第5話 代理店確保

「他に人はいないか?」


 ソウシは男の妻を地面に降ろしながら尋ねた。


「はい、息子は先に逃がしましたので……」

「分かった。ならば……」


 途中で言葉を切りニヤリと笑みを浮かべたソウシに不安を感じた男は座ったまま彼を見上げる。


「ならば?」

「この家をぶっ壊す」

「え、えええ!」


 いくら燃えているとはいえ、この家は男にとって財産という意味だけではなく思い出が詰まっているのだ。

 あっさりと「はいそうですか」と言えるわけがない。


「家主、このままでは放っておいてもどうせ全て炭になる。後は……分かるか?」


 しかしソウシは家主へ子供へ言い聞かせるようにそう諭す。


「……そ、そうですね」


 男は自身の短絡的な思考を恥じた。火に巻かれ混乱していたことが彼の思考力を奪っていたことは確かであるが……ここまで燃え広がった火を消すことなどできないと彼にもすぐ理解できる。

 それより、この火災が広がることこそ問題だ。


「うまくやるさ。安心しろ」 


 茫然と自身の燃え盛る家を眺め、達観したように首を縦に振った男に対し、口元に僅かな笑みを浮かべたソウシ。


「家主、安全な場所まで移動してくれ。……いや、俺が運ぶ」


 ソウシは男を背負うと、彼の妻も後に続く。

 火災現場から少し離れた場所に被災者の救護施設のようになっていて、彼はそこへ二人を連れて行く。道すがらソウシは大声を張り上げ、火災が起こっている家屋から離れるように注意を促した。

 

「全員ここから退避しろ!」


 ソウシは崩落した家の上空から叫ぶ。彼の浮遊魔法へ驚く民衆の顔が見えるが、全て遠巻きに彼を眺めているだけだった。

 彼は満足したように頷くと目を閉じ意識を集中させる。


「出でよ我が剣」


 ソウシの力ある言葉と共に、一切光を反射しない漆黒の大剣が姿を現し彼の手にすっぽりと収まった。

 吹き飛ばす方向と威力が肝要だ。ソウシは心の中で独白すると、先ほど太った男を救助した家の裏手へ回り込む。この位置はソウシの前方に家があり、家の奥には既に燃え尽きて崩壊した瓦礫が広がっていた。

 彼は空に停止したまま、剣を腰だめに構える。すると、剣から光を反射しない漆黒が吹きあがり刃の形をとった。その大きさは彼の身の丈ほどあり、ソウシが剣を振るうと家屋に向けて黒い刃が一直線に放たれる!

 上から押しつぶすように漆黒の刃は家を切り裂き、そのまま後ろに抜けて行った。

 そして、バラバラになった残骸が炎をあげながら舞い落ちる。


「次は隣だ」


 すでに崩落しつつあった中央の家屋を同じく吹き飛ばしたソウシは、火の手が増していた左の家の前へ降り立つ。

 この家はどうするべきか……ソウシは顎に手をあて家を見やった。


 しかし、ハザードを検知していない以上、彼は救助を行うつもりはない。もっとも、保険契約を締結すれば話は別だが……。

 彼は懐に手をやり、保険契約書を指先ではじく。


「行かないのー? ソウシさまー」

「そうだな。キッチンにリンゴがあるかもしれないからな」


 そうだ。迷うより行動だ。ソウシはそう思い、冗談めかしてエムへ目配せする。


「ほんとー。はやくー、ソウシさまー」


 全く……ソウシは肩を竦め正面の入り口から家屋の中へ入っていった。

 時折炎に巻かれながらもまるで意に介した様子のないソウシは、残った住人がいないか確かめながら進む。エムはと言えば、まるで夢遊病者のように「リンゴ」と何度も呟いている。


 

 火災が起こっている箇所は入り口に繋がる場所ではなく、人の気配もまるでしなかったため、ソウシは中に人はもういないと判断。

 この家に関しては、全てを潰すわけではなく文字通り燃えている箇所だけを「切り取った」に留める。

 余談ではあるが、エム待望のリンゴを発見することはできなかった。

 こうして火災は全て「吹き飛ばされる」ことによって消化され、これ以上延焼を起こすことなく終息を迎えることになる。

 

