第4話
大学の間取りの記憶を総動員して、出来る限りあのサメから離れる。野次馬たちの生存は極限に絶望的だろう。
まず一階にいかなければならないという点で、四人の意思は一致していた。脱出しなければならない。さもなくば陸の孤島と化した大学で、海産物であるサメに食われるという非常に珍しい死に方をすることになる。別にトロフィーももらえない以上、ごめん被りたいところだ。
駅伝走者並みの速度で最後の階段を飛ばし、一階へと出る。広々としたホールは、普段のこの時間ならまだにぎわっているはず。しかし嵐を察知した善良な人々はすでに家で丸くなっており、高濃度に煮詰められたDQNの巣となっている。
蛮族に追われたインディージョーンズの雰囲気で登場した男女に、視線が集中する。最初は反射と物珍しさから、段々と嘲笑が混じる。
「なにあれ、ウケル」
「頭おかしいんじゃねえの。キッモ」
何しに大学に来ているのか理解に苦しむ感じの連中が、水族館のお魚でも見るような目で観察してくる。かかわずらっている暇はない。
敷島はスマホを取り出し、操作を試みるが、やはりうんともすんとも言わない。これではただの文鎮である。
「えいちくしょうポンコツめ!どうなってんだいったい」
「おかしいな。どう見ても。電磁嵐でも来てるのか?それともEMP(電磁パルス)か?」
「ロレンチーニ器官……」
朝日が呟く。
「あ?あの、サメは電流が判るってやつか?分かったところでどうしようもないやろ」
敷島の言葉はもっともである。確かにサメの電磁波に対するかkん王能力は、全生物の内でも最高位に属するが、それはあくまで受動的なものだ。電波帯をかぎわけて、ちょうどそれに共振する妨害電波を出すことなど、常識的に言って不可能。
「いや、同じ軟骨魚のエイの一種に、かなり強烈な電気を出せる奴がいたはずだ。サメも、ある程度改造してやればできるかもしれん」
「サメとエイは違うやろ」
「だが忍者だ」
今度は敷島が考え込む番であった。常識的に考えてあり得ない。しかしそれを言えば、忍者装束のサメが陸に上がって人を襲うなど。あれは忍者、忍者なのだ。忍者ならあるいは……。
「いや、でもそんな馬鹿みたいな電波出してるんなら、あんだけ近づいたら電子回路が焼き付くやろ。大体一匹でそんな出力……」
そこで気が付く。一匹ではなかった。二匹目がいるとすれば、もっと他にも。
「数がいる」
大和が低い声で言った。
「だとしたら?どうなるの?」
朝日が問うた。
「囲まれているかもしれない。ヤバいぞ」
電気が、消えた。真の暗闇が辺りを支配する。
「え!?」
「なになに!?こわーい!」
「停電かー?」
「もうかえろーぜ!電気付かないならいる意味ねーし」
大声をあげて話し合う生徒たち。しかし虚勢の中にある恐れは隠しきれない。闇は本能の中の警戒心を呼び起こし、漆黒の中に、天敵たる肉食の存在を幻視させる。
しかし中途半端な理性、自らを強く見せようと見栄を張る心から、気配をさぐることも無く、ただ騒ぐだけの群衆。かっこうの的であった。
おかげで四人も襲撃者の存在が掴めない。大和がいら立って叫ぶ。
「おめーらうるせえぞ!少しは黙って」
「伏せて!」
桜が飛びかかり、大和の姿勢を崩す。その上を、何か巨大なものが通りすぎていった。
闇夜よりわずかに濃い、黒い塊。一瞬身体が浮き上がる衝撃。断末魔の声がいくつか上がる。
懐中電灯以上の役目を果たさなくなったスマートフォンであったが、それなりの役にはたった。闇にうごめく、本来海にしかいないはずの殺人者。
一匹ではない。見えただけで3つ。胴体にまでおよぶ口の端に、つい先ほどわめいていた肉切れをぶら下げている。
言うまでもない。見れば分かる。サメだ。そして忍者。サメ忍者だ。
「きゃあああああああああああ!!」
「うおわあああああああああああああああああああ!?!?」
圧倒的な質量の差。牙という武装。奇襲の利。何よりも、闇夜。勝敗は始めから決定していた。
逃げ惑う人間は盲目の羊そのもの。追われるがままに逃げ、待ちかまえていた別動隊にあっさりと喰われていく。
もっとも大きかった集団は、たちまちに乱獲され、全滅。ホールに散らばっていた小集団は、訳のわからぬままに玄関に、あるいは近くの出入口に走り出す。
「おい!どうする!?」
「窓だ!敷島、椅子!」
「あいよ!」
脚が金属の、重めの椅子を大和に渡す。ハンマー投げのように一回転すると、投げ下ろしぎみに放った。
雷鳴に輪唱しガラスが割れ散る。ばか正直に玄関を出れば、ここまで周到な敵だ、丸のみにされるのがオチだろう。
暴風雨が吹き荒れる中に飛び入る。水を求める魚のように顔を上げて、息を吸い込んだ。外がこんなにもいとおしく思えたのは、彼らにとっても初めてであったろう。
「駐輪場は!?」
「あかん!全部やられてる!サメにやられた!」
見回すとバラバラになった自転車の残骸が、雨に打たれて錆びを晒していた。フレームは二つに折れ、タイヤがもげている。それさえまだ原型を留めた部類だ。
まず獲物の足を殺す。狩りの基本に忠実なのは猛魚の遺伝子か、忍者の記憶か。
玄関から絶叫。喰い千切られた脚が置物のように倒れ、ごとん、と間抜けな音を響かせる。
その惨状に恐れをなして、生き残りは今開いた穴からこぼれ出す。
もともと人数は少なかったとはいえ、数十人はいたはずの生徒は、もう十人強といったところ。三分経たずに二、三十人はサメの胃袋に消えた計算になる。
「く、車!俺の車だ!」
髪を金に染めて立ち上がらせた男が、運良く無事だった赤いセダンに向かう。仲間や彼女らしい、派手な集団も続いて流れていく。
しかし、不自然なまでに、駐車場には手が、いや口がつけられていない。あれほど徹底した殲滅作戦を決行するサメ忍者集団が。
「馬鹿!行くな!罠に決まってんでしょ!」
朝日の警告は山風に拭われ、そうでなくとも興奮状態の不良たちには届かない。
電子ロックを遠隔操作で解除。真っ赤な車体に手がかかり。
空、否、屋上だ。高空から落下したサメの空中殺法。体長4m超。重量800kgは下らないであろう肉弾の爆撃。
めくれあがったサメの歯茎に触れた金髪の男は、肩口から肉を細切れにされ、3つに泣き分かれになる。
「ぎゃああああああ!!ぎゃあああああああああああ!!!」
赤子も色を失うほどの絶叫。あれでも即死ではないのは、不幸としか表現できない。
サメにも忍者にも武士の情けがあるのか。アスファルトを転がる上半身をついばんで、噛み砕いてやったのは慈悲と呼んでよかろう。
これで少なくとも六匹。一匹は戦意を失ったとしても、五匹の殺人サメ忍者集団がいることになる。
退けば死。進むも地獄。しかし生還の目に賭けるには、前に進まなければならない。
「どうする!走るか!?」
「あいつらめっちゃ速いぞ!?」
「あ、あの!」
桜が坂の下、田畑の並ぶ田園地帯を指し示す。
「あっち、畑のほうにちっちゃいトラックがあって、カギが付けっぱなしで、危ないなあって」
「それだ!行くぞ!」
迷っている暇はない。即断して坂を下る。ほかの生き残りも、最初のペンギンが危地に飛び込んだのを見ると、脱出口を求めて追ってくる。
「お、おい!君ら何か知っているのか!?ありゃいったい」
「サメ忍者だ!それ以外はこっちが聞きたい!」
残業していた事務員が事情を聞いてくるが、誰にも全容など分からない。たとえあらましを説明しても無駄だというのは間違いないし、そんな暇も無かった。構内の獲物はあらかた片付け終えたのか、割れた窓から、駐車場から、玄関口からサメ忍者が押し寄せてくる。
死んだように静かな夜を深海に例えるとするなら、今夜は嵐の大洋そのものであった。投げ出された者たちは、難破船の船員同様、自身の体力と天運に祈らなければならなかった。
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