12
アラネアの野郎め!
つぐみちゃんを拐ったという奴からの手紙が届いたのはつい二時間前のこと。
彼女を助けたければ暗号の示す場所へ来いと書かれていた。
いやいや、なんで暗号解かなきゃいけないの? お陰で二時間もかかったんだけど! その時間は誰得なの? 怪盗って奴はホントに非合理なことをする。
とにかく、つぐみちゃんが拐われたなら一緒にいた紗雪も危ない。
土地勘のない俺が暗号で示された場所を探すのは本当に苦労したぞ、と毒づきながら高台に上がる。
そこに広がっていた光景は俺の理解を越えていた。
蜘蛛の巣に絡まって地面に転がってる海賊達。一見外傷は無さそうだが、うつ伏せに倒れピクリとも動かないアラネア。あとベンチに寝かされたつぐみちゃんと、そして奥の方には紗雪とポセードの兄貴がいた。どういう状況だコレ。
荒い息を吐きながら紗雪は地面に片膝をつく。彼女が劣勢なのは火を見るより明らかだ。
そんな紗雪に対し、兄貴は涼しい顔で言葉を向ける。
「面白い聖霊だ。極寒の雪山、光届かぬ深海、灼熱のマグマ、貴重な経験をさせてもらった。普通の人間なら心が壊れてしまうだろう経験だが」
「なんで、貴方は平気な顔してるんですか?」
息を切らせながら紗雪はそう問う。どこまでも冷たい瞳がそれに答えた。
「生憎俺には心など無いからな。お前の聖霊は精神攻撃を得意とするが物理的に干渉できるわけではない。それでは俺は倒せまい」
兄貴の隣には既に聖霊が召喚されていた。
紫のローブを纏い、袖から伸びた骨ばった腕には身の丈ほどもある大鎌を携えている。
骸骨の仮面で顔を隠した死神。その名はハロス・スィオピ。
死神の鎌が振り上げられ、今まさに紗雪に向けて振り下ろされようとしている。
ここに至ってはもう兄貴に逆らうのが恐いとか言ってる場合じゃねえ。
反射的に俺は叫んでいた。
「兄貴ー!」
すると死神の動きが止まる。そして彼らの視線が俺に集まった。
「どうやら届いたようだな。メインディッシュが」
見る者を凍りつかせる冷たい笑みと共に彼の視線が俺を捉える。
「せ、せんせー!」
紗雪が今にも泣きそうな顔で俺を見る。兄貴とは言え、俺の生徒を苛めた罪は重い。
俺は兄貴を睨み、言葉を投げる。
「ウチの可愛い生徒がお世話になったみたいだな」
ポセードの兄貴はそれに対し、見る者を刺し殺すような冷たい視線を返してきた。
「こいつを返して欲しければ夢幻の鍵を渡せ。そうすれば見逃してやるさ」
不覚にもその提案には魅力を感じてしまう。
この鍵を手放すだけでつぐみちゃんも紗雪も無事に助けられる。
正直、兄貴とやり合いたくなんてねえ。
そう思っていたところに紗雪の悲痛な声が割り込んできた。
「駄目です! その鍵は凛音さんを助けるために必要なものです! 絶対にせんせーが持ってないといけません!」
何?
紗雪の口から凛音の名が出てきたことに驚いたし、凛音を救えると言ったことも衝撃だった。
紗雪、お前は何を知ってるんだ? やはり凛音の失踪と関係あるのか?
紗雪は助けたい。でも凛音の事だって諦めたくはない。
そんな風に葛藤する俺に兄貴は冷たく問いかける。
「さて、お前の答えを聞こうか。幸平」
そう告げられた時、俺の中で答えははっきりと出た。
自分でも馬鹿だと思う。可愛い教え子である紗雪を助けたい。大切な妹の凛音を救いたい。恐ろしい海賊王と戦いたくなんてない。
それらの願いを叶えるにはどれか一つを捨てなければいけない。
俺の出した答えは。
「答えは、これだ」
俺は黒猫の描かれたカードを翳し、紫の魔方陣を虚空へ描く。
すると魔方陣から闇色の影が飛び出した。静佳から奪った聖霊、サイレント・アサシン。
俺の答えは世界最凶の海賊王に歯向かうという、最高に頭が悪くて、それでもこれしかないと選んだ選択肢だった。
兄貴の視線が鋭くなり、プレッシャーが増す。
「そうか、どうやらお前は死神の鎌の餌食になりたいらしいな」
「いやいや、師匠をぶっ倒すことが弟子として最高の恩返しだと思ったのよ」
兄貴の殺気が強まると同時に死神の足が地面から離れ宙へ浮く。
次の瞬間、ハロス・スィオピは恐ろしいスピードで俺の正面に迫ってきた。
速い! だが、向こうから近づいてくるなら好都合だ。死神が通過するその足元を見る。
そこにあるのは死神の影、その影には既に静かなる暗殺者を忍び込ませてある。
来い! 俺がそう念じると影の中から闇色の腕が無数に伸び、死神の全身に絡み付く。
これで初撃は凌いだ!
