7

「静佳、生徒会長就任おめでとう」

 その日の夜、俺は寮の前で静佳と落ち合っていた。

 静佳は浮かない顔でそれに頷く。

「ええ、ありがとうございます。あの相馬先生、紗雪は?」

 紗雪への言葉を悔いているのだろう、彼女の顔には後悔の色が浮かんでいた。

「追いかけたけど、見失っちまった。部屋には?」

「帰ってません」

「そっか、どこ行ったんだろうな」

 この時間まで寮にも戻ってないとなると心配だな。

 まあ俺は俺の目的を進めさせてもらおう。

「それより、手に入れたんだろ。地下迷宮の鍵」

「ええ」

 コクリと首肯して静佳はポケットから一本の鍵を取り出す。

 蝶を模った装飾の銀色の鍵だ。

 これが歴代生徒会長が管理すると言われる、地下迷宮の鍵。その名も夢幻の鍵。

「お前、あの迷宮にずっと入りたがってたもんな」

 理由は知らんけど。

 静佳は神妙な顔で鍵を見つめながら、それに頷いた。

「ええ、これで私はもう誰も憎まずに済む。全てが終わったら紗雪のことも星観さんも、きっと許せる」

 昼間の戦いで紗雪や星観に憎しみをぶつけていた静佳。でも心の奥ではそれを悔やんでいて、自分の進んでいる道が正しいかどうかも揺れている。俺にはそんな風に見えた。

「そんなに地下迷宮に行きたいなら、今から行ってみるか」

 俺は静佳の背中を押すようにそう提案する。それを聞いて、静佳は目を丸くした。

「私が迷宮に入りたいのは勿論ですが、相馬先生まで巻き込んでいいんですか?」

「いーよいーよ、気にすんな」

 そう言って俺は笑う。本心では俺も逸る気持ちを抑えられない。これで漸くあの迷宮を調べることができるのだから。

 俺達は寮から離れ、迷宮へと向かう。

 途中の道すがら隣を歩く静佳は俺を見上げ話しかけてきた。

「先生、本当にありがとうございます。先生の特訓のお陰で星観さんに勝つことができました」

 聖霊を操れず、自分の拳一本で戦う以前の静佳なら今日の勝利はなかっただろう。

 彼女の感謝の言葉を素直に受け止めることにする。

「ああ、それもお前の頑張りあってこそだ」

 言って静佳の頭に手を置き、わしゃわしゃとその髪を撫でる。

 きゃー、と可愛く言って目を細めるが、彼女に嫌がってる様子はない。

 十分だ。静佳の信頼は十分得た。これでいよいよ計画の仕上げに入れる。

 学校の裏手へ行き、山の中へ入る。

夜の山道を歩くのには不安があったが、目的地はすぐだった。

 山の途中に洞穴が見えてくる。静佳は懐中電灯を照らし、そこへ入っていった。

 俺もその後へ続きながら軽口を叩く。

「まさに秘密基地って感じか」

「敵の秘密基地に潜入しているくらいの警戒心を持った方がいいですよ」

 なるほどな、静佳もかなり気を張りつめてるのがわかる。

 洞穴の奥には地下へ続く階段があった。それを下りると物々しい鉄扉が俺達を出迎える。

 そこで静佳はブレザーのポケットから夢幻の鍵を取りだし、扉の方へ向けた。

 一体何をする気なのか、と思っていると夢幻の鍵が淡く輝き始める。

 鍵の先端から青い光が放たれ、扉の鍵穴に吸い込まれていく。

 やがてガチリと解錠の音が響くと、鉄扉はゆっくりと観音開きになる。

「ひゅー、お洒落じゃん」

 口笛と共にそう呟く俺には反応を示さず、静佳は扉の中へと歩を進めた。

 俺も彼女の後に続いて中に入る。地下迷宮は不思議な場所だった。

 石造りの床と壁、通路の所々に灯りが設置され俺達の行く道を照らしてくれる。

 あれも霊力で光る半永久的な光源なのだろう。恐らく五百年前からこの迷宮を照らし続けてる筈だ。

 俺達は一本道を真っ直ぐに進む。

