第10話 医者
なんと彼はフラフラとした足どりでレストランの椅子へ腰かけると、大きく息を吐いたではないか。
一体どういうことなんだ? といった風にどよめく他の冒険者たち。
そこへ、おずおずとウェイトレスが注文を取りに男の元へ向かう。
「どうされたのですか? マサムネさん。珍しくお疲れのようですが……」
「拙者、物凄い御仁に……いや、なんでもない。ビールとソーセージを頼む」
黒装束の男――マサムネは何かを言いかけてハッとしたように口をつぐんだ。
そうであった。ソウシ殿と約束したではないか。彼の事は黙っておくと……マサムネは胸に手を当て魔人と化したソウシの鬼神と見紛う強さへ思いをはせる。
あの芸術的なまでの舞い、自身が手も足も出ないと達観したあの巨人をいともたやすく仕留めたかぎ爪……まるで神話の戦いでも見ているかのようなあの光景は生涯忘れることはないだろう。
拙者、ソウシ殿と巨人の戦いを見て体中が武者震いを覚えたのだ。できれば再び彼と出会いたいものだ……。いや、それではいけない。彼はそう思い直す。
人命救助保険は再び契約する。それは決定事項だ。しかし、彼に会うということは自身が窮地に陥った時。つまり、拙者の修行が足りないということ。あれほどの理想を見せられ奮い立たぬ拙者ではない。
少しでもソウシ殿へ追いつけるよう精進せねばならぬ……。
「お待たせしました」
マサムネの思考を遮るように、ウェイトレスが注文を持って戻ってくる。
「かたじけない」
マサムネは彼女へ礼を述べ、さっそくビールへ口をつけた。
ふうう。目的のオリハルコンを発見することはできなかったが、それ以上のものを見せてもらった。彼は満足気な顔を浮かべソーセージをフォークで突き刺す。
その時、マサムネは強大な気配を察知した。こ、この気配は……。
彼は熟練のニンジャらしく音も立てずに冒険者ギルドの入り口へ向かう。ちょうど彼が入り口へ到着した時、あの人がやって来たのだ。
銀の長髪に鋭い瞳が特徴のかの御仁が。およそ戦闘をする者の装束とは思えぬ白衣もそのままに。
「ソウシ殿!」
「ん?」
名前を呼ばれたソウシは、マサムネへ目を向ける。
確か……こいつは……。ソウシは思い出そうと逡巡するもマサムネの言葉の方が早かった。
「あの時は救助していただき感謝いたします」
喜色をあげるマサムネへソウシは眉間にしわを寄せ再度頭を巡らせる。
この黒装束……思い出したぞ。
「何、俺は仕事をしたにすぎない。対価はいただいているんだ。気にするな」
ソウシの態度へマサムネはますます感激してしまい、尊敬のまなざしを送っている。
一方のソウシは、思い出しついでに念押しを一つ。
「あの時のことはくれぐれも、いいか?」
「もちろんです! あれは拙者の心の中へ留めておきます! ご安心を」
マサムネはダンジョンで見せた手を前方へ持ってくる奇妙な礼を行い、ソウシへ約束するのだった。
――二人のやり取りを固唾をのんで見守っていた冒険者たちがざわつきだす。
それもそうだ。あの「マサムネ」がこれほど相手を慮った尊敬の仕草を取るのだ。一体、ソウシとは何者と冒険者たちが声をあげるのも当然のことだろう。
目線を感じながらもソウシとユウはマサムネと別れ、受付嬢の元へと向かう。
「こんにちは。ご用件をお伺いいたします」
受付嬢は緊張した面持ちでカウンター越しに無表情で佇むソウシへいつもの挨拶を告げた。
「ギルドマスターとやらはいるか?」
ぶしつけに冒険者ギルドのトップを呼べといきなり告げるものだから、受付嬢の表情が固まってしまった。
「あ、あの……ソウシさま……」
これでは話が進まないかもしれないと二人の様子を見て取ったユウは、ソウシの腕をちょいちょいと引っ張る。
対するソウシは、何だとばかりにユウへ目を向けた。ユウはソウシへ「うんうん」と首を縦に振り、自分を指さす。
それで察してくれたソウシは一歩後ろに引き、頼むとばかりに顎をくいっとユウへ向けた。
「あ、あのですね。ボクはウィルソン商会から来たんだみゅ」
ユウも後ろでソウシが構えていることで緊張し、うまく説明できていない。
しかし、ユウの態度を見た受付嬢は逆に落ち着きを取り戻したようで、ニコリと微笑みを返す。
「ウィルソン商会の使いの方でしたか。ご用件をお伺いできますでしょうか?」
「は、はいみゅ。『保険』のことでギルドマスターへ相談したいことがあると伝えてもらえますかみゅ?」
「その件は聞いております。お取次ぎいたしますので、よろしければレストランでお待ちいただけますか?」
「わかったみゅです」
何とかうまくいったことで耳をピクピクと上下させほっとするユウ。そんな彼の肩をよくやったとばかりにソウシが手を乗せた。
二人が踵を返すと、先ほどとは別の受付嬢がカウンターから出てきて、彼らを先導してくれる。
