10

 それは遠い昔の話。まだ紗雪が幼かった頃の話だ。

「お母さん、猫さん見つけたよ!」

 近所で飼っている猫が帰ってこないという事で紗雪とその母も探すのを手伝っていた。

「あら、神社の方で迷子になってたのね。よく見つけたわね」

 母に誉められ、紗雪は嬉しそうに笑って言葉を返す。

「あのね、声が聞こえたの」

「声? ああ鳴き声ってこと?」

「お家に帰りたいよーって猫さんの声が聞こえたの」

 紗雪の返答に母は眉をしかめる。この子は時々不思議なことを言う。

 猫を抱いた紗雪は母の隣に並び、飼い主の家に届けに行くことにした。

 その途中、紗雪は上機嫌に質問を投げ掛ける。

「ねえねえお母さん、お夕飯なに?」

「さあ何でしょう? ヒントはさっきお買い物した材料――」

 その言葉を遮って紗雪は即答した。

「カレーだ!」

 悩む素振りもなく宣言した紗雪を見て母は絶句した。

 そんな彼女の様子に気付かず紗雪は嬉しそうに話す。

「カレーだって、お母さんの声が聞こえてきた!」

 まだ何も知らなかった幼き日のこと。周囲の心の声が聞こえるということが如何に異常で特殊な事なのか紗雪は全く理解していなかった。そんな彼女に母は優しく諭す。

「ねえ紗雪、そういうこと他の人の前では絶対言っちゃ駄目よ」

 それから数年、紗雪は母の言いつけを守り心の声のことを周りに話す事はなくなった。

 歳を重ねていくうちに彼女自身もそれが特別な力であることを理解し始めたのだ。

 彼女が中学に上がったある日、学校で財布の盗難騒ぎがあり一人の女生徒に疑いがかかった。

 みんなが彼女に疑惑の眼差しを向ける中、紗雪だけは彼女が無実であるという心の声を聞いていた。そして紗雪は真犯人を探す為に全力を尽くした。

 心の声を聞く彼女の力をもってすれば、犯人がクラスの担任教師であることはすぐわかった。シラを切る担任に対し、紗雪は徹底的に相手を追い詰めていった。

 盗んだ財布の在処、担任が過去に犯した女生徒へのセクハラ行為や不倫相手の名前など、彼が隠していた後ろめたい事実を白日の元へ晒して学校から追い出した。

 その行動が紗雪自身の運命を大きく変えることになるとも知らず。

 数日後、紗雪の家の前に黒塗りのリムジンが止まり、中から現れた執事服の男がこう言った。

「お迎えに上がりました。紗雪お嬢様」

 紗雪の父は聖霊術師として栄えた名家の人間だった。

 だが正妻との間に生まれた子には聖霊術師の才能は芽生えず、愛人との隠し子であった紗雪が才能を開花させたということで状況が変わった。

 紗雪は後継者の第一候補となり腹違いの兄弟達から嫉妬と不興を買うことになる。

 紗雪本人の意思とは無関係に彼女は母親から引き離されガーディアン・スクールに通うことになった。

「なるほど、だからアンタはこんな不真面目なワケね。授業サボりまくって退学にでもなればお母さんのところへ帰れるとか考えてるわけだ」

 紗雪がいつものように授業をサボって屋上でぼんやりしているとその少女は現れた。

 教室に連れ戻しにきたのかと思ったが、そうではないらしい。

「いやー、なんかアンタしょっちゅう教室から消えてるからさ。授業より面白いことやってるなら興味あるなーって。でも屋上でぼーっとしてるだけなら止めとくわ。つまんなさそう」

 人の事情を根掘り葉掘り聞き出しておいて、その言い草に紗雪はむっとする。

「悪かったですね」

 紗雪の不機嫌そうな顔を意に介さず、少女は質問を投げかける。

「ところでアンタって、この学校来てから母親と連絡とってるの? 電話でもメールでもさ」

「それは」

 紗雪は言葉に詰まる。

 確かに母に連絡をとることは難しい事ではない。だが話せるような話題がない。

「だよねー、学校辞めたいから授業サボりまくってクラスでも浮いてますなんて話せる訳ないもんね」

 憐れみの籠った彼女の台詞に紗雪はカチンときた。

「何が言いたいんですか!」

 紗雪の怒りを受けても少女は飄々とした様子で言葉を返す。

「だからさ、学校では友達ができて充実した日々を送ってますって言った方がお母さんも安心するんじゃないかなって私は思うわけよ」

「友達って」

 そんなこと言われても友達なんていない。

 そう思っていたところで、目の前の少女は親指で自分の顔を示す。

「というわけで、私が友達になってあげよう」

 紫紺の髪を靡かせ、セーラー帽を被った少女はそう言って笑う。

 それが涼風凛音との出会いだった。


『あのガキが相馬幸平の連れか』

『アイツを人質にすりゃ、相馬幸平も夢幻の鍵を手放さざる負えないだろ』

『人通りの少ない道に入ったら、一気に連れ去るぞ』

 聞こえてるんだけどなあ。紗雪は内心溜め息を吐く。

 心言領域によって、近くにいる人間の心の声が彼女には届いてくる。

 シムルグの能力は本来テレパシーのような使い方が主だが、領域の密度を下げることで誰にも気付かれず他人の心の中を知ることも可能だ。

 どうも自分達を狙って後をつけてきている人間がいるらしい。

 そして彼らの狙いは幸平の持つ夢幻の鍵だということもわかった。

「私さ、小学校の頃から勉強は得意だったんだ」

 隣を歩くつぐみは、周囲の状況を知る由もなく自分の思い出を語りだす。

「小さい頃はお父さんもお母さんも誉めてくれた。でもその内、塾に通うようになってもっと上を目指せって変にハードル上げられてさ。色々嫌になっちゃったんだ」

「あーわかります」

 紗雪はつぐみの境遇に共感する。

「力持ちの人は力仕事を押し付けられるみたいなやつですよね。頑張りすぎるほど損をするっていうか。結局自分の力をひけらかしてもいいことなんてないんですよ」

 それは紗雪自身も身に染みて実感したことだ。

 自分の持つ聖霊術師の力を大勢の人の前で使ったばかりに彼女の人生は変わった。

 自分の本当の力は隠した方がいいに決まってる。だから紗雪は授業でも本気を出さない。

「ところでつぐみちゃん、お腹空きません?」

「はい?」

 唐突な話題転換につぐみの戸惑いの声が返ってくる。

 それに構わず紗雪は空気の読めない振りをする。

「私は小腹が空きました。肉まんでも食べたい気分ですね。近くにコンビニとかありませんか?」

「あのさあ」

 呆れた様子でつぐみは文句をつける。

「私は早く帰りたいの! 買い食いしたいなら一人で行ってくれる?」

 苛立ちを孕んだ言葉を受けても、紗雪は悪びれた風もなくテンション高く答える。

「わかりました! つぐみちゃんの分まで肉まんを食べてきます! じゃあまた今度」

 ひらひらと手を振ると、紗雪はその場から駆け出す。

 後には呆気にとられたつぐみが一人、取り残されるのだった。

「ええ? なんなのあの人」

 最初から最後まで掴み所のない人だった。

 そう言えばコンビニの場所教えてなかったけど大丈夫だろうかと今さら気付いた。


 つぐみから大分離れたところで紗雪は足を止める。これくらい距離をおけば十分だろう。

 今、紗雪は何者かに後を狙われている。一緒にいればつぐみを危険に晒す恐れがあった。

 これで彼女を巻き込まずに済む。

 ポケットから白い箱を取り出し、中から白い棒を一本取り口に咥える。

 傍目には煙草のようにも見えるそれを噛りながら、不意に凛音と初めて出会った時のことを思い出した。

 あの時も紗雪は不機嫌を装って白いスティックを咥えながら、問い返していた。

 どうして私の友達になんてなりたいんですか、と。

 可愛いから、と凛音は即答した。

 馬鹿にされてるのか、と紗雪が訝しんでいると凛音の顔が紗雪に近づき、その口から伸びるスティックを齧って二つに割った。

 ニヤッと笑いながらセーラー帽の少女は言う。

「ほらっ、煙草型のチョコ食べてグレたふりするとことか最高に可愛いじゃん」

 初対面でそんな風に踏み込んできた凛音の姿が今もずっと瞼の裏に焼き付いていた。

 オリジナルのチョコを作るのは紗雪の趣味の一つだ。

 煙草を模した物だけでなく、もうちょっと複雑な形だって作れる。

 紗雪はこの後の行動を考える。人通りの多い道を通って、早く宿に戻ろう。

 そして夢幻の鍵を狙っている奴等がいると幸平に教えて、この島を去った方がいい。

 夢幻の鍵は紗雪にとっても大事なものだ。奪われる訳にはいかない。

 その時、心言領域を通じて声が流れ込んでくる。

「えっ?」

 それを知って紗雪は目を見開いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る