「それで凌いだつもりか?」
兄貴の暗い声音が俺の心臓を掴む。
同時にハロス・スィオピが鎌を一振りし、無数に伸びた闇色の手を全て切り裂いた。
「がはっ!」
俺の胸部にも衝撃がはしる。
なんだ? 今、攻撃を喰らったのか?
サイレント・アサシンを振り切ると同時に俺にもダメージを与えるなんて。
余りの早業に何をされたのか理解できないまま俺は地面に片膝をついた。
自分の胸元をよく見る。出血もないし、怪我をした様子もない。
じゃあこの命を抉りとられるような痛みはなんなんだ?
兄貴がゆっくりとこちらへ近づいてくる。俺を見下ろす形で彼は淡々と告げた。
「ハロス・スィオピの死神の鎌は、肉体を傷つけることなく相手の魂を直接切り裂く」
魂を切り裂く痛み。それがこのダメージの正体か。
どこまでも冷たい瞳と声で彼は告げる。
「お前の気が変わるまで何度でも同じ問いをしてやろう。幸平、夢幻の鍵を渡せ」
それは死神の最後通牒、もし断れば命はないと脅しているのだ。
それでも俺は凛音を救う鍵を手放す訳にはいかない。
顔を上げて苦痛を押し殺し、精一杯の強がりを込めて言葉を返す。
「へっ、お断りだ」
瞬間、再び大鎌は俺の体を引き裂いた。
「ぐああああ!」
「せんせー!」
激痛に耐え切れず俺はその場に倒れる。紗雪の悲痛な声が耳に届いた。
ちくしょう、体が動かねえ。
「魂をズタズタにされるのがお望みらしいな」
殺気を孕んだ兄貴の声が降ってくる。
やべえ、この人は弟子に対する情けなんて微塵もない。間違いなく殺される。
「待ってください!」
そこに紗雪が割り混んできた。
そちらを見ると、紗雪はふらつきながら立ち上がり、蝶を象った装飾の鍵を取り出す。
「貴方の狙いはこの鍵ですよね? これはお渡ししますから、せんせーを傷つけるのを止めてください」
あれは、夢幻の鍵? 夢幻の鍵は俺が持ってた筈、なんで紗雪が?
流石の兄貴も紗雪を注目し、ほうと息を吐く。
「幸平、どうやらお前の生徒はお前より利口らしいな」
俺に向けてそう吐き捨てると、兄貴は紗雪へと歩み寄る。
何かがおかしい。ついさっき夢幻の鍵を渡してはいけないと言い放ったのは彼女自身なのに、この変わり身の早さはなんだ?
そう思っていた時、紗雪が思いもよらない行動をとった。
「なんちゃって」
ニヤッと笑うと彼女は、夢幻の鍵を口に入れ呑み込んだ。
間髪入れず兄貴が紗雪へと飛びかかり、腹部へ拳を叩き込む。
「紗雪!」
紗雪は一瞬目を見開いた後、すぐに気を失った。
苛立った様子で兄貴は紗雪の体を抱える。
「ふざけた真似を! 貴様の腹を引き裂いてその鍵を取り出してやる」
気付くと俺の倒れている場所が大きな影に覆われていた。
首を動かして空を見上げると、その影の正体がわかる。
ドクロの描かれた帆を掲げた真っ黒な海賊船がそこに浮かんでいた。
あれは兄貴の船。船から銀の翼をはためかせた翼竜が何体も飛び出し、倒れているアラネアや海賊達を回収していく。
やがてそれが終わると、紗雪を脇に抱えた兄貴がその竜の背に乗り船へと飛んでいく。
待てよ。待ってくれ。 紗雪を連れていかないでくれ。
だが死神の鎌に切り裂かれたダメージに俺は立ち上がることすら出来なかった。
兄貴が船内に姿を消し、海賊船は動き始める。
このままじゃ、船が行っちまう。紗雪が殺される。
俺は地面を這うように少しでも前に進もうとする。その時、胸ポケットからカードが零れ落ちた。兄貴から貰った白紙のバンデットカードが地面に転がる。
くそっ。
顔を上げると海賊船は遥か空の彼方まで遠ざかっていた。
それを凝視していると船から白い翼が飛び立つのが見える。
翼は空を羽ばたきながら俺の方へ近づいてくる。
やがてその姿がはっきり見える距離まで来ると、それが純白に輝く霊鳥だとわかる。
紗雪の聖霊、シムルグが俺の目の前に着地した。
シムルグから紗雪の声が俺の心に流れ込んでくる。
『せんせー、ご無事ですか?』
紗雪?
