第2話 保険特約

「あ、あ、あ、一体、あなたは……」


 目の前で起こった光景がいまだに信じられない商人は、言葉を紡ごうにもうまく口が動かないでいた。

 

「ただの保険屋だ。どうだ? もっと数多くの保険契約をしてくれないか?」


 白衣の男はニヒルな笑みを見せながら、懐より羊皮紙保険契約書を取り出す。

 続いて彼は、口が開けっ放しであっけにとられている商人をよそに右手を振るう。

 すると、何もない空間へ突如台車が姿を現したのだった。

 「おおおお」と驚きの声をあげる商隊の面々。他の者と同じように台車へ目を向けていた商人は、ハッとしたように声をあげる。

 

「も、もちろんです! あ、あと特約というものについても教えてもらえますか?」

「ほうほう。それはそれは。しかし、まずはお前さんとの契約を履行させてもらおうか」

「あ、そうでした……確か最後に来た街まで連れて行ってくれるんでした」


 商人はおぼろげな記憶を手繰り寄せ、彼と軽い気持ちで交わした契約内容をポツポツと呟いた。

 

「その通りだ」


 すぐに彼の答えが返ってきて間違えていなかったことにホッと胸をなでおろす商人。

 

「乗るがいい。送ろう」


 不愛想な白衣の男だったが、この時ばかりは柔らかな態度で彼らをさきほど出した台車へ乗るように促した。

 彼にとって保険業は商売。商売のお客となれば相応の応対はするのが彼の中のポリシーなのだから。

 

「そ、その前に名前を聞かせてもらえますか?」

「あ、ああ。契約の時に名乗っていなかったか……そいつは失礼した。俺の名前はソウシ」

「伝説の勇者様と同じお名前とは……まさか……」

「いや、勇者はとっくに故人だ。誰しもが知っていることだろう?」

「た、確かに……あ、私の名前はウィルソンと言います。以後お見知りおきを」


 商人の男は頷きながらも、商売人らしく自分の名前を売ることを忘れてはいない。ただ、彼の中でひょっとしたらこの男……本当に勇者なのでは? という疑念は消えなかった。

 商隊の全員が台車に乗り込んだことを見て取ったソウシは、首だけを後ろにやり声をかける。

 

「エム、送ってくれ」


 しかし、ソウシの声に応える者は誰もいなかった。

 

「エム!」


 続けてソウシが呼びかけるが、やはり声はかえってこない。

 

「あ、あの、エムという者はこの中にはいませんが……」


 おずおずとウィルソンがソウシへ口を挟むが、彼は首を振り肩をすくめる。

 

「全く……どこに行ったんだ……エムの奴。仕方ない……ウィルソン」

「はい」

「すまないが、台車をこのまま俺が押していく。しっかりと捕まっていてくれ」

「分かりました。皆の者いいか?」

「はい!」


 ウィルソンの掛け声に他の者の声が重なったのだった。


 ◆◆◆

 

 ソウシは台車の後ろに回り込むと取っ手を掴み押し始めた。しかし、細かい砂のせいで台車の車輪が沈み込みうまく進まない。

 彼はそれに構わずぬんと力を込めると、台車の後輪が浮き上がってしまう。それを見た彼は急いで力を抜くが、前後に大きく揺すられた隊商の男の内二人が台車の前方から転げ落ちてしまった。

 

「すまない」

「あ、いえ……」


 助けてもらった手前強くは言えないウィルソンが曖昧に頭をかく。

 

「は、はくしょん!」


 「台車が動かないので歩きます」と言おうとしたウィルソンの鼻を細かい何かがくすぐり、彼はくしゃみをしてしまう。

 目を擦り顔をあげた彼の目にトンボのような羽が四枚背中から生えた少女が目に入った。

 

 この少女、明らかに人間ではない。羽もそうだが、彼女の背丈は人間の膝辺りまでしかなく、髪の毛の色も緑色と人間にはない髪色をしている。

 顔こそ人形のように愛らしい十歳くらいの少女のものではあったが……。彼女は髪色と同じ色をした貫頭衣に身を包み口元に子供っぽい笑みを浮かべていた。

 

「え?」


 びっくりして声をあげるウィルソンに構わず、羽の生えた少女はくるりくるりとソウシの周囲を飛び回り愉快そうに声をあげる。

 

「エム! どこに行っていたんだ?」


 ソウシが眉をひそめエムと呼ばれた少女へ苦言を呈した。

 

「えーっと、えむりん。リンゴを食べてたのー」


 小さな少女――エムはトンボのような羽をパタパタと震わせ悪びれた様子がまるでない。

 

「全く……」


 腕を組み「はああ」と盛大なため息をついたソウシは、ウィルソンの方へ向き直り言葉を続ける。

 

「ウィルソン、転移魔法で送ろう。そこの落ちてしまった二人、悪いがもう一度台車に乗ってくれ」

「て、転移魔法ですか……それはまた……」


 驚愕の出来事が続いていたウィルソンはもう今更驚くまいと思っていたが、またしてもポカーンと口が開きっぱなしになってしまう。

 浮遊魔法に転移魔法……どれも彼がいままで見たことのない魔法なのだから。

 

「エム、彼らを街へ。頼む」

「ソウシさまー、どこの街へ行くの?」

「……」

「ソウシさん、バステトです」


 ウィルソンの助け船にコホンとワザとらしい咳をしたソウシは、エムへ「バステトだ」と伝えるのだった。 


 ◆◆◆

 