 助けた被保険者二人へ一応顔だけを見せたソウシに対し、救われた彼らは口々に感謝の言葉を述べる。

 落ち着いたらぜひ歓待させて欲しいという彼らに対し、ソウシは口元に僅かな笑みを浮かべこう応じた。


「ふん、保険契約書を持って後日来る」


 ソウシは尊大に背をそらし、顔を明後日の方向に向ける。


「ソウシさまー、さっき確か―」

「エム! ウィルソンのところへ戻るぞ。バナナを食べるんだろう?」

「うんー、バナナ―、早くー」


 やれやれと肩を竦めたソウシは二人へ向き直り、「ではな」と軽く手を振ったのだった。


 ◆◆◆


 場所はバステトの街へと舞い戻る。

 ウィルソン商会の執務室でウィルソンらはユウと保険契約書の「特約」について一つ一つ質問を交えながら談義をしている。


「ユウさん、いろんな種類のチーズがあるんですよ。ぜひぜひ」


 ウィルソンは合間合間でユウへ食事を勧めているが、彼は遠慮して最初に配膳されたチーズを一口だけ食べていただけだった。


「『人命救助保険』のことをしっかり説明することが先みゅ。ボクはこの保険に救われたんだみゅ」

「ほうほう、ユウさんも私たちと同じでしたか。それはそれは」


 ウィルソンもユウが「保険をみんなに知ってもらいたい」と思う気持ちは理解できる。特約を一切付けなければ比較的安価な保険ということもあるし……。

 彼がそう思った時、突如空間が歪みソウシとエムが出現した。

 思わずのけぞるウィルソンへソウシが軽く右手を挙げて応じる。


「バナナ―」


 エムが誰よりもはやく口を開き、万歳のポーズでおねだり。

 ウィルソンはエムの可愛らしく子供っぽい仕草を見て微笑ましい気持ちになり、指を鳴らす。

 すると、すぐにメイドがバナナを皿に乗せてエムの前へ差し出した。


「わーい、わーい」


 エムはさっそくバナナに抱き着くと「よいっしょ」と言いながら全身の力を使って皮を剥きはじめる。


「すまんな、ウィルソン」


 ソウシは横目でエムをやれやれといった感じで見やりながら、ウィルソンへ礼を述べた。


「いえいえ、これくらいお安い御用です。ソウシさんも何か食べませんか?」

「それでは、お言葉に甘えて……ワインとそこのチーズを」

「もちろんです。すぐにお持ちします」


 ウィルソンは再びメイドを呼ぶと、小声でブツブツと彼女へオーダーを告げる。

 一方のソウシはカウチへ腰を降ろすと、ふうと息をつき背をクッションに預けた。


「ソウシさま、説明はだいたい済んだみゅ」

「ユウ、ご苦労だった」


 ソウシは鷹揚に頷くと、手を伸ばしユウのフサフサした頭を撫でる。

 その時扉が開きワインとチーズを持ったメイドが会釈をし、ソウシの前へそれらを置く。

 さっそく彼はワイングラスを手に取ると、鼻を近づる。すると、真っ赤な液体からは芳醇な香りが漂ってきて彼の鼻孔をくすぐるのだ。

 一仕事した後はワインと彼は決めている。ここでワインを頂けるとは嬉しい誤算だ。彼は口元に僅かな笑みを浮かべ、ワインを口に含んだのだった。


「ふむ。なかなかのワインだ。感謝する。ウィルソン」

「お口に合ってよかったです。ところで、先ほどはどのようなことをされてきたのですか?」


 ワインとチーズに気をよくしたソウシはウィルソンへ先ほどの火災現場のことを語り聞かせる。

 相槌を打つウィルソンの巧みさもあって話が弾み、いつしかウィルソンや他の商人たちも酒が入り彼らは打ち解けていく。


 ◆◆◆

 

「なるほど。さすがソウシさんです。全員救ったんですね!」

「被保険者は必ず救う」

「おおー」


 ソウシの言葉に商人たちが感嘆の声をあげる。

 

「どこの街だったんですか?」


 ウィルソンの言葉にソウシはハッとなり、街の名前を確かめていなかったことに気が付く。

 上空から確認した限りだが……火災現場は港町だったな。いくつか候補はあるが……。


「……」


 答えぬソウシへウィルソンはすぐに話題を変える。


「ところでソウシさん、この『人命救助保険』は素晴らしいものですね。私だけでなく、ここにいる商人も……いえ、この街にいる多くの者はあなたの『人命救助保険』へ興味を持つに違いありません」

「気に入ってくれて何よりだ。お前さんたちの知り合いにも進めてくれると助かる」

「そのことなんですが、ソウシさん。私の商会で保険を紹介させていただきましょうか?」

「ほう。それは助かる。いくらだ?」


 ウィルソンは浮世離れしている感のあるソウシがまず価格交渉をしてきたことに軽く驚く。

 ウィルソンとて商人だ。金銭が絡むとなるとより深く関わり合いを持とうという気になってくる。


「そうですね……ロイヤリティという形ではいかがでしょう?」

「ロイヤリティか……俺に変わって売ってくれるということだな」

「その通りです。ソウシさんから『保険契約書』をお預かりして私どもの商会で販売します。売上額に応じて販売手数料を頂く形で考えてます」


 ウィルソンの提案に悪くないとソウシは考える。だが、保険契約を締結するにはソウシが魔術印を押す必要があるのだ。

 だから、契約者と直接会って契約を取り交わさねばならない。


「販売手数料は支払おう。しかし、契約となると俺が出向かねばならないんだ」

「ハザードを使うためにですか?」

「察しがいいな。その通りだ」

「なるほど。それでしたら、定期的に契約者をここに集めましょう」

「この件については少し考える」


 ソウシはウィルソンらに魔術印を任せるつもりはない。しかし、ソウシ一人では手間だといえば手間だ。

 お、そうだ。ソウシはニヤリと笑みを浮かべユウへ目をやる。


「みゅ?」

「ユウ、お前さんにも魔術印を使えるように何か考える」


 突然話を振られたユウは鼻をヒクヒクさせながらも、頷きを返した。


「とりあえずは、日付を決めてここへ契約希望者を集める形にしてもらえるか?」

「はい。お任せください」


 ウィルソンは椅子から立ち上がると、右手を差し出した。ソウシも立ち上がると彼とガッチリと握手を交わす。

 こうして、ソウシは初の「代理店」を持つことになったのだった。

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