第7話 魔王の野望
場違いなほど落ち着き払った男の声がどこからか響き渡る。
「な、何でもいいから手伝ってくれないか!」
もちろん声が聞こえていたが、カズヤはそれどころではなかった。ここにきてようやくハルトが駆け付け、彼の盾でカズヤはようやく一息つくことができたに過ぎないのだから。
「カズヤ、待たせた!」
「何が起こった?」
「……俺も確認していない」
盾を持つ手に力を込め、腰を落とすハルトもまた声の主を確認する余裕は残されていなかった。
しかしその時、不意に彼の盾を押していた溢れんばかりの力が消失する。
何事と彼が様子を伺うと、腕を組み不満そうな顔で顎をそらす白衣の男が一人佇んでいるのだった。
「俺はソウシと言う。被保険者は誰だ? いや、お前さんらはパーティか?」
「あ、ああ」
何が起こっているのかまるで理解できず混乱していたカズヤであったが、ソウシへ頷きを返す。
「ふむ。ならば考える必要はないか。台車を出す。それに乗るといい」
ソウシは納得したように「ふむ」と首を縦に振り彼らへ告げたのだった。
「あ、い、いや。『オールワン』の罠にはまっていて……それにキマイラは?」
「キマイラ? ああ、さきほど投げた奴か」
ソウシが肩を竦め右へ目線をやる。そこには、仰向けに倒れ脚をバタつかせたキマイラが二頭……。
カズヤらは開いた口が塞がらないでいた。何をどうしたら、キマイラがああいう恰好になるんだ? カズヤは心の中で独白する。
「キマイラが立ち上がるわ!」
様子を伺っていたミカゲはキマイラを指さし叫ぶ。
それに対しソウシは、両手をパンパンと埃を払うように打ち付け踵を返す。
向かう先にはひっくり返されて怒り心頭のキマイラが二頭。奴らは怒りに任せて獅子の口から炎の塊を吐き出した。
ソウシはあくびが出そうな顔で右手を前方に出すと人差し指を親指の腹につけそのまま弾く。
するとありえないことに、炎の弾は彼の人差し指に跳ね返されキマイラへ襲い掛かる!
突然の出来事に面を喰らいつつもキマイラは前脚でもって自身の吐いた炎を消し去る。
その間に悠々とキマイラの目前までにじり寄ったソウシは、右こぶしを振りかぶり、下からすくい上げるように拳をキマイラの獅子の頭に打ち付けた。
拳に打たれたキマイラの獅子の頭は、鈍い音とひしゃげて体にめり込んでしまう。そのままキマイラは力を失い、ドウンと音を立ててその場に倒れ伏す。
それとほぼ同時にもう一頭のキマイラも同じように獅子の頭がひしゃげて動かぬ躯と化したのだった。
この光景を一部始終見ていたカズヤは目を見開いたまま無意識に一歩後ずさる。
ありえない力技だ。あれほどのダメージをキマイラの頭へ与えるにどれほどの膂力が必要なのか……一体何なんだこれは? 彼の背筋にたらりと冷たい汗が流れ落ちた。
「……キ、キマイラが……」
後ろからサヤの茫然とした声が響く。
しかしソウシは彼らの様子などまるで気にも留めず、両手を組みバキバキと音を鳴らす。
「『オールワン』か……全く……手間をかけさせる。これだから冒険者は……」
心底面倒くさそうにぼやいたソウシは、そうしている間にも襲い掛かってくるモンスターへ向け軽く手を払う。
ただそれだけの仕草で、モンスターは数十メートル吹き飛び絶命していく。
埃を払うように手を振りながらも、ソウシは数歩前へ前進しブツブツと何かを呟く。
「出でよ、我が剣」
ソウシの力ある言葉と共に、漆黒の大剣が姿を現した。
彼はその剣を腰だめに構える。すると、剣から黒い光が溢れ彼が剣を振るうと辺り一面が黒い光に埋め尽くされたのだった。
黒い染みが晴れると、残っていたのはカズヤたちとソウシだけになっていた……。
構えを解いたソウシはカズヤたちの方へ振り向き、手首だけを左右に振る。
すると、カズヤたちからしたら信じられないことだが、台車が何もない空間から忽然と姿を現したのだった。
「乗るがいい。外まで送ろう」
カズヤたちは未だ狐につままれたような顔をしながらも、台車の上に腰を降ろす。
◆◆◆
深い森の中に高く聳え立つ断崖絶壁がある。その頂点にひっそりと館があることを知る者は皆無だ。
年季の入った平屋の洋館には蔦が生い茂り、付属した庭園らしきものも今は見る影もなく草が生い茂っていた。更に蔦から生えた野イチゴの赤黒さが血を連想させ、この洋館の不気味さを演出している。
洋館の分厚い鉄扉の前にある空間が揺らぐと、ソウシと彼の肩に腰かけたエムが姿を現した。
「ねーねー、ソウシ―さまー。野イチゴ食べていいー?」
「好きにしろ。俺は先に中に入るぞ」
ソウシは肩を竦め鉄の扉に手をかける。全く……エムは変わらないなと彼は彼女と初めて会った時のことを思い出しフッと口元に僅かな笑みを浮かべた。
