第4話 火災現場

 転移したエムとソウシの目に移ったのは、オレンジ色と煙……。

 彼らが立っているのは通路らしき場所で背後には階段があることから、通路はおそらく廊下であろう。真っ直ぐに続く廊下の右手に等間隔に開く窓が三つ。左手には三つの扉が見える。

 しかし、窓にかかったカーテンは燃え上がり、階段からはとめどなく真っ黒い煙があがってきていた。

 ここは……家の中に違いない。ソウシはそう断定する。それに……窓から差し込む光の具合から二階だろうか……しかし、人の姿は確認できない。

 確かに人の姿は見当たらないが、バザードの案内に従い転移してきたのだ。きっと誰か近くにいる。ソウシははやる気持ちを抑えるために煙の中大きく息を吸い込んだ。普通の人間であれば、せき込み動けなくなるところであるが、彼にとってはこの程度の煙など普通の空気と変わらない。

 いつ崩れ落ちるかも分からない状況ではあるが、彼は火の様子を確認しつつ慎重に手前から扉を開いていく。

 

 一つ目の扉……無し。

 二つ目の扉……人かと思いきやぬいぐるみだった。


 次はいてくれよと願いながら三つ目扉を開くソウシ。

 中に入ると、そこは子供用の小さなベッドにタンス、テーブルに椅子とシンプルな寝室だった。


「誰かいるか?」


 ソウシは声を張り上げ叫びつつ、つぶさに部屋を観察する。


「ソウシさまー、あそこ、ベッドの下」


 エムの言葉通り、ベッドの下に潜り込んだ子供の姿がソウシにも見て取れた。

 ソウシはベッドの前で腰を落とすと、彼にしては穏やかな声色でベッドの下の子供へ声をかける。


ハザード救助信号を検知した。お前さんが被保険者か?」


 しかし、ソウシの呼びかけに子供は応えず泣き叫ぶばかりだ。この子供が被保険者だろうか……ソウシは逡巡するものの、すぐにこの子供が被保険者ではないと確信する。

 どうする? 助けるか? いや、悩む必要などない。

 彼はベッドを片手で押し上げると、もう一方の手で這いつくばる子供の腹へ腕を通すと一息に抱え上げた。


「ソウシさまー、本人確認はしないのー?」

「しなくても問題ない! とっととここから出るぞ!」


 言葉を発しつつもソウシは立ち上がり、そのまま部屋の窓へと飛び込む。


 ――ガシャーン! 

 派手な音を立て窓ガラスが飛び散り、ソウシはそのまま窓の外へ飛び出た。

 外は地面ではなく空中であった。そう彼の予想通り部屋は二階にあったのだ。そのため、彼はそのまま落下していくが子供を抱えたまま軽々と地面に着地する。


「この子供を頼む!」


 ソウシは子供をその場に降ろすと、集まっていた野次馬に向けて叫ぶ。


「ソウシさまー」

「まだ中にいるかもしれん。エム、被保険者が外にいないか確認してくれるか?」

「ソウシさまー、えーっと……」


 エムが何か言葉を続けているが、急ぐソウシはエムに構わず踵を返す。

 向かう先は先ほどいた家屋の中だ。彼は入り口の扉に手をかけるとハッとして一歩下がり高く飛び上がった。向かう先は自身が先ほど飛び降りて来た窓だ。


 ◆◆◆

 

 再び部屋に戻ったソウシは廊下へと出る。入り口はきっと炎に巻かれているはずだ。何故なら、入り口が無事であれば既に脱出できているに違いない。それならそれで問題はない、救う必要が無いだけだ。

 もし脱出できておらず、被保険者が生存しているとしたら……入り口の向こう側……つまり、二階から階段を降りた方が確実なのだ。ソウシはそう考えたからこそ、ここへ舞い戻ったのだった。

