第8話 擬態

 転移したソウシは周囲を見渡し人の姿がないかまず確認する。一見したところ人の姿が見当たらないが……彼は心中でそう呟きながら、顎に手をあてブツブツと呪文を唱え始めた。


「光よ」


 ソウシの言葉に応え部屋全体が昼間のように明るくなる。

 ふむ、やはり人間たちが「ザ・ワン」と呼ぶダンジョンの中か……。ソウシはふむと頷き、部屋の様子を確かめることにした。


 この階層は外周にクリスタルの壁があるのみで、他の階層にあるような壁や通路は見当たらない。あのうっとおしい罠「オールワン」かと思ったが、彼はすぐにそうではないと気が付いた。

 何故なら、モンスターが一匹たりとも見当たらない。冒険者がソウシに救助を求めるとすれば、圧倒的なモンスターの物量に根をあげるに違いないのだから。

 となれば……ボス部屋か。しかし、そんなことはどうでもいい! ソウシはイラつきを露わにしてバサリと白衣を翻した。


「エム、帰るか」

「えー、どうしてー?」


 エムはつぶらな瞳でソウシを見つめ不思議そうに首を傾ける。


「それは、こういうことだ」


 ソウシはある一点を睨みつけると、顎をツンとあげ不満を露わにする。


「待ってくだされ。拙者、貴殿らを試すつもりではありませぬ」


 ソウシが睨みつけた場所が靄のかかったように震えると、黒装束に身を包んだ男が姿を現した。

 黒い頭巾で顔が隠れており顔を見て彼がどのくらいの年齢なのかは推測できないが、声が若々しいことからそこまで歳を重ねてはいないだろう。


「……ハザード救助信号を検知した。お前さんが被保険者か?」


 ソウシはぶっきらぼうに確認の言葉を述べる。


「いかにも。拙者が羊皮紙ハザードに願いを込めました」

「しかし、お前さんは無傷ではないか。その姿を隠す技術があれば一人で脱出できるだろう?」


 ボスが出現すると上へ続く道は閉じ、ボスが消えると戻る道は開く。殆どの冒険者はボスを倒さないと戻ることはできないと思っているが、実のところ異なるのだ。

 本当はボスが人を「認識」すると出現する。すなわち、「認識」できず誰もいないと判断されればボスは現れない。

 もっとも、殆どの冒険者は姿を隠す技術など持ち合わせていないのだから、このことを知らなくても仕方のないではあるが……。


「拙者もそのつもりだったのですが……このボス部屋は特殊なようでして……ボスが出現しておらずとも戻ることができないのです」

「なるほど……ここは最深部か! お前さんはボスを見たのか?」


 ソウシはようやくこの男の言わんとしていることに合点がいった。彼もその昔「ザ・ワン」の最深部に来たことがある。

 この部屋だけは、姿を隠そうがここに入った時点で上への通路は閉じる。開く手段はボスを打倒す以外にない。


「見ました。敵わぬと悟り姿を隠していたのです」

「状況理解した。『遭難』と判断させてもらう。ダンジョンの外まで送ろう」


 今すぐに命の危険はないが、脱出又は帰還不可能な状況に陥りいずれは衰弱して倒れてしまう状況のことをソウシは「遭難」と定義している。

 ソウシにとってもダンジョンでの遭難判定は初の経験だが……。


「かたじけない」


 両手を胸の前で組み頭を下げるという奇妙な礼で感謝をあらわす黒装束の男。


「エム。戻るぞ」

「んーっとお。ブロックされちゃったよー」

「ちいい。アンチマジックか! てことは……奴がもう」


 ソウシの言葉が終わらないうちに地鳴りのような音が響きはじめ、彼の背後で青と赤の二色の閃光が放たれた。

 状況を確認する前に連れ出しておけばよかった。ソウシは心の中で毒を吐きながらも光の放たれた方へと踵を返す。


「そこの……」

「拙者、ニンジャのマサムネと申す」

「マサムネ、隠れることはできるか?」

「大丈夫です。拙者のは魔法ではなく、純粋な技術ですので」

「なら、隅で隠れておけ。激しい戦いになる」

「拙者も加勢できますが……」

「必要ない」


 ソウシはマサムネへ顔も向けず彼の提案を断ると、続いてエムへ言葉をかける。


「エム。敵はそれなりに強い。安全なところへ」

「うんー、お空にいってるね」

「分かった」


 ソウシの肩からエムがふわりと飛び立っていく。一方のソウシは眉間にしわをよせ前方を睨みつけていた。

 ここのボス……エンシェントゴーレムは全ての魔法を封じる力を持っている。この封印の魔法は自身はもちろんあの勇者であっても破ることは叶わなかったのだ。

 ソウシは苦々しい事実を思い出しながら、ギリリと歯を噛み締めた。

 魔法が使えないとなると、剣を呼び出すこともできず彼の持つ武器は腰にさしたショートソード短い剣だけになる。

 