『私からのメッセージをシムルグに託します。せんせーの声は私には聞こえませんが、私の最後のお願いを聞いてください』
最後って、どういう意味だよ。
『さっき私が食べたのはチョコで作った偽物の鍵です。本物はせんせーが持ってますよね? それは絶対奪われちゃ駄目です。凛音さんを救う方法がわかる時まで』
今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ。凛音の心配する前にお前の方が大変なことになってるだろうが。
『凛音さんがいなくなってから私達はバラバラになってしまいました。静佳さんも星観さんも、凛音さんを助ける方法がわかなくてずっとどこにも進めないまま。だから私はせんせーは賭けることにしました。せんせーならきっと凛音さんを救える』
紗雪は俺を助けるために、凛音を救う可能性を残す為に自ら囮になって攫われたっていうのか。自分を犠牲に。
しんみりとした、寂し気な紗雪の声が響く。
『こんなことくらいで私の罪は消えません。でも私は願ってます。いつか凛音さんが帰ってきて、静佳さんも星観さんも昔みたいな仲良しに戻れるって』
なんでそんな風に言うんだよ。どうしてその未来図の中にお前がいないんだよ。
遠い昔、凛音がウチに来たばかりのことを思い出す。悲しい事件で家族を失った凛音はずっと泣き続けていた。俺はそんな彼女を慰めるために、アイツに寂しい思いをさせないよう、アイツが新しい家に馴染めるように優しく接してきた。
泣いている静佳を迷宮に置き去りにした罪悪感は今も消えない。
いつだって俺は女の子の涙に弱かったんだ。
紗雪は、泣いていた。
いつも表向きは元気一杯で、沈んだ顔の一つもろくに見せなかったけど、凛音を失い、静佳との関係も悪化して平気だった筈がない。
アイツの明るさは傷ついた本心を隠す為の仮面だった。本当のアイツはずっと泣いていたんだ。
でも凛音が帰ってきたら全てが元通りになるなんて単純な話じゃない。
紗雪、お前がいなくなったら意味がないだろうが!
『今まで話せなくてごめんなさい。でも私は信じてます。せんせー、貴方なら凛音さんを助けてくれる』
そう言い残して、シムルグは光の粒子となって白紙のカードに吸い込まれていく。その光が収まると、カードには純白の翼をもつ鳥の姿が描かれていた。
俺は自分の体に鞭打ってそのカードに手を伸ばす。
そしてカードを掴むとともに、慟哭した。
ちくしょう。俺のせいだ。俺のせいで紗雪を巻き込んでしまった。
体が軋み魂が悲鳴を上げる。尋常じゃない痛みに俺の意識は闇へ落ちた。
「先生、こんなところで寝てると風邪ひきますよ」
闇の中で遠くから女の子の声が聞こえる。柔らかい指の感触が俺の頬に触れた。
誰だ?
俺は、確か。兄貴に負けて、紗雪を連れ去られて。
少しづつ意識が鮮明になってくる。そうだ紗雪、紗雪を助けなきゃ。
「起きてください、先生」
その声に惹かれ、俺は跳ね起きる。そして俺の頬に触れていた手を咄嗟に掴んだ。
「紗雪!」
紗雪が帰ってきた。一瞬そんな錯覚を覚えたが違った。
俺の顔をつついていたのは、黄金に輝く髪を赤い紐のリボンで結わえ、ツーサイドアップを風に靡かせた少女。
「私は紗雪ちゃんじゃないですよ。先生」
そう言って淑やかに彼女は微笑む。姫宮星観、俺の元教え子がそこにいた。
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