インチキ教師と偽りの聖霊術師

13

 真っ白な廊下に自分の足音が響く。病室の前まで来て涼風恭介は一度深呼吸をした。

 この扉の先には母がいる。

 数日前、母は突然別人のように豹変し、父を刺した。

 父を喪った悲しみから、妹の凛音も塞ぎ込んだままだ。

 母は精神を病み入院した。この日が恭介にとって初めての面会となる。

 今日の母さんはいつもの母さんに戻っているといい、そう願ってドアをノックした。

 どうぞ、と中から穏やかな声が返ってくる。扉を開け、恭介は病室に足を踏み入れた。

 あら恭介、お見舞いに来てくれたの? と母が微笑む。

 良かった、と恭介は安堵した。自分のよく知ってる、優しい母さんだ。

 それから恭介は母と他愛のない話をした。だがこの状況で明るい話題ばかり続く筈がない。

 やがて恭介は核心に迫る。あの日、何があったの? 彼はそう聞いた。

 それに対して母は少しの間、逡巡を見せた後、やがて決意を固めた様子で語り始めた。

 涼風家を蝕む魔女の呪いについて。


 船内の廊下を歩き、一つの扉に手をかける。

 その部屋は滅多に使うことのない監禁部屋だ。

 この海賊船の船長であるポセードは迷いなくその扉を開き中に入る。

 部屋の中央には椅子が配置され、そこに後ろ手を縛り付けられた少女が座らされていた。

 緩くウェーブのかかった栗色の髪の少女が歯を食い縛りポセードを睨んでくる。

 情報屋の爺さんから聞いたところによると名前は冬野紗雪、幸平の教え子の一人だ。

 そんな彼女にポセードは言葉を向ける。

「お前の胃の中をスキャンさせてもらったが、夢幻の鍵らしき物は見つからなかった。ということはお前がさっき呑み込んだのはダミー。恐らく夢幻の鍵を模して作った何らかの飲食物だったのだろう」

 そう聞かされても紗雪はポセードを睨んだまま沈黙を貫く。

「貴様の芝居に一杯喰わされたわけだ。全くふざけた真似をしてくれる」

 吐き捨てるようにそう告げ、ポセードは問いかける。

「本物の鍵はどこだ?」

 その問いに紗雪はそっぽを向いて惚けてみせる。

「さて、私にはわかりませんね」

「お前が知らないということは幸平が持っているということだな」

 誤魔化しは無意味だったと紗雪は悟る。

「聞きたいことは他にもある」

 ポセードはそう言って威圧的に問いかける。

「アラネアのことだ。外傷は殆ど無いようだが、ずっと眠り続けていて目を覚まさない。貴様、アイツに何をした?」

 その質問にも紗雪は真面目に答えず茶化して返した。

「そんなにぐっすり寝てるなんて。きっとお疲れだったんでしょうね。あっ、貴方も疲れてませんか?」

「何っ?」

 ポセードが訝しむと、二人の周囲に白い羽が舞い散る。

 心言領域、シムルグを手放した紗雪だがその残り香程度にはまだ力を発揮することができる。心へ直接干渉を得意とする彼女に物理的な拘束など無意味なのだ。

『さっきせんせーと戦ってましたし、一息吐くのもいいと思いますよ。自分では元気なつもりでいても、体は疲れているということもよくありますし。ゆっくり眠って大丈夫ですよ』

