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本音を言えば俺はとっとと宿に帰るつもりだった。
でも仕方ないじゃないか、こんなビラを渡されたら。
目の前のビラには中学生くらいのお下げ髪の少女の写真が印刷されている。
名前は八条つぐみちゃん、昨夜塾へ行ったきり帰ってこないらしい。
警察にも捜索願を出しているが、それだけでなくこうして娘の情報を求めてビラ配りするお母さんの姿に心を打たれてしまったのだ。
家族がいなくなる辛さは俺もよく知ってる。気付けば俺はビラ配りの手伝いを申し出ていた。
だってしょうがないだろ、我が子を探そうと駆け回るお母さんの姿に凛音がいなくなったばかりの頃の自分を重ねてしまったんだから。
やがてビラを配り終えると、お母さんからお礼の言葉を貰い、俺は頑張ってくださいと彼女を励ましてその場を去った。
そうだ、俺も頑張らなきゃいけない。家族を、妹を取り戻すために。
早く宿に帰って紗雪に話を聞かなければ。
「おーい、紗雪」
民宿に戻ると俺は紗雪の部屋の扉をノックしながら声をかける。
中からは少女達の楽しそうな声が聞こえてきた。
あれっ、紗雪以外に誰かいるのか?
というかめっちゃ騒いでるし、俺の声届いてないなこれ。
仕方なくドアノブに手をかける。鍵はかかってなかったのでそのまま開けた。
「おーい紗雪ー、開けるぞー」
部屋に入るとノートPCにゲーム画面を広げている紗雪の姿を見つける。
やたら顎の尖ったイケメン二人が一人の少女を取り合い、顎フェンシングで決闘している場面だ。よくわからんが乙女ゲーという奴だろうか?
きゃー、私の為に争わないでーなんて言って無邪気に笑う紗雪は俺の姿に気付いてないようだ。
この人達、顎尖りすぎてて恐いよ。と至極全うなツッコミを入れる見知らぬ少女が一人。
「あっ、せんせーお帰りなさい」
漸く俺に気付いた紗雪がそんな風に出迎えてくれるが、俺は見知らぬ少女を見て思考がフリーズしていた。
ぱっと見中学生くらいのお下げ髪の少女だ。はて、どこかで見たような?
俺が首を傾げてると、紗雪は朗らかに笑って説明してくれた。
「紹介しますね。この子、昨日友達になったつぐみちゃんです!」
つぐみちゃん。とてつもなく聞き覚えのある名前だった。というか忘れる筈もない、ついさっき俺はこの子を探しているお母さんを手伝ったばかりなのだから。
「おい、冬野さんや」
衝撃のあまり苗字呼びになりながら俺は彼女に問いかける。
「こちらのお嬢さんはどこで拾ってきたんだい?」
えーっと、と紗雪は顎に指を当て思索に耽った末、答えを吐き出す。
「昨夜、一人でいたところを拐ってきちゃいました」
おおおおおおい! それは一般的に言う誘拐という奴なんじゃないのかい?
いかん! この子が罪を犯したとなれば、その責任は保護者である俺にもある!
俺の脳裏に手錠を嵌められ、パトカーで護送される稀代のイケメン幸平くんの姿が浮かんできた。
インタビューを受けるつぐみママ。
「娘を探すのを手伝ってくれたいい人だと思ってたのにまさか犯人だったなんて」
祭りとなるネット掲示板!
「こいつ、女の子拐っておきながらその親に同情してビラ配り手伝ってたらしいぜ」
「うわー、サイコパスじゃん」
違う。確かに俺は盗賊だが、人拐いまではしていない! そこまで悪党じゃないんだ!
俺は紗雪の両肩をがっしりと掴みながら訴えた。
「ウチでは飼えないから元の場所へ戻してきなさい」
「せんせーって、何気に失礼ですよね」
そんな俺達のコントを見かねたのか、つぐみちゃんが口を挟む。
「ちょっとー、人のこと犬猫みたいな扱いするのやめてよね」
いかにも生意気ざかりといった感じの女の子だ。そうだ、今すぐこの子を家に返せば罪は軽くなるのでは。そんな希望に縋って俺は彼女に話しかける。
「つぐみちゃん、キミはもう自由だ。お家に帰ろう」
だが彼女は不愉快そうに眉を吊り上げた。
「自由? 馬鹿言わないでよ。あんな家に帰ったところで自由なんてないんだから」
ええ! なんか予想外の反応だ。紗雪に無理矢理連れ去られたんじゃないのか?
