第3話 説明を頼む
執務室に通されたソウシは革張りのカウチに腰かけ、テーブルを挟んで対面にウィルソンが座り、彼を囲むように他の四人の商人が腰を下ろした。
一方のエムはというと、テーブルの上で皿に乗った桃へかじりついている。
すぐにメイドがやって来て彼女の傍へそっと手ぬぐいを置き、続いてグラスに入った水をテーブルへ配していった。
全てのグラスを置き終わったメイドは、深々と礼を行い部屋から出ていく。
「いろいろすまないな、ウィルソン」
一心不乱に桃へかじりつくエムに目をやるソウシは、しかめっ面のままだ。
「いえいえ、エムさんの転移魔法のおかげでここまで来れたのです」
ウィルソンは人受けする笑顔を浮かべソウシに応じる。
全く……エムは仕事より食い気だから困ったものだ……。ソウシは心の中で苦言を呟きながら、懐に手をやる。
彼は一枚の
「この羊皮紙は先ほど私が使ったものと同じですね」
「その通りだ。これは保険の契約書兼俺を呼び出すハザードになる」
「なるほど。私が先日購入したものはどのような契約内容だったのですか?」
「そうだな。まず俺が売っている保険について理解しているか?」
「『保険』と言えばもし損失が発生した時に損失分の金銭を補償してくれるもの……でしたか? お恥ずかしい話……それを購入した時には、あまり内容を理解してませんでした」
恐縮したように頭をさげるウィルソンへソウシは気にした様子もなく、「ふむ」と一言呟き保険について説明を始める。
「俺の提供する『人命救助保険』はウィルソンの想像する保険と少し異なる。簡単に言うと……契約内容に応じ、命の危機が迫った際に俺が契約者――被保険者を救うという内容だ」
「なるほど。確かに保険というイメージと少し違いますな」
「保険と名乗っているのは、もし被保険者が死亡した場合に契約料の倍額をあらかじめ決められた者へ支払う『特約』があるからなのだ」
人命が損なわれた場合に保険金を支払う。確かにその制度は保険だな……とウィルソンは思う。
しかし、ウィルソンにとってソウシが提供する「死亡した場合に金銭を受け取る特約」はさしたるメリットを感じない。もちろん彼だって自分が死亡した時に自身の息子へ資産を残すことは考えている。
といっても「特約」を含めた保険金が幾らかは分からないが、彼の資産からすると大した価格ではない。
それよりもソウシの持つ人命救助の能力にこそ目を見張るものがあると彼は考える。伝説の土龍をあっさりと仕留めたまるで勇者のごとき個人武勇に加え、転移魔法を使うことによってどれだけ離れていても瞬間的に窮地の場へかけつけることができるのだ。
これほど頼りになることはない。万が一、ソウシが破れ自身が倒れたとしても、それは仕方のないことだったのだ……と諦めることもできるというものだ。
「ん、続けてもいいか?」
長考するウィルソンへ向けソウシが割って入る。
「失礼。保険のことについて頭の中で整理していたのです」
「『人命救助保険』は基本となる契約事項があり、そこに『特約』を組み合わせることができるのだ」
「ふむふむ。何か内容をまとめた書面などありますか?」
「ある」
ソウシは懐をまさぐり何かを探しているようだが、次第に顔つきが険しくなってくる。
……どこかで落としたとソウシは心の中で独白した。
「エム、ユウを呼んでもらえるか?」
「えー、えむりん、まだ食べてるのー」
「後で……そうだな、バナナでも買ってやるから」
「ほんとー、じゃあ、えむりん、がんばっちゃう!」
あっさりと食べ物につられたエムは、桃の果汁で全身をベタベタにしたまま四枚の羽を震わせると、その場に浮き上がる。
続けて彼女は両手をブンブンと振るい忽然と姿を消した。後には彼女が体を揺すったことで巻き散らかした鱗粉と桃の果汁だけが残った。
「コホン……ウィルソン、契約事項についてはもう少し待ってくれ。その間にハザードについてそこの四人に説明してもいいか?」
ソウシはワザとらしい咳払いをすると、商人らへ順に目をやる。
「はい、私も再度聞きたいところでしたので助かります」
代表してウィルソンがソウシへ答え、他の商人も頷きを返した。
「では、この保険契約書はハザードも兼ねるとさっき説明した通りなのだが、いざという時にそいつを天に掲げ『救助を願う』と俺へ連絡が届く仕組みだ」
「それはまた……」
ウィルソンは途中で言葉を区切る。何故なら続けようとした言葉が彼への苦言だったからだ。ウィルソンとてこれまで幾度とない商談をこなしてきた商人。
相手をわざわざ不快にさせる言葉を紡ぐべきではないということなど心得ている。
「思い」の判断は一体どうするのだろう? ハザードでの連絡がソウシへ確実に届くのか不安がつきまとう。ウィルソンは顔には一切出さず、懸念点を心の中でまとめた。
「何を考えているのか分からないが、『強い思い』へハザードは反応する。例え天に掲げる腕が無くなろうが、問題ない」
「それなら、天に掲げる仕草は必要ないのでは……」
「言っただろう? 『強い思い』が必要なのだと。儀式は『強い思い』をより強くするのだ」
腕を組み当たり前だと言わんばなりに語るソウシへ、ウィルソンは考えるのをやめた。これはそういうものなのだろう。ソウシほどの際物が言うのだ。