 紗雪の声がポセードの心に直接響く。

 だがそれに怯むことなく、ポセードは紗雪の目を見つめ返し言葉を投げつける。

『疲れているのはお前の方だろう。ゆっくり休んで構わんぞ』

 ポセードの目を見た瞬間、紗雪の瞼が重くなり思考に靄がかかったように曖昧になる。

『あっ、やば』

 押し寄せる睡魔に紗雪は必死の抵抗を試みる。だがどんどん理性は溶けていきまともな思考が働かなくなる。

 そんな彼女にポセードは語り掛けた。

『眠りにつくまで話し相手になってやろう。俺の質問に答えろ』

 そうして虚ろな目をした紗雪から、ポセードは情報を引き出す。

 彼女は聞かれたことに無抵抗に答え、最後に深い眠りについた。


 真っ白な雲が急流の様に空を流れる。

 ここからでは地上の様子も殆ど見えない、白と青で彩られた高度数千メートルの世界にその船はあった。

 海ではなく空を泳ぐ海賊船、その甲板から見える独特の景色の中に銀髪の少女カストルと空手道着の大男武蔵は手持ち無沙汰にしていた。

 人質に尋問しに行ったポセードが戻らない限り次の行動は決められない。

 盗賊四皇帝は元々はお互いに干渉しあうことは殆どなかった。今回の様に組織だって行動すること自体が異例だ。

 船の外に視線を向けながら、カストルは右手に嵌めたパペットの口を動かし腹話術で話しかける。

「ねえねえ筋肉ダルマくーん、キミがなんでポセード様の作戦に協力してくれたのか聞いていい?」

 突然の質問にも、武蔵は何だそんなことかと笑って答える。

「面白そうなことをやっておったからじゃよ。聞けばあの男、夢幻の鍵を手に入れて魔神を復活させようとしてるらしいじゃないか。伝説の魔神とやらとワシも戦ってみたくなってのう」