 迷宮と言う割には分かれ道のようなものは見当たらないが、それはまだ地下一階だからだろう。下の階へ下りるほどこの迷宮は複雑さを増すと聞く。

 通路の所々に甲冑を纏った騎士や獣頭人身の異形が石像のように配置されていた。

「あいつら警備ゴーレムだろ。仕事サボってんのかね」

 そんな風に言って惚けると静佳はすぐに説明してくれる。

「私達は夢幻の鍵を使って入ってきましたから正式な入場者として認められてるんです。他の方法で忍び込んだら、真っ先に襲いかかってきますよ」

 まあそんな理由だと思っていた。俺が知りたいのはその先だ。

「静佳は鍵を持ってるからわかるけど、俺はどうなるのよ?」

「先生も正規の入場者として登録してます」

「その鍵でってことか。どうやって使うのそれ」

 夢幻の鍵は単なる金属の塊ではない。高度な文明により作られた古代のアーティファクトのひとつだ。生徒会長様しか知らないような使い方がある筈だ。

 そんな秘密道具の扱いを静佳は惜しげもなく解説してくれる。

「鍵を手に持って念じるだけです。難しいことはないですよ」

「っていうことは静佳が念じるだけで、俺を侵入者扱いしてゴーレム共に襲わせることもできるわけだ」

 そう言って笑うと彼女は困ったように眉を八の字にする。

「確かにできますけど、そんな酷いことしないですよ」

「わりーわりー、冗談だって」

 そんな風に場を和ませたところで俺は彼女に頼み事をする。

「なんか凄いんだなその鍵、ちょっと見せてくんない?」

「いいですよ」

 静佳は躊躇う素振りも見せず、俺の方へ鍵を差し出す。

 サンキュ、と言って俺はそれを受け取った。

 ふむ、見た目や手触りは普通の鍵と変わらない。蝶を象った装飾は素敵だが。

 そんな風に観察していると、突然地面が揺れた。

「おおっ! なんだ、地震か?」

「いえ」

 否定の言葉と共に静佳は床に鋭い視線を向ける。まるでその先の下の階を見通すように。

「魔神が暴れてるんです」

「はっ? 魔神」

 魔神は少なくとも地下十階より下に封印されてる筈だろ。

 こんな大きな揺れがここまで伝わってくるわけがない。

 そんな俺の言葉を静佳はすぐに否定した。

「それは違いますよ」

彼女は肩越しに振り返り、重々しく告げる。

「魔神はもう地下二階まで来てます」

 なっ!

 俺は絶句した。

 魔神がもう俺達のすぐ足元まで迫ってると言うのか? そんな話聞いてない。

 何より何故静佳はそんなことを知ってるんだ?

 前生徒会長の星観ならまだしも、静佳が地下迷宮に入るのは初めての筈。

 いや、それとも初めてではないのだろうか?

 元々彼女はこの場所になんらかの因縁があったのか?

「先生、あれを見てください」

 静佳が道の先を指差す。そこは床が割れ小さな穴が開いていた。

 人が通るのは無理そうだが、下の階を覗くくらいはできそうだ。

「ははっ、度胸試しでもしてみようってか?」

 流石に乾いた笑いしか出てこない。五百年前の魔女狩り戦争で誰も倒すことのできなかった不死身の魔神、それがすぐそばまで来てるのだ。

「この階の封印は生きてますから、魔神がここまで上がってくることはありません。見るだけなら害はありませんよ」

 感情の読めない静佳の瞳が俺を射抜く。

 確かに魔神は恐ろしい。だが安全な場所からその姿を観察できると聞けば好奇心が芽生えてくる。怖いもの見たさ、という言葉の意味を初めて我が身で理解した。

「オッケー、後学の為に見せてもらおうじゃねーか」

 俺はゴクリと喉を鳴らすと、ゆっくりとその穴に近づく。

 そして意を決してその中を覗きこんだ。

 穴の中は真っ暗だった。下の階は灯りがついていないのだろうか?

 そう思ったのは一瞬だ。俺の視界を埋めていたのは暗闇なんかじゃなく、闇色に輝く不気味な鱗だとすぐに気付く。

 こんな小さな覗き穴からではまるで全貌を掴めない巨体。

 その闇の中にギョロリと蠢く金の瞳が俺を捉えた。

 目が合った。それを理解した瞬間、全身に悪寒が走り俺はその穴から飛び退いた。

「見るだけなら無害、だと。いい加減なこと言いやがって」

 額に汗が滲む。

 不気味、邪悪、得体が知れない。そんな言葉では言い表せない恐怖を感じた。

 目を見ただけで俺の防衛本能が警鐘を鳴らす。あいつはマズイ。人間にはとても手に負える相手ではないと。

「大丈夫ですか、先生」

 心配そうに静佳が俺の顔を窺ってくる。

「いやー、大丈夫じゃねーだろあれ」

 俺はそう空笑いするのが精一杯だった。

 一目見ただけでこれだけ精神を削られるのだ。大昔にあの化け物と戦い封印した人達を尊敬する。俺ならあんなのと一生戦いたくない。

「そろそろ教えくれるか静佳、お前がこの迷宮に来たかった理由を」

 その答えに薄々勘づいていながら、俺はそう尋ねた。

 星観との戦いの最中に静佳が言ったことが脳裏に蘇ってくる。

 そして俺の予想と寸分違わぬ答えが返ってきた。

「あの化け物を倒す為です」

「そっかよ」

 無謀だ。人類が決して勝てないと言われた魔神を、ただの子供に過ぎない彼女が倒せる道理がない。

 星観が静佳を止めようとしていたのも納得がいく。

 静佳は虚空に右手を翳すとその先に赤い魔方陣を生み出す。

「先生を巻き込むつもりはありません。これは私の手で決着をつけるべきことです。失ったものを取り戻すために」

 赤い魔方陣からは見慣れた黒猫が姿を現す。

 静佳は本気だ。聖霊を召喚し、本気であいつに挑もうとしている。

 このまま彼女を行かせればそれは、見殺しにすることと同義。星観が彼女を止めようとしていたのも納得がいく。そう思った瞬間、俺の中であらゆる躊躇いが消えた。

 ごめんな、静佳。

 心の中の呟きは何に対する謝罪か。

 俺は懐から拳銃を取りだし、静佳の隣を歩く黒猫に向けた。

 二重の弾丸デュアル・バースト。二つの撃鉄を持つ特殊な銃。右の撃鉄を下ろして射つと鉛玉が発射される。そして俺は左の撃鉄を下ろし、引き金を引いた。

 銃口から生み出された見えない衝撃が黒猫の体を襲う。

 衝撃に吹き飛ばされ床を転がる猫に二発目、三発目の銃弾を撃ち込んだ。

「えっ?」

 何が起こったのかわからないと言う顔で静佳は俺を見る。

 俺はそんな彼女の疑問に答えてあげる。

「こいつは聖霊の霊的防御力を奪うことができる特殊な弾丸を撃てるんだ。霊的防御力を失うとどうなるかというとな」

 言って俺はポケットから一枚のカードを取り出す。

 何も描かれていない白紙のカード、それを正面に翳すとすぐに異変は起こった。

 床に転がる黒猫が悲しげに鳴くと共にその姿は光の粒子となって分解され、カードに吸い込まれていく。やがて光は収まり、白紙だったカードには黒猫の姿が描かれた。

「先生、何を?」

 困惑した様子で静佳はそう吐き出す。それに対して俺はニヤリと笑って返してやった。

「おいおい、授業で教えてやっただろ。聖霊を封印し奪うことができるカードがあるって。その名も」

盗賊の切り札バンデットカード

 呆然と静佳はそう吐き出す。

「まさか、先生は」

 俺は口の端を切れ込ませながら、たった今封印した黒猫のカードを頭上に掲げる。

 するとカードの正面に紫の魔方陣が生み出された、そこから黒猫が飛び出してくる。

「さて、早速お前の聖霊の力使わせてもらおうか」

 黒猫は静佳の足元に着地し彼女の影に潜り込む。すると静佳の足は縫いつけられたように地面から離れなくなる。

「忍法影縫いの術、なかなか面白い使い方ができるなこいつは」

 静佳がいかにこの聖霊を使いこなせてなかったかがよくわかる。

 動きを封じられ、動揺を隠せないまま静佳は俺に食ってかかる。

「先生は、盗賊だったんですか!」

「今さら気づいてもおせーよ」

 言って俺は先ほど静佳から渡された夢幻の鍵を示す。

「俺がこの学校に忍び込んだ目的はこいつさ。お宝も手に入ったし、あとはずらかるだけだ」

「こっ、この! 私を騙してたんですか!」

 悔しさを滲ませながら静佳は俺を睨みつける。だが彼女にもはや抵抗する術はない。

「この鍵の使い方はお前がさっき丁寧に教えてくれたな。覚えてるか?」

 鍵に念じることで俺は静佳の権限を剥奪することができる。

 正規の入場者ではなく侵入者扱いにすることも。

 変化はすぐに現れた。今まで置物のように動かなかった異形のゴーレム達が静佳を取り押さえにかかる。

 如何に静佳の腕っぷしが強くても、足が動かないままではまともな抵抗など望めない。

「くっ、やめろ! 放せえ!」

 言葉での反抗も虚しく彼女はゴーレム達に組み敷かれ、床にうつ伏させに倒れる。

 それでも心は折れず、俺への憎しみの籠った視線をこちらに向けてくる。

「さよならだ。静佳」

「うっ」

 屈辱に歯を食い縛りながら、静佳の両目には悔し涙が溢れていた。

 あの気の強い静佳が、泣いてる。それは俺を僅かに動揺させ、罪悪感を刺激した。

 俺は彼女に背を向け、踵を返す。その後ろから怨嗟の声が響いた。

「絶対に許さない! ぶち殺してやる!」

 涙の滲む声が俺の心を打つ。振り返らず、俺は迷宮の出口を目指した。


 流石に可哀想なことをしたな。

 覚悟はしていた。凛音を取り戻すためなら俺は鬼にも悪魔にもなる。

 この学校で仲良くなった生徒達だって、所詮は目的の為に利用して最後には切り捨てるべき存在だ。

 それでも俺は自分の甘さを捨てきれなかった。

 迷宮を出たところで、こうして寮の星観の部屋に電話をかけているのだから。

 静佳が怪我をした。迷宮まで助けに来てくれ、そう伝えた。

 星観は俺の言葉を疑う様子もなく、すぐに駆けつけると言ってくれた。

 これでいい。静佳もそれほど酷い怪我をする前に助け出されるだろう。

 俺は滅茶苦茶恨まれるだろうが、きっともう会うこともない。

 海の方へ出て、隠しておいたモーターボートに乗り込む。

 エンジンをかけ、砂浜から離れ夜の海を走り出した。

 短い間だったが、これで学校ともお別れだと思うと一抹の寂しさがある。

 そんな俺の耳に慌てた少女の声が飛び込んできた。

「待ってくださーい! 乗ります! 乗りまーす!」

 はて、どこかで聞いたような声だ。

 そう思った瞬間、近くの崖から人が飛び降り、俺のボートに落ちてきた!

 ぎゃー! 揺れる! 沈む! 何てことしてくれんだ!

 必死にボートに捕まりながら侵入者を睨む。

 そこにいたのはゆるふわウェーブのかかった栗色の髪の少女だった。

「さ、紗雪?」

 彼女の名を呼ぶと、紗雪はニッコリと笑顔を浮かべる。

「はい、貴方の紗雪です。せんせーの行くところなら地の果てだってお供しますよ」

 こうして、俺の逃亡生活に予定外のお土産が増えることになったのだった。

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