃくりをあげる希の頭を私は黙って撫でる。
しばらくすると希も落ち着いて、私たちはふたりで家に帰る。希と手をつないで帰るのなんていつ以来だろう。
「悠さんね」
「うん」
「私じゃダメなんだって。だって、私はいつか……」
希はいつか、なんだろう。
「やっぱり、いいや」
「なに。気になるじゃん」
「内緒」
「教えてよ」
「ダメ。私を振った仕返し」
私が振ったわけじゃないのだが。まあいいけれど。気になるけれど、よくないけれど、いいけれど。だって今、がっつり聞くわけにもいかない。
「お姉ちゃん」
「ん?」
「アイス食べたい」
「いいよ」
アイスくらい今日は買ってあげよう。
「ダッツね」
「い、いいよ」
こいつ。ここぞとばかりに。
「箱のやつね。色々入ってるやつ」
やっぱり、こいつはいつか大物になるな。そんな気がする。でも、今はまだ子供で私の妹だ。
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