 ソウシは自身の考えを巡らせながらも、激しく煙があがる階段を崩さぬよう軽やかに駆け降りる。


「誰かいるか!」


 ソウシの叫び声に反応する者はおらず、ただ彼の声がむなしくこだましただけだった。

 いないのか声を出せないのか、それとも……ソウシは自身の考えを振り払うように一番近い扉を開く。

 開いた先はダイニングルームのようで、長い長方形の机の下にも棚の裏にも人の姿は確認できなかった。この部屋には奥へと続く扉があったため、ソウシは更に奥へと進む。

 奥は脱衣所?だろうかそれとも洗濯でもしているのだろうか、小部屋になっていて右へ続く扉が確認できる。。

 扉を開くと――僅かに振動する大きな樽があった。

 一歩樽へにじり寄ったソウシは思わず声をあげる。


「お」 


 樽には半ばほどまで水が張られており、中には四十歳くらいの茶色い髪をした女性が震えているではないか。


ハザード救助信号を検知した。お前さんが被保険者か?」


 ソウシの声でようやく彼に気が付いた女性は気が動転しているらしく髪を振り乱して叫ぶ。


「助けて、助けてください!」


 この様子なら聞くのは不可能か……そう考えたソウシが口を開こうとするが女性の言葉が遮る。


「主人は、子供は無事でしょうか? ああ! 一体どうすれば……」

「主人か……ともかく、お前さんを外に連れて行く。いいな」


 ソウシは女性の肯定を待たず、彼女の両脇へ手を通すとそのまま姫抱きにして元来た道を戻っていく。

 これで確定だな……被保険者はこの家屋の主人……この女の夫に違いない。ソウシはそんなことを考えながら窓から飛び降りるのだった。

 地面に着地して、女性を降ろしたその時――

 轟音と共に家屋が崩壊し、熱風がソウシの背に吹き付け、地響きが彼の足を揺らした。


「あ、あああああ!」


 家屋の崩壊を目の当たりにした女性が絶望感から悲壮感漂う叫び声をあげる。

 瓦礫になってしまったとはいえ、確認しないわけにはいくまい……ソウシは苦虫を噛み潰したように渋面を浮かべ、家屋だった物を睨みつけた。


「ママ―!」


 叫ぶ女性へ先ほど救助した子供が駆け寄ってきた。彼女の背後には父親らしき壮年の男の姿も見える。


「カリン! あなた! 無事だったのね!」

「ママ―!」

「お前も無事だったんだな!」


 涙を流し抱き合う三人。

 彼らの様子を眺め、ほっと息をなでおろしたソウシは口元に僅かばかりの笑みを浮かべた。


「感動のご対面のところすまないが、お前さんが被保険者か?」


 ソウシが壮年の男へ尋ねると、彼はソウシへと向き直り頭を下げる。


「妻と娘を助けていただきありがとうございました! 被保険者とは……この羊皮紙でしょうか?」

「そうだ。ハザードを検知した。『特約』の適用範囲『家族』に従いお前さんの家族を救助した」


 ソウシは子供の姿を見た時から、被保険者は家族だと確信していたのだ。故に彼は躊躇せず子供を救助したのだった。

 ソウシと壮年の男がガッチリと握手を交わしていると、ノンビリとした可愛らしい声が響く。


「ソウシさまー」


 声の主はエムだ。彼女は浮遊したままソウシの周りを一回転し、彼の肩へと腰を降ろす。


「エム、あの男が被保険者か?」

「えーっとお、えむりん、良く分からないの」

「……」

「さっきそう言おうと思ったのにー、ソウシさま行っちゃうんだものー」


 そうか、エムは保険そのものを良く理解していないんだった。ソウシは自身の抜け具合に頭を抱える。


「で、エム……その手に持っているものは何なんだ……」

「んー、これねーさっきあの子からもらったのー。あげないよー」


 人間にとっては小さいがエムにとっては顔ほどのサイズのある飴を彼女は抱えていたのだ。

 やれやれとソウシは大きく息を吐き、肩を竦める。


 ソウシが「じゃあ、戻るか、エム」と声をかけようとした時、彼の頭の中に甲高いベルの音が鳴り響いた。

 息つく暇もないな……彼は連続するアラートへ顔をしかめる。


「エム、ハザード救助信号だ。転移魔法を頼む」

「んー、すぐ近くだよー。魔法を使う? ソウシさま」


 エムの言葉に嫌な予感がよぎり、背筋に冷や汗が流れ落ちるソウシ。

 ま、まさか……。


「すまんが教えてくれ。火災は広がっているのか?」

「は、はい。も、申し訳ありません! 周囲の家に……消化活動は行われていますが……」


 壮年の男は悲壮な顔で頭を下げる。

 彼の言葉が終わらないうちにソウシは駆けだしていたのだった。

 

