第7話 敗北

 高々と舞い上がるそれは野球の平凡なフライに見える。

 上空に軌道を惑わす風はなく経験ある者なら絶対に取れる打球だ。

 しかし、それは野球のボールならの話だ。

 今、上空から落ちてくるのは人の腕だ。


「――――――い…………いやああああああああああああああああああっ!!!?」


 その惨劇に少女の悲鳴が響き渡る。

 切られた勇人は歯を食いしばって痛みを堪える。

 切断された箇所から血が止めどなく流れ出る。

 このままでは出血多量で死んでしまう。

 勇人は自らの力で強引に止血しようとする。


「どうだい、魔剣グラムの切れ味は?」

「――――――――――――ッ」


 調子に乗っているロキに対し勇人は何も返せない。

 今は回復に努めなければならない。

 幸い竜種には並外れた再生能力を有している。

 体の各所が多少欠損してもトカゲの尻尾のように元に戻れる。


「無駄だよ。君はもう助からない。それは君自身理解しているだろう?」


 確かに勇人の中の権能が働かない。

 いつもなら止まるはずの血が未だに流れ出ている。


「これが竜殺しグラムの力さ。この剣の前では竜種は力を発揮できない。まさしく魔剣、いや神剣だ」

「――――――そういう…………ことか」


 勇人は理解した。

 回復が発動しないこともそうだが体を覆っていた竜の鱗もなくなっている。

 まあ、仮にあったとしてもグラムのまえでは何の効果もなさない。

 身体能力も低下しておりロキの攻撃が対処できなかったのもそのためだ。

 これは今まで経験した中で最大の危機だ。

 はっきり言って絶望的だ。

 万全の状態でも厳しい戦いになるロキ相手にハンデを押し付けられて戦うなど悪い冗談だ。


「さあ、今君の人生に幕を降ろしてあげるよ」


 凶刃が振り下ろされる。

 速さは先程までとは変わらない。

 しかし、受ける側である勇人はさっきまでの力はない。

 紙一重でかわすもそれは今までの状態とは違う。

 これまではギリギリまで引き付ける事で隙を確実に狙うために行っていた。

 しかし、今の回避は様子を窺うための行動ではなく全力で回避しての結果だ。

 薄氷を踏む攻防が続く。

 直撃こそ避けていく勇人だったがその足は徐々に鈍くなっていく。

 直撃はなくてもわずかな傷は負っていく。

 気づけば彼の体は無数の切り傷に覆われていた。

 切り裂かれた肩口からと小さな切り傷から流れる出血が勇人から体力を奪っていく。


 ――――――まずい、意識を保てなくなってきた。


 ついに、彼の体に変調をきたす。

 視界は明滅し、体はどんどん重くなる。

 ロキはここぞとばかりに剣を大きく振り上げる。


 躱せる!


 そう思った直後、勇人の膝が崩れる。

 袈裟懸けに振り下ろされたグラムが勇人を捉える。

 その斬撃は内臓まで達し勇人の動きは完全に止まった。

 そこから数秒間、勇人は滅多斬りにされた。

 腕が、足が、体が、顔が。

 体の至る所に剣が走り深い切り傷をつけていく。

 最後の一撃が入った時、勇人の体はキリ揉み回転しながら宙を舞った。


「いやぁああああああああああああああああッ!!勇人くぅうううううううんッ!!?」


 彼の体が地面に叩きつけられると陽奈から二度目の悲鳴が木霊する。

 駆け寄ろうとする彼女をロキが捕らえる。


「――――――ぐ……がは…………」

「まだ、息があるのか?流石竜の神威……いや、君の生き意地の汚さか」


 うつ伏せで転がる勇人の頭をロキが踏みつける。


「無様だねぇ、。命を懸けて救おうとした少女は救えずこうしてボクに奪われるんだから。まあ、でも安心しなよ。すぐに彼女も君の逝くボクのヘルの所に送ってあげるからさ」


 ロキの歪んだ笑みを見せる。

 冥府の支配者である自分の娘の名を出しながら見せるその顔はまさしく邪神そのものであった。

 しかし、そんな屈辱的状況である勇人の体は全く動かない。

 受けたダメージとグラムが彼から立ち上がる力を奪っていった結果だ。


「さて、そろそろ終わりにしようか。ボク達はこれから新しい世界を作るんだ」


 ロキが剣を逆手に持ち帰る。

 狙うは勇人の心臓。

 その一点を狙い真っ直ぐに刃を突き落とす。

 竜殺しの剣は彼の体を易々と貫き地面まで到達した。


「あ……あ……ぁあああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!??」


 血塗れのグラムが引き抜かれ少女の心が砕ける。

 何度も何度も愛しき彼の名を呼びながら手を伸ばし、その骸に近づこうとする。

 しかし、その手と声は届かない。

 神であるロキの拘束の前では華奢な少女の力ではどうする事もできない。

 邪神の高笑いが周囲に響き渡る。


「――――――ああ……長かった。これでようやく人の世は終わり、神が支配する世界が帰ってくる」


 一頻りに笑うとロキは陽奈を米俵の様に肩に担ぎ上げる。

 そのまま後ろを向き黒き扉を作り出す。

 その扉は天津邸より遠く離れた場所であり、その先には新たな世界を待ちわびる者達が多数いる。

 ロキは今一度倒れ伏す勇人に目をやる。

 その体はピクリとも動かない。


「サヨナラ、空木勇人」


 犬歯を剥き出しにした高笑いをしながらロキは漆黒の扉の中に消えて行った。

 残されたのは意識を失った多数の死傷者だけだった。

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