彼女は不機嫌さを隠すこともなく愚痴を吐き出す。
「お父さんもお母さんも口を開けば勉強しろとしか言わないし。私、今でもクラスで一番成績いいのに、もっと頑張ればいい高校にいけるからって、みんなが部活やってる間もずっと塾に通わされて嫌気が差したの」
だから家出してきた、と彼女は語る。
衝撃の事実だ。紗雪に拐われたんじゃなくて、自分から家出したのか。
ひょっとして家出少女同士ということで紗雪も共感を覚えたのかもしれない。
紗雪の場合、学校の寮から逃げたので家出と呼ぶかは微妙だが。
しかしさっき出会った彼女の母親の姿を思い出す。あの人は可哀想なくらい娘のことを心配して必死に探していた。一秒でも早くこの子を帰して安心させてあげたい。
一体どう説得すればいいのか。
俺が悩んでいると、つぐみちゃんは紗雪の方へ話を振る。
「ねー、お姉ちゃん。このゲームつまんない。他の遊びないの?」
その言葉に紗雪はパソコンを閉じて、嬉しそうに答える。
「仕方ないですねー。なら特別サービスで私のとっておきの遊びを教えてあげます」
すっくと立ち上がって彼女は右手を虚空へかざす。するとのその指先から赤い光が生まれ、虚空に魔方陣を描いた。
その光景につぐみちゃんが息を呑む。
「これって聖霊の召喚?」
そう訊かれ、紗雪は得意げに口元を吊り上げ答える。
「はい。実は私、ガーディアン・スクールに通う聖霊術師なんですよ」
担任である俺も紗雪が聖霊を召喚したところは一度も見たことがない。それをこんな機会で見れるとは思わなかった。
宙に浮かぶ魔方陣から雪のように真っ白な翼が姿を現す。
ばさりと羽ばたき、そこから純白の鳥が飛び出してくる。
神秘的に輝く羽根を散らしながら、その鳥は紗雪の肩に舞い降りた。
はーっ、とつぐみちゃんは感嘆の息を吐き出す。気持ちは俺も同じだ。
一点の穢れもない白き翼、黒い嘴と長く伸ばされた尾羽。その姿はこの世のものとは思えないくらい神々しく美しかった。
『これが私の聖霊、
俺の脳裏に紗雪の声が響いてくる。なんだこれは?
俺の困惑を見てクスリと微笑み、彼女は説明してくれる。
『既に私達はシムルグの領域、心言領域に入っています。この領域内ではお互いの心の声を聴くことができる』
『心の声って、テレパシーみたいなものなの?』
つぐみちゃんも驚きながら心の声でそう問いかける。
まあそんなところです、と紗雪は首肯した。
『さあ、ここからが本番ですよ。今、私達はシムルグの視覚を共有しています』
紗雪が掌を上に向けると、シムルグは彼女の肩から飛び立つ。
そのまま天井へと向かい、壁をすり抜けて外へと飛び立った。
同時に俺の脳内にもシムルグが見ているであろう景色が映し出される。
『楽しい楽しい空のお散歩の始まりです』
道を歩く人や車、人々の営みを遥か上空から見下ろす景色は普通に生きていては一生見れないものだろう。
その翼を羽ばたかせればどこまでも遠くへ行ける、どんな場所もこの目で見ることができる。これが鳥の生きる世界か。
俺が感心していると、紗雪はつぐみちゃんへリクエストを聞いてくる。
『さあ、どこへ行きますかつぐみちゃん? 男湯でも覗きに行きますか?』
『えっ、いや。別にそれは』
つぐみちゃんが困ったようにそれを断る。色々台無しだよ紗雪。
『おや、あれは?』
紗雪が何かに気付いたように小首を傾げる、そちらを見るとそこには道端の掲示板にポスターを貼っている女性の姿があった。
行方不明となった八条つぐみちゃんの情報提供を呼び掛ける見覚えのあるビラ、それを沢山抱えて回るお母さんの姿だ。
さっき俺と別れた後、新しいビラを用意してきたのだろう。
そんな俺の心に新たな声が入り込んでくる。
『つぐみ、どこへ行ったの? 早く帰ってきて』
そうか、この心言領域はシムルグのそばにいる人の声も拾うのか。
『お願いだから無事でいて、あの子が無事で帰ってきてくれるなら他に何もいらないから』
娘を心配する母親の気持ちが痛いほど伝わってくる。
おいおい、これを見てもまだ家に帰らないなんて言えるか?
『お母さん』
つぐみちゃんの気持ちが心言領域を通して俺に伝わってくる。
彼女からすれば母親はいつも自分を叱ってくる恐怖の象徴だったのだろう。こんなに弱りながらも必死にいなくなった娘を探す姿は普段からは想像もできなかった筈だ。
そんな母の姿を見て、つぐみちゃんも自分の行動に後悔の念が芽生えたようだ。
「お姉ちゃん、ごめん。私、家に帰る」
心の声ではなく自分の言葉でつぐみちゃんはそう宣言する。
「えー、帰っちゃうの? もっと遊ぼうよ」
おい、お前空気が読めないのか。お母さんのあんな姿を見て、とそこで俺は思い留まる。
違う、紗雪はこんな能力を持っているからこそ人の気持ちに誰よりも敏感なのではないか? あえて空気を読めないフリをするくらいには。
「ごめん、泊めてくれてありがとね」
言ってつぐみちゃんは部屋の出口へ向かおうとする。
「だったら私、送っていきますよ」
紗雪はそう申し出てつぐみちゃんの隣に並ぶ。
まあ家出したばっかの子を一人で帰すのも気が引けるし、送っていくことは俺も賛成だ。
「じゃ、ちょっと行ってきますね。せんせー」
部屋を出ようとする紗雪の背中に俺は声をかける。
「紗雪、帰ってきたら話がある」
「なんですか? 愛の告白ですかー」
言って紗雪は悪戯っぽく笑う。相変わらず惚けるのが上手い奴だ。
そうして二人の少女が部屋から出ていく。そこで俺は懐から三枚のカードを取り出した。
学校に入る時、兄貴から渡されたバンデッドカード。聖霊を奪い取るためのカードだ。
三枚の内一枚には静佳のサイレント・アサシンを封印した。残り二枚は白紙のままだ。
まあ使う機会はもうないだろう。そう願いたい。
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