「うわー、想像の百億倍くらい脳筋な答えだった」

 そういうお嬢は何故? と武蔵が聞き返す。

 カストルはパペットを動かすのを止め、自分の口でそれに答える。

「楽しそうだから。ガーディアンの卵が沢山いる学校をぶっ潰すのはね」

 魔神を復活させるポセードの計画が進めば、地下迷宮のすぐ傍にある学校も無事では済まないだろう。カストルの関心は魔神ではなくそちらにあった。

「特にぶっ潰した奴がいるから」

 その一言は風にかき消され武蔵の耳に届いたかは定かでない。

 すぐに船内に続く扉が開き、ポセードが姿を現した。

 その姿を認めると武蔵が言葉をかける。

「来たかポセード、どうじゃ夢幻の鍵は」

「あいつは何も持っていない。やはり鍵は幸平の手にある」

 そう答えるとポセードはカストルの方へ目を向ける。

「幸平はどうしてる?」

 地上から遠く離れたこの船では幸平達の行動などわからない。

 偵察用の竜を送り、その視界を共有しているカストル以外は。

 彼女は船の外に顔を向けたまま、素っ気なく答えた。

「金髪の女に拾われたみたい」

「金髪? 幸平の知り合いか」

「ガーディン・スクールの生徒」

 なるほど、とポセードは納得の色を示す。

 そんな彼は意に介さず、カストルはニイイと口の端を切れ込ませた。

「やっと、アイツを潰せる。アイツを壊せる」

 右手に嵌めたライオンのパペットを左手で強く握る。

 そんな彼女にポセードの命令が飛んできた。

「俺はこれから夢幻の鍵を奪いに行く。お前らは船に残れ」

 留守番か、つまらんのうと武蔵がぼやくそのすぐ後にカストルはポセードに進言する。

「私も行く」

 そしてポケットから銀色の翼竜が描かれたカードを取り出してそれを示す。

「私のカトプトロン・アペイロンも、そろそろ暴れたいって言ってるから」


「なるほど、話はわかりました」

 水を張った洗面器の上でタオルを絞りながら星観はそう呟く。

 俺は布団に横になったまま彼女からタオルを受けとると自分の額にそれを置いた。

 冷たいタオルの感触に多少は苦しみが和らいだ気がする。

 あの後、俺は星観の雷獣の背に乗せられ宿まで戻ってきた。

 つぐみちゃんは病院に搬送されたが、俺は医者に行くこともなくこうして星観と一緒に居ることを選んだ。

 魂を直接切り裂く死神の鎌、このダメージは医者に見せたところでよくなるものでもない。それでもこうして休んでいることで、少しずつ体が回復してきたと感じる。

 俺は自嘲気味の台詞を星観に向けた。

「で、聖霊術師さんは俺を捕まえてどうするんだ? 夢幻の鍵と俺の持ってる聖霊を取り返すか?」

 胸ポケットから二枚のカードを取り出し星観に示す。

 静佳から奪ったサイレント・アサシン、そして紗雪から託された心言霊鳥シムルグ。

 それを見て星観は困ったように溜め息を吐く。

「最初はそのつもりでした。でも紗雪ちゃんが攫われたとなると話も変わってきます」

 紗雪。兄貴は紗雪の腹を裂いて鍵を取り出すと言った。今こうしてる間にも彼女が危険に晒されているかも知れない。

 俺のせいで紗雪を巻き込んでしまった。だが俺には彼女を追う手段がない。兄貴の船がどこに飛んでいったのかなんて見当もつかない。

 星観は沈んだ顔で畳へ視線を落としながらポツリと呟く。

「夢幻の鍵を守る為に自分を犠牲に。あの子がそんなに思い詰めていたなんて」

 紗雪は何らかの罪の意識に苛まれていた。その償いの為にあんなことを。

 一体凛音と紗雪達の過去に何があったんだ。

「なあ星観、聞きたいんだが。紗雪とお前達の間に一体何が――」

 と訊きかけた俺の言葉は星観に遮られる。

「とにかく、今は紗雪ちゃんの無事を信じましょう。あの子、ズル賢いところがありますから自力で逃げ出したりしてるかもしれません」

 ええー、そんなに答えたくないか。

 星観の顔を見ると、彼女はニコリと微笑みを返す。質問は受け付けないという固い意志を感じた。元生徒会長のこいつからしたら夢幻の鍵を盗んだ俺は憎むべき盗賊。余計な情報をくれる義理はないというわけか。

 星観は話を進める。

「紗雪ちゃんが鍵を持ってないとわかれば盗賊は再び先生を狙ってきます。その時が敵と接触するチャンスです」

「お前、アイツラとやりあうつもりなのか?」

 星観は四皇帝の恐ろしさを知らないだろう。紗雪に続き星観まで巻き込んでしまっていいのか。俺の中に葛藤が生まれる。

 そこで星観は俺の手を握り、両手の平で優しく包み込んできた。

「紗雪ちゃんを助けたい気持ちは私も同じです。私と紗雪ちゃんと相馬先生、全員で一緒にスクールに帰りましょう」

「星観」

 心がじんわりと暖かくなる。

 俺はお前らを騙してたのに、こんな俺に手を貸してくれるのか?

 彼女は聖母の様に優しく微笑みながら言葉を続ける。

「私と紗雪ちゃんは平和な日常に帰り、相馬先生は静佳ちゃんのサンドバッグになる。それが私達のハッピーエンドです」

 あれー? おかしいな。その未来図の中に一人だけハッピーじゃない人が居る気がするんだが。

 そうだよ。すっかり忘れてたが俺、静佳に滅茶苦茶恨まれてるよな。

 別れの言葉がぶち殺してやるだったし。

「えー、ところで静佳はどうしてるんだ?」

 恐々としながら俺はそう訊ねる。

 星観は沈んだ顔で畳に視線を落とすとポツリポツリと話し始めた。

「静佳ちゃんはゴーレムの大群に襲われて酷い怪我でした。お医者様が言うには全治一ヶ月だとか」

 そうか、今更ながら静佳には可哀想なことをしちまったな。

「お医者様の言葉を聞いて静佳ちゃんは言いました。なら一日寝れば治りますね、って」

 ええええええええええ?

 星観は困り笑いと共にその時の感想を語る。

「静佳ちゃんのことですから、誇張でも強がりでもなく本当に一日で全快しそうでした。きっと明日には復活しますね」

 いやいや、確かにアイツは人間離れしてるけど流石にそれは、うん。否定できねえ。

 だって静佳だし。

「ところで静佳ちゃんて、先生には凄く心を開いてますよね」

 俺の顔を見つめながら星観はそう言って話題を変える。

「知ってますよ。生徒会選挙の決勝に備えて先生と秘密特訓してたんですよね。普段の様子を見てても先生のこと凄い信頼してるのが伝わってきますし」

 おお、なんで秘密特訓のこと知ってるんだ? って思ったけど、そんなの静佳から聞いた以外ないよな。

 微笑ましい物を見守るように表情を綻ばせながら彼女は告げる。

「静佳ちゃんは先生のこと大好きだったと思いますよ。大好きな分、裏切られたときにその感情は反転し憎しみに転化される。そんな仲良しな静佳ちゃんと先生の再会、私は楽しみにしてます」

 仏のような笑顔でなんてことを!

 俺の中でお淑やかなお嬢様だった星観のイメージがどんどん歪んでいくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る