 バステトの街は王国の西部にある交通の要所で、王国内でも二番目に大きな街になる。街から三日ほど北進すると「ザ・ワン」と呼ばれるダンジョンがあり、南にくだると山脈に行きつく。

 この山脈のふもとでは鉄が採れる。ここで採掘された鉄はバステトの街へ運ばれ、加工されるか東方の王都まで行商人たちが商いへ向かうこともあった。

 そのような事情からバステトの街では鍛冶、中継貿易、ダンジョンへ向かう冒険者と「要所」と呼ぶに相応しい要因を兼ね備えているのだ。

 

 さてバステトの街であるが、野盗やモンスターの侵入を防ぐために人の二倍くらいの高さがある城壁にぐるりと取り囲まれている。また、街への入り口は東西南北にそれぞれ一か所……計四か所あるのだった。

 安全確保の必要性から夜間には入り口が固く閉じられ、街へ入ることはできなくなるから注意が必要だ。

 いつもは凛とした佇まいで仕事をこなす南門に立つ守衛二人は、珍しく狼狽している。それは不意に何もない空間から出現した台車のせいであった。

 

「やっほー」


 固まる守衛のまわりをくるくると浮遊しながら、太陽の光に反射しキラキラと輝く鱗粉をまき散らすエムはフリフリと守衛に向け手を振る。


「な、何者だ」


 やっとのことで言葉を絞り出した守衛。


「エム。後で桃をやるから、こっちで大人しくしておいてくれ」

「わーい!」


 話がややこしくなると確信したソウシは、エムへ餌をチラつかせる。すると彼女は両手で力いっぱい喜びを表現してソウシの肩へ腰かけた。

 彼はその様子にふうと息を吐き、ウィルソンへ目配せする。すぐに察したウィルソンは台車から降りると人懐っこい笑みを浮かべもみ手で守衛へ向き直った。


「どうも、ウィルソンです。入ってもいいでしょうか?」

「おお、ウィルソンさんか、突然出て来たからびっくりしたぞ」

「いろいろ事情がありまして……後で詳しく説明します」

「……んー、分かった。必ず挨拶に来てくれよ」


 守衛とウィルソンはこの後、二、三言葉を交わす。その結果、ソウシとエムは街への入場を許可されたのだった。


 

 街の入り口はそのまま大通りに繋がっていて、左右に所せましと店舗と露天が軒を連ねている。入口付近の売り物は食料品が多いようだった。

 台車を押すソウシはチラリと左右に目をやっただけで、前を行くウィルソンの後をついていく。エムはと言えば、ソウシに「お願い」された通り大人しく彼の肩に座ったまま両足をぶらんぶらんと揺らし、首を振って街の賑わいに目を輝かせていた。


「あ、あのお」


 遠慮がちに台車の上に座る商人の一人がソウシへ声をかける。


「ん?」

「お、降りてもいいでしょうか?」

「運ぶのはサービスだが、いいのか?」

「は、はい……もう大丈夫です……それに……」

「それに?」

「いや、なんでもありません」


 ソウシはまるで気が付いていないが、台車に四人もの大人が乗っている光景は目立つ。

 怪我をしているのならともかく、健康な大人が何をするわけでもなくただ台車の上にあぐらをかいている様子は滑稽で、さっきから街人の注目を集めているのだ。

 四人の商人はソウシに台車を停止させてもらい、そそくさと地面へ降り立った。

 ソウシは何も乗せていない台車を一瞥し、右手を振るう。すると、彼の腕の動きに合わせるかのように台車がその場から消失する。

 この光景に彼らの様子を観察していた群衆から一瞬どよめきがあがるが、すぐに街の喧騒で声はかき消えたのだった。

 


 大通りをしばらく進み、右の脇道へ入るとウィルソンは足を止め後方にある石造りの建物を指さす。

 二階建ての重厚な石ブロックで造られた建物の扉は両開きになっていて、馬車一台くらいなら通れそうな広さがある。

 扉の上部に真鍮で装飾された看板が掲げられていて、そこには「ウィルソン商会」と記載があった。


「ここになります。送っていただきありがとうございました!」

「契約だからな。俺は契約を守る」


 ウィルソンから面と向かって感謝を述べられたのが照れくさいのか、ソウシは顔をそらしぶっきらぼうに言葉を返す。


「契約ですか……。契約の件についてお話してくださるのでしたよね? それに『特約』のお支払もしませんと」 

「もちろんだ」


 腕を組み頷きを返すソウシだったが、頬を小さな手でエムにつつかれている。

 彼女は不満そうに頬を膨らませ、羽をパタパタと揺らした。


「ソウシさまー、桃はー?」

「……」


 途中で購入するつもりが忘れてたとは言えないソウシは、どうしたものかと顎に手をあてる。

 そんな彼の様子を察した商人のうち一人が、建物の裏手へ小走りで向かって行った。


「ねーねー、ソウシさまー」


 何も答えないソウシへエムが尚も詰め寄る。


「妖精さん? でよかったですか。これをどうぞ」


 先ほど走っていった商人が桃を手に持ち戻ってくると、エムの前へそれを掲げる。

 桃を見たエムの目はキラキラと輝き、ソウシの肩から降りるとベターっと桃に全身を張り付けるのだった。


「ありがとう。えむりん、嬉しいー」

「感謝する」


 やれやれと肩を竦め、商人に礼を述べるソウシ。


「ささ、中へどうぞ。ソウシさん」


 一息ついたところでウィルソンがソウシとエムを中へと招き入れた。

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