 ◆◆◆

 

 崩れ去った家屋の奥に繋がる三軒の家に火の手があがっている。どれも木の家でこのままでは瞬く間に燃え広がってしまうことが容易に推測できた。

 既に消火活動に当たろうと群衆が集まってきているが、これ以上燃え広がらないように既に燃え始めた家の外周で作業している者が殆どのようである。

 火災は手の付けられないほど広がっており、彼らは消化を諦め延焼を防ぐことに全力を傾けているといったところか。


「どこだ? エム?」

「んー、たぶん、右かなー」


 ソウシの緊張感のある言葉と裏腹にエムはノンビリと右手で指さす。

 右か……ソウシは心の中で独白し右手にある家屋を睨みつけた。


 この家屋は一階部分からもうもうと煙があがり、運の悪いことに入り口部分から火の手が広がったようだ。しかし、二階部分はまだ燃えておらず無事に見える。

 もっとも、あと幾何もしないうちに全焼となるだろうが……。

 他の二棟はどうかというと、中央が酷い。こちらは二階部分から燃え移ったらしく今にも崩れ落ちそうな様相を呈している。一方の左手はまだ火が付き始めたばかりであった。


 どう判断する? ソウシは右手の家へ向け駆けながらも頭を巡らせる。

 「被保険者は必ず救う」これは当然だ。しかし、このままでは更なるハザードを検知するのではないだろうか? 人間たちが延焼を防ぐために躍起になっているようだが……一たび強風が吹けば炎が容易に彼らを飛び越えて延焼を広げることも予想される。

 それに、左手の家の炎を消そうと躍起になり消化活動者……おそらくは家主が逆に危機に陥ることもあるか……。


 いや、現時点でハザードを検知した被保険者を救う。まずはそれだけだ! 

 ソウシは拳をギュッと握りしめ、一息にジャンプすると屋根の張り出しに手を引っかけ足でもって窓を叩き割る。そしてそのまま流れるように彼は二階部分へと侵入を果たす。

 入った場所はまたしても寝室。この部屋は夫婦のベッドルームのようで、大き目のベッドに銅板で作った鏡が置かれていた。


「どこだ! いたら返事をしてくれ!」


 ソウシは寝室の扉を開けながら声を張りあげる。


「ここだー! 助けてくれー!」


 先ほどと違い、今度は隣の部屋から声が返ってきた。

 ソウシが隣の部屋の扉を開けると、主人らしき恰幅のいい男とその妻であろう金色の髪をした三十歳くらいの女性が確認できた。

 男は貴重品を手に持ったまま床に倒れており、女性は手に貴金属を持ったままオロオロと立ち尽くしている。


ハザード救助信号を検知した。お前さんが被保険者か?」


 ソウシはいつもの確認の言葉を男に向ける。


「こ、これのことか……まさか本当に来てくれるとは……助かった!」


 男が女性に目配せすると彼女は彼の腹の下から羊皮紙保険契約書を引っ張り出した。


「うむ。確認した。外へ連れて行こう」

「た、助かる。足をくじいてしまってどうにも動けずにな……家内には逃げろと言ったのだが……」


 ソウシは男へ手をかすと、無言で彼を背負う。


「すぐに戻る。奥さんはしばらく待っていてもらおうか」


 女性の確認を待たず、ソウシは窓を蹴破って二階から飛び降りると無事着地する。


「わ、私を抱えたまま……凄まじいな……元冒険者か何かか?」


 驚く太った男をよそにソウシは顎をついとあげ、一言だけ返す。


「話は後だ。お前さんの妻を救助せねばな」

「は、はい! よろしくお願いいたします!」


 男の言葉が終わらないうちにソウシは再び飛びあがると、窓の奥に消えて行った。

 残された男はソウシが入った……残された妻の部屋にある窓を少しでもつぶさに見ようと立ち上がろうとするが、捻った足首が痛み腰を落としてしまう。

 そんな僅かな間にソウシは男の妻を姫抱きにして戻ってくる。

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