 ソウシがショートソードを抜き放ち数歩前へ踏み込んだ時、光が収まると共に身長十メートルほどある人型の巨人――エンシェントゴーレムが姿を現した。

 エンシェントゴーレムは全身が赤茶けた錆が浮く鋼鉄でできており、荒く削った人の影のような形をしている。


 奴はソウシへうつろな頭を向けると腰を落とし腕を振るう。この巨人……形状からして鈍重かと思いきや、鉄が擦れるような音も立てずしなやかな動きを見せる。その速度は熟練した冒険者を凌ぐほどであった。

 速度を持って振るわれた鞭のような腕を飛んで躱したソウシは、ショートソードを巨人の肩口に振り下ろす。

 しかし鉄を滑るような金属音が響き渡るだけで、巨人の体に浮いた錆さえまるで傷をつけることができなかった。


「通らないか……」


 ソウシは再び振るわれた巨人の拳を膝を落としてやり過ごすと愚痴をこぼす。

 彼はそれでももしかしたらと一縷の希望を込めて、さきほどより力を込め巨人のすねを切りつける。しかし、さきほどと結果は同じ。まるで傷が付かない。

 その間にも巨人は手足を使ってソウシに襲い掛かって来るが、彼にとってこの程度の速度……回避するに造作もない事だった。

 しかし巨人の厄介なところは、硬いことではなく体の中に埋まっているコアを破壊するまで動きを止めないことなのだ。この剣ではそれ以前の問題だ……ソウシは鋭利な目を細め思考を巡らせる。

 魔法は使えない。伝説のオリハルコンでできていると聞いていた剣はまるで役に立たない。拳ならば奴の体をへこませることは可能だろうが、コアを破壊するためには「切る」必要がある。


 このままでは手詰まりか……ソウシはふうと息を吐き叫ぶ。


「マサムネ! ここで見たことは誰にも漏らすな!」

「了解です」


 姿は見えないが、囁くような声だけがソウシの耳に届く。


「非常に遺憾だが、お前さんが黙っていてくれるのを信じるしかない」


 ソウシは蹴り上げてきた巨人の脚に乗ると、そのまま右足に力を込め飛び上がる。続いて巨人の肩へ着地するやいなや高く飛び上がった。

 ここまで高さを稼げば巨人の手は届かない。ソウシは目を瞑り意識を内へ内へと集中させる。


 ――擬態を解く。

 カッと目を見開いたソウシの姿が変化していく――

 額からヤギのような一対の角が伸び、口元の八重歯が牙に変わる。もっとも劇的な変化は肌の色だった。彼の肌は人間とは遠い薄い青色へと変色していたのだ。


「さて、エンシェントゴーレムよ。ここからが本番だ」


 ソウシが両の拳を打ち付け腕を降ろすと、拳から三本の鍵爪が伸びてくる。

 重力に従い落ちていくソウシを握りつぶそうと巨人の手のひらが迫るが、彼は右腕の鍵爪を振るい手の指を切り落とし難を逃れる。そのままくるりと回転した彼は、もう一方の鍵爪で巨人の手首を深く切り裂いた。


「やはり頼りになるのは自身の武器だな……」


 ソウシは独白し、地面へ軽やかに着地するとグッと左足を踏み込み巨人に向けて駆ける。

 コアは……みぞおち部分――水月にあるはずだ。


 一方の巨人は切り裂かれたことなど気にも留めず、ソウシを踏みつぶそうと両腕を振り下ろす。それに対し彼は体がブレるほどの速度でステップを踏みやり過ごすと巨人の懐へ飛び込んだ。

 両腕を振り下ろしたためちょうど屈むような姿勢になっていた巨人の腹下に潜り込んだソウシは、天に向けて拳を打ち上げる。


 見事狙うポイントであった水月を切りつけたソウシは更に深く切り裂こうと腕を引く。その時、巨人の水月に円形の光が浮かびあがってくる。

 次の瞬間、光は熱線となり前方のソウシへ向けて吐き出された。しかしソウシは刹那の間に巨人の背に退避していたのだった。


「その攻撃は以前見た……」


 巨人の裏の手を久方ぶりに見たソウシは口元を吊り上げ呟く。

 懐かしい……あれは奴にとって必殺の一撃らしいが、俺や勇者にしてみればこの後攻撃してくださいと言っているようなものだ。

 ソウシの考えをトレースするように、熱線を吐き出した巨人は全身から湯気のようなものをあげて硬直しているではないか。

 彼は巨人の背から飛び降りると、四つん這いの姿勢を取る巨人の腹へと再び潜り、水月を数度鍵爪で攻撃する。


「終わりだ」


 巨人の中心部にある赤く光るコアを破壊したソウシは、身を翻し巨人から背を向けた。それと前後して巨人は轟音を立て崩れ落ちていく。

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