第8話 日食

 都内某所の総合病院。

 難病から重病、重症患者を診るこの病院は国内の最先端の医療を行っており、連日多くの患者が集まる。

 先日銃撃による重傷を負った篠原舞もここに入院している。

 彼女が意識を取り戻したのは事件から二日経過した朝の事だった。

 丸一日生死の淵を彷徨ったが奇跡的に回復。

 その後は院内を松葉杖で歩けるぐらいには回復していた。

 入院して一週間も経たずこの回復具合に病院関係者は驚きを隠せないが、当の本人はそうは思ってない。

 彼女が助かった要因に勇人の応急処置があったのは間違いない。

 しかし、それはあくまで応急処置の範囲内だ。

 生存確率は上がってもまだまだ彼女は重傷だった。

 いくら適切な医療を受けても一週間以内で動けるまで回復することはない。

 それが出来たのは別の要因があったからだ。


「もう歩けるようになったのか?」


 背後から声がした。

 首筋に氷でも押しつけられたような感覚がする声だった。

 慣れない人は背筋がビクッと伸びるだろうが、舞は慣れっこだ。


「えぇ、おかげさまで」


 渾身の皮肉を込めた笑顔で振り返る。

 その先にいた声の主、時戸善治はいつもと変わらぬ機械的な様子だった。


「珍しいですね。貴方が部下のお見舞いに現れるなんて」

「当然だ。貴様は優秀な人材であり、私が直接治療した者だ。容態を確認するのは当然だ」


 これは冗談でも誇張でもなく実際に起きたことだ。

 この病院に運び込まれた舞を治療したのは善治である。

 しかし、この男の経歴に医者はおろか医学部に通っていたと言う事実がないことを舞は知っている。

 つまりは素人。

 この男の人生に『医』は全く関わってない事を舞は長年の調査で調べ上げている。

 しかし、善治が治療した人間は舞以外にも多くいる。

 その全てが奇跡的な回復を遂げ、後遺症もなく健康に過ごしている。

 それ故、どこからか噂を頼って治療を依頼する人間がいるとかいないとか。

 ズブの素人であるはずのこの男が本来はあり得ない現象だ。

 ここまでの医術をやってのけたのには当然別の要因がある。

 その要因も舞は既に目星を付けている。


「ところで、奴の調子はどうだ?」

「空木さんのことですか?今朝見た限りではまだ昏睡状態ですよ」

「そうか」


 勇人がここに運び込まれたのは昨日の事。

 出血多量でもう助からないと思われたが、これも善治の治療によって一命は取り留めた。

 しかし、まだ予断を許さない状況だ。

 何せ全身を切り刻まれ腕を切断され、胸部を貫かれた状態で運び込まれたのだ。

 生きている方が不思議である。


「いくら心臓に傷がついてないとは言え肺を刃物で貫かれているんですから簡単には回復しませんよ」

「その程度でくたばるならその程度という事――――――む?」


 冷たく言い放つ善治の胸元で携帯が鳴り響く。

 少し離れると言って彼は廊下から姿を消した。

 近くの地図に目をやると携帯電話が使用可能な区域が示されている。

 どうやらそこに移動したようだ。


「はぁ。割に合わないなぁ、


 舞は人一倍大きくため息をつく。

 彼女がこの仕事を出来るのはたまたま自分に適性があったからだ。

 しかし、今までの彼女の人生は幻想種とはおよそ無縁の生活を送っていた。

 そんな彼女がこの業界に関わるきっかけはある人物からの依頼がきっかけだった。

 とある事件と人物達の調査。

 その為に業界について勉強し、この組織に潜り込んだ。

 以来、二年間裏方として組織を調べ続けていた。

 だが、裏方である自分が組織の人間ではなく幻想種によって殺されかけたのはいくら貰っても割に合わない。

 いっその事、仕事を辞めてしまおうか。

 対象についてはずいぶんリサーチ出来たし誰か後任を呼びその人に任せてしまうのがいいかもしれない。

 そんな事を思っている舞の横で病室のドアが開く。

 その姿を見て彼女はギョッとする。

 出てきたのは全身に包帯を巻かれた空木勇人だった。


「――――――ちょ、ちょっとケガは大丈夫なんですか!?」

「問題ない。既に回復した。それより俺は行かなきゃならん」

「行くってどこへ?」

「ロキの所だ。奴を殺しあいつらを助ける」


 それだけ言うと勇人は廊下を歩き出す。

 それを一瞬ポカンと見ていた舞はすぐに追いかける。


「いやいや、場所わかっているんですか!?」

「目星は付いてる」

「あれだけ手酷くやられたんですよ!?勝算はあるんですか?」

「知らん。だが、こうしている時間が惜しい。奴が事を起こしてしまえば取り返しがつかん」


 歩きながら答える勇人のスピードはとても先ほどまで死にかけていた者とは思えない。

 舞は松葉杖を使いながら必死に追いかける。


「――――――でしたら……尚更対策しないと……前回の二の舞ですよ」


 廊下に響き渡る程の大きな声に周囲の人は何事かと振り返る。

 しかし、勇人の歩みは止まらない。

 もう見失うのではないか舞がそう思った矢先だった。


「騒々しい。病院内では静かにしろ」


 善治が勇人の前に立ちはだかった。


「失せろ。テメエに用はない」

「健康な貴様がどこで野垂れ死しようが構わんが私が一度は治療したのだ。せめて、完治してからにしろ」

「俺はとっくに回復してる」

「ふん、安い嘘だな。貴様の体の中にはまだ竜殺しの力が残っている。その証拠に貴様の包帯からは血が滲んでいるぞ」


 舞がふと視線を向けると包帯のあちこちが赤く染まっている。

 特に切断された右腕が顕著だ。


「今は休め。幸いロキが行動を起こすにはまだ少しだけ日にちがある。それまでは回復に努めろ」

「まだ、時間があると言う根拠は?」

「明後日、皆既日食が起こる。ロキが動くのはそこだ」


 日食。

 地球から見て太陽が月に隠れる現象。

 現代の世間一般では中々見られない自然現象として認識されている。

 しかし、天文学が発達する前の世界は違う。

 日食は彗星と並び凶兆を意味し、天変地異の前触れとされており、世界中の神話において様々なエピソードを残している。

 ロキの登場する北欧神話はどうか?

 北欧神話において太陽は常に狼に追われておりこの世の終わりと共に食われるとされている。


「――――――世界滅亡ラグナロクですか」

「その通りだ」


 舞の顔が険しくなる。

 北欧神話の最後。

 オーディン率いる神々とロキが率いる巨人族が激突し、最終的に世界の全てが焼き尽くされる。

 それが実現されてしまえばどうなるか。

 想像を絶する光景を思い浮かべ、舞の表情が見る見る青くなる。


「奴は間違いなくその再現を狙っている」

「でしたら、一刻も早く動かなければ…………」

「無駄だ。これまで何度も追跡を試みたが全て失敗した。仮に見つけることが出来ても相手は神だ。恐らく返り討ちに遭うだろう」


 どうやらロキは幻想種の世界『鏡界』に隠れているらしく追跡は出来ない。

 それを聞いた舞は頭を抱える。

 鏡界は精神と魂の世界。

 肉体を持つ人間では絶対に行けない世界だ。


「でしたら、どうするんですか?」

「空木勇人も言っただろう。奴の居場所に見当はついていると。我々も既につけている。日食当日、奴がそこに現れた時に一気に叩く」

「その場所はどこですか?」


 早く聞きたい舞は食い気味に上司に問う。

 善治は一呼吸置きいつも通り機械的な声で宣言した。


「旧久遠村跡地だ」


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