モロゾフハウスのリレーバトン


 稀代の天才作家エメーリャエンコ・モロゾフ――ここでは仮に「モロゾフ」としておこう――の家に呼ばれたのは2014年の冬のことだった。モロゾフの詳細については先行する多くの文献で言及されているためここでは割愛するが、彼は文学的スペシャリストであるだけでなく、性的スペシャリストでもあったという点について、ここでは具体的なエピソードを交えて紹介したい。


 モロゾフの家は、山梨県小渕沢にある、築38年の小粋なコテージだった。

 我々はモロゾフの日本語翻訳者である吉澤さんの運転で、東京から山梨に向かった。ぼんやりと富士山が見え始めたころ、綿帽子のような雪が降り始め、小渕沢に着くころには吹雪に変わっていた。我々は気温変化に凍えながら車を降り、モロゾフの案内で家の中へと入っていった。ドアを開けたとき、モロゾフは我々に何かを伝えたが、日本語ではなかったので私にはわからなかった。吉澤さんによれば、ロシア語で「どうぞ」と言ったとのことだが、吉澤さんは虚言癖で有名だったし、モロゾフが話した文節は明らかに長く、そんな簡単な言葉ではないように私には思えた。本当のところはよくわからないが、とにかく我々は家の中へと入っていった。

 モロゾフの家は良い感じだった。居間は広く天井は高く、暖炉の中で薪は燃え、部屋の中は暖かった。モロゾフは何かを言った。「何か聴くか?」と吉澤さんが通訳してくれた。今度は文節もそれっぽく、またモロゾフ自身もレコードプレーヤーの前に立っていたので私は安心して「何でも大丈夫です。おかまいなく」と言った。吉澤さんが何かを言って、モロゾフは何かデスメタルっぽい音楽を流した。モロゾフは満足そうな顔で私にウインクをした。私はデスメタルは正直言って好きではない――というか、それまでにはそれほど聴いたことがなく、ちゃんと聴くのは初めてで、その感想はといえばかなり微妙なものになる――のだが、私は愛想笑いを浮かべながら「良いですね」というようなことを言った。吉澤さんは何かゴニョゴニョ言っていたが、日本語にはしてくれなかった。


 暖炉の隣には薪やレコードプレーヤーのほかに、リレーのバトンのようなものがあった。それは大中小様々なサイズのバリエーションがあり、さながらリレーバトンのバトンリレーというような雰囲気を呈していたが、リレーバトンのバトンリレーがなんなのかは私もわからなかったので、言うのはやめておいた。とにかくそれは謎の物体で、私はそれを不思議に思ったので、「その、リレーのバトンのようなものはなんですか?」と直接訊ねてみたいと思い、実際に訊ねた。モロゾフは、様々な国を渡り歩きながら小説を書いている無国籍多文化作家であるからして、リレーのバトンのように見えるそれも、ロシアとか東欧とか、何かそっち系のオブジェに見えなくもないと思ったのだ。大きなバトンの中に中くらいのバトンがあり、中くらいのバトンの中に小さなバトンがあるというのも、ロシアっぽいといえばロシアっぽく、入れ子構造のメタフィクションを得意とするモロゾフに似合う文化的象徴なのだろう――私はそんな風に考えた。吉澤さんがモロゾフの耳元でしばらく話し、モロゾフは得心した様子で答えた。同時に吉澤さんが訳してくれた。「それはね」とモロゾフ=吉澤さんは言った。「リレーのバトンだよ。見ればわかるだろ? 君は早稲田大学出身と聞いていたが、早稲田は私立大学だけあって、やはり東大とかのインテリに比べると頭のできは劣るのかい?」。モロゾフは眉間に皺を寄せて、真剣な表情だった。嘲笑するとかではなく、アホに対してガチに憐れんでいるような感じだった。

 たとえ相手が稀代の天才作家とはいえ、初対面の相手にいきなりそんな言い草をされる筋合いはないと思い、私はじゃっかん腹が立ったが、本当に腹を立てて声を荒げてしまってはインテリっぽくない――私は自分のことを普通にインテリだと思っていたし、早稲田大学は良い大学だと思っていた――と考え直し、深く息を吸い、声を落ち着けて、冷静に、いかにもそれがこの場で可能な最も知的な質問であるかのように、私はこう言った。「なるほど。リレーというのは円環的な競技であり、バトンを渡すというのは円環を運動させる行為である――つまるところ、バトンとは、円環運動を駆動させる媒介であり、文学においては、着想と着想の間を縫い、そして言葉と読み手の間に横たわる架け橋――作家――のようなものである、というわけですね?」

「いや、違うよ」と吉澤さんは言った。モロゾフが何か言った。

「今のは吉澤さんの意見ですか?」と私は言った。吉澤さんがモロゾフの耳元で何か言った。

「いや、これは私、つまりモロゾフの意見だ、とモロゾフが言っています」と吉澤さんは言った。

「本当ですか?」と私は言った。

「本当ですよ、私は翻訳者です」と吉澤さんは言った。

「なるほど」と私は言った。私は少し考えてから続けて言った。「で、モロゾフはなんと?」

「きみはバトンをリレーだけに使うものだと思っているのか? とモロゾフは言っています」とモロゾフであるところの吉澤さんは言った。「でも本当はそうではないのだ、とモロゾフは言っています。サルトルやハイデガーの実存主義や、最近はやりのグレアム・ハーマンのオブジェクト指向存在論を引くまでもなく、物は使われるから使われる物になるのだ。リレーバトンは、リレーに使われるときにバトンになるのだ、と」

「なるほど」とインテリの私は言った。「たしかにそうですね」

「では、こう考えてみればどうか、とモロゾフは言っています」とモロゾフであるところの吉澤さんは言った。「これは、ある種のオルタナティブ・ホール――つまりオナホール――ラカンが言うところの象徴界の穴のメタファーなのだ、と」

「なるほど」とインテリであるところの私は言った。「たしかにそうですね」

「そう。これはオナホールとして使うとき、オナホールに〈なる〉のだ、とモロゾフは言っています」と吉澤さんは言った。「私はもうこれなしでは一人で射精することはできない。私は毎晩日本のアダルト動画チャンネルの新着を確認し、それと同時に自分のファルスをこのバトンの中に挿入する。その日の勃起状況に応じてバトンのサイズを使い分ける。大きいものから小さいものまでな。そして、自作のバトン回転機械――扇風機のはねにひもをくくりつけたもの――にバトンを接続し、扇風機を弱風で回すのだ。そうすると、ほどよい刺激がファルスに与えられる。市販のオナホールや手を使うよりも刺激的だ。私は長年インポテンツに悩まされていた。しかし、SMクラブに通い、嬢にバトンで局部を思い切り叩いてもらうようになってからは改善方向に向かっていたんだ。妻にSM狂いがバレてこっぴどく怒られてからはSMクラブに通うのはやめたが、バトンへの執着だけは残り、そしてこの〈バトン・オナニー法〉を編み出したというわけさ。まあ妻には結局逃げられたのだが、とモロゾフは言っています」と吉澤さんは言った。

「なるほど」と私は言った。


 その夜、モロゾフ=吉澤さんのレクチャーのもと、我々は皆で〈バトン・オナニー法〉にチャレンジした。モロゾフと吉澤さんは射精に至ったが、私は扇風機のボタンを間違えて〈強〉にしてしまい、陰茎がちぎれる思いをした。

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