一方エムはというと子供っぽい無邪気な笑顔でトンボのような羽から鱗粉をまき散らしながら、館の壁に自生している赤い果実を両手で掴んでいる。
館の暖炉の前にある古ぼけたカウチにドカリと腰かけたソウシはふうと大きく息を吐く。
彼は最近急速に増大していく顧客数に悪い気はしていないものの、冒険者という奴らはどうしてこう向こう見ずなんだと理解できずにいた。
ウィルソンらが人命救助保険を宣伝してもらいユウに契約締結を任せてから三か月たつが、これまでと比べ数倍の早さで契約件数は増えている。
これまでソウシと契約を結んでいたのは行商人が殆どだった。というのは、彼らは安全をお金で買うことに理解がある。行商の旅は危険が伴い、彼らは安全を買うために護衛を雇うことが多い。
ソウシの人命救助保険は荷物の補償がないものの、護衛を雇うよりはるかに安い金額で契約をすることができるから、ソウシの営業に「じゃあ、ついでに」と契約を結んでくれたといった感じだ。
一方、冒険者は安全に対してお金を払うことを意識しているものの、お金を使うべきは自身の装備であり他者を頼るものではなかった。
しかし、バステトの街という冒険者が集まるお土地柄とウィルソンらが冒険者ギルドにまで営業をしてくれたことで冒険者の契約も増えて来たのだ。
ソウシとしては、契約件数が増えること自体は喜ばしいことなのだが……。
そこまで逡巡し、ソウシは指をパチリと鳴らす。すると、扉が開いて人間の腰くらいの身長がある精巧な少女の形をした人形が、手にワインボトルとグラスを持ち中に入ってきた。
扉の前に立つ人形は金色の長い髪を震わせて品のある礼を行う。
「魔王様、ワインをお持ちしました」
「ご苦労。それと、俺のことはソウシと呼べと言っただろう?」
「……」
人形はソウシの言葉には応えず、コトリと手に持つワインボトルとグラスをサイドテーブルに置く。
全く……こいつは頑として俺の呼ぶ名を変えない……ソウシはそう心の中で毒つきながらもワインをグラスに注いだ。
あの人形はソウシ自身が魔力を込めて作り上げたものだが、彼が詰めた魔力が強すぎたせいか自立した意識を持つに至ってしまった。
ソウシはただの命令を聞くだけの人形よりはこの方が好ましいと思ってはいるが……彼はちらりと人形へ目を向ける。
「何か他にもお持ちしましょうか?」
そういう意味ではないのだけどな……ソウシはふうと息をつき「必要ない」と人形へ言葉を返したのだった。
用が済んだ人形は踵をかえし部屋の扉に手をかけるが、ソウシは彼女の動きを遮るように声をかける。
「
「いえ、魔王様の野望が成ったその時まで私はただの人形で結構です」
感情のまるで籠らない声で呟いた人形は、振り向くこともなく部屋を辞したのだった。
これは何度も繰り返された返答。人形はソウシが名の事について尋ねると決まってそう答える。
「野望……野望か……」
ソウシはワイングラスを傾けながら、独白した。
俺には目標がある。俺は勇者を復活させ、問わねばならない
勇者はカラカラと笑い声をあげながら「魔王ならきっと人間に慕われる存在になれるよ」と言った。
それを俺は即座に否定し、「お前さんが特別だ」と返したものだ。
魔王は昔日の勇者のことを思い出したからか、口元に自然と笑みが浮かぶ。
「国の誰もが知る『人命救助保険』となった時、きっと
ソウシはここにはいない勇者に向けて言葉を紡ぐ。
――その時、人間がどのような反応をするのか……。ソウシはグラスに残ったワインを一息に飲み干すのだった。
「ソウシさまー、野イチゴおいしー」
その時、不意にエムが姿を現し呑気な声がソウシの耳に入る。
まったく……ソウシは肩を竦め口元に僅かな笑みを浮かべた。
「口元だけじゃなく腕までベタベタになってるぞ。エム」
「そうかなー」
エムはにこーっとしたまま首をコテンと傾ける。
彼女の仕草に対しソウシは目を細め、指をパチリと鳴らした。
すると、待ち構えていたように人形が部屋に入りエムの体を濡れたタオルで拭いていく。
「エム、
ソウシが立ち上がり、右足を踏み出した。その時彼の頭に甲高いベルの音が鳴り響く。
「エム、
「んーっと、ダンジョン?」
「また冒険者か!」
ソウシは頭に右手をやり「はあああ」と大きなため息をついた。
「すぐ行くのー? ソウシさまー」
「もちろんだ!」
エムはソウシの肩へ座ると、右手を軽く振るう。
「お気をつけて」
既にここから姿を消したソウシたちに向けて人形がそう呟き、メイド服のスカートをつまみ優雅に礼をするのだった。
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