事実、自身がハザードで救援を求めた時、ソウシはやって来たじゃないか。ウィルソンはそう結論つけたのだった。
「あ、あのお……」
考え込むウィルソンの真後ろで、まだ声変わりをしていない少年の声が響く。
先ほどまで誰もいなかったはずなのに……。転移魔法でやって来たのだなと彼はすぐに理解するが、そうは言っても驚くことに変わりはない。
彼が振り向くと、耳を震わせて立っていたのはネズミだった。
いや、ネズミというには語弊がある。身長は人間の腰ほどのサイズがある直立したネズミと言えばいいのか。ネズミそのものの頭にずんぐりとした手足の短い体躯をしている。
それはフサフサの茶色の毛並みが全身を覆っているが、赤いレザーのチョッキと緑色の半ズボンを身にまとっていた。この種族は見たことがある。ウィルソンは大森林の近くにある村で見た彼と同じ種族のことを思い浮かべた。
確か……ラットマンという種族名だったはず。大人しい種族だとその村の人間は言っていたが……。
「ユウ、持ってきてくれたか?」
ウィルソンの頭越しに呟くソウシへラットマンのユウが「みゅ」と応じ、赤いチョッキのポケットから手の平に収まるくらいの大きさがある冊子を取り出した。
「持ってきたみゅ」
「それをウィルソンへ……お前さんの目の前に座っている男へ渡してくれ」
ソウシの言葉を受けたユウはウィルソンへ冊子を手渡す。
礼を言って冊子を受け取ったウイルソンはソウシへ目配せしてから、表紙へ目をやる。
そこには「保険契約内容説明書」とだけ書かれていた。さっそくページを捲ってみると、目次があり「基本契約」と「特約」に項目が分かれていた。
「ソウシさん、これは思ったより……」
「そうなんだ。文章量が多い。詳しくは俺かユウに聞いてくれ。間違ってもエムには聞かないように頼む」
「言われなくてもエムには聞かない」と突っ込みたい衝動を抑えながら、ウィルソンは無言で頷く。
「分かりました。後でじっくり読ませていただきますね」
「それで、支払いのことだが……」
「はい。値段を言っていただけますか?」
「いや、その前に適用した『特約』を簡単に説明するがいいか? あ、ああ、そうなると基本契約についても詳細を伝えないとか……ユウ」
ソウシに突然話を振られたユウは体をビクッと震わせ鼻をヒクヒクさせた。
「は、はいみゅ。基本契約は二点だけみゅ。『保険適用は被保険者本人のみ』『最後にいた街又は安全な場所まで送迎する』になるみゅ」
「……というわけだ」
ユウの言葉へソウシが続き、ウィルソンは了解とばかりに首を縦に振る。
「今回の救助に当たって、ウィルソン以外の対象を救助した。これは保険適用範囲の補償を拡大する『特約』になるのだ」
「なるほど。もっと様々な『特約』をつけていただいたと思ったのですが、一つだけなんですね」
「その通り。『特約』の内容は本人に加え、そのパーティメンバーにも保険を適用することだ。ただし、本人死亡の場合、保険は即無効となる」
「了解しました。それではその『特約』分のお値段はすぐにでもお支払します」
金の支払いを渋らない。よい客だと思ったソウシは口元にニヒルな笑みを浮かべ
しかしその時、彼の頭に甲高いベルの音が鳴り響いた。
ち、ちいい。ハザードか! 喋っている暇はないな。彼は内心でそう呟き、二ヤついた口元をしめスックと立ち上がる。
「すまない。ウィルソン。
一息に必要最低限のことをウィルソンへ伝えたソウシは、未だに桃と格闘しているエムへ目を向けた。
「えむりん、まだ食べてるのー」
「もう種しか残ってないじゃないか。行くぞ」
「えー、バナナはー?」
「……後でバナナは渡すと言っただろう」
言い争う二人へウィルソンは「まあまあ」と割って入る。
「エムさん、ソウシさんを送っている間にバナナを持ってきます。それでよいですか?」
「うんー、ありがとうー」
エムはぱあああっと笑顔を見せ、その場でばんざーいと飛び跳ねた。
「エム、はやく!」
「おー」
エムが手を振ると、ソウシとエムの姿がこの場からかき消える。
彼らが消えたことで途端に静かになる室内。しかし、すぐにウイルソンが静寂を破った。
「ユウさん、まずは座ってください。何かお持ちしましょう」
ウィルソンはその場で立ち上がると、人好きのする笑みを浮かべユウを先ほどソウシが腰かけていたカウチへと促す。
「あ、あ、ありがとうみゅ。な、何でもいいみゅ?」
「もちろんです。と言ってもここにある物しかお持ちできませんが……そうだ」
ウィルソンはラットマンが好んで食べる物を思い出すことができた。
「な、何みゅ?」
「チーズをお持ちしましょう。硬くなった一品です」
「チーズ! ボクはチーズに目がないみゅ!」
どうやら当たりだった。ウィルソンは一発でユウの好みを引き当てたことに顔を綻ばせる。
「ところで、ユウさん、ソウシさんはどのようなところへ行ったのでしょう?」
「それは、行ってみるまでソウシさまにも分からないみゅ。ドラゴンの巣かもしれないし……ダンジョンかもしれないみゅ」
「そうでしたか……」
どこに行くのか、どんな状況なのか分からず行くのか彼は……ウィルソンは高く見積もっていたソウシの実力を更に高いものへと修正したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます