第16話


 舟が進む。住宅地から繁華街、また住宅街、と流れる重陽町の夜景。

 幼馴染のなんでもない会話が川面に落ちてゆく。喜怒哀楽だけでは語れない感情は、いつも使い捨てるかのように道の後ろに消えていった。


 ある船着き場で英吉と別れ、その四つ先で冬鷹も舟を下りた。


「冬鷹。はい、これ」


 杏樹はクーラーボックスから小さなビニール袋を取り出し、渡してきた。さも当然のように差し出されたため受け取ったのだが、冬鷹には心当たりがない。


「アンタ忘れてるでしょ」と、杏樹はまたも深い溜め息を漏らす。

 袋の中身を覗くと、ダーゲンハッシュアイスクリームが入っていた。


「買ってきてくれたのか?」

「時間があったからね。っていうか、事件担当になったんだったらオフの時間とか当然減るんでしょ? 今の内にちゃんと雪海の機嫌取りなさいよね」


 まったくその通りだったが、言われるまで、そこまで考えが及んでいなかった。


「サンキュー。マジで助かった」

「今度ドリーミンアイスおごって。それで代金と手間賃はチャラにしてあげる」

「はあ!? ドリーミンアイスって、倍以上すんじゃねえか!」

「わざわざ〝N〟に買いに行ってあげたの? それに、溶けないように小型冷凍庫に魔素子を流し続けて、家の近くまで送り届けてあげて――正直安いくらいよ」

「うっ……確かに」


 ぐうの音も出なかった。


「まったく、こんなに気が利かな過ぎて、上手く聞き取りできんの? 相手は雪海と同い年の女の子なんでしょ?」

「うっ……い、いや、大丈夫。できるさ」


 と言いつつも不安が芽生えてしまった。

 顔に出てしまっていたのか、杏樹は溜め息を吐き――そして、フッと笑った。


「まあ、それでも、やらないと前に進まないしね。んじゃ、そろそろ行くわ。夢への第二歩目、がんばりなさいよ」


 そう告げ、杏樹は舟を動かした。

 何か言葉を返えさないと――自然にそう思った。


 だが、杏樹からまっすぐ応援されると、急に気恥ずかしくなり、言葉が出てこなかった。


「じゃあね」と言われた時、やっと「サンキューな。気を付けて帰れよ」と言った。しかし、他の何かと合わせた『ついで』のような形でしか感謝の気持を表せなかったのが心に引っ掛かり、言うべきだった言葉を探しながら、舟を繰る幼馴染をただただ見つめていた。


 ふと、杏樹が振り返った。

 悪い事をしているわけではない。だが、「気付かれた」と焦ってしまった。


 しかし、杏樹はいつもの軽い笑顔で小さく手を振るだけで、また川の先に向き直った。


 冬鷹は、川面の闇に消えるまで彼女の姿を目で追った。

 そして、彼女が見えなくなりしばらくして、ようやく家路へと足を向けた。

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