そのまま彼女へついていき、案内された席へ腰かけると彼女は会釈を行い笑顔を見せた。
「お飲み物をお持ちします。そこのメニューからお選びください。もちろんお待たせするためですので、お代は必要ありません」
「俺は炭酸水で、ユウはどうする?」
「ハーブティーでお願いするみゅ」
「かしこまりました。お持ちいたします」
受付嬢は礼を行い、くるりと彼らから背を向け奥へと引っ込んで行く。
何となしに彼女の後姿を眺めていたソウシだったが、突然背にゾワリと何かを感じ取る。
この感じ……何者だ。彼は腕を組み、目を瞑った。距離は……ふむ、この館に向かってきているな。面白い。彼の口元が吊り上がった。
「ど、どうしたみゅ? ソウシさま」
敏感にソウシの雰囲気を感じ取ったユウが、不安そうに鼻をヒクヒクさせる。
「何……面白い奴が……来たな」
ソウシは首を回しギルドの入り口をはたと見つめた。彼の言葉通り、ちょうど一人の痩せこけた男が姿を現す。
男は頬がこけ、白が混じった無精ひげを生やしていた。ただ、眼光だけはギラギラと異常なほど鋭く光り、この男が只者ではないと感じさせる。
それに加え、男の左眉から鼻筋を通り唇の右側にかけて大きな斜めの傷が走っていた。服装はというと、真っ黒なシャツの上から膝下まである純白の白衣をまとっている。ソウシと同じように。
「何だか怖い人みゅ」
ソウシと同じように男の姿を見ていたユウが呟く。
ただの人間にソウシは恐れなど感じることはない。しかし、この男……普通ではない。見たところ武芸の達人というわけではないのだが、何が俺の背を震わせたのだ……。
――見た。男は見られていることを感じ取ったのか、目だけをソウシへ向けた。しかし、すぐに目線を外し表情一つ変えず歩き出す。
男の持つ空気は「無」だとソウシは思う。奴へ例え俺が殺意を送ろうともきっと動じることは無い。きっと奴は何かを持っていて、それ以外のことにまるで興味がないのだ。自身の命さえ彼の興味の対象ではない。
あくまでも俺の予想だが……ソウシは興味深い人間に出会えたことでニヤリと笑みを浮かた。
その時ちょうど受付嬢がテーブルへ炭酸水を置く。ソウシは彼女へ会釈し、炭酸水へ口をつける。
ソウシの視線や思いなど気にも留めず、男は奥のテーブルへ腰かけだらりとだらしなく足を伸ばす。
すぐに彼の元へウェイトレスがやって来たが、彼はメニューを見ることもなく、ぼそぼそと何やら呟き注文をしている様子だった。
「あの男に興味があるのですか?」
いつの間にかソウシの傍にやってきていたマサムネが、男から目線を離そうとしないソウシへ問いかける。
「ほう、知っているのか?」
白衣の男から目線を外し、マサムネへ顔を向けるソウシ。
「あ奴はスカーフェイスという医者です」
「『医者』か。僧侶ではないのだな……」
あの眼光鋭い爬虫類を彷彿とさせる男が、神の信奉者などありえないとソウシは思う。
医者といえば、僧侶と異なり傷を治療することに特化した職業だ。ただ医者という奴らはただ手を当てて回復魔法を唱えれば、治療完了とはいかないのだ。
「オペ」と呼ばれる施術を行い、傷を治療する。彼らの治療は自身の物理的な腕によるのだ。魔法を使う才能は必要ない。
一方の僧侶は、神への信仰心と克己により魔法の能力を鍛え上げる。彼らは神の奇跡を借りることで手を当てるだけで傷を治療する。更に傷だけでなく、呪いや病気を癒すことも可能だ。
なら、医者など僧侶がいれば必要ないじゃないかと思うかもしれない。
答えは、否。
僧侶は深い傷となると治療することができない。医者は自身の技術を駆使し、人体を把握し治療を行う。だからこそ、医者は深い傷であっても治すことができるのだ。
もっとも……ソウシは炭酸水を再び口に含む。
多くの医者は僧侶以下の治療しか行うことができないがな……。
「ソウシ殿、その表情……スカーフェイスにそれほど興味があるのですか?」
「きっと……あいつはさぞ名医なのだろう。あの目、出で立ち、醸し出す空気……」
「分かりますか! さすがソウシ殿です。あ奴はどんな傷でも治し、金を受け取れば犯罪者でさえも喜んで治療する『黒い医者』ですぞ」
「ふむ……」
「あ奴とは面識があります。紹介いたしましょうか?」
「いや、いい」
俺と奴に縁があるのなら、再び相まみえよう。その時が楽しみだ。ソウシはくつくつと楽し気に声をあげた。
その時、筋骨隆々で褐色の肌をしたスキンヘッドの男がこちらにやって来るのがソウシの目に入る。
「マサムネ、時間だ」
「突然、失礼しました。それではソウシ殿、また」
マサムネは真っ直ぐに伸ばした手を額に当て、会釈を行いその場を立ち去った。
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